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第4章:異界文書

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 始業前のミーティング時間に合わせ、私は早朝蔵書点検を終わらせて司書室に戻っていく。

 ドアを開けるとディララさんが微笑んで待っていた。

「おはようヴィルマ。どう? 空調術式の調整にはなれた?」

 私は頷いて応える。

「はい! なーんにも問題ありません!」

「あなた、早朝蔵書点検前のミーティングに現れないけど、何時から走り回ってるの?」

「え? 七時からですよ? 五分で空調術式の調整を終わらせて、それから点検をしてますから」

 ディララさんが呆気にとられたように私を見つめた。

「……まぁ、あなたの魔導ならそれくらい、不思議ではないのかもね。
 普通は一時間以上調整に必要なのだけれど」

 そうなの? なんで? 気は使うけど、すぐ終わるじゃん。

 私が小首をかしげていると、司書のみんなが続々と司書室に戻ってきた。

 カールステンさんが声を上げる。

「おーおはようヴィルマ! 今朝も早いな!」

「おはようございます!」

 シルビアさんが私に声をかける。

「おはようヴィルマ。……あら? あなた、少し疲れてない? 大丈夫?」

 私は目を逸らしながら応える。

「あー、朝からアイリスとお爺ちゃんの新婚家庭攻撃を食らって、ダメージを受けていたので」

 今朝も二人は仲良く朝食を作り、アイリスは必死にお爺ちゃんにアピールを繰り返していた。

 お爺ちゃんはその好意を受け流してるけど、万が一があったらと思うと気が気じゃない。

 疎外感を受ける中で黙々と朝食を食べるのは、地味にキツイ。

 そのうち慣れるのかなぁ~?

 ファビアンさんが興味深げな目で私に告げる。

「アイリスって、ヴィルマと同い年の使用人だろう?
 それがラーズ氏と新婚家庭って、どういう意味だ?」


 私はみんなに、アイリスがお爺ちゃんに熱烈アタックを繰り返していることを説明した。


 フランツさんが顔を引きつらせて口を開く。

「なんだよそれ、六十を超えた男性に、十六歳の女子がアタックしてるってのか?!」

 サブリナさんがフランツさんの鼻を指ではじきながら告げる。

「あなた、年下の女子に負けてどうすんのよ。
 年齢差なんて関係ないと猛進する姿勢を少しは見習いなさい」

 カールステンさんは楽しそうに笑っていた。

「ハハハ! これで二人がくっついたら、そのうちヴィルマには叔父か叔母が生まれるんだな!」

「ちょっと! 考えないようにしてたんだから止めてくださいよ!」

 シルビアさんはどこか思う所があるみたいだ。

「そう、あの子は以前、ヴォルフガング様を慕っていたと思ったのだけれど。
 ラーズさんに乗り換えたってことは、何かあったのかしらね」

 私はシルビアさんに振り返って応える。

「なんでも、『ヴォルフガングさんは生粋の貴族だと身に染みた』とかなんとか言ってましたよ。
 お爺ちゃんは表向きは平民ですから、身分の壁がないですしね。
 アイリスにとっては、身近に感じるんじゃないですか?」

 シルビアさんが首を横に振った。

「それだけじゃないわね。ラーズさんはヴォルフガング様より温かい人だもの。
 公爵として生きてこられたヴォルフガング様には出せない温かみを、ラーズさんは持ってる。
 きっとそんなところが、アイリスの心に刺さったんじゃないかしら」

 温かいかー。お爺ちゃんが優しい人なのは確かだし、世話焼きなのも確かだけど。

 ヴォルフガングさんだって、その辺は大きく変わらない気がするんだけどなー?

 ディララさんが笑みをこぼしながら告げる。

「ヴィルマは才能に満ち溢れた子で、ヴォルフガング様の期待に十二分に応えられる子。だから優しく感じるのよ。
 でもアイリスはただの使用人。ヴォルフガング様にとって、ただそれだけの女の子なの。
 どれほど優しくても、貴族には使用人に対するけじめというものがある以上、それを超えて優しくすることはないのよ」

 ……つまり、その『貴族としてのけじめ』が優しさの壁になってる、ってことなのかなぁ?

 平民で使用人の一人でしかないアイリスにとって、ヴォルフガングさんは余りにも遠い人だし。

 あのまま敵わない恋に焦がれるよりはマシだと思うけど、だからってお爺ちゃんを相手に恋に落ちるのもどうなんだろう?

 そりゃあ、ヴォルフガングさんよりは身近だと思うんだけど。

 そこまで思って、ふと思い出し両手を打ち鳴らした。

「――そうだディララさん。お爺ちゃんが宿舎にしばらく宿泊するんで、ベッドを一つ用意してもらえたりしませんか?
 私が自分で買いに行ければいいんですけど、さすがに自由に敷地の外には出られませんし」

 ディララさんが微笑んで頷いた。

「ええ、いいわ。発注して、夜までに宿舎に届けさせるわね」

「ありがとうございます!」

 時計を見る――始業五分前だ。

「それじゃ、今日も一日頑張りましょう!」

 みんなの声が続き、私たちは次々と司書室から飛び出していった。




****

 写本を続ける私に、修復作業中のサブリナさんが声をかけてくる。

「思うんだけど、この封印結界術式って、何のために張ってるのかしら」

 私は手を止めずに応える。

「マギーの魔力を抑え込むためですよ。
 『異界文書マギア・エクストラ』の魔力は、とんでもなく異質なんです。
 それが外に漏れると、この間みたいな異常気象になります。
 マギーが愚痴らなければ、そこまで大きなことにはならないみたいですけど、小さな影響は出るはずです。
 それを防魔結界を使って魔力を中和することで予防してるんです」

 サブリナさんも文字入れをしながら受け答えをしてくる。

「ふーん、今は別にそんな魔力を感じないけど、封印結界術式のおかげってことかしら」

「そういうことですねー」

 しばらく沈黙が続き、今度は私が口を開く。

「ねぇサブリナさん」

「何かしら」

「カールステンさんと結婚しようとか、思った事ないんですか」

 ガタガタ、と机が揺れる音がして、焦ったようなサブリナさんの声が返ってくる。

「あっぶないわね! 思わずミスるところだったわ!
 ――いきなり何を聞いてるのよ、あなたは!」

 なんで取り乱してるんだろう?

 私は写本を続けながら応える。

「だって、飲み会でも、昼食でも、なんだかんだサブリナさんとカールステンさんって、仲良くしゃべってますよね。
 結婚は考えてないって言ってましたけど、一度くらいは考えたことがあったりするんじゃないですか?」

 ちょっとした沈黙の後、ふぅ、というため息が返ってきた。

「……そりゃあね。思った時期もあったわよ?
 でも私は男爵家で、向こうは子爵家。家格はもっと開きがあるの。
 釣書を送りつけていい相手でもないのよ」

「よくわかりませんけど、身分違いってことですか?」

 椅子に座り直す音がして、サブリナさんが応える。

「だって、女の方から言い出すなんて、なんだか負けた気がするじゃない?
 向こうから言い出すようにあれこれやってみたけど、全部空振りに終わっちゃった。
 そうこうしてるうちに『仲が良い同僚』って関係で固まっちゃって、今さら婚姻なんて言い出せる空気でもないわ。
 私とカールステンは、そういう関係なの」

「ふーん、意地の張り合いみたいな感じなんですかね?」

「どうかしら? 向こうは私なんて、眼中にないだけかもしれない。
 あいつは思ったことがすぐ口に出るタイプだから、何も言いださないってことは何も思ってないのよ。
 私は職場の同僚――もう今は、それだけでいいわ」

「……じゃあ、アイリスみたいに自分から行くつもりは、もうないんですか?」

 クスリ、と笑みがこぼれてきた。

「羨ましいわよね。若さゆえの勢いって。
 もう私も二十四。とても若いとは言えなくなっちゃった。
 あんな風にがむしゃらになれたら、きっと良かったのかもしれないわね」

 よくわからないけど、友人以上恋人未満とか、そんな関係なんだろうか。

 大人って大変なんだな。いや私も大人なんだけど。

 私たちはその後も他愛ない話を交えつつ、お互いの作業を進めていった。
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