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第4章:異界文書

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 朝食の席は、何故か緊張感が漂っていた。

 お爺ちゃんはいつも通り、微笑みながら食事を食べ進めている。

「どうだヴィルマ、美味いか?」

「うん! 美味しいよ!」

「そうかそうか」

 カカカと笑うお爺ちゃんは、『美味しい』と伝えると毎回喜んでくれる。

 ――ちらりとアイリスに視線を移すと、頬を染めながら、うつむき気味に食事を口に運んでいた。

「おぅアイリス、お前はどうだ? 口に合うか?」

 アイリスが慌てて顔を上げ、お爺ちゃんの顔を見てから、恥ずかしそうに視線だけを逸らした。

「は、はい。とても美味しいと思います」

 お爺ちゃんが満足そうに「そうか」と微笑んだ。その微笑みをアイリスは盗み見ているようだ。

 ……これはもしや、アイリスってお爺ちゃんを意識してるの?!

 年上好きにしても、年齢差があり過ぎじゃない?! お爺ちゃん、六十歳超えてるんだけど?!

 そこで私は気が付いた。

 ヴォルフガングさんは元公爵家当主、王族の親戚だ。

 お爺ちゃんは昨日話した通り、王族の直系、滅んだ国だけど、エテルナ王家の最後の王位継承者。つまり王様みたいなものだ。

 ……アイリス、王族の血に弱いんじゃ疑惑!!

 でもこれ、アイリスには教えられない話だからなぁ~~~~! 国家機密って、王様に言われちゃったし!

 私がもやもやしていると、お爺ちゃんがニッと笑って告げてくる。

「おぅどうした。何か飯に気になるところがあったか?」

 私は困ってるのを隠しながら、微笑んで応える。

「いや~? そんなことないよ? お爺ちゃんのご飯、いつも美味しいし!」

「そうかそうか……ところで、アイリスよ。飯を食ったらちょっくら散歩に付き合ってもらっていいか」

 アイリスは弾けるように反応し、お爺ちゃんの顔を見つめた。耳まで真っ赤な顔で、アイリスが応える。

「は、はい! 構いませんが……でも、突然どうしたんですか?」

 お爺ちゃんがニコリと微笑んで応える。

「なぁに朝の日課、食後の散歩をしたいだけだ。
 ついでにアイリスと、少し話をしておこうと思ってな」

「話……ですか。何を話されるのです?」

 お爺ちゃんが悪人のような微笑みで応える。

「そいつぁ、後のお楽しみだ。のんびりと歩きながら話そうや」

 普段はしない表情に、私は意表を突かれて驚いていた。

 アイリスは――こちらも意外な表情だったらしく、困惑して顔を真っ赤にしてる。まさか、ギャップ萌えでもしてるのか?!

 ……私は、図書館にそろそろ向かう時間だな。

「ねぇお爺ちゃん、ここは一人じゃ敷地の外にも出て行けないよ?
 一緒に図書館に行こうよ、誰かに付き添ってもらって、外に出してもらおう?」

 お爺ちゃんが「ケッ」と微笑んだ。

「ここの杜撰ずさんな警備なんぞ、丸裸も同然だ。
 俺ぁ一人で勝手に帰るから、お前は気にせず仕事に行って来い」

「え? そりゃまぁ、それができるならいいんだけど……本当に大丈夫?」

 お爺ちゃんがニカッと笑って私に告げる。

大丈夫でぇーじょーぶだから、しっかり働け。今日から写本なんだろう?」

 ――そうだ、今日からマギーを二冊、写本しないといけない!

 休日返上になっちゃうけど、必ずやり遂げてみせるぞ!

 私はお爺ちゃんに頷いて告げる。

「わかった! 行ってくるね!」

 ウールのケープを羽織った後、お爺ちゃんに手を振りながら部屋を出て、図書館に向かった。




****

「おはようございまーす!」

 私は図書館の入り口で衛兵に挨拶を告げると、さっそく≪開錠≫の術式で図書館の鍵を開ける。

 衛兵は……何も言わないな。

 私はドアを押して中に入り、すぐにドアを閉めて外気を遮断する。

 空調術式はまだ生きていて、順調に作動してる。

 館内に入ると自動で照明が付いて行き、エントランスが明るくなった。

 私は司書室に向かってゆっくりと歩きだした。


 ロッカーにケープをしまって、マギーを降ろしてからエプロンを身にまとう。

 マギーを背負い直して、ソファに座って時計を見る――朝七時だ。

 この時間にディララさんが来てないってことは、本当に私を信頼してくれてるんだなぁ。

 私は魔力を空調術式を発動している魔導具に伸ばしていく――二十メートルと三十メートル先に一つずつ。

 天井付近に設置された術式に、今日の気候から最適な調整値を入力して館内の温度と湿度を保っていく。

 大型で多層構造の術式は、全てを同時に調整しないと館内の環境が崩れて、本にダメージが出ちゃう。

 館内環境を維持したまま、術式の調整を精密に行っていく――よし、できた!

 二か所同時に終わらせたので、これでもうやることはない。

 ディララさんは、これの調整に二時間近くついやしてたみたいだけど、なんでそんなに慎重だったのだろう?


 私は早朝蔵書点検という名の読書の時間をしに、司書室から書架に向かった。




****

 魔導学院の敷地内、連絡通路になって居る並木道を、ヴィルヘルミーナの祖父ラーズとアイリスがゆっくりと並んで歩いていた。

 耳まで赤くなってうつむくアイリスの横を、ラーズは街路樹を見上げながら微笑んで歩を進める。

「……なぁ嬢ちゃんよ。ひとつお節介をしても構わねーか?」

 弾けるようにアイリスが顔を上げ、「は、はい! なんでしょうか!」と応える。

 ラーズがニコリと微笑みながらアイリスに振り向き、静かな声で告げる。

「お前は俺を意識してるみたいだが、俺にとっては孫娘の友人だ。
 可哀想だがその気持ちはさっさと諦めて、年相応の相手を探した方が良いんじゃねーか?」

 アイリスは眉をひそめ、悲しげな瞳でラーズの目を見つめた。

 ――そんなこと、言われなくても分かってる。

 そもそも、これが恋愛感情だという確信もない。

 今まで自分はヴォルフガング一筋だと思っていたのに、なぜ自分がこの男性に、こうも心を惑わされているのか、理解できていなかった。

 目が潤み始めたアイリスに、ラーズが穏やかな笑顔で告げる。

「お前は若い。年上の男が魅力的に思うこともあるだろう。
 だがそれにしたって限度がある。
 お前を抱え込むには、俺ぁ年を食い過ぎた。
 きちんと若い男の中から、自分に合った男を探してみな。
 お前を大切に思ってくれる男が、きっと見つかるだろう」

 ――そんなの、何度もそうしようと努力してきた。

 だけど心はどうしても言う事を聞いてくれなくて、どうしたらいいのかわからない。

 うつむいて涙をこぼしはじめたアイリスの頭に、ラーズがポンと手を置いた。

「そう悲しむ必要はねぇさ。お前は魅力的な娘だ。
 俺があと三十年若ければ、抱え込んでやれたんだがな。
 その魅力を老いさらばえた男に向けるのは、もったいねぇ話さ」

 アイリスがぽつりと呟く。

「……私は、どうしたらいいのでしょうか。
 なぜ年上の、それも年老いた方に心を奪われたり、こうして奪われかけたりするのでしょうか」

 ラーズがポリポリと頬を掻いた。

「あー、なるほどな。本命は別に居るのか。
 そんで俺に対しても心が揺れて、それで戸惑ってるのか。
 ――単にお前の趣味だろう、それは。
 年上の男なら自分を包み込んでくれる錯覚を覚えて、それで心が囚われてるのさ」

 アイリスが顔を上げてラーズの目を見た。

「さ……っかく? 気のせいだと、そう仰るのですか?」

 ラーズがニヤリと微笑んで告げる。

「そりゃあそうさ。男なんざ死ぬまでガキだ。
 俺も、ヴォルフガングも、ガキくせぇところは残ってる。
 お前が見たことないだけで、結局俺たちゃガキなのさ」

 アイリスは目を見開いて驚いていた。

「なぜ……そこで、ヴォルフガング様の名前が」

「ああ、勘だよ、勘。長く生きてると、なんとなくわかっちまう。
 だがヴォルフガングは止めておいた方が良いな。あいつは特にガキ臭ぇ。
 その割に厳格な自分を取り繕うおうとしてやがる。
 我が強く、国王が相手だろうと自分を崩しゃしねぇ。
 人格者なのも確かだが、あいつはプライドが途方もなく高いのさ」

「そんな! ヴォルフガング様は、そんな人じゃありません!」

「そうかな? そう思っちまうのは、お前がヴォルフガング本人を見れてねぇ証拠だ。
 もっとも、お前みたいな小娘に本性を見抜かれるほど、あいつも未熟じゃねぇけどな。
 どれほどプライドが高くても、折れるべきときは折れることができる――そんなところで、錯覚しちまうんだろう」

 アイリスは必死にラーズに訴える。

「ヴォルフガング様は元公爵様です! プライドが高くても、それは仕方がないと思います!」

「おっと、そんな偉い人間か。そいつぁ生まれのせいってことだなぁ。
 あいつは自分を曲げねぇよ。
 そして今も、あいつは一人の女を心に住まわせている。
 そこに割り込むことは、誰にもできやしねぇさ」

 暗い気分でうつういたアイリスが、ぼそりと呟く。

「そんなの、わかってます。今も亡き奥様を慕ってらっしゃるって」

「報われない恋とわかって、なおも諦められねーか?
 まぁそれも若さゆえの特権だ。そのまま突き進んでみてもいいだろう。
 ――だが、引き際は見誤るなよ? お前の幸せのために、きちんとけじめをつけて明日を見て生きろ」

 アイリスは頭に乗せられた手のひらのぬくもりを感じながら、ラーズの目を見つめていた。

「……いつかは諦めるべきでも、この気持ちに正直になってもいいのでしょうか」

 ラーズがニカッと微笑み、頷いた。

「ああ、それくらいは構わねーさ。
 お前はまだ十六、あと一年や二年は時間がある。
 その間に気持ちの整理を付ける準備も同時に進めておけ。
 いっそ正直に、気持ちを打ち明けてみろ。それですっきりするだろう」

 ポンポンと頭を優しく撫でられたアイリスは、ラーズの手が離れていくのをとても惜しく感じていた。

 ――ヴォルフガング様より、温かい人。

 揺れ動く自分の心にどうしようもなく振り回されながら、アイリスは再びラーズと一緒に歩きだした。
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