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第1章:エスケープ

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 香澄が弁当を食べ終わると、花連がスマホをしまって香澄の手を引いた。

「腹ごなしに運動しようか!」

 香澄が戸惑いながら応える。

「運動って何をするの?」

「お散歩! この辺りに公園くらいあるでしょ!」

 手を引いて歩きだす花連に引きずられるように、香澄も玄関に向かう。

 一階におりた花連は、香澄と一緒に道を歩きだした。

 花連が塀の上を歩く猫に近づき、話しかける。

「ねぇ! この辺りに公園ある?」

 猫は小さく鳴いて応えた。

 花連が香澄に笑顔で振り返る。

「あっちだって! 行こう!」

 花連はぐいぐいと香澄の手を引いて、児童公園まで歩いて行った。


 公園には小さな子供たちが砂場で遊んでいて、少し離れて母親たちが立ち話をしている。

 花連は香澄から手を離し、子供たちに駆け寄っていった。

「何作ってるのー?」

「おしろー!」

 花連は子供たちに交じって、砂遊びに興じ始める。

 香澄は少し離れて、花連や子供たちを見守った。

 無邪気に遊ぶ花連や子供たちを見ている香澄に、ある思いが去来する。

 ――自分は今まで、何に駆り立てられてたんだろう。

 周囲からの過剰な期待。

 それに負けないよう、折れないように歯を食いしばっていた。

 だけどそれは、目的があったからじゃない。

 そうしなければ生きていけないから、必死に生きていただけだ。

 ――もっと、自分らしく生きる方法があるのかな。

 活き活きとした笑顔で遊ぶ花連たちを見ていると、自分の子供時代を思い出す。

 未来に夢を見て、無心で遊んだ日々。

 香澄にも、そんな時代があったのだ。

 凝り固まった心が、少しずつ解きほぐされて行く気がした。

 花連が香澄に向かって手を振る。

「香澄も遊ぼうよー!」

 花連の笑顔に誘われるように、香澄も砂場に足を踏み入れた。


 公園からの帰り道、すっかり砂だらけになった花連が香澄と手をつないでいた。

「楽しかったねー!」

「そう? それならよかった」

 笑顔の香澄に、花連が告げる。

「ちょっとは笑えるようになってきた?」

 ハッとして、香澄は片手を自分の頬にあてた。

「私、笑ってた?」

「うん! バッチリ!」

 クスリッと笑った香澄は、花連と帰り道で童謡を歌いながら自宅に戻っていった。




****

 玄関に上がった花連に香澄が告げる。

「ちょっと汚れちゃったね。
 お風呂に入ろうか」

 花連が「わかったー!」と言って服を脱いでいく。

 香澄があわてて花連に告げる。

「待って花連ちゃん、着替えはあるの?」

「えー? ないよー? 必要なの?」

 香澄が小さく息をついて告げる。

「せっかく体を洗っても、汚れた服を着たら意味がないでしょ?」

「そっかー。じゃあ晴臣に持ってきてもらうね!」

 下着姿の花連が、スマホを取り出してメッセージを送った。

「これでよし! それじゃあ香澄、お風呂入ろう!」

「待って花連ちゃん、今お湯を溜めるから」

 香澄が手早く湯船の準備をしていき、タイマーをセットした。

 花連は絨毯の上に座って体を舐め回していた。

 香澄が唖然として花連を見る。

「……なんで舐めてるの?」

「あー、『猫又』だからね。私。
 つい猫の時の癖が出ちゃうんだ」

 舐めるのをやめた花連に、香澄がため息をついた。

 目の前にいるのは人間に見えるけど、『あやかし』なのだと改めて思い知る。

 インターホンが鳴り、香澄がパタパタと受話器を取り上げた。

「はい、どなたですか」

『晴臣です、花連の着替えを持ってきました』

 ――早くない?

 戸惑いながら、香澄へ玄関のドアを開けた。

 外にはジーンズにジャケット姿の、晴臣の姿。

 手には少し大きめの手提げ袋を持っている。

「花連の着替えです」

 花連は晴臣から手提げ袋を受け取りながら応える。

「なんでこんなに早いんですか?」

 晴臣がウィンクをしながら応える。

「僕ら『ぬらりひょん』は神出鬼没。
 どこにだって現れるんですよ」

「はぁ……」

 言葉の意味がわからないまま、晴臣は「それじゃ」と言って帰っていった。

 ドアを閉めた香澄が、手提げ袋の中身を見ていく。

 替えのワンピースと子供用のパジャマに下着、それと瓶牛乳が一本。

 タッパも入っていて、『香澄さんへ』と書いてあった。

 中身は栗ご飯のようだ。

 花連が下着姿で香澄に近寄っていく。

「香澄ー! まだお湯はたまらないのー?」

「んー、もうちょっとかな?」

 香澄が栗ご飯と瓶牛乳を冷蔵庫に入れると、湯沸し器がアナウンスを響かせる。

『お湯がたまりました』

 香澄が花連に微笑んで告げる。

「それじゃ、はいろっか」

 入浴準備をした香澄が、花連と一緒にバスルームに向かった。




****

 湯船で花連と遊びながら体を温め、花連の体を洗ってやる。

 香澄も体を洗い終わると、花連と一緒に湯船につかった。

 少し狭いバスタブの中で、花連と体を寄せ合ってお湯につかる。

 ふぅ、と息をついた香澄に、花連が笑顔で告げる。

「たのしーねー!」

 入浴が楽しい――久しく香澄が忘れていた感覚だ。

 香澄も笑顔で花連に応える。

「そうだね、楽しいね」

 笑顔を交換しながら、香澄は花連と体を温めた。


 風呂から上り、裸で走り出そうとする花連をあわてて香澄が呼び止める。

「ちょっと花連ちゃん! 濡れた身体でどこ行くの?!」

「――おっと、そうか香澄の家だもんね。
 汚したらいけないよね」

 香澄に体を拭かれ、パジャマを着込んでいく。

 香澄も部屋着に着替え終わり、一緒に髪を乾かした。

 ドライヤーを止めた香澄が時計を見ると、そろそろ午後六時を回るところだ。

 炊飯器でお米は焚きあがっているが、冷蔵庫には栗ご飯がある。

 悩んだ末、香澄は冷蔵庫から栗ご飯を取り出した。

 花連が香澄に告げる。

「あ、私のミルク届いてなかった?」

 香澄が冷蔵庫から瓶牛乳を取り出して見せた。

「これのこと?」

「そう! それ! ありがとー!」

 花連は香澄の手から奪い取るように瓶牛乳を受け取ると、器用にふたを開けて飲み始めた。

 あっという間に飲み干した花連が、満足そうに笑顔を浮かべる。

 香澄がおずおずと花連に尋ねる。

「もしかして、それがご飯なの?」

「そうだよ? これだけで二、三日は持つんだ!」

 ――お得な体質だなぁ。

 香澄は冷蔵庫から食材を取り出し、調理をしていく。

 味付け済みの豚肉とニンニクの芽をフライパンで炒めると、お皿に盛ってローテーブルに置いた。

 常温で温めておいた栗ご飯をお茶椀によそい、ローテーブルの前に座る。

「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ!」

 花連の言葉に、香澄がクスリと笑みをこぼす。

 楽しい食事の時間を満喫しながら、香澄は夕食を完食した。

 食べ終わった香澄が洗い物を終え、ベッドに座る花連に告げる。

「これからどうしよっか」

「映画でも見るー? 香澄はどんなのが好き?」

「うーん……すぐに思いつかないかも」

「じゃあこれでも見ようか! ゾンビもの!」

 ――『あやかし』がゾンビパニックを見るのか。

 不思議なカルチャーショックを受けながら、香澄はベッドに寝ころび、花連のスマホで映画を見始めた。


 映画が終わる頃、花連が告げる。

「そろそろ人間は寝る時間じゃない?」

「そうだけど……花連ちゃんは寝ないの?」

「香澄が寝るなら、一緒に寝てあげる!」

 クスリと微笑んだ香澄が、部屋の電気を消した。

 布団に潜り込んだ花連が、スマホを見ながら告げる。

「明日は何を見るー?」

「そうねぇ、これなんてどう?」

 香澄はB級カンフーアクションを指さした。

「わー、香澄ってばマニアックー!」

 香澄と花連は笑みをこぼし合いながら、布団に潜り込んだ。

 香澄は花連に抱き着かれながら告げる。

「おやすみ、花連ちゃん」

「おやすみー!」

 香澄は人肌のぬくもりを感じながら、心安らかに目を閉じた。
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