上 下
10 / 71
第1章:希代の聖女

第10話 エルメーテ公爵家(5)

しおりを挟む
 昼食の時間になり、今日は天気が良いということで、庭にテーブルを広げて外で食べようということになった。

 手に持った葉野菜と燻製肉のサンドイッチを一口食べる。

 さすがは公爵家、良質の食材を使っていて味に品がある。

 サンドイッチのような簡素な料理だからこそ、素材の味がよく伝わってきた。

 それと同時に、エリゼオ公爵家での食事の記憶が脳裏によぎってきた。

 ……あの家、ろくな物を食べさせてくれなかったなぁ。

 多分あれは低級の使用人が食べるまかない飯って奴だ。

 少なくとも公爵令嬢が食べる料理じゃなかった。いつも私だけ食卓は別にされてたし。

 下手へたをしたら農民時代より酷い食材だったかもしれない。

 もしかしたら、嫌がらせ用の食事だったんじゃないだろうか。

 今との扱いの違いを見せつけられて、思わず遠い目をしてしまった。

「どうしたんだい? シトラス。遠くを見つめているが、なにか見えたのか?」

 お父様の言葉で我に返り、視線を食卓に戻した。

「いえ、エリゼオ公爵家時代を思い出してつい……あの頃はないがしろにされていたのだな、と痛感してしまって」

 今この場は、人払いがされている。

 レイチェルも傍には居ない。

 食卓に着いているのはヴェネリオ子爵やグレゴリオ最高司祭、そしてお父さんとお母さんだ。

 お父さんが額に血管を浮かび上がらせて獰猛どうもうな笑みを浮かべた。

「食事一つすら満足に取らせていなかったということか?」

「決してそういうことじゃないよお父さん! 食事を抜かれるような事もなかったよ?!」

 食材が粗悪だったことは、この際黙っておいた。

「だが、この程度の食事一つで思いを馳せてしまう程度には粗末な食事を与えられていた、ということだろう?
 あの男も性根が腐っているとは思ったが、子供一人満足に育てられんというのか」

 お父様が小さくため息をついて告げる。

「奴に公爵としての自覚や品格を期待するだけ無駄だろう。
 前公爵はまっとうな人間だったのだがな。彼は息子に恵まれなかったようだ。
 その前公爵も、随分前に亡くなった。もうあの家で奴の暴走を止められる人間は居ないだろう」

 私は記憶の中のエリゼオ公爵家の空気を思い出していた。

「……本当にひどい家でしたわ。
 ギスギスしていて、とても息苦しかったです。
 人間関係も醜く構成されていて、密告やいじめが横行しておりました。
 『ばれなければ不正ではない』と言い切るような人間ばかりが幅を利かせる家でしたもの」

 お母さんが大きくため息をついた。

「そんな家にシトラスを奪われなくて良かった……
 この公爵家の人たちはみんな良い人間ばかりで、働き甲斐があるもの。
 ここなら安心してシトラスを預けられるわ」

 お父さんがグレゴリオ最高司祭を見て告げる。

「しかしこんな短期間でよくシトラスの養子の話をまとめられたな。
 周りの兵士たちも、これほど早急に話がまとまるのは聞いたことがないと言っていたぞ」

 グレゴリオ最高司祭が人の良い笑みで応える。

「そこは最高司祭の権限を最大限活用させてもらいましたとも。
 エルメーテ公爵と力を合わせれば、このぐらいはなんとかなります。
 陛下に承認させたのはエルメーテ公爵のお力。私はそれに言葉を添えただけです」

 お父様も微笑みながらそれに応える。

「なに、グレゴリオ最高司祭がシトラスがどれほど稀有けうな聖女なのかをいてくれたからこそ、陛下が頷いたのだ。
 外では言えんが、陛下は暗愚あんぐだからな。権威ある者が力説すれば、素直に従ってしまわれる。
 今はそこをシュミット宰相に良いように突かれているが、今回は我々がそれを行っただけだ。
 せめて周りを固める重臣に確かなものを置ければ、現陛下でも国政で困ることはないのだが」

 お父様も結構、辛辣しんらつな言葉を吐くのね……。それだけ陛下に失望しているということかな。

 じゃあ私も思い切って言ってみよう。

「この場ですから言ってしまいますが、現陛下の御代みよが続けばいつか聖玉は砕かれてしまう気がします。
 なるだけ早期に次代に交代して頂かないと、モグラ叩きになりかねませんわ。
 シュミット宰相だけが奸臣かんしんとは限りませんでしょう?」

 悪いことを考える臣下が宮廷には多すぎるのだ。

 印象の悪い人間の多さだけは、記憶によく残ってる。

 今はそんな人間たちの頭をシュミット宰相がやっているというだけで、頭を潰して「はい、おしまい」という訳にはならないだろう。

 お父様が顎に指を当てて考え込んでいた。

「……そうだな。確かにシュミット宰相以外にも気にかかる臣下はいるし、そんな連中が台頭して来れば同じことが繰り返される。
 宮廷の大掃除をするにしても、現陛下の御代みよでは時間が足りないだろう。
 ならば重臣と共に、現陛下にも後宮にお下がりして頂くのが手っ取り早いかもしれない」

 お父さんがお父様を見て告げる。

「だが次代となると、ラファエロ第一王子ですらまだ九歳だ。ダヴィデ第二王子も六歳。
 即位させるには十年単位の時間が必要になるぞ?」

「十年ならば準備期間として申し分がない。
 どちらにせよ、今すぐどうこうできる話ではないからな。
 ――シトラス、君は王子との婚姻を考えることはあるか?」

「うぇ?! 婚姻ですか?!
 ……正直に言えば、前回の人生でラファエロ殿下にはトラウマを作って頂きました。
 彼との婚姻を強要されるくらいなら、私は聖女の役割を辞させていただきたいとすら考えていますわ」

 お父様がニヤリと笑った。

「なるほど。ではダヴィデ第二王子はどう思っているんだい?」

 記憶の中のダヴィデ殿下は、気が弱いが優しい方だった。

 私にもよくしてくれた数少ない人間の一人だ。だけど……

「悪い方ではありませんが、頼りになる方でもありませんわね。
 決して暗愚あんぐではありませんが、自分の意志を示すことが苦手な方でした。
 今からきちんと教育を施せば、十年や二十年が経つ頃には立派な王になる素質はお持ちだと思いますが、今現在で次代の王となると適任とは言い難いと思います」

「では、婚約相手として不服がある訳ではない、と受け取って構わないかい?」

 私は腕を組んで頭を悩ませた。

 一緒に居て苦痛に感じる人ではないけど、婚約者、ひいては夫とする人間かと言われると言葉に困る。

「……なんとも言えませんわね。
 国を救うために必要なことであれば、仕方がありませんから婚約程度は頷いても構いません。
 ですがダヴィデ殿下には、もっとぐいぐいと手綱を握って指示を与えてくれるような有能な女性が相応しいと思いますわ」

「そんな女性に、君はなれないのかい?」

「お父様? 私は前回の人生で、シュミット宰相に使い潰された人間ですわよ?
 私では力不足ですわ。
 もっと相応しい方をお探し下さる方が賢明でしてよ?」

 お父様が小さく息をついた。

「そうか。他の令嬢に心当たりがなくもないが、そちらも少し時間がかかるだろう。
 今、安心して王子の婚約者として台頭させられるのはシトラスぐらいなんだ。
 何より希代の聖女が婚約者となり、妃となれば譲位して頂く理由にできる。好都合なんだよ」

 グレゴリオ最高司祭が頷いて告げる。

「シトラス様が婚約した王子が次代の王として確定する程度には、権威あるお立場ですからな。
 あるいはアンリ様が王位を譲られる未来もありるでしょう。
 エルメーテ公爵の母君は先王の王姉おうし、立派に王族の血を受け継いでおりますからな」

「え゛」

 思わず大きな声で叫んでいた。

「アンリ様って、お兄様?!
 それはお兄様くらい優秀なら、国を任せるのも安心できるかもしれませんが、私がお兄様と婚姻すると、そう仰ったの?!」

 お父様が楽しそうに微笑んだ。

「グレゴリオの言う通り、聖女であるシトラスという後ろ盾があれば不可能ではない。
 それくらい君が今持つ新しき原初の聖女ファム・エストレル・ミレウスという聖名は強い力を持つんだ。
 だがシトラスにとって、人生を左右する決断でもある。
 無理にとは言わないから、考えるだけ考えてみてはくれないか」

 私は頭の中が真っ白になりながら乾いた笑いを浮かべていた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から「破壊神」と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

聖女召喚に巻き込まれた挙句、ハズレの方と蔑まれていた私が隣国の過保護な王子に溺愛されている件

バナナマヨネーズ
恋愛
聖女召喚に巻き込まれた志乃は、召喚に巻き込まれたハズレの方と言われ、酷い扱いを受けることになる。 そんな中、隣国の第三王子であるジークリンデが志乃を保護することに。 志乃を保護したジークリンデは、地面が泥濘んでいると言っては、志乃を抱き上げ、用意した食事が熱ければ火傷をしないようにと息を吹きかけて冷ましてくれるほど過保護だった。 そんな過保護すぎるジークリンデの行動に志乃は戸惑うばかり。 「私は子供じゃないからそんなことしなくてもいいから!」 「いや、シノはこんなに小さいじゃないか。だから、俺は君を命を懸けて守るから」 「お…重い……」 「ん?ああ、ごめんな。その荷物は俺が持とう」 「これくらい大丈夫だし、重いってそういうことじゃ……。はぁ……」 過保護にされたくない志乃と過保護にしたいジークリンデ。 二人は共に過ごすうちに知ることになる。その人がお互いの運命の人なのだと。 全31話

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

投獄された聖女は祈るのをやめ、自由を満喫している。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「偽聖女リーリエ、おまえとの婚約を破棄する。衛兵、偽聖女を地下牢に入れよ!」  リーリエは喜んだ。 「じゆ……、じゆう……自由だわ……!」  もう教会で一日中祈り続けなくてもいいのだ。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈 
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。

みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」 魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。 ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻に差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。 あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で運命的な出会いをする。 【2024年3月16日完結、全58話】

処理中です...