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119.自習(1)

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 アラン様が遠い目をしながらつぶやく。

「いやー、話には聞いていましたが、すごかったです。
 ヒルデガルト先生が怒ると、本当に恐ろしいんですね」

 サイ兄様がそれに応える。

「いや、あれでも相当抑え込んでいたはずだぞ。
 我慢してるのがわかったからな」

 その言葉に、みんなが怯えていた。

 女子三人は涙目だ。

 レナが声を上げる。

「あれ以上怖いって、どういうこと?!
 私、あれでも腰が抜ける寸前だったんだけど!」

 確かに、女子の怯え方は凄かったなー。

 私は少し離れていたのと、お母様のお説教を直撃されてない。

 だからなのか、みんなほど『怖い』って感じてない気がする。

 アレックス様が蒼褪めながら告げる。

「……あれに比べたら、親父の雷はそよ風だ」

 あの強面のドレフニオク伯爵の雷が、そよ風?!

 オリヴァー殿下も、遠くを眺めて告げる。

「母上が言っていました。
 『学生時代から今にかけて、不動の”怒らしちゃいけない奴ランキング一位”だ』と。
 『絶対にヒルデガルト先生を怒らせてはいけない』と、なんども言い含められました。
 その意味を、痛感しましたよ」

 サンドラが青白い顔でぼそりとつぶやく。

「学生時代、お父様がヒルデガルト先生の逆鱗に触れて、怒らせたことがあるらしいのよ。
 そのときはいったい、どれほど恐ろしかったんでしょうね……」

 アラン様が少し楽しそうに語り出した。

「ああ、あの『気が付いた時には顔面に拳がめり込んでいて、鼻を折られて壁に叩きつけられていた』って逸話ですね。
 手加減なしの≪身体強化≫で殴り抜いたそうですよ。
 大叔母上本人も『よく脱臼せずにすんだわよね』と笑っていたとか」

 お母様の魔力で『手加減なしの≪身体強化≫込みで顔をグーパン』って……。

 鍛えた男子の拳だったら、頭部が飛び散ってたわね……。

 貴族令嬢の細腕だったから、フィル様は命があったようなものか。

 サイ兄様が、深刻な顔で告げる。

「その時の話を、父上から聞いたことがある」

 お母様が『本気でキレる』と、後先を完全に考えなくなるそうだ。

 その上、お母様は非常に優れた魔導士でもある。

 大陸でも稀有な魔導士が、後先考えずに全力を一瞬に注ぎ込む。

 その結果、自分の体がどうなろうと、その瞬間は考えないらしい。

 その爆発力は、下手な兵器の比ではないとか。

 アラン様がさらに楽しそうに語り出す。

「しかも本気でキレた大叔母上は、思考が途切れるらしいですよ?
 だからそれを抑え込む方も、命がけだったとか。
 その話を踏まえれば、理性が残っていた分だけ、相当控えめな雷だったんでしょうね」

 歩く危険物では?

 しかもお母様は古代魔法――神の権能を使えてしまう。

 それはもはや、危険物なんて騒ぎじゃない。

 逆鱗に触れた『国家』が一瞬で滅びる――それくらいヤバい代物だ。

 ……大陸の各国から一目置かれている理由って、実はその辺なのかな。

 アラン様の言葉は、まだまだ止まらない。

 どうやら、お母様のファンっぽいな。

「『レブナント王国の軍事力、その半分は大叔母上だ』って噂もあるんですよね。
 僕は多分、その噂は真実だと思いますよ」

 サイ兄様が大きく手を打ち鳴らした。

「さぁ、おしゃべりの時間は終わりだ。
 これ以上、母上に雷を落とされたくなければ、自習を始めよう!」




****

 午後をだいぶ過ぎてから、私たちの自習が始まった。

 本来なら、今日が魔術授業の初日だった。

 つまり私たちは、まだ何も教わっていない。

 だけど十二歳の魔力検査は終えているので、各家庭で魔力鍛錬を教わっている。

 今日はそれをやろうと、相談の結果決まった。


 みんなが各々の鍛錬を続ける中、私は砂時計に向かっていた。

 お母様が考案したという砂時計鍛錬法は、私にはちょうどいいだろうと言われていた。

 でもまだ、砂一粒を掴むのがやっとなのよね。

 時間をかけて一粒をなんとか掴み、ゆっくり持ち上げ――途中で砂が砕け散る。

 魔力が『強すぎる』と、こんなにも制御が難しいのか。

 水晶の欠片を集める時は、『ほうき』のイメージでまとめていた。

 だけどこの鍛錬法は、小さな砂一粒を掴むほど精密な魔力制御を身に付けるものだ。

 まとめて掴んでは意味がない。


 掴んでは砕き、掴んでは砕き――それを何度繰り返しただろうか。

 私は全身を、また汗で濡らしていた。

 ハンカチで額の汗を拭う。

 ようやく一粒の砂が、天井に張り付いた。

 よし、これを維持したまま、次の砂粒を――。

 次の砂粒を持ち上げた瞬間、私の意識は暗転していた。




****

 私は目が覚めると、お母様に抱きかかえられていた。

「おかあ……さま?」

 私の体を、魔力が包み込んでいるのがわかる。

 手を持ち上げて見てみると、金色の魔力が体を覆っているみたいだった。

 これは……豊穣の神の魔力、かな。

 お母様は、とても真剣な眼差しで私に古代魔法を施している。

 その顔色は蒼白だ。

 とても返事をしてもらえる空気じゃないな。

 じゃあ神様に直接聞いてみよう。

 目をつぶって、豊穣の神の気配を手繰り寄せていく。


(――豊穣の神様。お母様は何をしてるんですか?)

『君が生命力を使い過ぎて、死にかけていたからね。
 慌てて補充をしているところだよ』

(えっ?! 私、死にかけていたんですか?!
 でも、魔力は全然余裕がありましたよ?
 魔力を使い切らなければ、大丈夫なんじゃ?)

『危ないところだったよ。
 ――人間は、体力や精神力を使い切ったら死んでしまう生き物だ。
 そして生命力は、魔力を使う時にも消耗する』

 魔力が尽きた時に死んでしまうのは、魔力の補充に生命力が優先して使われる。

 これがいわゆる、魔力の使い過ぎによる死のリスクだそうだ。

 だけど私の場合、魔力が『大きすぎる』らしい。

 魔力を使い切る前に、生命力が尽きてしまう。

 魔力の『急速補充』は自動的に行われるから避けようがないらしい。

 だけど魔力制御に使われる生命力の消費は、リミッターがかかるそうだ。

 『これ以上は命が危ない』と体が判断すると、それ以上使えなくなるんだとか。

『――これがいわゆる”力尽きた”と自覚する状態だ。
 だが君は、そのリミッターを意志の力でねじ伏せてしまった。
 それで限界を超えて、意識を失ったんだ』

 命を守るマージンすら使い切ってしまった私は、緩やかに死にかけていたそうだ。

 体力が尽きれば体が死ぬ。

 精神力が尽きれば、心が死ぬ。

 心が死ねば、心に制御されている体も死んでしまうらしい。

 なるほど、私は心が死にかけてたのか。

(書斎に居たはずのお母様が、ここに居るのは何故ですか?)

『ヴァルターがヒルデガルトを呼びに来たよ』

 私が倒れたと聞いて、お母様はすぐに私に駆け寄ったそうだ。

 それで生命力が尽きかけているのを察知した。

 豊穣の神の権能で、枯渇しかけた生命力を補充している最中だそうだ。

『――完全回復までは、もう少しかかるよ。
 君は無理をし過ぎだ。
 そういったところは、ヒルデガルトそっくりだな』

(ごめんなさい……でも、魔力制御をきちんとできないと、魔術を巧く使えません)

『限界まで頑張るな、と言っているんだよ。
 君もヒルデガルトも、少しは加減というものを覚えた方が良い。
 ――いや、ヒルデガルトの方が、まだ自制できていたほうだな』

(……私は貴族です。
 貴族は、その能力に応じた責務を負うのだと教わりました。
 その責務を果たすことが、貴族の存在意義なのだと)

 鍛錬でこの魔力を使いこなせるようになるなら、私にも嫁入り以外の道があるかもしれない。

 今日の灰色狼みたいに、みんなを守る力をもっと身に付けられるかもしれない。

(――それなら、私は頑張りたいと思います)

 豊穣の神の笑い声が頭に響いた。

『君は強情だな。
 そういうところは、本当にヒルデガルトそっくりだ。
 君は確かに、彼女の娘だよ』

(えっと……ありがとうございます?
 ところで、精神力が尽きる兆候って何かないんですか?
 突然意識が途切れたんですけど。
 魔力みたいにわかりやすい目安って、何かないんですか?)

『精神力は意志の力だ。
 意志の力でリミッターをねじ伏せた状態では、限界を知ることはできない。
 限界、即、意識の遮断だ』

 私はしばらく、お母様に監督してもらいながら鍛錬を続けるといい、と言われた。

 生命力の残量がどれくらいか、見張ってくれる人が必要だって。

 今の限界がどれくらいか、疲労感でそのうちわかるようになるらしい。

『――その限界を守るんだ、いいね?
 ヒルデガルトには、私からそう伝えておいたよ』

(自覚できないのですか……厄介ですね。
 わかりました、そうします)

『うん、ほどほどに頑張りたまえ。
 ――さぁ、そろそろ生命力の補充が終わるよ。
 目を開けなさい』


 目を開けると、泣きそうな顔のお母様が居た。

「えっと、心配をおかけして、申し訳ありませんでした」

 次の瞬間、私はお母様に抱きしめられていた。

「……お願いだから、無茶なことはしないで」

 その涙声に、私は「はい、わかりました」とだけ応えた。
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