宇宙の騎士の物語

荻原早稀

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第二章 騎士団

9. 宇宙戦 1

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 船乗りが迷信深い、というのは、乗り出す海が宇宙に変わり、動力が風から同期性多重対消滅反応炉のエネルギーに変わり、船体が木から合金と超炭素繊維の複合材に指向性強化型電磁石を織り込んだ物に変わっても、本質は変わらない。
 これもそうなんだろうか、とクリシュナは士官用宿泊室の端の天井近くにある木組の細工を見て思った。
 明らかに不合理なことに、それは古代ギリシアもかくやという神殿の形をしていて、ご丁寧に彩色まで凝らされ、列柱の中に見える壁は金色に輝いていた。
 中には御本尊でも祀られているのだろうか。それとも偶像を排した空間がそこにあるだけなのだろうか。
 さすがに探る気はないし、わざわざ聞くのも野暮だから、疑問は疑問のままうっちゃっておく。
 気にしたら負けだ、たぶん。
 一ヵ月ほど新型機のテストを行い、というより新型機に振り回されたあと、クリシュナとエステルは、臨時の任務を与えられて宇宙に出ていた。
 艦隊勤務などしたことが無いクリシュナは、戦場移動の間くらいしか軍艦に乗ったことはない。かつて家族旅行で乗った船の記憶はほとんど無く、騎士団入りするために故郷から乗った船では、ひたすら座学の詰め込みに勤しんでいたためにこちらも記憶は無い。
 今回の移動中ももちろん次の任務のための詰め込みはあるのだが、騎士団の下士官生活が長かった彼女は、戦場で必要なことはたいてい肌感覚で知っていたし、身内の情報には割と精通している。他の情報は詰め込みが必要でも、例えばエステル辺りと比べれば量は遥かに少ない。
 というわけで、空いた時間は宇宙の旅を少しは楽しんでみることにしようか。
 特に締切が迫った仕事もなく、明日も定時までに起きていればいいという気楽な状態で船旅を楽しめる、ささやかな幸せを噛み締めながら、割と素材が良く肌触りが好ましいベッドのシーツにくるまれながら、クリシュナは眠りに就いた。
 こんなのんきでいいのかな、まあたまにはいいよね。


 ……なんて思っていた時期が私にもありました。
 なんなんだこれは。
 ここ半年で何度目かの、血を吐く思いのこの言葉。
 クリシュナは艦隊要員でもないのに艦橋に入り、何の因果か砲管制官として席を占めていた。
 戦闘艦の砲管制などというものには、本質的に人間は必要ない。どこに撃つかは戦術士官が決めることだし、いつ撃つかは艦長なり副長なりが決めることだし、どう撃つかはAIにやらせたほうが上手く行くに決まっている。特に、艦の砲や艦隊の砲を多数束ね、どこにどう当てるためにはどう運用したらいいか、などという多元方程式を瞬時に解いていくような真似は、そもそも人間が出来ることではない。
 どう撃つかだけを担当する人間というのは、だから必要無い。
 が、戦闘の参加単位が単艦だったり、館長などが他のことで忙しかったりすると、AIに指示を出したり、返ってきた案に承認を出したりする士官が必要になる場合がある。
 まさに今がその場合だった。
 本来、艦長や副長の下にいて砲術士官を兼ねるはずの航法士官が、不意の内臓疾患により倒れてしまったために、空席が生じていた。
 艦長や副長は、操艦以外に気にすべき事があり、砲術AIの相手をしていられない。
 そこで砲術士官ですらないクリシュナを引っ張り出す意味はよくわからないが、狙撃手として優秀を謳われる彼女を指名した艦長の指示に、副長以下の士官が特に反論もしなかったところを見ると、案外士官であれば誰でも良かったのかもしれない。
 とにかく、乗っていた巡宙艦「トレバシェット」の砲戦指揮は、臨時にクリシュナに託されていた。
 地上とは砲も運用も全く違う宇宙での砲戦に、クリシュナは四苦八苦していた。
 何が違うといって、地上では敵との相対速度差がゼロだったり、せいぜいマッハいくつという単位だったのに、宇宙空間では秒速三〇キロメートルなどという桁違いの速度であることが、ごく当たり前ということだ。
 マッハ換算で約九万。
 想像するのもバカバカしい。
 今回の戦いは、そこまでひどい速度差は無い。こちらも敵も、一つの目標に向かって進み、そこに接舷しようとしていたからだ。接舷するのだからいずれは停止するわけで、彼我共にそれに向けた減速中だ。
 別々の転移航法のゲートを出てお互いに敵を認識、目的地に入る前に敵を撃破するという戦いだ。敵の捕捉から接敵までの三〇分のうちにクリシュナをつかまえ、砲管制任務にねじ込んだ艦長たちのゴリ押しぶりの見事さが光る。
 基本的に、クリシュナがやることは、目まぐるしく推移するデータを軽やかに無視し、人間の承認を求めてくる「トレバシェット」のAIの願いを叶えてあげるだけのことだ。しかも、何も考えず、素早く。
 バカほど上手くやれる、という類の任務だが、初めての宇宙戦を艦橋内で体験するという無茶な任務は、地上戦のスペシャリストには少々刺激が強すぎる。
 艦は現在強い減速中なので、いわばお尻を前に向けて全速噴射している。
 このあたり、地上の感覚でいえばそうなるのだが、地表面に絶対座標があって、それを基準にどう動いているのかを考えなければならない地上と違い、宇宙はすべて相対座標だ。
 目的地に対しては減速中でも、艦自体は全速加速中だ。
 艦の前方とは、艦の軸に対してなのか、目的に対してなのか、定義によって異なる。
 そこが、地上勤務の者が宇宙に出て戸惑う原因の大きな一つだ。
 艦長が「最大戦速で前進しつつ軸右三〇天ニ八に五秒で転進」などと命じているのを聞き、理解しろという方が無理なのだ。
 後ろ向きで進んでいるのに前進?
 軸?
 天?
 五秒で?
 考えたら負けだ、とクリシュナはすぐに悟った。
 だいたい、景色も見えていないのだ。
 宇宙での戦いで、人工天体などが間近に迫っているならともかく、速度差秒速何万キロとかアホな単位が飛び交っている中で、目視などは真空中に音を探す程度に無駄な行為だ。
 まだ、幾何学的なグラフでも並べて見ていた方がマシというものだった。
 航法士官はというと、そもそも視覚を捨てている。彼らはインプラントを利用して脳の各領域にデータを直接ぶち込み、対数処理した三次元の座標で宇宙空間を把握する。
 彼らにとって距離とは、遠ければ圧縮され、近ければ拡大されて脳に投影されるものだった。地上の人間が感じるような、足元でも地平線の彼方でも距離の単位は一緒、という感じ方は宇宙では扱いにくすぎて敬遠される。
 それを肌感覚で理解しろというのは、クリシュナにはとうてい無理に思える。
 だから、理解は放棄する。
 サバイバルセル(生存殻)として、強力なフィールドと殻構造の装甲で護られた、決して居心地は良くない狭い戦闘艦橋の中で、クリシュナはギアのパイロットスーツなどよりよほど快適に出来ている宇宙服を着て、案外安楽に過ごしていた。
 艦橋入りする際には、スタッフから「窮屈で不快ですが」などといわれたが、ギアのコクピットの狭さや耐衝撃スーツの窮屈さの中で数時間、時には十数時間過ごす経験が豊富な彼女からすれば、鼻歌が出るほど快適だ。
 いや、歌わないけどね。
 と、図太い神経で数々の戦場を乗り越え生き延びてきたクリシュナは、どうせ出来ることを出来るだけやる以外にやるべき事なんか無いんだから、と完全に割り切り、宇宙戦の専門家ばかりの周囲が驚くほど平然と任務に取り組み始めたのだった。


 宇宙に浮かぶステーションや要塞を攻めるのでない限り、ギアパイロットにはほとんど出番は無い。
 まして、地上戦に特化したパイロットであるエステルには、一応出撃命令が出れば応じられるよう準備は求められたが、実際に出撃する場面が来るようには思えなかった。
 クリシュナが艦橋に連れて行かれてしまったので、エステルは一人でギア格納庫の中にある待機所にいた。
 巡宙艦には五機の宇宙戦用ギアが搭載されていたが、うち二機は補修中、動ける三機のうち一機は乗れるパイロットがいなかったため、いざという時にはエステルが乗ることになっている。
 まさかギアが五機あってパイロットが二人しかいないとは思っていなかったから、少々驚いたエステルだったが、クリシュナが艦橋要員に引っ張られるくらい人員が足りていない状況下では仕方ないのかもしれなかった。
 人員が足りないのは、騎士団の艦隊が慢性的な人員不足であることに加え、その補充人員を乗せるために目的地に向かっていた事情もある。
 詳しくは煩雑だから省くが、騎士団が新型艦艇への更新を精力的に進める中、ヴェネティゼータ以外の星系にある工場で建造された艦艇の試験と引き取りに、多くの経験豊富なスタッフが取られていた。
 それらを艦に戻し、新型艦艇を連れてヴェネティゼータに戻るのが、この艦の任務だ。
 エステル達の任務は、その建造拠点に配備された陸戦隊のギアパイロットと合流し、合同訓練を行うことだった。
 規模がそれほど大きくない陸戦隊のギアパイロットは、どうしても同じ相手との訓練ばかりになる。シミュレーションなどはいくらでも出来るのだが、生身のパイロットとの訓練はやはり効果に歴然とした差が出る。
 そのための出張中、運悪く宇宙海賊と出会ってしまった。
 こちらは新鋭とはいえない小型巡宙艦三隻。
 敵は艦種も年式もばらばらの武装船五隻。
 通常であればこちらの完勝である。軍の制式艦艇と宇宙海賊の武装船とでは、性能が違いすぎる。
 もっと小さな駆逐艦程度ならともかく、小型とはいえ巡宙艦が相手では宇宙海賊に勝ち目はない。
 が、こちらは老朽艦である上に人員不足、更に転移航法で利用したゲートがエネルギー不足のせいか不安定で、全艦艇が無事通過したのは確認していたものの、出現ポイントが三〇万キロメートルほど離れてしまった。
 いくら宇宙とはいえ、なかなかの距離だ。
 対する敵宇宙海賊船団との距離は一〇万キロメートルを大幅に割り込んだ。味方の艦艇よりずいぶん近く、またお互いがお互いを瞬時に発見してしまった。
 宇宙海賊がこちらを無視してくれれば、こちらから戦闘を仕掛ける事はない。経費の恐るべき無駄になることは誰にでもわかるからだ。
 ところが宇宙海賊にはこちらに恨みでもあったらしい。
 フェイレイ・ルース騎士団の艦艇だとわかり、それが現在は単艦であるとわかった瞬間、宇宙海賊はこちらに速度を合わせて接近を試み始めた。
 撃ち落として残骸を回収したら良い金銭稼ぎになるとでも思ったのか、かつて騎士団に痛い目というには傷が深すぎる仕打ちでも受けたのか。
 結局彼らは単艦の「トレバシェット」が、無駄撃ちもせず、淡々と移動目標に向かって進みつつも、目標に向かい減速(宇宙の人々からしたら目標に向けて逆ベクトルの前進中)している姿を確認すると、五隻揃って接近し、あわよくば砲撃を仕掛けようとした。
 それを避けるために、非線形のランダムな方向転換と加減速でウネウネとした三次元軌道を描きながら、「トレバシェット」は進んで行く。
 が、目的地に向かって進んでいる以上、ある程度航路は収束する。宇宙海賊だって馬鹿ばかりではないので、その程度はすぐに予測してくる。
 地上戦であれば、激しい砲戦が開始されるところだが、宇宙ではそうは行かない。艦体の大きさに比べて互いの距離が桁違いに遠いため、砲の射程に入っていても、当てるのが極めて難しい。
 当てる的が小さ過ぎるともいえる。
 ギアに居場所を移して、地上戦仕様とはだいぶ趣の異なる広めのコクピットに座ったエステルは、四肢の動きを反映するためのデバイスすら無いおかげで居心地良く過ごしながら、各種データを見比べながら戦況を眺めている。
 その時点での彼我の距離は二千キロメートルほど。
 宇宙戦での主武器は、地上とは違い高出力レーザーだから、光速で飛んでいく。ということは、撃ったらもう当たっているような感覚なのだが、集束度が恐ろしく高いため……そうでなければ当たっても乱反射して終わってしまう……有効範囲は数メートル程度。彼我が激しく動いている以上、二千キロメートルも離れていて当たるわけがない。
 ただ、塹壕戦と同じで、当たるかどうかというより、敵の行動を制限し、自らの思うように誘導し、最終的に当たるようにしていくのが戦闘のやり方だ。射程内に入れば、一発も撃たずにボーっとしているという選択肢はない。
 艦は、クリシュナの承認を得たAIが敵の動きをエミュレート(模倣演算)した数値をもとに砲を撃ち、その誤差を観測して直ちに修正しながらさらに撃っていく。
 敵も同様だ。
 たいして近くもない宙域を敵のビームが通り抜けていく。
 ただし、見えはしない。
 エネルギービームは指向性の化け物である。つまり、すべての光子が同じ方向を向いて飛んでいく。ということは、乱反射させる物質に当たらない限りは放射しないし、放射していない光が人の目に見えるはずがない。
 見える、ということは当たっている、ということだ。
 なにしろ真空中、乱反射させる原子や分子はほとんど飛んでいないし、飛んでいる原子や分子に当たって放射光を発しても、人間の目に見えるほどの強い輝度にはならない。そもそも可視光線を発することがほとんど無い。
 宇宙戦は、見た目に非常に地味なのだった。
 そんな地味な見た目に反し、戦いは次第に激化していく。相対距離が縮み、砲撃の精度が一気に上がってきたからだ。
 目的地もだいぶ近付いてきたので、そちらに迷惑をかけないためにも、そろそろ敵に打撃を与える必要がある。
 敵との相対速度差がだいぶ縮まってきた中で、砲戦が本格化した。
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