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第3章:嫉妬って怖いんですね

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「――?!」

 ミルスは勘で咄嗟に上体をそらし、リオの放った拳を間一髪避けた。

 拳は顎先をかすめ、天高く打ち上げられている。

 リオの瞳は、見たことがないほどまばゆい金色に輝いていた。

 その表情からは感情が消え、真顔のまま冷静にミルスを見据えている。

 ミルスは慌てて後ろに退き体勢を立て直すが、気が付くと眼前にリオの拳が迫っていた。

 寸前で拳をかわしつつ、カウンターでリオの腹に拳を突き入れ、そのまま弾き飛ばした。

 後ろに吹き飛ばされたリオが空中で体勢を立て直し着地する。

 その顔は伏せられていた。

 リオの圧力はいよいよ強大になり、ミルスは、まるでヤンクを前にしているかのような気分にさせられていた。

 リオが顔を上げ、その表情があらわになる――周囲が息をのむのが、ミルスにも分かった。

 ミルスが馬車の中で見た、手負いの肉食獣のような獰猛な笑み――それすら霞みそうな、剣呑な笑みだった。

 夫の体に他の女が馴れ馴れしく触れていたという『事実』。

 自分が参加を許されず、礼儀知らずと爪弾きにされていた時にそれが行われ、自分だけが知らずにいたという『疎外感』。

 それらが合わさった事により、リオの嫉妬の炎はこれ以上なく燃え上がっているようだった。

 既に、表情を取り繕う事すらできないほどに。

「全て受け止めてくれるんじゃなかったの?」

「……これは手合わせだ。
 一方的に殴られるに甘んじるのは、手合わせとは言わない」

「……それもそうね。
 そこは納得してあげる」

 再びミルスの眼前に拳が迫っていた。

 間合いを詰める瞬間すら感じさせないほどの俊敏な動きに、それでもミルスは必死に対応し両腕で防いでいた。

 筋肉が悲鳴を上げ、骨がきしむ感覚――まさに、ヤンクの拳を受け止めた時と同じだ。

 弾き飛ばされたミルスに追いすがるようにリオが拳を繰り出してくるのを、ミルスは必死に捌いていった。

 恐ろしいほど俊敏とはいえ、動き自体は子供の喧嘩水準の荒っぽさだ。

 隙を見つけ、再び弾き飛ばすように腹に掌打を加える――だがリオはその一撃をその場で耐え、カウンターでミルスの顔面に拳を入れた。

 その余りにも重たい一撃に、ミルスの意識が一瞬途切れた。

 気が付くと、倒れたミルスの上体に馬乗りになったリオが、上から拳を何度も突き入れてきていた。

「――!!」

 数発をまともに顔面に食らいつつ、苦し紛れにリオの顎に向かって拳を打ち上げ、頭を弾き飛ばした。

 乱打が止まると同時に馬乗りから素早く抜け出したミルスは、リオの顎を蹴り抜き、身体を大きく弾き飛ばす。

 吹き飛ばされたリオがゆっくりと起き上がる――既に気配は、魔物のそれと変わらない。

「……顔面を殴るのは難しいと言っていなかった?
 殴るだけじゃなく、蹴りも入れたわね?」

「……今のは顔面じゃない、顎だ」

「あら、言い訳かしら?
 男らしくないわよ?
 それに、殴れるなら何の問題もないわ。
 あなたも、遠慮しなくていいのよ?」

 リオの空気に飲まれていた周囲、その中でファラが気を取り直したように微笑みを浮かべた。

 更なる言葉をリオに告げる。

「ラストダンスの最中にミルスったら、その子から頬に口づけされてたのよ?
 真っ赤になって照れちゃって可愛かったわ!」

 ミルスは次の瞬間、再び意識を失っていた――殴られた事を、知覚できない速度で拳を振り抜かれていた。

 気が付くと、ミルスはリオに再び馬乗りにされ、顔面を乱打されている最中のようだった。

 リオは猛獣の笑みを浮かべつつ、涙をこぼして殴り続けている。

 既に痛みは麻痺し、朦朧とした意識の中で死を覚悟した。

 その瞬間、己の中にある何か大きな力が膨れ上がってくるのを感じていた。




****

 リオの拳が、堅く重たいものを殴りつけた音がした。

「――?!」

 その手応えと音に、リオの動きが止まる。

 リオの拳は確かにミルスの顔面を捕えている。

 だがミルスはそれまでと違い、顔面でリオの拳を『受け止めて』いた。

 その感触にリオは覚えがあった。

 ヤンクの身体を殴った時と同じ――いやそれ以上の堅牢で重たい感触だ。

 まるで巨大な竜の身体でも殴ったかのようだった。

 大柄で立派な体躯を持つヤンクならともかく、ミルスは十五歳として標準的な体躯だ。

 こんな重たさを持っている訳がない。

 リオは乱打を再開するが、全ての拳をミルスは顔面で平然と受け止めた。

 それ以上、ダメージを受けている様子はなかった。

 乱打の間隙を突いて、ミルスの拳がリオの顔面を捉える。

 空中高く吹き飛ばされたリオは一瞬意識を飛ばし、そのまま床に叩きつけられた。

 ゆっくりと立ち上がったリオは口から流れる血を拳で拭い、魔物の気配を濃くしていく。

「――やるじゃない。
 完全に極まったあの状態から返されるとは思わなかったわ」

 リオが吹き飛ばされている間に体勢を立て直していたミルスが、冷静に応える。

「俺も、返せるとは思わなかった。
 どうやら少し、竜将の証の使い方が分かってきたみたいだ」

「そう? なら安心して殴れると言うものね。
 ――頬を染めたのは本当?」

「……女慣れしていないんだ。
 唇を落とされれば、照れるぐらいはする」

 わずかな静寂の直後、武台の中央でミルスとリオが激突していた。

 リオの拳はミルスの顔面を捕えてるが、ミルスは再び平然とそれを受け止め、カウンターの掌打をリオの腹に埋めていた。

 胃液を口からこぼすリオのこめかみを、ミルスは容赦なく横から殴りつけた。

 大きく弾き飛ばされたリオは武台から飛び出し、外野で大の字になっていた。

 起き上がろうと藻掻くが、身体がもう言う事を聞かないようだった。

 既に瞳の色から金色は去りつつある。

 ミルスが冷静にリオに告げる。

「もう限界だろう。そこまでにしておけ」

 その一言でリオの瞳に金色が戻り、起き上がって構えを取った。

「……全部受け止めてくれるんじゃなかったの?」

「まだ吐き出しきれてないのか?
 いいぞ、気が済むまでかかってこい」

 再びリオが間合いを詰め、拳を乱打していく。

 ミルスは全ての攻撃を身体で受け止めて見せ、隙を見つけるとリオを殴り飛ばし、弾き飛ばした。

 それを幾度か繰り返し、二人は間合いを取った状態で動きを止めた。

 リオが小さくため息をつく。

「――ふぅ。とんでもない硬さね。
 竜将の力って凄いのね」

「納得できたか?」

 涙は止まったが、猛獣の笑みを浮かべたままのリオが応える。

「……いいえ?
 あと一撃は痛いのを入れてあげないと、気が済みそうにないわ」

「今の俺たちの力の差で、それは無理だろう」

 余裕のある静かな笑みで、ミルスが告げた。

 リオの笑みが魔物の如き笑みに変わる――人が浮かべられる笑みではない。

 正気が残っているのかすら疑わしい、そんな笑みだった。

 その笑みに、ミルスは背におぞけが走ったかのように震えた。

 リオが壮絶な笑みを浮かべた。

「――上等。
 私を舐めた事、後悔させてあげる」

 リオの瞳が更なる金色に輝き、右拳が白い輝きに包まれた。

 次の瞬間、ミルスの顔面にリオの右拳がめり込み、ミルスは意識を失った。

 武台の外まで大きく吹き飛んだミルスを見据えたリオが、満足げに魔物の笑みを浮かべた。

「――ようやくすっきりしたわ」

 その一言を最後に、リオも武台の中央で倒れ込み、意識を手放した。
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