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第4章:異界文書

36.

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 朝起きると、異様な冷え込みで思わずベッドに潜り込んだ。

 なんでこんなに冷えるんだろう?

 首を回して窓を見る。厚手のカーテンを、魔力を伸ばしてベッドの中からカーテンを開ける。うーん便利ー。

 外は灰色の空から、白い綿のような雪がしんしんと降っていた。

 ……雪の季節だもんなぁ。とうとう降ったか。

 えいやっと起き上がり、ガウンを羽織ってから暖炉に薪をくべ、火勢を足す。

 廊下に出て隣の部屋のドアをノックすると、中からパジャマの上にガウンを着たアイリスが顔を出した。

「おはようございます。早いですね」

「いやー寒くて目が覚めちゃったみたい。雪だよ、雪!」

 あきれた様子のアイリスが、私を見て気のない声で応える。

「はぁ……見ればわかりますが。
 これだと水道管が凍ってるかもしれません。水が出るか、見てきます」

 アイリスはパジャマ姿のまま階段を降りて行った。

 私もアイリスの後を追い、一階に降りていく。


 水道の蛇口をひねっても、一滴も水が出てこない。

「……だめですね。うっかりしてました。凍結対策をしておくべきでした」

 この季節、水は蛇口をほんの少し開けて水を出しっぱなしにしておかないと、寒波や雪で凍り付くらしい。

 私の家は井戸だったけど、汲み置きしておけば朝の支度には事が足りた。

「汲み置きはしてないの?」

「そちらも忘れてました。随分と急に冷え込んだんですね。雪が降る気配はなかったと思うんですけど」

 昨晩は比較的暖かくて、寒波がやってくる雰囲気じゃなかった

 でもまぁ、こんな季節もあるのかもしれない。

 アイリスが小さく息をついて私に振り向いた。

「どうします? 厨房に行って水をもらってきましょうか」

「えー、重いだろうし、それは最後の手段にしておこうよ」

 アイリスがきょとんと首を傾げ、私に応える。

「最後の……? 他の手段があるんですか?」

 私はガウンの袖をまくりながら応える。

「まぁ見ておいて――」

 水道管に手を触れて、魔力を内部に伝えていく――うーん、結構奥まで凍ってるな。

 水の手応えがあるところまで魔力を浸透させたところで、私は水の温度を上げていく。氷の術式の、逆を行うのだ。言うなれば≪沸騰≫の術式だろうか。

 水道管全体が水の手応えに変わったところで蛇口をひねると、すぐに水が流れ出した。

「……凄いですね。何をしたんですか?」

「氷を溶かしただけだよ。宿舎内だから、術式を使ってもセーフなはず」

 私はニハハと笑いながら「じゃ、朝食の支度は任せるね!」と言って部屋に戻った。




****

 朝食を食べながら、アイリスがふぅ、と憂鬱そうに告げる。

「先ほど一階の窓の外を見てみましたが、既に三十センチ以上積もってます。
 なんなんですかね、突然こんなに降るなんて」

「え?! そんなに降ってたら、玄関が開かないんじゃない?!」

 ここの玄関は外開き。雪で三十センチも埋まってたら、開くわけがない。

「どうやって外に出ようか。建物の外で術式使ってたら怒られちゃうし」

「二階の窓から飛び降りるしかないんじゃないですか? 三十センチも積もってれば、なんとかなりません?」

 私は眉をひそめて応える。

「それで平気なのは、小さな子供くらいだよ。いくら私が小柄でもさすがに三十センチじゃ――ああでも、空を飛べばいいか」

「――飛べるんですか?!」

 私はきょとんとして応える。

「アイリスだって浮遊型移動書架台フロートは見てるでしょ? あの術式を自分にかけるだけだよ。
 自由に空を飛ぶのは難しいけど、ゆっくり降りるくらいはできるはずだし」

「はぁ……魔導って便利なんですね」

「スコップあったよね? ご飯食べ終えたら、外から玄関の雪をなんとかしてくるよ」


 朝食を食べ終えた私はスコップ片手に、自分に≪浮遊≫の術式を書けて窓からふわりと飛び降りた。

 着地してからスコップで雪をかき分け、玄関に辿り着いてからドアの外の雪もどかしていく。

 雪の壁が出来上がって一息ついてから、私は空を眺めた――まだ降るなぁ。どんだけ降るんだろう?


「終わったよー」

 玄関から宿舎の中に入り、ブーツの雪を落としてから二階に上がっていく。

 凍えた身体を暖炉の前で温めていると、アイリスが少し不安気な声で私に告げる。

「まだ降りやむ様子がないですね。ちょっとおかしくないですか? この雪」

「そうだねぇ……でもまぁ、だから何ができるって訳じゃないし。
 アイリスは念のため、宿舎から出ないようにしておいた方がいいね」

 頷いたアイリスは静かに部屋に戻っていった。




****

 図書館入り口の衛兵たちは、皮鎧で寒そうに凍えていた。

「え?! こんな天気でも外に立つんですか?!」

 衛兵が不機嫌そうに頷いて応える。

「それが私たちの仕事だからな」

 傍には大型のストーブが置いてあるけど、それでも足元から伝わる冷気は着実に身体を冷やすはずだ。

 図書館の入り口は雪かきが終わっているけど、まだまだ降り積もる様子だから、また何時間かしたらかきださないといけないだろう。

「ディララさんは、もう来てるんですか?」

「ああ、もういらっしゃるぞ」

 すごいなディララさん。こんな雪の日でも、いつも通りに来てるのか。

 私は衛兵たちに「頑張ってくださいね」と声をかけながら、図書館の中に足を踏み入れた。


 中に入った途端「暑っ?!」と感じるくらいの熱気を感じた。

 いつもと同じ室温のはずだけど、それだけ外が冷え込んでたんだろう。

 ケープを脱いで雪を払い落し、ブーツの雪も落としていく。

 ≪乾燥≫の術式で服を乾かしてから、エントランスの奥に進み司書室のドアを開けた。


「おはようございまーす!」

 ソファに座るディララさんが、驚いたようにこちらに振り向いた。

「こんな日でも、この時間に出勤するの?」

「それ、ディララさんが言っちゃいけないと思います」

 苦笑交じりで受け答えしながら、私はケープをロッカーに入れてエプロンを身にまとった。

 時計を見ると、八時をちょっと過ぎたところだ。

「さすがにみんなは、今日は早朝出勤しないですかね」

「んー、というより、たぶん学院が休校になるわね。
 みんなもそのつもりで、今日は来ないんじゃないかしら」

 なるほど、大雪の日に貴族子女が通学するとも思えない。そもそも馬車が走らな――あれ?

「ディララさん? どうやって学院まで来たんですか?」

「もちろん馬車で来てるわよ?」

「だって、こんな雪じゃ馬車が走れないんじゃ?」

 ディララさんがニコリと微笑んだ。

「私が馬車の中から、雪をかき分けてあげるのよ。
 あなたにもそれぐらいはできると思うのだけど」

 ……なるほど、魔力を馬車の外に伸ばして、それで雪かきをするのか。

「そういう発想はありませんでした。勉強になります」

 ディララさんがコロコロと笑いながら応える。

「あなたは生活魔術全般に疎いですものね。
 そういったことは、これからゆっくり覚えていけばいいわ」

「でも休校になるなら、ディララさんもお休みすればよかったんじゃ?」

 ディララさんが背筋を伸ばし、柔らかい微笑みで告げる。

「私が家を出る時間じゃ、まだ休校になるかはわからなかったわ。
 それならば、私は私の務めを果たすだけ。
 悪天候なんて、嵐にでもならなければ休む理由にならないわね」

 なんという責任感?! でも、それに付き合わされる御者の人とか大変そうだな?!

 部屋を見渡しても、いつもいる侍女の人も居ない。彼女は休みなんだろうか。

 まぁいいや、私は自分がやることをやるだけだ。

「それじゃ、私は蔵書チェックしてきますね!」

 朝の短い時間だけど、それでも何冊かは読める。さーてサクサクいくぞー!

 私は身を翻して司書室から飛び出て、目当ての本に真っ直ぐ向かっていった。




****

 司書室に戻った私は、驚いて思わず声を出す。

「え?! なんでフランツさんが居るんですか?!」

 暖炉の前で寒そうにしているフランツさんが私に振り向き、いつもの爽やかな笑顔を見せた。

「馬車は動かなかったが、歩いて辿り着いたよ。
 でもさすがに時間がかかったな」

「いやいやいや! そうじゃなくて! 今日は休校見込みなんでしょう?! 素直にお休みすればいいじゃないですか!」

 フランツさんが恥ずかしそうに目を逸らして告げる。

「いやそうなんだが……ヴィルマなら今日も出勤してると思うと、負けてられないと思ってね」

 本の適温に保たれているこの図書館で暖炉に火を入れるとか、どんだけ凍えてたんだろう?

「そんなに無理をしなくてもいいじゃないですか」

 私の言葉に、ディララさんがクスリと笑った。

「あなたの顔を見たくて、頑張って出勤したフランツを褒めてあげたら?」

 フランツさんが真っ赤な顔で、慌ててディララさんに振り向いた。

「――オットー子爵夫人?! 何を仰るんですか?!」

「あら、本当のことじゃない? 今さら照れなくてもいいわよ」

 なんだかよくわからないけど、褒めた方が良いの?

「えーと、よく頑張りました、でいいのかな?」

 暖炉の前で座り込んでいるフランツさんの頭を撫でると、彼の身体が硬直した。

 ……相変わらず、女性慣れできてないのか?

 なんだかおもしろいので、そのままフランツさんの頭を撫で続けていると、不意に司書室のドアが開く。

「いやはや、酷い雪だね。参ってしまったよ」

 その声に振り返ると、ヴォルフガングさんが人の良い笑顔で佇んでいた。

「ヴォルフガングさんも出勤したんですか?!」

「そうだよ? 今日はちょっと、君に用事があってね」

 用事? なんだろう?

 小首をかしげる私に、ヴォルフガングさんがにこやかに告げる。

「ちょっと一緒に、王宮に登城してもらえるかな?」

「――は?!」

 言葉を失う私に、ヴォルフガングさんはニコニコと微笑みを返していた。
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