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第4章:温かい家庭

87.ご褒美(1)

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 書類を見つめて呆然としている私に、ユルゲン兄様が笑いかける。

「三国間の全権委任。
 つまり君の判断で、この不可侵条約を締結して構わないんだよ」

 いつの間にこんな書類を……。

 アウレウス王国からレブナント王国の宮廷まで、片道一週間以上かかる。

 アンナ王女を取り戻してから用意するには、往復する時間が足りなかったはずだ。

 私は恐る恐る、ユルゲン兄様に尋ねる。

「兄様、この書類はどうやって手に入れたのですか?」

 ユルゲン兄様は、とてもいい笑顔で私に応える。

「出発前に、陛下から渡されたんだよ。
 『君に必要な時に、私の判断で渡してやって欲しい』って。
 さすがに全権委任は私もどうかと思ったけど、まさか役に立つ局面が来るとはね」

 何がどうなったら、こんな書類を使う事態になるって予想できるの?!

 どうやら、陛下からの信頼がカンストしてるらしい。

 なぜだ、私が何をした?!

 陛下には以前、神託を一度見せただけだぞ?!

 私が首を傾げて悩んでいると、私の両サイドから笑い声が上がる。

「おや? レブナント王国はこの不可侵条約に不満でもあるのか?」

「まさかまさか、こんな絶好の機会を逃すほど、愚かではありますまい」

 アウレウス王とエシュヴィア公王、さては楽しんでるな?

 私は観念し、大きくため息をついてから告げる。

「……わかりました。三国間の不可侵条約のお話、お受けしましょう」

 ユルゲン兄様が楽しそうに告げる。

「もちろん、署名は君の名でやるんだよ?」

 その事実に、私はさらに頭を抱えていた。




****

 条約内容をジュリアスが読み上げていき、三人で不満がないことを確認する。

 条約に同意したあと、私たちは書類に続けて署名をしていく。

 各々が保管するべき、三通の条約同意書にだ。

 自分の名前を、両王の下に記していく。

 緊張で指が震えるのを、私は必死で我慢した。気合と根性で。


 署名が終わり、私は魂が抜けたような気分になっていた。

 エシュヴィア公王が楽しそうに私に告げる。

「君は三国間の交渉事を一任されている。
 ならば君が提案した人材派遣、あれも君が判断してよいことになる。
 もちろん、受けてくれるんだろうね?」

「うええええええ?! ――っと、失礼。
 えーとそれは、断るつもりはもちろんありません。
 ですが人選に時間がかかります。
 これから帰国して人選を――」

 ジュリアスが私の言葉を遮るように告げる。

「人選なら済ませておきましたよ。
 もう先発の人材が到着して、宿で待機してます」

 私はジュリアスに振り向いて応える。

「済ませたの?! いつの間に?!」

「あなたが夜会で人材派遣を言い出した夜に、ですよ。
 どうせこういうことになるだろうと予想できたので、先に手を打っておきました」

 『こうなると予想』って、ジュリアスまで何を言ってるの?

 ジュリアスが憂鬱そうにため息をつく。

「ですが、先ほどエシュヴィアの宰相が空席になりましたね。
 さすがにそれは、予想できませんでした。
 人材の手配が間に合いませんので、ひとまず俺が宰相の代理を務めましょう」

 エシュヴィア公王がうなずいた。

「ああ、そうしてくれ。
 優秀な補佐がつけば、内政を回せる人材くらいは居る。
 国内の人材育成が終わるまでの間、よろしく頼む」

 私は慌ててジュリアスに告げる。

「ちょっと待って?! 『宿で待機してる』って、どういうこと?!
 人材派遣を受ける決定は、今ここでしたばかりなんだけど?!」

「俺の報告を受けて、陛下がすぐに対応したみたいですよ。
 後発の人材も、間もなく到着するはずです」

 陛下が、私の提案に即決で応じたって言うの?

 これって、そんな簡単な話じゃないはずなんだけど。

 会議にかけなくていいの?

 全権委任といい、何が起こってるの?

 困惑する私に、ユルゲン兄様が楽しそうに笑いかける。

「陛下はね、君に大きな借りがあるんだ。
 君の命がけの功績に、今まで一切報いることができなかった。
 その借りを返したかったんだよ」

 ――そうか、三年前の古代遺跡破壊の一件か!

 国家存亡の危機を、私は一度救ってる。

 あの件は緘口令かんこうれいが敷かれてるから、表立って褒賞を出せない。

 でも私は、そんなものを望んだ覚えはない。

 結果としてレブナントに平穏が訪れるなら、それが充分な報酬だ。

 それに――。

「私は若輩の身でありながら、フランツ殿下の側近に引き立ててもらってます。
 褒賞なら、もうそれで充分なのでは?」

「それは『殿下のわがままを陛下が許した』というだけさ。
 それだけじゃ、陛下の気が済まなかったんだろうね」

 アウレウス王とエシュヴィア公王の楽し気な笑いが室内に響く。

「ハハハ!
 どうやら君はレブナント国王にも、とても気に入られているようだね。
 今後とも、よろしく頼むよ」

 私は乾いた浮かべつつ、なんとか応える。

「よ、よろしくお願いします……」

 そう口にするのが、背一杯だった。


 こうして私の功績第一号として『三国間不可侵条約締結』が記されることになった。

 レブナント王国の歴史に、大きな足跡を残すことになってしまった。

 ……歴史書に私の名前、残るんじゃないの?! これ!




****

 ジュリアスにエシュヴィア公国での事後処理を任せ、私たちはレブナント王国に帰国した。

 和平使節大使として、事の次第を陛下に報告するためだ。

 謁見の間で、大勢の貴族たちに見守られながら、私は陛下にかいつまんで伝えていた。

 詳細は後日、報告書という形で提出することになる。

 もちろん、アンナ王女がエシュヴィア公国に誘拐された件は伏せている。

 こちらは後ほど、陛下に口頭で事情を説明することになるだろう。

「――ということで、三国間不可侵条約を締結してまいりました。
 エシュヴィア公国への人材派遣も、滞りなく進んでおります」

 報告を見守っていた並み居る文官や武官たちが、大きくざわついていた。

 それもまぁ、しょうがないんだよなぁ。

 アウレウス王国との不可侵条約だなんて、信じられるわけがない。

 今まで何度も陛下やレーカー侯爵、ルドルフ兄様が交渉をしては、断られて来た相手だ。

 アウレウス王国周辺国とは、すでに防衛協定や不可侵条約を締結済みだ。

 だけど武闘派のアウレウス王国だけは、うなずかせることができないでいた。

 それを若輩の小娘が成し遂げてきたのだ。

 陛下は満足そうにうなずいていた。

「よくぞ期待に、いや期待を超えて働いてくれた!」

 アウレウス王国との不可侵条約は、積年の悲願だった。

 彼の国が大人しくなれば、東方国家群の脅威は著しく減る。

 東方守護軍の負担も大きく軽減されることが間違いない。

「――その偉大な功績をたたえ、ヒルデガルトに褒賞を与える!
 一等勲章、ならびにエドラウス領、さらには侯爵位を授けよう!」

 ……盛り過ぎでは?

 レブナント王国一等勲章は、平時に与えられる勲章の中で最上位だ。

 これは功績から見て、特に不思議はない。

 エドラウス領は王都とグランツに隣接する、豊かな穀倉地帯だ。

 レブナント王国の食料自給率、その三割を支えるとも言われている。

 今までは王家が管理していた重要地帯、それを分け与えるの?

 経営を任されても、責任重大すぎて困るんだけど。

 その上に侯爵位という、ほぼ最高位に近い爵位だ。

 いくらなんでも盛り過ぎだ。

 もう充分に『重要な功績を上げる』という栄誉を受け取っている。

 弱冠十八歳の若輩者に、これ以上は不要だろう。

 こんな褒賞を黙って受け取っていたら、他の臣下への示しがつかない。

 私は気を引き締めて、陛下に告げる。

「陛下、それは若輩の身には余りにも過分な褒賞です。
 どうかご再考ください」

 私の言葉に、陛下が不満げな顔で応える。

「アウレウスとの不可侵条約は先代、先々代から続く悲願だ。
 東方守護のレーカー侯爵も、長年交渉を続けていたが成し遂げられなかった偉業だぞ?
 ――レーカー侯爵、異存はあるか?」

 アウレウス王国の問題は東方守護軍の管轄。

 この場にはレーカー侯爵率いる、東方守護の主だった貴族たちが列席していた。

 レーカー侯爵が陛下に応える。

「いえ、私にはまったく異存はございません。
 東方守護軍を代表して、グランツ伯爵夫人に直接、礼を述べたいぐらいです」

 陛下は謁見の間を見渡し、声を上げる。

「異存のある者は構わぬ、述べよ!」

 陛下の強い声が謁見の間に響き渡った。

 その声に応える者は居ない。

 シュルツ伯爵が何かを言いたそうにしていたけど。

 口を開こうとするとレーカー侯爵が厳しい目で睨み付けるので、押し黙ってしまった。

 私に敵愾心を持つシュルツ伯爵すら引っ込む……まぁそうだよね。

 管轄である東方守護最高司令官、レーカー侯爵が『異存がない』って言うんだもん。

 これ、異存なんて言える空気じゃないでしょ……。

 ――だけど!

 私は勇気を振り絞って声を上げる。

「陛下、せめて侯爵位だけでも事態は出来ませんか?!」

「これだけの功績を上げた者が『無爵位』という訳にはいかぬ。
 重要なエドラウス領を任せるのだ、伯爵以上が望ましい。
 だが夫婦で同じ伯爵では、ジュリアスなのかヒルデガルトなのか、区別がつかぬ。
 となれば、侯爵が妥当ではないかな?」

 ぐ、別に同じ伯爵でもいいじゃん?!

 陛下がさらに大きく声を上げる。

「この褒賞に賛同する者は拍手で応えよ!」

 その声に応え、レーカー侯爵が即座に手を打ち鳴らした。

 それに続くように東方守護の貴族たちが手を打ち鳴らし始める。

 今回は案件の性質上、ここに居るのは半数以上が東方守護軍。

 つまりレーカー侯爵の派閥だ。

 その空気に押され、その他の派閥の貴族たちも手を打ち鳴らし始めた。

 最終的に『ほぼ満場一致』という形で陛下に賛同の意が示されていた。

 万雷の拍手である。

 陛下が手を挙げ、それに合わせて拍手が鳴りやんだ。

「――どうかな? ヒルデガルト。
 皆も不服はないようだが。
 これでもまだ、異存はあるかな?」

 満面の笑みで圧をかけてくる陛下に対し、私は引きつった淑女の微笑で応える。

「あ、ありがたく頂戴いたします」

 そう言うしか、私の選択肢は残っていなかった。
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