宇宙の騎士の物語

荻原早稀

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第二章 騎士団

8. カノン・ドゥ・メルシエ

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「……何をしておいでですか、会長」
「なにって、食事中」
 まさか会場内にいて、隅っこでパスタをもぐもぐとお行儀よく食べているなどと想像出来た人間がいただろうか。
 いるか、そんなもん。
 鄧は、エステル・ドゥ・プレジール中尉にそっと袖を引かれ、引かれるままに会場内を移動し、やがて見つけたその姿を前に膝から崩れ落ちた。
「……大丈夫ですか?」
 クリシュナが鄧に手を貸す。
「レイ・ヴァン・ネイエヴェールです」
 見知らぬ二人に、特徴に乏しく印象にも残りにくい小男がペコリと頭を下げた。
「あ……、騎士団中尉、エステル・ドゥ・プレジールです」
「同少尉、クリシュナ・ゴーシュであります」
 慌てて二人は背を伸ばし、敬礼した。相手は自分達の雇い主で経営者であり、確か騎士団内では中佐待遇だった。紛れもない上官だ。
 が、相手の方にその自覚があるのかどうか。
「ああ、『白の天使』と『狙撃者ゴーシュ』ね」
 と、二人のことを知っていたらしく、二つ名で呼んだ。
 白の天使、というのは「イヴリーヌの天使」と一緒に使われていた二つ名で、最近になって同僚により「死天使」に改められたとまだ知らない者も多いから、充分通用する。
 狙撃者は、二つ名や異名というほどではないのだが、彼女の狙撃に援護されて敵戦線を突破し生き延びた者などが、その神がかった腕に対して称賛を惜しまないことから、なんとなく「狙撃といえばあいつ」と呼ばれるに至ったものだ。こちらはあまり知名度は高くないから、知っているレイが珍しい。
「こんな所に呼び出されていい迷惑だったね。お疲れさま」
 労われてしまった。敬礼したまま、二人共反応に困る。
 動いたのは鄧だ。
 崩れ落ちていた彼は、むっくりと立ち上がると、レイの首根っこを掴みかねない勢いで詰め寄った。
「ええ、いい迷惑ですよ、あらゆる人間がね……!」
「まあ落ち着こうよ」
 勢いではなく、首根っこをつかむ。
「極論あなたさえいれば中尉も少尉もティーレ博士もその他のメンツも私でさえ必要無いのですよお分かりですよね分からないはずありませんよね」
「息してないよ」
「本当に息ができなくなるところでしたよっ、どなたかのおかげでね……!」
 流れ的に鄧に対する同情と同感しかない。二人は敬礼を解きつつ立ち尽くす。
 フェイレイ・ルース騎士団を含むグループ企業のオーナー様は、この期に及んでペンネを口に運び、もぐもぐしながら近くのテーブルに手を伸ばし、水の入ったグラスを手に取った。
 マイペースを崩すことがない上司の性格をよく知っている鄧は、この間に息を整えようと背を伸ばした。
「……一応案件一つ終わらしてきたんだから、そう怒らないでよ」
 そういいながら宙に浮く仮想モニターを左手で呼び出し、右手のフォークで操作する。別に接触式ではないのだから汚れはしないが、お行儀は良くない。
「ほら」
 それを鄧に向けると、皿に残った最後のひとくちを口に放り込む。
 額に浮かんだ青筋が消えないままに鄧が画面を見る。せっかくいい男なのにもったいない、と怒らせている方のレイと浅黒肌仲間のクリシュナの二人が同時に思う。色合いはクリシュナの方が濃いが。
「……解決したのですか、こいつを」
 見る間に顔色が驚きに入れ替わる。レイは誇りもせず、もぐもぐしながらうなずいた。
 なにか重要な案件だったのだろうが、もちろん二人には関係ないことなので、エステルもクリシュナも口を閉ざして一歩下がって控えている。
「……結局、エサルハドの連中も上帝に対するメンツが立つんなら継戦意志なんか無いんだよ。あんな地方の小競り合いなんて無駄に踏み込みたくないんだから、第三者から落とし所と名目が提示されりゃ、乗っかってきてもおかしくないでしょ」
「鉱床利権は手放すのですね?」
「コストが折り合わないしね。損切りは早いほうがいいし、これでエサルハドの外務省やら産業省やらに繋がりもできたし、悪くないと思うよ。このあとの投機筋の動きも予想できるから、仕掛けは入れてきた。そこそこ稼げるんじゃないかな」
「レアメタルの供給先はどうするおつもりです? 現行のサプライ網では不足だとおっしゃっていたではありませんか」
「それは大丈夫。この前ドンパチしてきた惑星があるでしょ、大平原の」
「ええ、こっちが中途半馬に勝ったおかげでますます戦争が泥沼化しそうな」
「あれは自業自得だからほっときゃいいのさ。行ったついでに、『連合』とも『共同体』とも違うルートで鉱床の採掘権を手に入れてきた。列強諸国と共同名義だけど、流通権の半分はガメてきたから、サプライ網の補完には充分だよ」
「そんなことをあの間に……」
 鄧が呆れている。
「『フワーリズミー』でお迎えに上がってすぐあの星から離れたはずですが」
「大平原の会戦が始まる前にはあらかた終わってたからね。カノンが無茶苦茶やって勝った頃には各国の本国の承認待ちになってたし。ていうか、そもそもあの星にはそのために行ったんだ。派遣部隊の補給を見たのはついでだよ」
「ついでで援護砲撃の指揮まで執ったと」
「他にいなかったしねぇ。いるのに遊んでるとカノンやフィルに怒られるし」
 話をしている内に、鄧が会場の中心から消えたことをいぶかった者がその姿を見つけ、ようやくレイが発見される。
「ネイエヴェール会長、おられたのですか!」
 総白髪の女性が大きな声を上げながら歩み寄ってきた。
「サンドラさん、お久しぶり。来月でしたっけ、頭取就任は」
「あら、ご存知でいらっしゃいましたか」
「わざわざうちみたいな僻地の会社までお出で頂いてありがとうございます」
「今やここが宇宙の中心になろうかという勢いですもの、担当であれば日参するところですわ」
「私も可能であれば日参したいところですよ」
「リチャードさん、お久しぶりです」
 急に賑わってきた。ここにいる者の大半は、彼に会うことが目的で来ているのだから当然だ。
 存在感がないために、いつこの部屋に入ってきたかもわからないのだが、見つかってしまえば最注目される。
 エステルとクリシュナは、これを好機とばかりに一度敬礼し、踵を返した。
 レイのそばを離れる二人と対照的に、人々がその一画に集まる。
 すっかり人口密度がうすくなった会場の中心あたりで、二人は息をついた。
「初めて実見しましたが……」
 と、クリシュナが微妙な顔で微笑む。
「……掴みどころのない方ですね」
 聞いていた通りではあるが、立場の凄さと本人の印象の薄さとがどうしても一致しない。
「……そうですね」
 エステルが、これまた中途半端にうなずいた。その顔がどちらかといえば鋭さを帯びていたから、クリシュナは不思議に思った。
「どうかしましたか、中尉」
 凛々しいクリシュナの問いかけに、この部屋で唯一姫役を務められるだろうエステルは首を横に振る。
「べつに」
 そんなに鈍感でなくともなにかあると気付かされてしまう態度だが、クリシュナはあえて突っ込むことはしなかった。
 それどころではなくなったからだ。
 レイを囲む輪がどんどん大きくなり、その方角が騒がしくなっていく中で、突然別の方向から大きなどよめきが上がった。部屋の正面出入口の辺りからだ。
 クリシュナがつられるようにしてそちらを見ると、信じ難い顔が入室してきたところだった。
 黒い髪、白い肌、高く均整の取れた体躯と、なによりも煌めくようなその美貌。
 少女のようなあどけなさとアルビノの清らかさを併せ持つエステルとも、完成されつつある大人の魅力があるイリスとも、王子様と評される凛々しさがあるクリシュナとも違う、完璧に整った調和の美。青銀色の瞳が勁烈な光を放ちつつ、形の良い弧を描く眉がその印象を和らげ、やや薄めの紅い唇が命の温かみを感じさせる。
 あまりにも整った美貌は冷たさを感じさせるものだが、それすらクリアした究極の美貌。
 見るすべての者を屈服させる美貌、などという者もいるその美貌は、確かに圧倒的だ。
 カノン・ドゥ・メルシエが、そこにいた。
「お戻りでしたか、少将」
「つい昨日のことじゃ。この会に間に合わせんと急がせた甲斐はあったようじゃな」
 会話を交わすしっとりした声に年少者の浮つきはなく、この部屋にいる最年少の二二歳でありながら、落ち着き具合は突出している。
 さすがに、レイを囲む人々にとってもカノンの存在は大きいらしい。銀行団にとって、筆頭副団長として騎士団の重職を務めるとはいえ、企業グループの中では一介の雇われ者でしか無い。レイの方はオーナー会長なのだから、どちらが大事な存在かなど考えるまでもないのだが、そういう理屈はこの際どうでも良いのだ。
 人間とは美を愛する動物なのだろう。男女問わず、カノンに目を奪われてしまう。
「なんだ、来たんじゃんか、あいつ。忙しいのなんのいってたくせに」
 ぼそりとレイが呟いたのを、何人かが耳にしたが聞かなかったことにした。
「皆もカノンに挨拶したいだろうからどうぞ。僕は食事の続きがあるからさ」
 レイは僻むでもなくそういうと、ほら行け、とでもいうかのように手を振った。だが、思わず目は奪われても、実際にそれに従うほど馬鹿な者は多くなく、自分たちにとってこの場で最も大切なもの、情報を持っているレイを優先した者が多い。
 そこは、さすがに貴顕淑女の群れに慣れている人々だった。
「副団長閣下にはまた後ほどご挨拶申し上げましょう。今はあなたより優先すべき相手はおられないでしょうから」
「僕の相手なんて、僕なら御免被るけどね」
「御冗談を、会長のお漏らしになるお言葉ほど、宇宙経済を刺激するものもないでしょうに」
「気のせいだろ」
 レイは素っ気ない。
 それらにくらべ、落ち着かない女性が一人いた。
 レイたちの群から離れたエステルだ。
 カノンの登場を目にした瞬間から目を釘付けにし、しばらく微動だにしなかった。
 その目を惹く稀代の美女は、まだ騎士団加入からそれほど経ってはいないものの、異数の出世と異例の実力とで団員人気は高く、先日の戦いを含めた輝かしい戦歴とも相まって、特に若手団員からの支持は篤い。
 そんなカノンを見つめる目が熱くなるのは当然といえば当然なのだが、クリシュナの目にエステルのその態度は不自然に映った。
 声をかけるのもためらわれ、クリシュナは立ち尽くすエステルに人がぶつからないよう、さり気なく傍に立って肩に手を添えた。見ようによっては、王子様が令嬢の肩を抱いているようにも見える。
 その二人の姿に、人々に囲まれて挨拶を受けていた少将の方が気付いた。
 その薄い微笑は高貴さを感じさせ、周囲を陶然とさせるものだったが、そこにわずかに興味の成分を加えていた。
 カノンは、周囲に断りを入れるように笑顔を見せると、群を抜けて二人の方に歩み寄ってきた。
 言葉を交わせる距離に至る前に、エステルがごく自然にスカートの横をつまむようにしてわずかに広げ、足を前後に並べながら軽く膝を折った。上体を真っ直ぐに立てながら少し沈めるコーツィ(カーテシーとも)、上流階級女性がよく行う目上に対する挨拶だ。
 軍人のものではない。
 その意味を察したか、カノンは敬礼はせず、かといってコーツィでは返さず、クリシュナ同様のパンツスタイルの通常服に合わせ、エステルの前に立って背を伸ばし、手を後ろで組んで踵をカツンと合わせた。軍人の一番略した礼だ。
「お久しゅうございます、殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
 という内容を、エステルはメディア語で話した。
 ちなみに。
 騎士団の共通語の中にはメディア語もあるが、基本語は「標準語」と略して呼ばれる、「星間運行条約標準語」というものだ。メデイア語やエサルハド語、トゥール語といった列強の言葉は、あくまで第二言語だ。
 星間運行条約というのは、星間航法などの長距離転移航法を行う際、技術言語や度量衡が異なっていると甚だ非効率なために、というよりミスや事故を招いて甚だ危険なために、様々な国際的な取り決めをした人類の記念碑的な大事業なのだが、言葉も規定している。
 話者の多さではメディア語とエサルハド語が並び立つ存在なのだが、多いといっても人類の大半を占めるなどという話ではない。どこの国も自分たちの言葉を使いたがる中で、航法的に統一した言語が無いのは、致命的である。
 ということで定められた言語が「標準語」で、論理性には優れているが情緒が無いなどといわれていた。
 メディア語でエステルが話したのは、お互いの母国語だからだ。
 もともと相手が特に指定しなければメディ語の雅語を話すカノンは、軽くうなずきながら応じる。
「久しくお会いできておらなんだ、イヴリーヌ伯爵令嬢」
「殿下、恐れながらわたくしは現在は畏れ多くもプレジール子爵を授爵してございます」
「左様か。されば改めよう。そなたも殿下は改めよ。妾はとうに殿下ではなくなっておる」
「かしこまりました、失礼を致しまして申し訳ございません、伯爵閣下」
 貴族の会話だった。
 そして、敬称に関わる話の内容は、メディア帝国とは縁もゆかりもないクリシュナでも多少は知っている。
 あまりにも有名だからだ。
 カノン・ドゥ・メルシエ、その姓はメルシエ伯爵の名乗りであり、以前はカノン・ディアーヌ・ドゥ・フォカスといった。
 フォカスは帝室の姓、ディアーヌはその長女を指す。現皇帝フィリプ八世の長女であり、かつては皇女、ごく一時期には皇太子として「殿下」の敬称を受けていた宇宙屈指の高位令嬢。皇太子時代には帝国内の王号をすら保有しており、その立場である場合は「陛下」と呼ばれた。
 エステルでさえ、その位階では話にならないほどに隔絶した地位にあった女性。
 戦術の天才として騎士団有数の武人の立場を築きつつあるこの美女は、宇宙を見渡してもこれほどの血統はなかなか見当たらないという、究極の貴種だった。
 それを目の当たりにさせられてしまい、クリシュナは緊張も度を越しつつある。
 エステルは皇太子時代のカノンを知っている。
 ごく短い期間ではあったが、互いに成人前とはいえ、かたや子爵位を継承した後には父の跡を継ぎ伯爵にならんとする令嬢、かたや列強の大国メディアの次期皇帝となるべき人物として、宮廷で会ったこともある。
 無論、エステルはいくら伯爵令嬢とはいえ有象無象の一人でしか無く、皇太子カノン・ドゥ・フォカスに単独で声をかけることが許される身分ではなかった。
「伯爵、な。今や捨てたつもりがまとわりついておる爵位などにこだわりもないのじゃが、さりとて他に名乗る姓も無いがゆえに名乗り続けておる」
「恐れながら、ご廃嫡あそばされた訳ではございませんから、建国以来の名門の姓をお捨てあそばすことも無いかと。帝国臣民も、それあらばこそ、国より閣下を失った心が慰められようというものでございます」
 エステルはわずかに身をかがめながら、どこまでも丁重な口調でいう。そこに、クリシュナの知るエステルの影は欠片もなく、確かに貴族の生まれである女性が一人そこにいた。
 メルシエ伯爵、というのが、メディア帝国の建国譚にも出てくる超名門貴族の名であり、それを現代に受け継ぐのは帝室の極めて皇帝に近しい者でなければならない、という話まではクリシュナも知っている。さすがに自分の所属組織の筆頭副団長のことだから、そのくらいは耳にも入る。
 メディア帝国の皇帝の長女。帝室が持つ最高の権威のひとつである伯爵家をついだ皇女。政治状況のいたずらがなければ、人口一千億といわれる巨大帝国の跡取りとして皇太子号を名乗り続けていたはずの女。
「未だに皇女の称号を残してあるというのも、妾には不思議でならぬが、本国には本国の思惑もあろう。いずれにせよ、騎士団入りしたとは聞いておったゆえ、いずれ会うこともあろうと楽しみにしておった。息災で何よりじゃ」
「過分なお言葉、誠に恐悦にございます」
 貴族の制度はややこしくてクリシュナにはよくわからず、カノンが入団して来たときも、その来歴がよく理解できなかった。今もできていない。
 だから、二人の会話の意味がよくわからないのだが、どうせ騎士団員としては、入団前の身分や称号など、外交の場にでも出ない限りは鼻くその価値もない。そういうことになっている。理解する必要はないのだ。
 と、思ってはいても、幼い頃の単純なお姫様への憧れから始まって、貴種に対する憧れなどが全然ないわけではない。
 民主主義の共和制社会しか知らないクリシュナは、ただ棒のように突っ立っているだけなのだが、緊張で口がからからになっていた。
「いずれゆるりと話す機会を持とう。無論、中尉がよろしければ、ではあるが」
 カノンが、エステルを中尉と呼んだ。
 意図を察したエステルは、貴族令嬢としての礼ではなく、騎士団中尉としての礼をとるために、踵を合わせて背を伸ばした。
「喜んでその機会をお待ちいたします、少将閣下」
 エステルが敬礼したので、反射的に後ろにいたクリシュナも敬礼する。
「楽しみにしておる」
 そういうとカノンも返礼をし、手をおろしながらクリシュナを見た。
 その瞳の、底が知れない深い色に、クリシュナは身震いしそうになった。
 貴族なんぞは先祖の功績にふんぞり返っているしか能のない、愚物揃いだと思っていた。貴族制のない国に生まれ育ったプライドもある。
 そんなものがまるで通用しない、人としてなにかが違うとんでもない奴もいるんだ、ということを、クリシュナは思い知らされた。
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