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第三章 迷宮商売 山海の幸を求めて編

百八十一日目~二百二十日目のサイドストーリー

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【愚者を嗤うちょっとだけ優しい金貸屋≪借金地獄≫店長視点:百八十一日目】

 隣で営業している賭博場≪カジノ・バカララ≫は昼夜を問わず繁盛している。
 団長が考えたものや、元々あったゲームを多数用意された娯楽施設でもある為、老若男女問わず時間を忘れて楽しめる場所だからだ。
 ≪パラベラ温泉郷≫の温泉を目当てに来た客――まあ、殆どエルフなのだが――はそういう事もあって、家族単位で遊んでいく事が多い。
 和気藹々とした、子供達の楽しげな声が聞こえてくる。

 子供の多い昼は全ての掛金は小遣い程度に設定されている。もし負けても、それ程懐は痛まない。
 子供が大敗しても、親は笑って許せる程度だ。
 もし手持ちが足りなくても、すぐ外に広がっている大森林から指定された薬草やらを採ってくれば、それだけで返せるように設定されている。
 本当に遊びなのだ、昼は。

 しかしだからこそ、一番盛り上がる夜は全てが一変する。
 夜は子供の出入りが禁止され、大人達の決戦場になるのだ。
 掛金も跳ね上がり、連敗すれば財布に入っている金など一瞬で蒸発し、挽回する為の大博打でも負ければ目も当てられない。
 夜だと言うのに明るく照らされた賭博場からは歓声と悲鳴、天国と地獄を隔てる叫びがよく聞こえてくる。

 ほら、今もそうだ。
 聞き覚えのある、男の絶叫が聞こえてきた。

 十中八九、またアイツが持ち金を溶かしちまったのだろう。それもかなりの大金だ。
 またかよ、弱いのに馬鹿な野郎だぜ、と思わず嘲りつつ。

 賭博場から出て、隣接するコチラにフラフラと、幽鬼のように青ざめた男のエルフがやって来た。
 ――カモ、と俺が呼んでいる常連のエルフだ。本当の名前は覚えていない。
 名簿を調べれば直ぐに分かるが、調べるのも面倒だ。コイツなどカモで十分だろう。

 さて、今回の負け金は……ははぁ。これはまた大台なこって。
 そんでお前さんの借金の合計金額はっと……はは、これはまた。今回のも合わせると、金貨数枚飛んで、金板の大台近くまでになってやがらぁーな。
 平民家族が生涯余裕をもって暮らせる額だぞ、これ。期日までに金を用意できるか? ああ、言わなくてもいいぜ。その顔見りゃあ、用意できないのはよぉーく分かった。そりゃ、こんだけの大金は無理だよな。
 今回のが一発逆転の大博打だったみてーだしよぉ。
 あーあ、せっかく美人の嫁さんと娘さんがいんのにねー。愛想つかされるんじゃね? 今までこんな遊びが無かったからハッちゃけるのは分かるけどよ、節度は守ろうぜ、節度は。
 まあ、それはいいや。
 俺は仕事をするだけだしよ。

 んでよ。普通これくらいの借金になれば貸す事はないんだが、というか普通ならこうなる前にさっさと高級奴隷にして売り飛ばすんだけど、団長の意向でそういう事はここではしてないんだぜ。
 同じ大森林に住んでいるエルフ達との友好の為に、って事で、結構ヌルくしてるってな訳だな。
 だが、しかしだ。
 貸したもんは貸したもんだ、奴隷にして売り飛ばす以外の方法で返金してもらう事になる。

 さてさて、それじゃあ、ちょいと出稼ぎに行ってもらおうかねぇ。
 って、おいおい、どうしたよカモ。青褪めるどころか白くなっちまってるじゃねぇか。
 なーに、気負うことはない。やる事は簡単で、単純明快だ。そして実に良心的だ。

 返済プランは幾つかあるが、俺が最適なのを選んでやるよ。
 えーと、これだな。まずカモはこの契約書にサインして、鍛冶組が造った指輪を嵌めろ。
 説明がない? とりあえずやれ、話はそれからだ。
 ……よしよし、サインして、嵌めたな。

 これでお前が担保にしていた家財なんかは、嫁さんと娘さんのところに戻る事になった。
 あん? なぜそうなるのかって?
 そりゃ、普通なら全部売って借金を少しでも回収するんだが、そうなると残された二人が生活するのもキツくなんだろ? 家や家具、服に至るまでもう全部売っても全額に届かない額に膨らんじまってるしな。
 だが、だ。
 お優しい団長様の方針によって、この契約書にサインした奴――今回はカモ、お前だ――の負担を増やす事と引換えに、家族は助かるようになってんだよ。

 本来なら担保にしてる家財は全て売っちまう。だけどそうなるとカモの家族は困るよな?
 だったらカモが借金全額を一から返済する代わりに、担保にしてた家財などは全部家族に戻してやろう、って事よ。
 これだと返済すんのはキツいけどな、そもそもカモが作った借金だ。カモが家族に迷惑をかけずに全額払うのが筋ってもんだろう? つまり、そう言うこったな。

 それで家族の事は良いとして、こんな大金だ。
 普通、どんなに頑張っても返せない。
 だからカモには外に出て、派生ダンジョンに潜ってもらう事になるって訳よ。
 なに、心配するな。拠点も装備類もコッチが用意するから、カモはただドロップアイテムをへーこらしながら採ってくるだけでいい。
 簡単だろう? モンスターを殺して殺して殺しまくればいいんだよ。

 んでよ、借金は一度潜って採ってきたドロップアイテムの報酬金の5パーセント分が自動的に返済されていくようになってる。
 だからより価値の高いドロップアイテムを集めるのがいいってこったな。
 ああん? 5パーセント返済じゃあ完済までかかりすぎるだぁ? 宿泊代とか治療代とか装備代とか考えりゃ、これでも十分だろうがよ。しかも少ないけど小遣いも出んだ、贅沢言ってっとサポート無しで放り出すぞゴラァ!
 ……おおう、分かればいいんだよ、分かれば。

 それと言っておくが、もし数人でパーティ組んで潜ったら場合だと合計から人数分割って、その中から5パーセント引かれるようになってるから、数が多いと安全だが時間はかかる。
 実力に自信があるなら単独で、価値の高いドロップアイテムを落とすモンスターを繰り返し討伐するのが返済の近道だ。
 俺のオススメは派生迷宮のボスだ。数十数百と殺せば、返済できるはずだぜ。

 ああ、それから攻略中に死んじまっても、遺族には金が出る。借金もその時点でチャラにしてくれるそうだ。
 いや、すげーよな、普通借金した馬鹿を返済の為に働かせた結果死なせたら、残された家族に金を払わせようとすんのにな。
 借金を無くすなんて損を背負って、家族に金を出すなんて、ありえねーよ、普通。

 って、おいおい、泣くなよ。
 嬉しいからってさ。……え? 違う? いやいや、そんなん知るか。
 借金したカモが悪いんだぜ? まあ、いいや。
 キリキリ働いて働いて働いて、借金返済してから戻ってこいよ。

 ほら、明後日には出発だ。装備を整えて、別れを済ませて来い。
 ……一つ忠告だが、逃げようとするなよ。逃げようとすれば、その指輪が色々とするぜ。外そうともするなよ、外そうとすればどうなるか、俺は保証しない。

 なぁに、生きていればどうにかなるもんだ。
 嘆いてもいいが諦めず、歯を食いしばって生き延びりゃあどうにかなる。保証してやるよ、カモ。
 生きていれば、どうにかなる。それが人生ってもんだよ。
 わかったなら、さっさと行きな。

 ああ、そうそう。嫁さんと娘さんの事は任せな。
 カモが居ない間に、俺が口説き落としといてやるからよ。ジックリと話し合えば、種族の壁なんぞどうにでもなるさ。
 借金こさえて出稼ぎに出た夫、妻は身体を持て余し、そこに這い寄る間男の影……ゴクリ。

 ……カモよ、お前新しい娘とか、欲しくねぇか?

 ――はっはっは、そうだそうだ、その意気だ。
 さっさと完済して、戻ってこいよ。
 ただあんまり遅いと、有言実行しちまうからな? おう、あばよ、カモ野郎。



 ・金貨一枚・約百万。金板一枚・約一千万。
 ・巨額の借金によって徴兵された者は、最低限の衣食住を保証され、ひたすらドロップアイテムを回収する仕事をしなければならない。
 ・戦いに明け暮れた結果非常に強力な戦力になるのでエルフの里は黙認中。死者が出る可能性もあるが、それは自業自得である。
 ・ただ死にたくても、指輪に嵌め込まれた分体によって死なせてもらえません。
 ・万が一死んだ後も、色々と使い道があります(まさに外道)


【ソルチュードに所属するとある少年視点:百八十八日目】

 ついこの間まで、将来に希望も何もなかった。
 なにせその日喰べるモノにも困っていたし、日々寒くなっていく王都では生きるのも困難だ。

 昨日話していた相手が次の日には冷たくなっているなんてよくある事で、だから生きる為にはなんでもやるしかなかった。
 でもそんな無茶な生き方は直ぐに限界が訪れるものだ、と実際に経験して知っている。

 生きる為に盗みを働いて、捕まって、路地裏で数人の大人達に暴行された。
 加減のない蹴りが全身を襲った。丸まって終わりが来るまで耐えるしかなかった。
 終わる前に死ぬだろうな、とも思った。
 ただ前日ドブの水を浴びせられたからか、臭かったのだろう、普段よりも短時間で済んだのは幸運だった。
 暴力によって死ぬ事はなかった。全身が痛くても、まだ死んでいなかった。
 でも、そう遠くないうちに、僕もかつて居た他の子等と同じ様に死んでいたに違いない。

 でも、あの日、運命の日を境に一変した。

 美味しい飯がある。
 安全な寝どころがある。
 洗濯された綺麗な衣服がある。
 身を守る為の武具がある。
 そして何より、保護してくれる存在がいる。

 まるで夢みたいだったけど、もちろん無償で提供されるモノではない。
 必要なのは、僕達自身だった。
 与えられる代わりに、言われた事に応える事を要求された。

 課せられた日々の訓練は辛かった。
 ろくに食べる事ができず、弱っていた僕達では耐え切れそうにない程厳しいものだった。
 でも、耐えた。耐えて耐えて耐えて、歯を食いしばりながら訓練をこなしていった。
 そして外での実戦の日がやって来た。

 王都から徒歩で一時間ほど離れた場所にある森。
 今日はそこに皆で出向いた。今回は団長が付き添っているので、皆気合が入っている。
 団長は僕達の命の恩人だ。もし団長がいなければ、僕達の大半は死んでいただろう。

 団長と初めて会った頃は怖かったけど、ここは凄く温かい場所だと分かり、ここ以外は考えられなくなっていた。
 他の皆はどう思っているかは知らないけど、僕はココを、この居場所を守りたい。
 だから僕は生きる力を授けてくれた、僕達の居場所を与えてくれた団長の力になりたい。
 微々たるもので、あってないような力であっても、僕は力になりたいと思っている。役に立ちたいと思っている。

 そう改めて決意しつつ、僕達は団長の指示に従って四人一組のパーティを組み、森に潜った。

 訓練で教えられていたとはいえ、慣れない森の中を歩くのは難しい。
 しかも出てくるモンスター達は容赦なく僕達の命を狙ってきて、凄く怖い。気を抜けば身体が震えてしまいそうになる。
 でも、と勇気を振り絞って短槍を突き出した。
 穂先が襲ってきたモンスター――ブレードラビットの毛皮を裂き、筋肉を貫き、内臓を穿つ独特の感触。
 そして運良く心臓を一突きした事で感じられた、命が消えるその瞬間。

 息絶えたブレードラビットを見下ろしながら感じたのは命を奪った嫌悪などではなく、大きな達成感。
 弱く、ただ搾取されるだけだった僕がモンスターを殺せる程に強くなったのだという実感だ。

 少しずつ、でも確実に、僕は強くなっていた。
 まだまだ遠く果てしないけど、いつかは団長の力になる。
 それが僕の目標だ。だから今は、少しでも多くのモンスターを殺す事に尽力した。

 絶賛される様な戦果ではなかったけれど、まだまだ先は長い。
 以前には無かった将来の夢も出来ている。やりたい事も沢山ある。

 あの絶望しかなかったかつては、もう何処か遠くに感じられた。
 今はひたすら、前を向いて歩こうと思う。


 ・信者候補生。未来の幹部候補。
 ・幼少からの偏った教育にはご注意下さい。
 ・未来における、期待の戦力確保である。


【屋敷で働く打算的なメイドさん視点:百九十三日目】

 【騎士】として働いている義弟の紹介で、とある貴族家に勤めて数年。
 下働きとしてそれなりに順調に仕事をこなしていたのですが、先のクーデターに参加し、勤めていた貴族家が与する陣営が敗れてしまい、お家断絶が決定してしまいました。
 つまり勤め先が無くなってしまったのです。

 正直命を張ってまで守るほど忠誠心が高い訳ではないのですが、働き先がなくなるのは困りました。

 夫の稼ぎは大したものではありませんから、子供を含めて六人家族である私達は今後生活に困る事が予想できました。
 私の今までの稼ぎで普通よりも裕福で蓄えはあるのですが、それに頼りきりでは直ぐに底をついてしまいます。
 生活費だけでなく、子供達の養育費などなど出費は多いのです。
 何とか他の貴族様に雇われようにも、雇われていたお家が断絶してしまった事で縁起が悪いとされ、見向きもされないでしょう。
 しかも他にも同じ様な境遇の人達が多くなるでしょうから、再就職先を見つけるのは非常に大変です。

 など、色々と不安に思っていると、なんと再就職先の斡旋が王家主導で行われました。

 そこで用意された選択肢は二つでした。

 先のクーデターで大暴れした鬼人に雇われ、このままこの屋敷で働く。
 全く別の場所で働く。

 この二つです。非常にわかり易いですね。
 そして私は迷う事なく前者を選びました。

 屋敷の新しい主人となった鬼人――アポ朗様が怖かったのか、結構な数の同僚達は去っていきましたが、正直馬鹿だなぁと思いました。
 こんなに頼もしい雇用主など、他にないというのに。
 誠心誠意勤めれば、以前の貴族など比べモノにならない恩恵が与えられるに違いないというのに。

 少し前にそう思っていた私は、間違っていない。

 そう改めて確信しつつ、私と同じく屋敷に残った同僚達は、以前は無かった訓練場と呼ばれる場所で地面に転がった百名以上の団員さん達を介抱していきます。
 ≪ソルチュード≫と総称される子供達が多いですが、私と同い年ややや年上だろう方々も多く混じっています。
 皆武装していますが、カナ美様という例外を除いて皆ボロボロです。
 これはアポ朗様対その他、という構図で行われた訓練の結果です。
 見ていてビックリする程の戦いでした。まさか空を撃つ拳だけでヒトが吹き飛ぶとは。
 吹き飛ぶ大半は≪ソルチュード≫とはいえ、凄い事です。
 大人も殴られて高く飛び上がっていたので、その凄さを疑う余地はありません。

 まあ、ともかく、さっさと手当をしないと大変な事になりますから、無駄な事を考えずに治療をしていくのでした。
 特別なライフポーションを振りかけるだけなので、素人の私達でも手分けすればあっという間です。

 そうこうして後処理が終わり、普段の仕事をこなして夜を迎えました。
 私は住み込みではなく家からの通いなので、普段ならここで帰るのですが。
 なんとアポ朗様が、メイドである私を含めた皆に夜食を振舞ってくれました。

 なんと、ワイバーンの肉などを使用した料理です。
 え? と思いました。普通、ワイバーンの肉など私達のような存在が食べられるものではありません。
 一口喰べるだけでもありえないというのに、少なくとも一キロはあるだろう肉料理がドン、と出されたのです。

 住み込みの同僚はそのまま食べれるように、私のように通いの者には保存して持ち帰れるように収納系のマジックアイテムに入れて配られました。
 肉料理だけでも驚愕だというのに、超高級なマジックアイテムまで貸して頂いたのです。
 もちろん明日には返さないといけないのですが、それでも手が届くはずのないマジックアイテムをポン、と貸して頂いたのです。
 売れば一財産になる品を、通いの者達全員に。こんな事普通はありえません。
 持ち逃げなどすればどうなるか分からんぞ、とは脅されましたが、それは当然でしょう。ありえないのですから。

 それで、もし強盗に襲われたらどうしよう、とビクビクしながら帰らないといけないと思っていたのですが、団員さん達に送ってもらえたので、心配する事はありませんでした。
 やはり不相応な品を持つというのは精神的によくありませんね。私は根っからの庶民のようです。

 そして家に帰って、ワイバーンのお肉を堪能しました。
 素晴らしいの一言ですね。もう、歓声が上がる程です。ご近所迷惑でしょうが、こればかりはどうしようもありません。
 我慢してもらいましょう。

 やはり、選択肢を間違えなくて良かったと心底思います。
 もし他に就職していれば、こんなに美味しい料理を食べる事はできませんでしたからね。
 しかもこれだけで終わらないと思います。アポ朗様の料理にかける情熱は本物です。
 ポロっと、『今度は神代ダンジョンに行くか……』などといっていたので、そのおこぼれがあるかもしれません。
 いえ、きっとあるでしょう。アポ朗様は、独占せずに大勢で食べる事を好いているようですからね。
 今から凄く楽しみでなりません。
 それに頑張れば頑張った分だけ以前よりもお給料が良くなりますから、明日ももっともっと頑張ろうと思います。
 美味しいモノの為にッ。

 
 ・アポ朗は太っ腹。
 ・でも調子に乗ってたかると、相応の報いがあるので弁えましょう。
 ・命令以上の仕事をこなす者には給料アップどんどんします。
 ・美味しい料理がたまに振舞われます。


【攻略中だった炎滅の勇者視点:二百九日目】


 かつて一度、俺は敗れた。
 正確に言えば敗れそうになったが決着が着く前に無様に逃げ出した、となるが、戦い続けていれば確実に負けていた。
 だから、俺は敗れた。

 相手は俺と同じ【勇者】の一人だ。
 【霊水の神】の加護を持つ、【霊水の勇者】。名はアートゥラス・ラーメイ・シーヌ。
 強大な水棲生物が数多く生息する大海の海底に国を築いているらしい“人魚マーメイド”の王族の血を四分の一受け継ぐ、平民だった俺とは比べものにならない、生来の貴種だ。
 性別は女で、種族は一応人間だ。歳は俺よりも下だが、その強さは戦った当時の俺を遥かに凌駕していた。
 奴が操る膨大な量の霊水は、俺の炎で沸騰した。だがその水量によって俺の炎は飲み込まれ、抗う事しかできなかった。

 詩篇覚醒者同士の戦いでは、敗者は勝者の詩篇に取り込まれる。
 すると生殺与奪の権利はアイツに握られるだけでなく、俺の力がアイツの力となってしまう。単純に殺されるだけならばともかく、俺のような存在を見出して下さった偉大なる【炎滅の神】の力を奪われる訳にはいかない。

 だから完全に負ける前に逃げなければならないと判断し、行動したが、あの時の悔しさは今でも覚えている。
 全身が発火しそうになる程の怒りが今も沸き起こってくる。

 だが怒りを抱いたままで、立ち止まってはいられない。
 なぜなら俺は【炎滅の勇者】だからだ。
 俺の炎は、立ち塞がるモノ全てを焼滅させずにはいられない。
 このまま停滞するなど、俺の胸に宿る炎が許さない。

 だから俺は、宿敵であるアイツを打倒する為には何が必要かを考えた。
 そしてその答えは簡単に出た。
 自分自身の弱点を克服すればいいのだ。

 アイツは様々な効果を持つ霊水を自在に操る【霊水の勇者】であり、俺との相性が非常に悪い。血統という、そもそもの土台に差が大きく開いている。
 だから俺の炎は、アイツの膨大な霊水の前に飲み込まれるしかなかった。
 勝つためには俺の炎を弱体化させる霊水を、どうにかする必要があった。

 そこで最適だと判断した【清水の滝壺アクリアム・フォルリア】に挑み始めて、既に二年と数ヶ月。

 思えばここまで長かった。
 進むのに必要なマジックアイテムを集める為に走り回ったのはいい思い出だ。
 非常に面倒なギミックを攻略していくのは死にそうになるほど疲れた。
 強敵揃いの階層ボスで大切な仲間を失った事は、悔いを残す大きな失敗だった。

 相性が最悪の迷宮で、ここまで来るのは生半可な事ではなかった。
 コチラの攻撃は半減されるし、アチラの攻撃はコチラによく通る。

 自分が選んだ道とは言え、凄まじい苦労があった。
 本当に、思い返せば色々と溢れ出てきそうになる。
 ここには様々な思いが染み付いていると言っていいだろう。

 しかしそれも、もう少しで御終いだ。
 俺は、俺と仲間達は、ダンジョンボスが居る最下層の手前までやって来ている。
 最下層手前だけあって出現するダンジョンモンスターはどれも強靭であり、かなり苦戦させられるが、ここまで戦い続けてきた成果によって、仲間達の力量向上だけでなく、俺の炎は半端なモノでは消す事など出来はしない段階にまで向上している。

 俺達の近くにある大瀑布とて、一時的ではあるが炎斬にて穿つ事が出来るほどだ。

 炎を飲み込む水量に対抗するのは、それを問題にしない圧倒的な火力。
 それを欲し、俺は確かに体得した。

 今なら大河の水だって問題なく焼滅できるし、炎の質そのものが最早別段階にまで昇華されている。様々な特性を持つ炎を、俺は自在に操れるのだ。
 そしてここの階層ボス達を倒し続けた事で、水に対して対抗する様々な能力も得た。
 最早半端な攻撃では苦にもならない。
 後はここのダンジョンボスを殺し、神力を得る事によって、更に一段階飛躍する。

 そうすれば、アイツとの再戦で勝つという事が、現実となるのだ。

 燃える決意を胸に秘めながら、襲いかかってくる敵を迎え撃つ。

 戦技アーツ万灰ノ炎滅斬フェルーズ・ウェルズ
 戦技【万灰ノ炎滅鎧フェールズ・ソーグ

 鎧を纏う俺の全身と、愛剣にして神器である【炎滅之魂剣ヘルベイリード】に戦技の業炎が宿る。

 炎を纏う事で相性最悪な環境であるココでも一時的ではあるが全力に近い力を取り戻した俺は、一度燃え移れば対象を灰燼に帰すまで消える事の無い炎を宿す愛剣を、上段から高速で振り下ろす。

 大気を裂き、音を置き去りにする一閃だ。

 剣尖から伸びる炎の大斬撃は近くで轟々と流れ落ちていた滝を余波だけで蒸発させつつ、【炎熱耐性】などを有する強敵“ギルマンガードナイト・エリート”達に直撃し、抵抗を許す事なくそのまま焼滅させた。
 以前ならば地形効果などもあって一撃必殺とはいかないが、しかし【勇者】の力の象徴とも言える神器を手に入れ、力を大きく増した現在の俺ならば可能だった。
 とはいえ最下層近くだけあって、出現するダンジョンモンスターの量と質、共に上階とは比べ物にならない。
 今も数体纏めて焼滅させてなお、襲いかかってくる敵の一割程度の損害しか与えていない。
 長引けばもっと手強い奴等が来るだろう。この階層では今まで出てきたダンジョンモンスターだけでなく、その上位種が数多く生息している。

 よって苦戦は必死だが、だからこそ上等だ、かかってこい、と思わざるを得ない。
 かつて仲間だった灰を踏み越え、襲いかかってくる敵に対して再び愛剣を振り上げ、振り下ろす。
 ダンジョンボスに挑む前に、少しでも力を身につけるために戦うのだ。

 しかし、戦闘中にふと、遠くに何かが映った。

 途端背中を走る悪寒。これは格上の存在を知覚した時に感じられる、特異な感覚だ。
 俺は眼前の敵を斬り殺し、警戒心を最大にまで上げて即座にそちらを見る。

 ――そこにいたのは、黒い鬼だ。

 周囲には誰も居らず、気配すらないというのに、こんな場所で単鬼でいるという異常。
 それは、普通ならばありえない事だった。

 相性が悪いとはいえ、正真正銘【勇者】である俺も単体ではココを攻略する事は無理だろう。深層でも数回や十数回の戦闘を一人で乗り越えられる自信もあるが、しかし攻略するとなるとそうもいかない。

 一人では休む事もろくにできないし、連戦に次ぐ連戦で、気力体力魔力などが摩耗し、やがては果てる。
 悔しいが、それが現実だ。
 俺の手には神器があるとはいえ、ここは【神代ダンジョン】。
 油断すれば即座に死へ繋がる、異界なのだ。

 だというのに、黒鬼は単鬼。それがどれ程ありえないのか、分かるだろうか。

 確かに上階には比較的ゆっくりと休める場所もある。だが、あそこからここは、遠く離れている。
 ならばここまで仲間と共に潜ってきて、その仲間が殺されて一鬼生き残った? それも否だろう。
 襲いかかってくるダンジョンモンスターを巨人族が扱うような巨大な包丁で素早く的確に解体している光景は、圧倒的実力を示していた。
 仲間など不要だとでも言わんばかりの蹂躙である。

 見れば見るほどにありえない存在にしか思えないが――【勇者】としての直感から、黒鬼は俺と同じ詩篇覚醒者だ、と結論が出ていた。
 詳しい種族までは分からないが、鬼人ロード系の一種なのは間違いない。
 だから単鬼で来れるのも、納得できるといえばギリギリ、できなくもないのか。

 あんな理不尽な存在など聞いた事もないし、そもそも認めたくはないのだが、現実に居るのだから、俺の意見は一先ず置いとくとして。

 俺よりも、アイツよりも圧倒的に強いだろう黒鬼の存在に、ゴクリ、と喉から音がする。
 戦いながら、しかし俺の意識は黒鬼に向けられていた。

 場所が場所だ。
 確率は低いとは思うが、もし戦いにでもなれば、アイツとの再戦を前に俺は殺されるだろう。
 そうでなくても、多数のダンジョンモンスターが戦いの気配を察知し、包囲しにくるのは間違いない。
 黒鬼は何だかんだと包囲されても抜け出そうだが、そうなれば俺達は全滅必至だ。

 個人的には黒鬼との殺し合いは楽しそうなので嫌ではないが、アイツとの再戦を迎えずに死ぬのはゴメンだ。
 再戦を終えた後ならば、例え殺されると分かっていても、俺は挑んでいるだろうが、それはもしもの話だ。

 今は頼むからコチラに来るな、と願っていると、その願いが届いたのか、黒鬼は別のルートに進んでいった。
 進んでいったのは、最下層に繋がる最短にして、最も危険で過酷なルート。

 階層ボスよりは一段階弱い、小ボスとも言える“ウェイルピドロン・チャイルド”、“リザードスカル・ウォースラ”、“クリスオラ・クラブロード”、“ヴォーテックス・タートル”、“ギルマンロード・ライダー”、“カリュブディス”、“ゴーレムボール”、“ブラッドイーター”、“ジェミニュヴィア”というダンジョンモンスターが待ち受ける、通称【ボスラッシュルート】だ。

 普通はダンジョンボスを前に、無用な消耗は避けるはずだ。
 消耗した状態で勝てるほど、ここのダンジョンボスは温くないのだから。

 だが黒鬼はそこを嬉々として進んでいった。

 そして振るわれる巨大な包丁。余りに高速で縦横無尽に動くため、残像が幾つも重なって見える。
 残像の後には鮮やかに解体されていく小ボス達の姿がある。相手の構造を熟知していなければ出来ないだろう、芸術的で鮮やかすぎる解体だった。

 黒鬼からすれば、小ボス達など敵ではなく、獲物なのだろう。

 まるで自慢するように綺麗に並べられた戦果は、数秒後には次々と消えていった。
 収納系のマジックアイテムにでも入れているのだろうか。
 ドロップアイテムを得るのとはまた違ったその行動を理解する事はできないが、存在自体が既に意味不明な黒鬼だ。
 本来なら持ち帰れないダンジョンモンスターの肉体を、ドロップアイテムとしてではなくそのまま持ち帰れるのかもしれない。
 なんて、ありえない事を思いさえする。

 そうこうしている間に、俺達の戦いは終わった。
 最低限の警戒はしつつ、仲間達も俺同様ポカンとした表情で黒鬼の進撃を見送った。
 俺達は苦労しながら進んでいるのに、黒鬼はさっさと先に進んでいくのは、あまりにも現実味が無かった。
 だが即座に頭を切り替える。
 引きずられればただ死ぬと分かっているからだ。

 そしてしばらくは順調に進んでいると、突如として世界全体が震えるような、凄まじい咆哮が轟いた。
 周囲のダンジョンモンスターはその途端怯えだし、出てくる数が極端に減った。

 これは間違いなく、黒鬼がダンジョンボスとの戦いに突入したからだろう。
 時折大瀑布の近くから、上層に向かって高速で砲弾のような水塊が撃ち上がってくるようになった。

 俺達に実害は一切でなかったが、それが激戦の象徴なのだろう。
 一旦皆で崩れかけた調子を整わせつつ、かなり聞こえ難いが長く続く戦闘音を少しでも拾い、戦闘の様子を想像した。
 予想外の事ではあるが、勝つために少しでも情報が欲しかったのだ。

 黒鬼という存在は衝撃的であったが、それさえ力に変えるべく、俺達は決戦に向けて努力したのである。


 ・後日、死闘を繰り広げ、七人居た仲間を三人――前衛・男、中衛・男、後衛・女――失いつつも、攻略完了。
 ・攻略の報酬として新しい神器の獲得と、自身の神器の開放が少し進行。
 ・攻略後は、再戦の為に【霊水の勇者】アートゥラス・ラーメイ・シーヌを探す旅に出発。
 ・再登場の可能性が微存?


【王都門番の青年兵士視点:二百十九日目】

 雪が降り積もっていたが、それを踏み越えて普段通りに早朝から王都の入口である門に出勤すると、一つの通達があった。
 どうやら特別な来訪者がやって来るらしく、混乱せずに出迎えよ、という事らしい。
 それを聞いて、他国の使者がやって来るのだろう、と思った。
 正式な使者にもなると、かなり仰々しい行列が出来上がる。
 何台もの馬車が連なり、その周囲を護衛が固めるからだ。軍馬に跨る騎士の姿は勇ましく、近くで見ると非常に威圧感がある。
 今は一兵士でしかない身であるが、いつかは【騎士】になりたい、と密かな野望があるのだが、それはさて置き。

 先輩と共に、普段通り仕事をしていると、外部ではなく内部から特別な御方がやってきた
 というのも、ルービリア王女様がやって来たのだ。
 しかも少数の護衛を引き連れているだけでなく、今王都で何かと話題になっている黒鬼に肩車された状態でだ。

 聞いた話によれば、なんとあの黒鬼は先のクーデターの際に、王国が誇る四人の【勇者】様の一角である、フリード・アクティ様を倒したらしい。
 そんな馬鹿な、と思いはした。
 しかし他にも複数の目撃証言があり、国もそれを否定していない。普通王国の顔でもある【勇者】が負けたなどデマが流れれば即座に否定されるはずなのに、だ。
 その事などから総合的に考えて、倒したのは事実なのだろう。

 なるほど。確かにこうして実際に見てみると、それも納得できた。
 ただ近くにいるだけで、背中に悪寒が走るのだ。鳥肌が立ち、収まりそうにない。
 生物としての次元が隔絶していると理解させられた。

 触らぬ鬼に祟りなし。

 そんな言葉を何処かで聞いた事がある。違う気もするが、どちらでもいい事だ。
 ただ無心に、職務を全うする事に努めようと思う。

 さて、普段通り寒い中仕事をしていると、遠くに異変があった。
 降り積もった雪が、何かによって巻き上げられている。そしてそれは真っ直ぐコチラに向かってきているようだった。
 異常事態発生、何事か、と俄かに慌ただしくなる門に、声が響いた。
 紛れもない、ルービリア王女様の声だ。

 それによると、どうやらあれが通達にあった特別な来訪者らしい。
 なんだ、そうなのか。と気を抜いたのも束の間。
 近づいてくるそれを見て、また慌ただしくなった。

 家屋よりも巨大に違いない大熊に跨る、見た事も無い巨大なミノタウロス。
 背後には何やら団旗らしきモノを掲げた、まるで百足のような奇妙奇天烈な移動物体を確認できる。そしてその上には人影がチラホラと見受けられた。
 だがやはり先頭を行くミノタウロスの存在感は圧倒的過ぎた。

 まるで地の底からやって来た、物語に登場するような恐怖の権化。
 呼気に混ざる炎と雷。こちらを見据えるその双眸。人の頭を簡単に飲み込めるだろう、牛頭に備わる巨大な口。獰猛そうな面構え。太く鋭利な角。
 ただ視線を向けられている、近づいてきている、というだけで、呼吸すらままならなくなった。
 もし怒気を向けられれば、間違いなく気絶していただろう。

 息を殺し、少しでも存在を知られないように微動だに出来ない間にミノタウロスは門に到着し、そしてルービリア王女様を肩車している黒鬼と共に王都へ入っていった。
 ただ流石に大きすぎてミノタウロスが乗っていた熊――“鋼鎧大熊アーマービッグベア”は入れないので、外に残してもらっている。
 そして流石に世話までできないので、世話をする要員もそれに連れ添うようにお願いした。

 そうして特別な来訪者の大半が居なくなり、しばらくして、同僚全員が息を吐きだした。
 吐く息が白く染まり、身も凍るような寒さの中で、皆汗を噴出させた。先ほどまで一滴も流れていなかった汗が、全身から溢れ出したのだ。

 足が震えて立てなくなった者もいる。身体の震えが止まらない者もいる。
 ガチガチと歯を鳴らす者がいる。ちょっと失禁したがそれを隠そうする俺がいる。

 あんな存在が、先のクーデターでは暴れたのか。
 馬鹿な選択をしたとはいえ、同じ国の者が戦ったのだろう絶望を思い、黙祷を捧げる。
 あんなのと戦うのなど、俺は絶対にゴメンである。
 もしそうなっても、全力で逃げるに違いない。


 ・出世してやろうと意気込む門番。でも現実を見据えて堅実に。
 ・クーデターでは王都を守る為に運良く残されました。
 ・下手すれば戦場でミノ吉くんと遭遇していたかもしれない。
 ・運がいいらしい。
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