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 周囲がざわつき、私の姿を見ているようだった。

 それはそうだろう。王国内でも有数の家格を持つヴェーバー伯爵家が、辺境伯家とはいえ家格が下の家の令嬢に跪いているのだ。

 ――こんなの、お父様の、我が家の名誉が傷つけられる!

 今まで何のために厳しい騎士の訓練を受けてきたの?! こんな暴力に抗うためでしょう?!

 私は歯を食いしばり、騎士の意地でゆっくりと立ち上がっていった。

 肩で息をする私を、ヴィルヘルムとヴィオラは楽しそうに見つめていた。

「へぇ、これでも抗えるのか。
 だがお前が彼女に跪いた事実は、今夜来ている皆が見ている。
 今さら遅いという話だ。ご苦労な事だな」

 そう言いながらも、ヴィルヘルムは私に対する命令を解除していない。

 身体が再びヴィオラに跪こうとしているのを、私は懸命に耐えていた。

 脂汗を流す私を見て、ヴィオラがクスリと笑う。

「本当に必死になっちゃって。滑稽ね。
 それになんだか日に焼けていて、とても名門伯爵家の令嬢には見えないわ。
 ――ねぇヴィリー。もういいんじゃない? この玩具おもちゃ、捨てちゃっても」

 人間を玩具おもちゃ扱い?! なんて人なの?!

 ヴィルヘルムがニヤリと笑いながら頷いた。

「ああ、そうだな――聞いてくれみんな!
 私は今夜、ヴェーバー伯爵令嬢エリーゼとの婚約を破棄する!」

 ――え?! いいの?!

 思わず気が抜けて跪きそうになり、慌てて気張って身体を起こす。

 ヴィルヘルムが続けて口を開く。

「彼女はハイデンベルク辺境伯令嬢ヴィオラに跪いた。
 自分で彼女に負けを認めたのだ!
 ならば私はヴィオラと婚約を結ぼう!」

 周囲が再びざわついた。

 確かに、家格が下の人間に跪くなんて、貴族子女として有り得ない失態だ。

 貴族が跪くのは仕える主君、王族のみ。それを格下の令嬢に跪いたのだから、貴族子女として失格ものだろう。

 お父様の、ヴェーバー伯爵家の顔に泥を塗った私は非難されても仕方がない。

 周囲が私に白い目を向ける中、ヴィルヘルムが私の耳に近寄ってきて囁いて行く。

「婚約は解消してやるが、代わりに父上の愛人の座をプレゼントしてやろう。
 お前は父上の愛人として、私の弟や妹を好きなだけ生むといい。
 もちろん私生児としてな」

 ――ここに来て、なんておぞましい命令をしていくんだ、この男は?!

 そんな人生、何が何でも抗ってやる!

 だけど身体は勝手に大ホールの外に向かおうとする――まさか、エッシェンバッハ伯爵に会いに行こうとしてるの?!

「――やだ、やめて!」

「ハハハ! 無駄だよ、お前が望んだことだ。
 お前は私の命じた人生を好きに歩むがいい!」

 ――そんな人生、望むわけがないでしょう?!

 ヴィルヘルムの嘲笑を背に受けながら、私はボロボロと大粒の涙をこぼしつつゆっくりと、ホールの外に歩いて行った。




****

 私の足が、ゆっくりと王宮の廊下を歩いて行く。

 必死に足を止めようとするのに、足は王宮の外、待たせている馬車に向かっていた。

 泣きながら歩く私を、周囲の人たちは訝しんで眺めているようだった。

 ――あれほど鍛錬をしたのに、まだこの魔法に抗う力が足りないというの?!

 懸命に身体を押しとどめようとする中、私の脳裏に不意にフリードリヒの優しい笑顔が浮かんだ。

 ――そうだ、あの人に顔向けできない真似なんて、騎士にあるまじき真似なんて、できるわけがない!

「はあああああっ!!」

 騎士見習いの鍛錬で身に着けた、裂帛れっぱくの呼吸を全力で行った。

 この際、体裁なんて気にしてられるか! 私の人生がかかってるんだ!

 周囲の兵士や使用人が突然の咆哮に驚く中、私の足はようやく歩みを止めてくれた。

 肩でぜいぜいと息をして、脱力した私は廊下の壁にもたれかかった。

 ……疲れた。そうか、あそこまでやれば、命令を跳ね返す事もできるのか。

 騎士見習いの鍛錬、無駄じゃなかったんだな。

 妙な感慨にひたりながら、私はゆっくりと壁から離れ、今度こそ自分の意志で馬車に向かい歩いて行く。

 疲れた足取りの私に、背後から聞き覚えのある声が投げかけられた。

「……大丈夫か、エリーゼ嬢」

 その声に胸が高鳴り、振り向く私の目からは涙がこぼれ落ちていた。

「……フリードリヒ様」

 私の身体は知らずのうちに、フリードリヒの胸に飛び込んでいた。
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