お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ

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第1章:希代の聖女

第22話 おてんば姫

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 ドレスの裾をまんで駆け寄った私が、その勢いのまま若い男に肩から体当たりをした。

 若い男は意表を突かれたようで態勢を崩し、地面に倒れ込んでいた。

 それと同時にお父さんが若い男の顔面を拳で殴り抜き、若い男は失神してしまったようだ。

 私は若い男の手から手持ち鞄を取り返し、被害者のご婦人に振り返る。

「危ない所でしたわね。お怪我はありませんか?」

「え、ええ……取り返してくれてありがとう」

 ご婦人は手鞄を受け取ると、戸惑いながらも微笑んでお礼を告げてくれた。

 ようやく駆け寄ってきたアンリ兄様が、あわてたように私に告げてくる。

「危ないじゃないか! シトラスが怪我をしたらどうするつもりだ!」

 そんなことを言われても、こんなことは前回の人生でよくあったことだ。

 十年間、怪我をしたこともなかった。

 一度こうしてひったくりに失敗した泥棒は、すぐに逃げてしまうのが常だった。

 危ないことだとは少しも感じていない。

 私が小首を傾げると、アンリ兄様は大きくため息をついた。

「シトラス。お前はもう公爵令嬢なんだ。こんな危ないことは兵士たちに任せても問題ない。
 この程度の窃盗犯せっとうはんなんて、すぐに捕まる。だから街の住人でこんな悪さをする奴は居ないんだ。
 それを知らないとはおおかた、外から来たよそ者なんだろう」

 アンリ兄様が冷たい眼差しを倒れ込んでいる若い男に向けていた。

 ――その眼差しには覚えがある。前回の人生で散々私が浴びた視線だ。

 騒ぎを聞いて駆け寄ってきた街の若い兵士が、アンリ兄様の姿を見てあわてて敬礼していた。

「――アンリ様?! これはどういうことですか?!」

 アンリ兄様が無表情に告げる。

窃盗犯せっとうはんだ。連行しろ」

 あ、やっぱり素っ気ないアンリ兄様は健在だ。

「は、かしこまりました――しかし、こちらの護衛は見ない顔ですね。
 そちらのご令嬢が連れられている兵士でしょうか」

「この子はシトラス。私の妹だ。
 この護衛は新しい我が家の兵士だ。
 父上は今は忙しくしているが、近いうちに布告が出されるだろう」

 アンリ兄様に続いて、お父さんが大きな声で告げる。

「ギーグ・ゲウス・ガストーニュだ! 公爵家に仕える同僚として、これからよろしくな!」

 兵士の一人が、驚いたように声を上げる。

「ギーグ?! あのギーグ殿か! 無敗の格闘家が、公爵様に仕官したというのか?!」

 お父さんが楽しそうにうなずいた。

「そういうことになる。つい三日前から世話になっているから、街の兵士たちが知らんのも無理はない。
 そのうち共に仕事をする日も来るだろう」


 戸惑う兵士たちに別れを告げ、私たちは馬車に戻っていった。

 馬車が走り始め、アンリ兄様が私に目を向ける。

「あんなことをして、きもを冷やしたぞ。
 相手が刃物でも持っていたら、どうするつもりだったんだ」

 刃物? 刃物がどうしたの?

 私はきょとんと小首を傾げる。

「あの程度の相手が振るう刃物なんて、私には当たりませんわ。
 お忘れですか? 私はお父さんの本気の拳を避けられるんですよ?」

 アンリ兄様が小さくため息をついた。

「だとしても、シトラスはもう公爵令嬢なんだ。
 声を上げたら、それ以上は周囲の兵士たちに任せて欲しい。
 自分から窃盗犯せっとうはんに体当たりをするだなんて、令嬢の取る行動ではないぞ」

「ですが、すぐに転ばせてしまえばそれだけで終わりますわ。
 あの手のやからは、隙のある人間から物を取ったらすぐに身を隠してしまうもの。
 それに失敗したと悟った時点で、すぐに逃げてしまいますの。
 刃物を持って歯向かってくる事なんて、ほとんどありませんでしたわ」

「……そうか、十年間の実績があるということか。
 だが、そうだとしても、エルメーテ公爵家の令嬢としては相応しい行動とは思えない。
 これからは自重してくれ」

 私はゆっくりと首を横に振った。

「相手を取り逃がしてしまえば、物を取られた人が悲しみます。
 もしかしたら、お金には代えられない大切な物を持ち歩いているかもしれません。
 万が一でも物を盗まれるなど、あってはならないんです。
 誰かが悲しむかもしれないとわかっていて、黙って見ている事などできません」

 お父さんが大きな声で笑いだした。

「ははは! アンリ公爵令息よ、心配は要らん!
 こんな公爵令嬢が居てもいいではないか!
 私は娘がまっすぐに育ってくれて、嬉しく思っているぞ!」

 アンリ兄様はそれ以上なにも言えないようで、ふてくされたように窓の外を見ていた。




 その後は他の手芸店や洋服店を回り、わずかな人々に挨拶をして一日が終わった。

 アンリ兄様はやはり、無表情で無愛想に私を紹介して回っていた。

 帰り道の馬車の中で、アンリ兄様が窓の外を見ながら小さく告げる。

「……シトラスは、十年間そうやって生きてきたのか?」

 なんの話だろう?

 ……あー、泥棒のことかな。

 でも、どういう意味なんだろう?

 私は質問の意図がわからず、小首を傾げた。

「ええ、そうですけれど……それがどうかしまして?」

「話では、公爵令嬢や聖女とは名ばかりの、使いっ走りとして戦地を巡らされていたそうじゃないか。
 ろくな食事も与えられず、満足な待遇も受けず、貧しい平民並みの扱いを受けて居たように聞こえた。
 それなのに、そうやって見かけた罪人を捕まえていたのか?」

「捕まえられたことはあまりありませんわよ?
 逃げる相手を捕まえるほどの力は、私にはありませんでしたから。
 街の兵士たちも、小悪党を捕まえるような殊勝な方は少なかったのです」

 それでも、他人に危害を加えようとする人間の邪魔をする事はできていた。

 兵士が来ればそれで逃げてしまう。

 私はそれまで、時間を稼ぐだけで良かったのだ。

「……そうやって、お前に救われた人間も多かったのだろうな」

「そうでしょうか? そうだとしたら、少しは聖女として働けたのだと思えますわね。
 最後は聖女のお役目に失敗してしまいましたが、できる限りのことをやれたのだと思えますわ」

「今日のことは噂に乗るだろう。
 おそらく『おてんばな公爵令嬢がやってきた』とな。
 公爵家の姫として、少し問題が出るかもしれない」

 お姫様かー。私のキャラじゃないんだよなー。だって元は村娘だよ?

 でも王家の血を引く家の令嬢だから、そう呼ばれちゃうのは仕方がない。

 それに――

「悪い噂も、前回の人生で散々味わいましたわ。
 その程度の噂であれば、痛くもかゆくもありません」

 アンリ兄様がため息をついてから私を見た。

「どうやら、シトラスに自重を求めるのが間違っているようだ。
 だが公爵家の姫として、父上が恥をかくことのないよう、なるだけ慎んでくれると助かる。
 お前自身にも、悪い噂はよくない結果を招くだろう」

 よくない結果……あの日のように、処刑台に上がる結果になるのだろうか。

 私は気分が落ち込んで、肩を落としてうつむいた。

「やはり、こんな性格が災いして私は処刑されてしまったのでしょうか。
 このままでは、また私は処刑台送りにされてしまうのでしょうか。
 だとしても、私は悪党を見逃すなんて事が出来るとは思えません。
 悲しむ人を見過ごして生きるなんて、私にはできないのです」

 お父さんの楽しげな声が聞こえる。

「そんな心配は要らん。
 今日の出来事も、すこし元気な娘が公爵家にやって来たという程度で収まるだろう。
 シトラスが処刑台送りにされたのは、悪人共にうとまれたからだ。
 そういう意味では、お前の性格が影響して処刑台送りにされたとも言える。
 だが今度はお前の周りに私たちが居る。
 二度とお前を処刑台になど、上げさせるものか!」

 お父さんを見上げると、頼もしい微笑みを浮かべていた。

「……うん、頼りにしてるね、お父さん!」

 アンリ兄様がため息と共に私に告げてくる。

「――ふぅ。シトラスを守るのは大変みたいだな。
 だが父上たちだけじゃない、私だって付いている。
 必ずお前を守り切って見せるとも」

 私はアンリ兄様の顔を見て微笑んだ。

「頼りにしていますわね、お兄様!」

 アンリ兄様は困ったように微笑みながら、静かにうなずいた。
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