宇宙の騎士の物語

荻原早稀

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第二章 騎士団

1. 野戦病院

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「ベッドを二床開けろ、大至急! こっちで緊急処置やるぞ!」
 太い怒鳴り声が響き、周囲が騒然とする。医療関係者たちの慌ただしい動きに加え、傷病者やその関係者がウロウロしたり、周囲に悲嘆の声を上げていたりする。
 昼間だからまだいいものの、夜間ならパニックだ。
 元からある処置室では現在も複数の医師のチームが奮闘中で、三床のベッドがすべて埋まっている。
 新たに医師が到着したタイミングで、重症者が運び込まれた。無理にでも場所を確保する必要がある。
 ベッドひとつを空けただけでは、処置に必要な空間が確保できない。三床は空ける必要があった。
 到着した医師はまだ処置服に着替えてすらいないが、次々に指示を出しながら準備を整えていく。修羅場には慣れている者が多いから、その指示すら待たずにどんどん的確に準備を進めている者も多い。
「フィールド張ったら滅菌処置、急げよ」
 病院は仮設のテントづくりだから、壁も天井も決して頑丈ではない。ただ、軍でもよく採用されている耐寒耐暑フィルムや、飛来物などからテントを守るフィールドなどはしっかりと設置されているから、下手な建物よりは安心だ。
 野戦病院とはいえ、設備はしっかりしている。医療機器や薬品の類も、見る者が見れば、最新の機材だったり評価がしっかりした薬品がそろっていることがわかる。
「患者入ります、処置前の検査は終えました」
 ストレッチャーを押して、テント内にしては随分なめらかな床の感覚に慣れないものを感じながら、エステル・ドゥ・プレジールは新たな処置室に患者を運び入れた。医師ではないとはいえ、処置室まで患者を運び入れる立場なのだから、当然滅菌済みで殺菌フィールド発生中の処置服を着ている。
 野戦病院勤務も一ヶ月を越えようとし、彼女もだいぶ命の現場に慣れてきた。
 が、生と死の間にいる人々を助けられるかどうかの剣ヶ峰に立つ緊張感や、死を免れない患者やその家族と相対するときのやりきれなさは、確実にエステルの心を削ってくる。
「こいつに慣れたら」と、この勤務地に足を踏み入れた初日に先輩にいわれている。
「人を無駄に殺すぞ」
 脅しではない。先輩の実感がこもっている。
「患者は初めてここに来る。性別も年齢も背景も何もかもが違う人間が来るんだ。どんな患者が来ようが、我々にとって初めての患者だ。慣れて処置できるはずがない」
 いちいち患者のことなど考えず、ボディだと思え、そうでないと自分が削れていくぞ、という者もいる。どちらが正解ということもない、どちらも一面正しいのではあるだろうが、エステルは医師ではない以上、関わる期間は短いし、業務も限定的だ。慣れてはいけない、と思った。
 もっとも、ここは野戦病院とはいっても、装備がかなり整っている。最新鋭とはいわないまでも、地方の総合病院程度の治療水準は保っている。
 紛争地域にあっては水準を大きく越えているといえる。
 エステルが次の患者を待ち受けるためにテントの外に出ると、外は一面の青空だった。どこまでも続く広い大地は赤茶けた乾いた土に覆われ、乾燥した土地にはまばらに緑が生える。そのコントラストが目に痛いほどだった。
 ただし、その空は自然のものではない。
 巨大なドームが、全天を覆っている。そのままでは人が住めない、不可住惑星であるこの星には、いくつかこの様な巨大なドームが設けられている。建造されて以来三世紀ほどが経つこのドームは、そろそろ全面的な改装が必要になっていたが、惑星自体が政治的に不安定な状況が続く中で、半ば放置されている。
 乾燥もそのためだ。青空が投射されているのも、雨を降らせるだけのエネルギーを常時循環させることが困難になっている証拠でしかなく、晴天を喜んでいる場合ではない。
 もとは湿潤で温暖な環境が作られ、維持され、人とその他の生物が生きやすい世界だった。今では、政府軍と反政府ゲリラとが散発的に戦闘を行い、常に血が流される悲壮な土地に成り果てていた。
 エステルは、そんな状況の中で無差別に人を治療する病院騎士団に所属する。
 このドームに来たのは、もはや統治の正当性すら怪しくなった無力な政府軍と、それに反発することだけが目的になってしまった反政府ゲリラとに翻弄され、朽ちていく運命にあるドームから逃げ出すこともかなわない住人たちを一人でも多く助けるためだ。
 広い宇宙には、こんなドーム一つ造作なく救い出せる国力がある列強がいくつもあるというのに、どこも救いの手を差し伸べようとはしない。それをするだけの魅力がこの土地には無いからだ。
 目に染みるような青空を見上げ、エステルは腹が立ってくる。
 今も自分の背後では苦痛に呻吟する人々が床に伏している。大地の先では野戦病院に収容することもできない人々が無為に死んでいく。
 今日も昨日も一昨日も、目の前で人が死んだ。水準以上の医療があっても助けられない生命があった。明日も明後日もその先も、彼女の目の前で人が死んでいくのだろう。
 なんなんだ、この世界は。
 そう思っても、いちいち涙が出なくなったエステルがいた。


 フェイレイ・ルース記念病院騎士団。
 初代騎士団長フェイレイと、その夫で医師のルース博士が創設したこの騎士団は、戦場とその周辺で苦しむ人々を救うために作られた。
 軍人としての天才を謳われた女傑フェイレイは、人道支援で野戦病院を運営していたルースと出会い、その病院が常に戦火に巻き込まれる危険にさらされていることを知り、それを守るための軍事組織を立ち上げようと奮闘した。
 宇宙各所の貴族や大商人からの資金援助を得られるようになると、単なる病院護衛戦力を超える組織に拡充、「騎士団」と彼女たちが呼ぶ旅団規模の軍になった。
 時には病院を襲う陣営に先制攻撃して壊滅させるなど、護衛戦力としては随分アグレッシブな組織になり、無力な民衆を守るために強者に立ち向かうというヒロイズム溢れる行動性が多くの支援を集め、フェイレイが亡くなったあともその組織は存続することになった。
 二代目騎士団長が、彼女とその夫の名を取り、自らの組織を「フェイレイ・ルース記念病院騎士団」と名付けた。
 以来、様々な事件や戦争に翻弄されながらも、現存最古の病院騎士団として活躍を続けている。
 どこの国にも、どこの勢力にも属さない「独立系」騎士団として活動を続けてきたこの組織には、存続の危機が幾度もあった。そのたびに様々な人々の努力で切り抜けてきた。
 今年二三歳になったエステルの実家は、そんな騎士団にずっと支援を続けてきた貴族の家系だ。宇宙列強の大国であるメディア帝国、その大貴族に連なる伯爵家の令嬢、という立場だが、組織に入ってしまえば浮世の階級など関係がない。
 貴族社会とは縁が深いフェイレイ・ルース騎士団はその風が徹底していて、たとえ王族だろうが一兵卒なら一兵卒として扱うし、奴隷出身者でも才あれば団長にまで上り詰めることが出来る。そうでなければ、最終的に貴族階級からの支持を失うということを、騎士団の歴史が示している。
 エステル・ドゥ・プレジールももちろん、そのつもりで騎士団に入った。
 幼女の頃から、憧れていた。
 騎士団のヒロイズムに対する単純な憧憬から、思春期に入るにつれて内から溢れる正義感や使命感に変化し、貴族令嬢として甘やかされかねない環境にいる自分に対する焦りや、自覚なく甘やかされている周囲の貴族子弟に対する蔑みなどに苛まれ、やがて本気で騎士団入りを願うようになった。
 適正を考えた時に、医師ではないと思った。
 学業の成績は良かったから、狙ってなれないこともないだろう。だが、実家が武門であったこともあり、騎士に対するあこがれもあり、何より彼女は「異能」の持ち主だった。
 三〇〇〇年ほど前に人類社会を襲った「大崩壊」、それ以前の科学文明が人類の遺伝子やナノマシンを異常発達させた結果生まれた超人類の成れの果てだ。
 今の人類には、明らかな超常現象を引き起こすような「大崩壊」以前の超人類はいない。いない、とされている。
 だが宇宙中に散った遺伝子は消えてはおらず、時に劣化版とはいえその血が発現することがある。
 それは筋力の異常発達であったり、知能の異様な高さであったり、一種の電磁場の利用であったり、様々な形を取る。
 エステルの場合、反射速度や思考速度の異常な発達と、それに反応できる優れた骨格や筋力として現れた。ごく簡単にいえば、何かが起きた時に物を考え答えを出す速度が人より早く、しかもそれを受けて動かそうとする体の反応性が高いということだ。
 たしかに、医師よりは戦士向きだろう。
 自分が能力を活かせば、救える人がいるかも知れない。それは少女を勇気づけ、ついには騎士団入りを実現させるに至った。
 厳しい審査をくぐり抜け、騎士団の士官課程入りを果たしたのが四年前。三年間の士官課程を経て、少尉に任官した。騎士団では士官を「騎士」と呼ぶから、彼女は念願の騎士になったことになる。
 騎士団の慣例として、兵士や士官を問わず、構成員は必ず病院勤務を経験する。フェイレイ・ルース騎士団の根幹は病院だからだ。
 そこで、エステルは世界の現実を見せつけられた。


 名前は知らない。年齢もなんとなくしかわからない。
 運ばれてきた時、女性は、血まみれだった。
 とりあえず、息はある。意識はない。
 浮上式の地上車からストレッチャーで下ろしたエステルは、彼女の全身を包んでいる白かったはずのシーツが、地の白をほとんど残さないほど赤黒く染まっている様子を見て眉をひそめた。出血が広範囲すぎる。
 女性、と認識できたのは、顔を見てのことではない。このドームでは独特の性文化があり、女性は必ず髪を伸ばし、男性は必ず髪を刈る。女性は女性らしく男性の付属物であるべきという、唾棄すべき性差別がのさばっている、とエステルが吐き捨てたくなるような文化の、一つの現われのおかげで、少なくとも患者の性別はわかった。
 顔は、潰されていた。
 珍しいことではない。
 すでにここに来てから何例も見せられてきた。
 殴り、蹴り、犯し、殺す。
 その女性も弱者として強者からの辱めと暴力を受けたのだろう。息があるのが不思議なほどに、鼻が潰され、片側の耳が失われ、目があった場所からはただ血だけが流れ、輪郭という輪郭が原型をとどめていない。
 摩耗している感覚が、エステルにとって救いであったかどうか。患者の姿を見て衝撃を受けるよりも、処置のルートを検討し始める。
 緊急処置は今、手一杯だ。場所が足りなくて一般病室を潰しているくらいで、処置できる医師が足りていない。自動処置ができる医療タンクはとっくに埋まっている。タイミングが最悪だ。
 もちろん、自分では何もできない。兵士としての訓練で緊急処置は学んでいても、こんな重篤な患者を扱うことなど、専門の医療関係者でない限り手も付けられないと気付く役に立つだけだ。
 どうすればいい。
 トリアージ、傷病者の振り分けの基準からいえば、少なくとも死んではいないものの、かなり重篤な患者であることは見ればわかるのだから、優先順位を上げてすぐに治療にかかってもらえるかも知れない。
 その考えは、だがすぐに打ち消された。
「同じレベルの患者でまだ手つかずがいる。となれば運び込まれた順だ」
 トリアージの担当者から無情な現実を突きつけられた。
 これにも、慣れた。
 慣れさせられた。
 なんなんだ、この世界は。
 弱いものは弱いというだけで陵辱され、苦しみ、無為に死んでいかなければならないのか。
 脳のどこかでそんな悲鳴が上がったものの、摩耗したエステルの神経は、それを意識することを拒んだ。
 意識すれば、保たない。
 看護兵が一人、緊急処置を行う前の準備に来てはくれた。シーツを剥がし、全身をナノマシン入りの泡で清浄し、こびりついている血や泥や雑菌を取り除く。
 腕も足も、その関節も、どす黒い内出血と骨折跡で覆われている。傷は無数にあり、健常な肌を見出す方が難しい。耳と同じ側の乳房の突端が切り取られ、同じ側の手の指が二本切り取られていた。
 その指が、ずたずたに切り裂かれた局部に差し込まれているのを見た瞬間、エステルの中の最後の線が切れた。
 ただ、涙が流れた。
 嗚咽はない。
 淡々と、看護兵の手伝いを行いながら、彼女の秘部から指を抜き、医療用の殺菌済み小袋に入れ、ストレッチャーに付けられた金属の皿の上に置く。
 そして気付いた。
 全身の泡が取り除かれ、少なくとも血だるまではなくなった女性が、息を引き取っていた。


 世界は残酷だ。
 人間は残酷だ。
 それを知らずにいた自分も、知った後も無力な自分も、残酷だ。
 無力は残酷だ。
 無知は残酷だ。
 エステルが呆然としていたのは、女性の死に気付き、葬る手続きを進めている最中からだったろうか。記憶がぷつりと切れていて、よくわからない。
 気付いたときには、野戦病院の奥まったところにある休憩スペースの、カーテンに仕切られたベッドの端に座っていた。
 半径が二〇〇キロメートルを超えるという巨大なドームの中は夜の時間を迎え、他のスタッフも休憩しているその空間は照明も押さえられていたから、随分薄暗い。
 麻痺していたはずの人間としての感覚が、摩耗しきっていたはずの神経が、エステルの中で自己主張し始めていた。
 絶望するには、自分が甘すぎた。自己嫌悪に陥るには、その自己が卑小すぎた。
 あの女性を傷つけ殺した犯人を憎むことも、その悪を助長する悪しき女性蔑視を憎むことも、ごく簡単にできることだ。
 だが、それが問題解決に少しも寄与しないことを、多少は歴史を学び経験も積んできたエステルにはわかる。わかってしまう。
 エステル自身の憎しみなどという感情は、世界にとって砂粒ほどの価値もない。
 無力感がエステルの肩を抱き、全身を覆い尽くす。


 憔悴した彼女が、気絶するように眠りについた後、彼女の形式的な部下であり、実質的な教育役であるベテラン下士官がベッドの脇を訪れた。
 黙ったまましばらく彼女の様子を見ていた下士官は、一つため息をつくと、手に持った毛布をそっと彼女に体にかけ、部屋を出ていった。
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