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第1章:海辺の喫茶店

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 カウンター席で美味しそうにコーヒーを楽しむ優美に真理が尋ねる。

「オーナーって、どういうこと?
 座敷童って?!」

 優美が横目で真理を見やり、小さく息をついた。

「なんじゃ、最近の女子は座敷童も知らんのか」

 真理だってそれぐらいは知っている。

 だが座敷童が出歩くなど、聞いたことがない。

 あれは『住み着いた家に富を与える妖怪』ではなかったか。

 だが優美の外見は、おかっぱ頭に小綺麗な和服。

 『座敷童だ』と言われれば、そう思えた。

 真理が答えを見い出せずにいると、優美が振り向いて告げる。

「儂ははぐれの座敷童じゃよ。
 最近は蔵を持つ家もないからの。
 暇を持て余して、テナント経営なぞに手を出しておる」

「妖怪が、テナント経営?!」

「不思議か? なに、儂にかかればこのくらいは朝飯前じゃ」

 困惑する真理が優美に尋ねる。

「黒字経営って、どうやってるの?」

「このビル自体が儂の持ちビルじゃ。
 他のテナントが収益を上げておる。
 この店一件が赤字になろうと、大した問題にはならん」

 ――妖怪が、不動産物件の所有者?!

「オーナーが妖怪って、千石さんも知ってたの?!」

 拓海が困ったような笑みでうなずいた。

「まぁね。だって僕も『あやかし』混じりだし」

「さっきは、『外国人』って言ってたじゃない!」

「外国人だよ? ――人かどうかは、怪しいけどね。
 僕の先祖は中国から渡ってきた『あやかし』だって聞いてる。
 詳しいことは、教えてもらえなかったけど」

 呆然とする真理に、優美が告げる。

「最近は仮想通過なる遊びで、儲け放題じゃ。
 おんしも失業の心配などせず、額に汗して働くが良い」

 くるりと背中を向けた優美を、真理は信じられない眼差しで見つめていた。




****

 残り少ないコーヒーを飲みながら、真理は迷っていた。

 腰かけ就職先と思っていた喫茶店が、『妖怪経営店』だ。

 このまま就職していいのか、それとも『君子危うきに近寄らず』とするか。

 悩んでいる真理に、優美が声をかける。

「迷っておるのか?
 このビルにはシェアハウスのテナントもある。
 なんならそこの家賃も割り引いてやろうか?」

 ――格安物件ってこと?!

 真理は慎重に言葉を選んでいく。

「……いくらで貸してくれるの?」

「そおじゃのう……二人部屋なら三万、四人部屋なら二万でどうじゃ?」

「……一人部屋はないの?」

「あるが、五万が限度じゃの」

「なんで融通してくれるのか、聞いても良いかしら」

 優美がニヤリと微笑んだ。

「職場に近い方が、働きやすいじゃろう?
 儂もこの店はよく利用する。
 従業員の補充は、早い方がいいからの」

 まだ納得できない真理に、優美が告げる。

「悩める子羊を救うのは、儂の趣味じゃ。
 長居をするつもりがない人間を養ってやるぐらい、構わんとも」

「……私が腰かけって、見抜いてたの?」

「おんしのような若い娘が、喫茶店の従業員に満足する訳がない。
 大方、職を失って途方に暮れておったのじゃろ?
 次の仕事が見つかるまで、ゆるりとしていけば良い」

 ニコニコと真理を見つめる優美に、拓海が告げる。

「無理に誘うのは悪いよ、オーナー。
 『あやかし』と聞いて腰が引けるのはしょうがないし。
 今回は縁がなかったと思って、諦めたら?」

「そうはいくか。この店を訪れる客は、逃さず救ってやらねばな。
 その娘からは金運が逃げていく匂いがする。
 儂のそばにおれば、運も舞い込むじゃろう」

 真理はおずおずと優美に尋ねる。

「金運が逃げてるって……どういうこと?」

「このままじゃとおんし、経済的にさらに苦しゅうなるぞ?
 ……男運からも見放されておるな?
 悪い男にでも掴まっておったか」

「――余計なお世話よ!
 っていうか、そんなこともわかるの?」

 優美が楽し気に笑みをこぼした。

「長く生きておると、なんとなく『匂い』でわかるんじゃよ。
 おんしは金と男で苦労する人間の匂いがする。
 最近の世では、あまり珍しくもない匂いじゃがな」

 ため息をついた真理が席を立ち、注文票を手に取った。

「もういいわ。ごちそうさま。
 会計してくれる?」

 レジに向かった真理に合わせ、拓海がレジカウンターに入った。

 レジを打ちながら拓海が告げる。

「ごめんね、村上さん。驚いたよね。
 無理にとは言わないから、気が向いたら書類を出してくれるかな。
 あなたが来てくれると、僕も助かるんだ」

「……そうね、とても驚いたわ。
 もしかして、ここはお客も妖怪なの?」

「普通の人間もやってくるよ。あなたみたいね。
 心配するほど変なお店じゃないから」

 会計を済ませた真理に、優美が告げる。

「一人部屋が望みなら、下見をしていくがいい。
 ついでに夕食を馳走してやろう。
 どれ、儂が案内しようか」

 ぴょんと優美がカウンター席から飛び降り、真理のそばに近寄っていった。

 真理は内心でわずかに怯えながら、優美の顔を見つめる。

 優美がニコリと微笑んで真理の手を取った。

「それ、こっちじゃ。ついてまいれ」

 小さな体で優美がドアを開け、外に真理を引っ張っていった。




****

 喫茶店を出た優美が、真理をビルの横にある入り口まで連れていく。

 真理は奥に行こうとする優美の手から自分の手を奪い返し、強い声で告げる。

「ちょっと! 勝手に決めないで!」

 優美が真理に振り返ってきょとんと告げる。

「どうした? 取って食いはせん。
 何を恐れておるのか」

「……いきなり言われても、決められないのよ」

 優美がニコリと微笑んだ。

「そうじゃろう、そうじゃろう。
 今のおんしは『自分で決める力』がない。
 だから儂が引っ張ってやっとるだけじゃ。
 怖がる必要もない。悪いようにはせんよ」

 十歳ぐらいの見かけをした優美の微笑みに、真理は毒気を抜かれてしまった。

 物事を決めるには心の力が要る。

 その力に欠けていることを、当の真理が一番実感していた。

 再び真理の手を取った優美が、ゆっくりと奥のエレベーターに連れていく。

 コンソールのボタンを押すと扉が開き、二人が乗りこんだ。

 優美が背伸びをして五階のボタンを押すと、エレベーターの扉は静かにしまっていった。




****





 ビルの五階まで小さなエレベーターで昇っていくと、優美が入り口の鉄扉をノックした。

 扉を開けて出てきたのは、年配の女性だ。

「あら、オーナー。何のご用ですか?」

「少し部屋を下見させたい。一人部屋の鍵を貸してくれ」

 女性が部屋の中に戻り、しばらくしてカードキーを優美に手渡した。

「突き当りの一号室です」

「ありがとう」

 真理は優美に手を引かれながら、周囲を見回していった。

 小綺麗なコンクリート製、あちこちに防犯カメラがあり、明るい照明で安心感がある。

 いくつかの部屋の前を通り過ぎ、突き当りの部屋の前で優美が振り返った。

「ほれ、鍵じゃ。自分の手で開けてみい」

 真理はおずおずとカードキーを受け取ると、ノブ付近のカードリーダーにかざす――カチャリという音で、ロックが外れた。

 真理の手はゆっくりとドアノブを回し、一号室のドアを開けた。




****

 エントランスから伸びる短い廊下を抜けると、八畳くらいのフローリングが広がっていた。

 窓も大きく、採光も充分だ。

 角部屋で出窓もあり、そちらには備え付けのカーテンが閉まっている。

 カーテンを開けると、隣のビルの壁が見えた。

 出窓を見回すと、遠くに山下公園も覗き見える。

 キッチンは小さく、料理をするにはギリギリのサイズだ。

 調理台は付いているが、あまり大掛かりな料理はできそうにない。

 窓の鍵を開けてベランダに出てみる。

 ビルに囲まれてはいるが、洗濯物が盗まれる心配もないだろう。

 ユニットバスで、脱衣場には大きめの洗濯機置き場もある。

 良く見るとユニットバスには、乾燥機機能が付いているらしい。

 外で干したくない時は、ここで干せるタイプだ。

 収納は引き戸のクローゼットがあり、手持ちの服ぐらいならなんとか入るだろう。

 改めて部屋を見回している真理に、優美が告げる。

「どうじゃ? 悪くない部屋じゃろう?」

「……これを五万で貸してくれるっていうの?
 普通、十万はくだらないんじゃない?」

 なにせ山下公園そば、横浜の一等地だ。

 東京には劣るが、立派な観光地でもある。

 優美が楽し気に笑みをこぼした。

「気に入ったなら、ここに住むが良い。
 引っ越し業者も手配してやろうか?
 『おまかせコース』でいいかの?」

「――ちょっと待って! そんなすぐには決められないってば!」

 カラカラと笑う優美が真理に応える。

「今のおんしには、このぐらい強引でも構わんじゃろ。
 悩んでも決断などできん。
 どれ、少しこの部屋で考えておれ。
 暇になったら、喫茶店に戻って来い」

 優美は楽し気に笑いながら、部屋から出ていった。

 真理は突然の出来事に、日の当たるフローリングに座り込んで床を見つめた。
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