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第4章:異界文書

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「ただいまー!」

 宿舎に入って声を上げると、共同水場の方からアイリスが顔を出した。

「お帰りなさい。早かったですね」

「そう? いつも通りだと思うけど」

「雪ですから、少し遅くなると思ってました」

 私は胸を張って告げる。

「ふっふ~ん。ヴォルフガングさんから、雪を押しのけて歩く魔術を教わったからね!
 もう私は、雪に濡れることも、足元が雪で埋まることもないんだよ!」

「なんですかそれ! ずるいです!」

 ずるいって……。

「そんなことを言っても、アイリスは術式使えないんじゃないの?」

「そうなんですけど! 四等級の私だって、ヴォルフガング様から魔術を教わりたいですよ!」

 四等級かぁ。アイリスの魔力出力だと、たぶん一分も維持できない感じなんだよなぁ。

 教わるだけ無駄、という結果が待ってる気がする。

 水属性の魔力っぽいから、相性は悪くないかもしれないけど。

「私で良ければ教えようか?」

 アイリスは握り拳をかざして私に宣言する。

「ヴォルフガング様でなければ、意味がないんです!」

「……そんなにヴォルフガングさんから教わりたいの?」

 途端に、しょげ返りながらアイリスが応える。

「はい……でも、ヴォルフガング様が相手にしてくださらないのも理解しています。
 あの方の教えは高度で、私なんかが理解できるようなものではありませんから」

「高度なの? いつもわかりやすく教えてくれるけどなぁ?」

 アイリスが恨みがましい目で私を睨み付けてきた。

「それはヴィルマさんが、魔導の才能を持ってるからですよ!
 あの方の教えに付いてこれない生徒は多いんです!
 エリートのはずの貴族子女たちでも、ついて行けるのは一握りと言われてるんですから!」

 そうなんだ? じゃあフランツさんたちは、その一握りだったってこと?

 ……あの頼りない感じのフランツさんが、エリートねぇ。

 まぁ五万冊の蔵書を五人の司書で管理するなんて無茶を続けられてたなら、エリートと言われても納得できるけど。

 普通は二十人前後の司書が管理する規模だって、ディララさんが前に言ってたし。

「それより、お鍋を火にかけっぱなしだけど、大丈夫?」

「――いけない!」

 慌てたアイリスがキッチンに向かって駆け出していった。

 私はゆっくりと階段を上り、自分の部屋に入り着替え始めた。




****

 アイリスと夕食を食べたあと、ゆっくりと温かいお風呂に浸かる。

 冷え切った身体がじわ~っと溶けていくような錯覚を覚えながら『魔導具ってありがたいな~』と思う。

 魔導湯沸かし器のおかげで、時間を問わずに蛇口をひねればお湯が出る。

 古い宿舎だから最初は心配したけど、そこはちゃんとメンテナンスがされていた。

 お湯でとろけながらぼんやりと、今日の事を振り返る。

 大雪で始まり、『異界文書マギア・エクストラ』が図書館にやって来て、フランツさんと二人で司書業務に当たった。

 フランツさん、なんであんなに挙動不審になるんだろう?

 見つめると真っ赤になるし、どもるし。なんだかまるで、ヴォルフガングさんを前にした時のアイリスみたいだ。

 ……え? まさかー。そんな訳ないよね。私は十六歳でフランツさんは二十三歳。

 私は七歳も年下で、子供同然。女性としての魅力もないし、恋愛対象になるわけがない。

 思わず自分の胸を見下ろし、ため息をつく。

 背が低いのは諦めるから、せめて人並の体型だったらなぁ。

 アイリスくらいの体型なら、少しは自分に自信が持てるのかな。

 もしくは、アイリスくらい料理上手だったりしたら、もうちょっとなんとかなるのかもしれない。

 私が恋愛に興味を持てないのって、自分に自信がないからなのかなぁ。

 でも私は小動物系と言われるくらい背が小さいだけで、魅力のない女子だ。

 小さければなんでも可愛く見えるものだし、他人の『可愛い』ほど当てにならない言葉もない。

 不器用だから料理もできないし、司書以外に胸を張れることもない。

 そして司書として生きていければ満足な、そんな女の子が私だ。

 仮に私を好きになった男の子がいたとしても、『残念でした。ごめんなさい』と言うしかない。

 そんな人――ああ、アルフレッド殿下が居たか。気の迷いか、からかってるのか、それはわからないけど『惚れ直した』とか言ってくる人。

 平民が王族とくっつけるわけないじゃん。童話の世界じゃあるまいし。

 公妾とかいう面倒な立場を、エミリアさんの為に押し付けようとしてくるのも迷惑だ。

 良い人なんだけど、他人の迷惑を考えてくれないからな、殿下は。

 ……いけない、のぼせてきた。


 私はゆっくりと湯船から立ち上がり、浴場を後にした。




****

「おはようございまーす!」

 いつものように司書室に入ると、フランツさんがカールステンさんとファビアンさんに小突かれていた。

 私はケープを脱ぎながらみんなに声をかける。

「何をしてるんですか? 職場でいじめはよくないですよ?」

 カールステンさんが大笑いしながらこちらに振り返り、声を上げる。

「おはようヴィルマ! 昨日はフランツと二人きりで司書業務をしてたんだって?」

「それは誤解がありますね。午前中はディララさんやヴォルフガングさんが居てくれましたし、午後は別の職員さんが来てくれました」

 ファビアンさんが静かな微笑みで告げる。

「だとしても、昼食は二人で食べたんだろう?」

「え? ああそうですね。食堂で一緒に食べましたけど」

「どんな会話をしたんだ? 少しは進展したのか?」

 進展? なんの?

 サブリナさんが「ほらほら! いい加減にしなさい!」と二人を追い払ってくれた。

 シルビアさんも近づいてきて、私を抱きしめ「男子なんかにヴィルマは渡さないわ」とか言ってくる。

「ちょっとどうしたんですか? みなさん、なんかおかしくないですか?」

 フランツさんがバツが悪そうに私に頭を下げてきた。

「すまない、うっかり口を滑らせて、洗いざらい言わされてしまった」

「はぁ……昨日のことですよね? 別に謝られることはなかったと思いますけど」

 シルビアさんが少し怖い眼差しになってフランツさんを睨んだ。

「あなたね、もう少し年齢差を考えなさい。あなたが手を出していい年齢ではないでしょう?」

 サブリナさんが小さく息をついて告げる。

「自分の親を説得する度胸があるの? ないならヴィルマに近づくのも止めなさい」

 なんだなんだ?! 二人とも何に怒ってるの?!

「ちょ、ちょーっと待って! 話が全然見えないんですけど?!」

 カールステンさんが楽しそうな声で告げる。

「フランツが一歩前進したと言ったものだから、なにかイベントがあったのかと思ってね!
 どうなんだ? 昨日何があったか、詳しく教えてくれないか!」

 私は若干引き気味に応える。

「ですから、何にもないですってば。いったい何を期待してるんですか」

「いやー、恋愛に興味のないヴィルマが、少しは目覚めたのかと思ってね!
 どうなんだ? フランツのこと、男として見られるようにはなったのか?」

 私は目をぱちくりとしばたかせた。

 男として? フランツさんを?

「それこそ、何の話なんです? フランツさんが男性なのは、間違いのない事実ですよね?
 まさか女性だったりするんですか?」

 ガクッと膝が砕けたカールステンさんに、サブリナさんが冷たい声で告げる。

「だから言ってるでしょう。ヴィルマはそもそも、そういう目で見てないって。
 ――フランツも、いい加減に諦めなさい」

 フランツさんは目を伏せ、落ち込んだように暗い表情になっていた。

 ディララさんが大きく手を打ち鳴らす。

「はいはい、あなたたち、早朝蔵書点検の時間が過ぎてるわよ?
 別に司書室で雑談したければそれでもいいけど、騒がないで頂戴」

 おっと、私の貴重な読書時間が減ってしまう。

 私は抱き着いてくるシルビアさんの腕からするりと抜け出し、「それじゃあ行ってきますねー」と一足先に司書室を飛び出した。

 背後から「この意気地なし!」とカールステンさんの声が聞こえた気がするけど、誰に言った言葉なのやら。
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