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166.閑話~蒼玉の兄(3)~

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 寄宿舎裏の中庭に出ると、見覚えのある後姿がそこに在った。

 長身で長い金髪に包まれた、女性らしい体型の少女。

 ザフィーアの仲間である、サンドラ・ブランデンブルクだ。

 おそらく風呂上りなのだろう。

 その髪はまだ、湿っているようだった。

 だが夜だというのに、なぜか制服を着ていた。

 もっとも、女子寄宿舎の部屋着は外出に適さない。

 外に出るなら着替える必要がある。

 風呂上りに制服に着替えてでも、外の空気を吸いたくなった――そういうことなのだろう。

 サイモンはゆっくりとサンドラに近づきつつ、声をかける。

「どうしたんだ? こんな時間に」

 その問いかけに、サンドラが振り返る。

 力のない微笑みで「ちょっと外の空気を吸いたくなって」と、やはり力なくこぼした。

「マリーが居ない夜は寂しいのか?」

 今夜は小さな夜会が王宮であるらしい。

 マリオンとマーセル王子は夕食後、忙しなく身支度を整えて出かけて行った。

 帰りは明日になると言っていた。

 つまり今夜、サンドラが愛用する『マリオンという名の抱き枕』が居ないのだ。

 サンドラがサイモンの問いかけに応える。

「んー、それもあるけどさ。:
 幸福そうな二人の笑顔を見てると、『私もあんな伴侶に巡り合えたら』って。
 そう思うことが増えてね」

 ――サンドラも、同じことを感じていたのか。

 サイモンと同じく、サンドラにもまだ婚約者は居ない。

 だが貴族令嬢は、適齢期である十五歳から十八歳までに婚姻することが強く望まれる。

 今年で十四歳になるサンドラは、年内に話をまとめ、早期に婚約を締結するべきだった。

 当然、彼女の両親もそのつもりで動いているだろう。

 彼女には妥当な家柄の、それなりの男があてがわれる。

 親が決めた縁談に従い、婚姻を結ぶ。

 それはこの国において、貴族令嬢のごく普遍的な姿だった。

「お前も、恋愛結婚をしてみたいと思ったのか?
 あんなにマリーべったりのお前が、異性にあこがれを持っていたなんて意外だな」

 サイモンは肩をすくめ、おどけてみせた。

 『おはようからおやすみまでを通り越し、おやすみ中もずっと一緒』が口癖の勘所だ。

 異性に興味などないものだと、ずっとサイモンは思っていた。

 サンドラは心外そうに応える。

「私は別に同性愛者じゃないの。
 単にマリーが大好きなだけよ。
 サイモン様のようにね」

 その切なさが乗る優しく美しい微笑みに、サイモンの胸がわずかに高鳴った。

 サンドラのそんな表情を見たのは、初めてだった。

 ザフィーアの仲間は、お互いを異性として認めてきたことはなかった。

 グランツ入学前の幼い時期に、親密な時間を過ごした仲間たちだ。

 その関係は、家族のそれに近かった。

 例外はマリオンだけだった。

 サイモン以外の男子たちは、マリオンに好意を寄せていたのだ。

 そんな間柄のサンドラに、胸の高揚を感じた。

 サイモンは戸惑ったが、その戸惑いを隠すように応える。

「俺と同じか。
 じゃあサンドラも、マリーから卒業しないといけないな。
 できるのか? お前に」

「あら、それが必要なら、私はいつでも卒業できるわ。
 でももう少しの間は、マリーの隣が私の居場所ね。
 それが許される間は、この幸福を享受してみせるわ」

 切ない優しさを湛えたまま、静かに、だが力強くサンドラは語った。

 月明かりに照らされた金髪が、白い制服に映えていた。

 闇夜に妖精が降り立ったかのような錯覚を、サイモンにもたらしていた。

 その幻想的な美しさに心打たれた事を、彼は自覚した。

 長身に見合うようにすらりと伸びた手足。

 肉付きが良く、メリハリのある体型。

 親譲りの整った優しい顔立ち。

 そして心優しく、友を思って行動で切る女性だ。

 『ザフィーアの仲間』という固定観念が不意に外れてみれば、目の前に居るのは『ただ一人の美少女』だった。

 今年で十四歳を迎える少女は、二年前と比べ物にならない美を湛えていた。

「……綺麗だな」

 サイモンの口から、無意識にこぼれていた。

 そのことにしばらく自覚がなかったくらいだ。

 だがサンドラの驚いた顔の意味を理解した時、自分の失言を知った。

「あーと、月! そう、月が綺麗な夜だな!」

 顔を赤く染めながら、慌ててサイモンは言いつくろった。

 傍から見ても、滑稽なほど見え見えの言い訳だ。

 マリオンが日頃から『完璧超人』と自慢するサイモンの姿は、そこにはなかった。

 恋愛にうぶな、十五歳の青年がそこに居た。

 サンドラの驚いていた顔が、再び優しい微笑みに変わる。

 その表情からは、切なさが薄れたように見えた。

「ふふ……そうね。
 今夜は月がきれいですものね。
 どう? 隣に並んで月を眺めない?」

 サイモンは五俊のためらいを見せたあと、「そうだな」と言って彼女の横に立った。

 そしてすぐに、自分の行動のうかつさを悟った。

 彼女から漂ってくる風呂上がりの香りが、さらにサイモンを責めたてた。

 必死に煩悩を振り払うように、サイモンは月を見上げた。

 丸い月からこぼれ落ちてくる明かりが、二人並んだ影を地面に落としていた。
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