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139.命の価値(2)

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 帰国後、私はすぐにお母様の書斎に相談に向かった。

 今回のことをすべて打ち明け終わると、ぼそりと告げる。

「……どうにかなりませんか」

 お母様の眉尻が下がっていた。

「そう、ヴァルターがそんなことを……」

「お願いします!
 お母様ならなんとかなるかもって、ユルゲン伯父様がおっしゃってました!
 私にできることなら、なんでもします!」

 お母様は、しばらく思案しているようだった。

「……少し、相談してみるわね」

 そう言って目をつぶった。

 相談相手は、豊穣の神なのだろう。

 私は神に祈りを捧げつつ、結果を待った。


「……マリー、目を開けて?」

 お母様の声が聞こえて、私はお母様を見た。

 その顔には、優しい微笑みが乗っていた。

「ヴァルターを一週間、我が家に滞在させましょう。
 それで治療できるはずよ」

「――本当ですか?!」

 お母様はゆっくりとうなずいた。

 私は力が抜けて、床にくずおれて泣いていた。

 お母様はそんな私を、優しく抱きしめてくれた。




****

 休日の魔術授業が終わった直後、私はヴァルター様を呼び止めた。

「少し話があるんです。お母様の書斎に来てくれませんか」

 ヴァルターは訝しみながらも、黙ってうなずいてくれた。


 みんなが帰ったあと、書斎でヴァルター様に告げる。

「お母様が治療して下さるって!
 だからヴァルター様に、一週間泊って欲しいんです!」

 ヴァルター様はしばらく考えたあと、首を横に振った。

 私はその態度が理解できなくて、呆然と「……え?」とつぶやいた。

 ヴァルター様が穏やかに笑って告げる。

「そんな大それたこと、いくら先生でも簡単にできることだとは思えません。
 それに、僕には何の後悔もない。
 そしてマリオン様には言ったはずです。『忘れてください』と。
 『あなたは何も背負わなくていい』と。
 ですから、治療は遠慮します」

「――忘れられる訳がないでしょう?!」

「それでも、忘れてください」

「治るものを、どうして治そうとしないの?!」

「言ったはずだ。
 『僕が選んだ、僕の人生だ』と。
 『それを否定することは、たとえ君でも許しはしない』と」

「ならば私の人生は私のものよ!
 その私の人生に、勝手に重しを背負わせないで!」

「あなたは何も背負う必要はない、と言った。
 これは僕が勝手にやったことだ。
 あなたに責任はない。
 ――そして人の寿命を元に戻すような魔法は、世界をいびつにする。
 使っていい魔法だとは、思えません」

「――それなら、人の寿命を消費するような魔法だっていびつじゃない!
 なんでそんなものを使ったの!」

「そうしなければ、あなたを救えないと思ったからです」

「じゃあ私にだって、あなたを救わせてくれてもいいじゃない!」

「魔法を使うのは先生だ。
 マリオン様、あなたじゃない」

 私は悔しくて、歯ぎしりをしながら泣いていた。

 ――悔しい。その想いで胸がいっぱいだった。

 ずっと冷静なヴァルター様は、穏やかに笑っていた。

 だけどその両目には、燃え上がるような強い意志を感じた。

 どうやら、彼は譲る気が全くないらしい。

「……わかったわ。
 その理屈なら、『私がその魔法を使えば』あなたは文句を言えないはずよね」

 お母様の「やめなさいマリー!」という叫びが部屋に響いた。

 ヴァルター様が、私に静かに告げる。

「また命を代償にするつもりですか?
 僕はそんなことをさせるために人生を捧げたんじゃない。
 僕の行為を、無駄にするつもりですか?」

「頼んでもいないのに、勝手に捧げられても迷惑なのよ!」

 お母様が慌てて私を抱きしめてきた。

「落ち着いてマリー! とにかく魔法を使おうとしないで!
 ――ヴァルター、あなたも大人しく治療を受けて頂戴。
 このままじゃマリーが、魔法を強行してしまうわ。
 その魔法に、この子の魂は耐えられないの。
 お願いだから、二人とも言うことを聞いて」

 しばらくしてヴァルター様が、渋々「わかりました」と告げた。




****

 それから一週間、ヴァルター様はエドラウス侯爵邸に滞在した。

 治療中、お母様は私たちに言い含めるように語った。

「これは特例。
 いつでも寿命を戻せると思わないで頂戴。
 ヴァルターの言った通り、ここまで強い魔法は本来、使うべきじゃないの」

 だけどお母様が治療しなければ、私が魂を消滅させてでも魔法を使ってしまう。

 たとえその結果が失敗に終わろうとも、私は成功の可能性にかけて踏み切るだろう。

 お母様はそれを見抜いて、「決してこの魔法を自分で使おうとしないで」とくぎを刺された。

 ヴァルター様にも「簡単に他人に命を捧げないで」とくぎを刺していた。

 私たちは、静かにうなずいた。




****

 子供たちが立ち去った、ヒルデガルトの書斎。

 治療が終わり、彼女は椅子に座り、一息ついた後、静かに目をつぶった。


(力を貸してくれてありがとう、イングヴェイ。
 無理をさせたわね)

『大したことじゃないさ。
 私だって、マリオンが消えてしまうのは悲しいからね』

(――なのに、あなたはマリーに権能を貸そうとするの?)

『私ではないよ。
 私は権能を貸さないが、そうなればマリオンは愛の神を頼るだろう。
 そうなったら、あいつはマリオンに権能を貸す』

(同じ権能を持ってるってこと?)

『あいつには豊穣の神としての側面がある。
 ――言っただろう? 私たちの力に、大きな差はないと。
 似ている神なんだよ』

(……本当に、迷惑な神ね)

『すまない』

(イングヴェイが謝ることじゃないわ。
 ……それにしても、マリーにあんな激しい一面があったなんて。
 今まで気が付かなかったわ)

『君たちは、よく似た母娘だよ』

(嬉しいような、心配なような……複雑な気分だわ)




****

 治療が終わった翌朝、私は「ちょっと話がしたいの」とヴァルター様を庭に呼び出していた。

 私たちは木陰で、向かい合うようにお互いを見つめる。

 相変わらず、ヴァルター様は穏やかに笑っていた。

 私はヴァルター様に告げる。

「もう勝手に私に人生をささげることはしないのよね?
 お母様と約束したもの」

 ヴァルター様はゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、その時が来れば何度でも、僕はこの命を捧げます」

「ちょっと?! お母様との約束を破るつもり?!」

「何と言われようと、目の前であなたの命が危険にさらされていたら、迷わず捧げますよ。
 ――次は、知られるようなへまはしません。安心してください」

「安心できるわけがないでしょう?!
 なんでそこまでするの?!」

「前に言いましたよ?
 好きな子のために命をかける。ただそれだけです。
 これは『僕が選んだ、僕の人生』だ。
 それを否定するのは、あなたでも許さない」

「だから、それが迷惑だって言ってるのよ!」

「あなたに蛇蝎だかつのように嫌われようと、構いませんよ。
 僕が勝手にやるだけです」

「なんて自分勝手なの?! 信じらんない!」

「その言葉、そのままお返ししましょう。
 『魔法に魂が耐えられない』なら、魔法に失敗することもあるのでは?
 あなたは命を落とし、僕の寿命も戻らない――そんなこともあり得るはずだ」

 彼が私のために命を捧げたことを知りつつ、平気な顔でそんな賭けに出る。

 そんな私のことを「とんでもなく身勝手な人だ」と言い切られた。

「この、頑固者!」

「その言葉もお返しします」


 私はしばらく、ヴァルターと激しく睨みあっていた。

 ――私が気が付いた時、私たちは明るい笑顔に包まれていた。

「ほんと、ヴァルターって信じられないほど頑固で、身勝手で、どうしようもないわね!」

「ですからその言葉、丸ごとお返しいたします」

「……助けてくれて、ありがとね」

「言ったでしょう? あなたが気にすることではありません」

「ただのお礼くらい、素直に受け取りなさいよ」

「それをどうするか選ぶのも、僕の人生だ」


 最後まで笑いあったまま、私とヴァルターは部屋に戻っていった。
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