宇宙の騎士の物語

荻原早稀

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第二章 騎士団

6. テストパイロット

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「なんなんだこれは!」
 最近やたらこの台詞を口にしている、と意識に上る余裕もない。
 とてつもない重力加速度に揉まれることも、視界が不規則に回転し天地が容易にひっくり返ることも、ギアパイロットとして当然のことだし、慣れている。
 だが、防御フィールドを全開展開しながらの行動での加速度も、わずかな挙動が与える機体への負荷で軌道を修正したり補正したりする精度も、爆発的に盛り上がるエネルギーを制御しきって完璧な出力を導き出す管制も、つまりは機械としての完成度が、クリシュナが知っているギアのそれではなかった。
 機械側が管理してくれるから致命的な失敗は犯さないにしても、思い描いていた動きを実現するには程遠い。
 とんでもないじゃじゃ馬、という陳腐なセリフしか浮かんでこない。
 ヴェネティゼータの騎士団基地のうち、ギア訓練場として整備された地区のさらに先、荒野と枯れた渓谷が広がるだけの大地で、その訓練は行われていた。
『少尉、下手なダンスはそろそろ終わりにしろ。規定のステップがまだ半分も終わっていないぞ』
「……っ!」
 再訓練担当士官からの通信に、答える余裕も無い。歯を食いしばり、自分が意図しないあらゆる方向から押し寄せるGに耐え、機体をなんとか制御しようとする。
 出力を落として制御するのは簡単だが、あいにくこの訓練では規定の出力以下に下げることが禁じられている。クリシュナが下げようとしても機械側がそれを拒否する。
 悪罵を叩きつけることすら困難な中、必死の操作で制御を取り戻そうとし、瞬間瞬間で切り替わるデータを読み取ろうとする。
 AIにやらせれば簡単なことだ。無人機ならば、指揮側が求めた条件を、機械が許す限界ギリギリのところで完璧にこなしてくれるだろう。データが少ない機体だったり土地だったりしても、少々動いていれば、記憶構成型ニューラルネットワーク形式の深層学習で勝手にAIが成長し、予測演算し、出力調整と外部擾乱要素の入力による再演算の繰り返しで最適化してくれる。
 なにしろ人が乗っていなければ重力加速度を気にすることもなく無茶な動きができるし、人が持つ「慣れ」とか「癖」という要素を排除した真の乱数軌道を取った行動が可能になる。
 だが、それでは現在の世界が規定する「限定戦争」を戦えない。
 国際法で厳守を求められる絶対の原則のうち、戦争に関わる重要な要素の一つに、「戦争は人が行うこと」がある。完全に機械化された軍隊が行う戦争は、国際社会が一斉に牙を剥く悪である。
 だから、ギアには人が乗らなければならないし、引き金を引くのも、剣を振るうのも、人による操作でなければならない。
 だから、騎士団は人の力で戦わなければならない。
 だから、ギアの試験はパイロットが血反吐を吐きながら続けなければならない。
『ゴーシュ少尉、帰投しろ。バイタルが限度を超える』
 担当士官からの指示と同時に、システムが戦闘モードから冷却モードに切り替わった。機体が無理なく速度を落としていき、防御フィールドが停止され、暴力的なエネルギー出力が落ち着き、あらゆるモニターに映っていた異常な速度で流れる景色がゆったりとした姿に変わった。
 体にかかる重力加速度が一定になり、クリシュナは激しい呼気を抑えることも出来ないまま、正面のコンソールに突っ伏した。


 まさかの事態だった。
 まだ完成していない新型のギアがあるらしい、とは聞いていた。
 事前に学習させられた「ガレント遭遇戦」では、完成しないまま持ち込こんだ試験機を砲台に改造して投入するという荒業を使っていて驚かされてもいた。
 だが、その試験パイロットをやらされるために集められていたのだと知った衝撃と、その日の内に体験させられた試験機の無茶苦茶さは、クリシュナも、一緒に登用されたエステルも、絶句するしか無かった。
 まだ全く完成してはいない。人でいえば、骨格と内臓は出来たが、筋肉は不完全、皮膚はまだまだこれから、脳は育てている最中、神経系は脳の成長待ち、という状態だという。
 それでも、まずは骨格と内臓の検証とデータ採集は必要というわけで、現役でありつつ騎士団の傭兵業務に従事していないパイロット、あるいはパイロット経験者を集めたということだった。
 クリシュナはギアパイロットとしての実戦勤務を三年ほど経験しているからまだしも、エステルはギアによる実戦経験どころか、部隊配属経験もなく、訓練経験も二〇〇時間ほどしか無いペーペーである。試験パイロットが務まるとも思えない。指揮であればともかく。
「それで構いません」
 といったのは、この機体を含めたVT社の新規総合兵装開発群のシニアフェロー、という得体のしれない立場にある女性だ。
 若い。
 エステルが若すぎるから、向かい合ってしまえば年増なのだが、その職位が示すVT社の本社部長級という立場は、騎士団でいう連隊長級、中佐や大佐の位に値する。自分よりも年下じゃないのか、と疑うほどに若い女性が立っていい職位ではないはずだ。
 コテコテの理系女子によく見られる、メイクの仕方を知らないからしないという方向のナチュラル系で、少し収まりの悪い黒髪を後ろで適当にまとめ、せっかく形の良い、ぷっくりとした唇もやや乾いてかさつき、他のスタッフがスーツ姿の中で一人着ている白衣はよれていて、造りはきれいなのに本人の努力が完全に抜けているために残念に成り下がっている、という体だ。
 左胸のプレートを見なければ、シニアフェローどころか、社会人にも見えない。要領が悪くて博士課程を卒業できず、就職先も見つからないまま研究室の下働きをさせらせているとうの立った学生、という風情だった。
「あらゆるタイプのパイロットが搭乗したデータを収集するのが目的ですから」
 ぐったりした顔のクリシュナの前で、見た目からは想像しにくい、意外に可愛らしい声で話すのは、イリス・ティーレ博士という。
「落ちこぼれ代表というわけですね」
 皮肉っぽくクリシュナがいうと、イリスは首を傾げた。
「少尉は優秀ですよ。基力の量やパイロットとしてのブランクを考えれば、出色といえます」
「それは恐縮の至りです」
「少尉がパワーファイターではなく、卓越した技術を持つ狙撃兵であるという点から考えれば、このデータは出来すぎなくらいです。今後とも良いデータを期待しています」
 そういって微笑んだイリスが驚くほど可愛らしくて、クリシュナは思わず言葉を飲み込んでしまった。
 イリスの微笑は一瞬で引っ込み、無表情に戻る。
「ドゥ・プレジール中尉も別の方向で凄いですね」
 まさに今、エステルが試験を行っている。
 モニターを見ると、エステル機の各種データが映像とともに表示されている。
「新人とは思えない操作能力です。適応性が高い以上に、高い基力と反応性で無茶を押し切っている感じですね」
 イリス博士のいう通り、エステルは暴れる機体をほとんど野生の勘と無限の体力で抑え込んでいるようだった。あの繊弱そうに見える体でどうやっているのだか、不思議な限りだ。
 天才というのはいるものだが、間近にいると少々癇に障る。本人は好きだが、能力の差を見せつけられると忸怩たる物もある。
 あの子はやっぱり、自分とは違う生き物なのだ。
「まるでドゥ・メルシエ少将が入って来たばかりの時のようです」
 その博士の言葉が、クリシュナの想いを裏付けるようだった。
 騎士団始まって以来の天才ではないかと騒がれ、怒涛の昇進を続ける期待の星。会長の剛腕でスカウトし、入団を果たすや並み居る騎士たちを実力でねじ伏せた超絶美貌の「紅の女王」。
「あの調子でどんどん機体の問題点を洗い出してもらいたいものです」
 素人には何が表示されているかもわからないようなデータの奔流から、博士は正確に必要なデータを抜き出して見て取る能力があるらしい。エステルの動きの中から出てくるデータの、理想値との齟齬の具合から、次々に問題点を見出し、必要なデータを抜き出し、分類し、各担当者に転送していく。
「少尉のご意見も非常に参考になります。今後ともよろしくお願いします」
 博士がちらりとこちらを見ながらいう。試験搭乗後の口頭試問は終わりらしい。
 クリシュナは、気の利いたことをいえる余力もなく、ただ黙って敬礼した。


 どんな評価を与えられているかを知らないエステルだが、疲れないわけがない。
 テスト後、エステルはコクピット内で吐ききっていたはずなのに、汚れたコクピットから降り、スタッフに支えられてヨロヨロと車に乗せられ、施設に入ってようやく到着した休憩室で、もうほとんど残っていないはずの胃液を、また戻してしまった。
 そんなことは日常茶飯事のようで、休憩室にはちゃんと清掃ロボットが設置されていて、わずかな時間で匂いも残滓もなく片付けられた。
 簡易ベッドに寝転がり、まだ整わないのに弱々しい呼吸のままぐったりとする。
 貴族令嬢だった当時には思いもよらなかった扱いだ。令嬢ではなくなった今だって、例えば母国で軍務に就いていたらこの扱いではないだろう。子爵の叙爵を受けている以上、特別扱いされる事が無かったとしても、テストパイロットとして消耗し切るまで現場に立たされるような事はなかっただろう。
 自分で選んだ道だし、身分で差を付けられるのは嫌だから構わないのだが、しんどいことは変わりがない。
 それにしても、この新型は凄い。
 あくまで試験機だし、要求スペックを教えてもらえたわけでもないから、完成したらどうなるかはまだわからないのだが、動かし始めた時点で何もかもが既存機とは違った。
 エステルが知っているギアは今騎士団が制式採用し運用している機体だけだから、他社のギアの性能など知らないのだが、ここ何年かの戦闘詳報を読む限り、騎士団の制式ギアは扱いやすさに秀でた優れた機体のはずだ。
 取り回しがいい機械というのは、あえて性能を落とすことで操作性の良さを手に入れる場合が多い。
 そのような処置を行っていないから試験機が凄まじい性能を誇るのかもしれない。
 だとしても凄かった。
 それぞれのテストパイロットの限界まで追い込んだデータが必要で行っている試験らしいから、まだまだ苦しいだけの訓練が続くのだろう。それを思うと気が重いが、あの新鋭機の実力はまだまだ見えていない。
 自分がその向こう側を最初に見られるのかもしれないと思えば、多少の疲労過多や苦痛などは、耐えるに値する代償なのではないかとも思える。
 エステルも、見た目に反してけっこう熱血軍人思考なのかもしれない。
 強張った筋肉を傷めないように、ゆっくりと起き上がったエステルは、近くのテーブルにある水で口をゆすぎ、のそのそと着替えを始める。
 多少でも体調が戻れば、休憩室を出て復命し、パイロットの体感をエンジニア達に伝えなければ任務は終わらない。
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