宇宙の騎士の物語

荻原早稀

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第一章 ガレント遭遇戦

9. 戦線撤退

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 とにかく数が少ない騎士団は、司令部が壊滅したとはいえ戦力が無くなったわけではない「共同体」軍の中に留まる危険性をよく理解している。
 ただでさえ、一〇倍近い敵軍の中にいるのだ。しかも若干距離は離れているとはいえ、「共同体」に属する別の軍団が左右に展開している。ぼやぼやしていれば完全に包囲され、弾を打ち尽くした瞬間にすり潰される。
 カノンが、勝利宣言ではなく撤退を指示したのも当然だった。
 勝ちはしたが、残敵を掃討できるほどの状況にはない。撤退は必然だった。
 ここで、妨害機構を破壊した成果が現れた。
 自軍のギアが観測できるようになった瞬間、後方で援護射撃を続けていたレイ率いる「苦労砲」の砲線が、それまでの遠慮がちなものから、異常なまでの正確性で敵を撃ち抜くように変わった。
 メグが突入する前はともかく、援護射撃に変わってからはそうそう敵のど真ん中に砲を撃ち込めるものではなく、しばらくおとなしい射撃で敵を牽制するにとどまっていたのだが、妨害が収まってしまえば話は根本から変わる。
「さあ、応援開始だよ」
 あいも変わらず、のほほんとした顔で指示を出すレイのやり口は辛辣だ。あらゆる手法で様々な情報を集め、分析し、一二門しか無い「苦労砲」を徹底的に有効活用し、一発の無駄弾も出さない勢いで、敵の残存兵力をその重要度の高い順に次々と撃ち抜いた。
 防御フィールドまですべて消滅したわけではない敵陣を、「苦労砲」の高い収束率を誇る高速弾が次々に撃ち抜いていく。
 通常のギアの砲でも、砲兵隊の持つ重砲でも決して実現できない圧倒的な破壊力が、遥か彼方から「共同体」軍を蹴散らした。
 カノンもメグも、レイの援護射撃を撤退の好機と見た。
「都合よく妨害が消えてくれたね。ありがたい、ありがたい」
 勝ち戦となれば長居する必要はない、とばかりに、メグはカノンの戦旗を見た瞬間から逃げる気満々である。勝ちを広げるために、あるいは戦果を上げるために危地に居残るという発想はメグには無い。
 レイの、信じ難いほどの情報収集能力に支えられた精密な援護射撃は、メグやカノンの周囲の敵戦力を確実に削いでいく。
 その中で、メグは自らの部下を率いて、突風のように敵陣から撤退した。
「さすがに早いものじゃな」
 撤退を指示したカノンの方が呆れるほどだった。
 この思い切りの良さと見切りの速さとが、メグを騎士団幹部に押し上げた。
 カノンもぼやぼやはしていない。敵の残存戦力が目を覚ます前に、レイの援護射撃が効いているうちに、撤退しなければならない。
 騎兵は逃げ足を磨いてなんぼ、と広言するだけはあるメグの逃げに続き、カノンも率いる騎兵をまとめて撤退を開始する。
 とりあえず目につく敵を撃つ、それしかできない敵からの砲撃が集中し始めたが、本来の数に比べて、その攻撃は薄い。むしろ、メグの部隊も含めた騎士団のギアの至近距離を、レイ率いる「苦労砲」の射線が突き抜けていく。
 もちろん、そうしなければ援護射撃の意味はなく、当たりさえしなければどんどん撃ってもらって構わないのだが、それにしてもよほどの近距離を狙い澄まして撃ち込んでくる。悪意を疑いたくなるくらいに。
「加減や配慮を知らぬ慮外者め」
 とカノンが思わず舌打ちしたのは、両腕のすぐ脇を射線が抜け、その衝撃波がコクピットのユニットを通じて腕に伝わってきたからだ。パイロットに操作上の肌感覚を伝える意味で、ギアのコントロールユニットは衝撃を伝えてくるようにできている。
 びりびりと強い振動に両側から体が揺らされ、視線がぶれそうになる。
 当ててくる気はもちろん無いだろうが、パイロットを揺さぶるほど近距離を通してくる必要もないはずだ。
 それが出来るほどに、砲の扱いが異様に熟練し、かつ着弾の観測結果に絶対の自信があるのだろう。収束率を最大にした細い射線が通り抜けていく度、背後で敵が撃破されているというデータが表示されている。
 おかげで、メグやカノンが背を向けて撤退していく後ろを、襲うべく追撃する「共同体」軍の勢力はほとんど無かった。
 本来、感謝の念なり慰労の念なりが先に浮かばなければならないところだが、この広い戦場で、この巨体に乗っていて、メートル単位というほとんどゼロ距離を弾道が突き抜ける体験をさせられれば、悪罵の一つは出るだろう。
 まして、レイがどうせまた「当てない程度にねぇ」とか何とかいいながら、のほほんとした顔で指揮を取っているに違いないのだから。
 司令部が壊滅した以上、戦場に残る敵兵たちはもはや戦力としては意味を成さない。頭を失った手足に、自分の意志で動けというのは無理があるだろう。
 怖いのは、今すぐ近くにいるそれらの敵ではない、ということはカノンら騎士団はよくわかっている。その外側にいて、直接騎士団とは交戦状態にはない戦線の敵軍こそが怖い敵だ。
 あまりにも短時間に勝敗が決したために、この状況が正確に伝わっているとは思えないが、伝われば「共同体」軍の総司令部は、直ちに穴を埋めにかかるだろう。でなければ戦線が崩壊してしまう。
 レイの強烈な援護射撃のおかげで大した損害も無しに後退できるのだから、とっとと下がるに限る。
 というわけで、劇的な勝利を上げたはずのフェイレイ・ルース騎士団は、二〇分後にはきれいに撤退を完了、もといた塹壕の陣地に潜り込んでいた。
 攻撃以上に鮮やか、と称される撤退劇だった。



「連合」軍、「共同体」軍、その双方に取材に入っている従軍記者、商業的に関わっている列強各国、皆が驚倒した。
「共同体」の一国が出した一個軍団六個師団、それを率いる女性司令官ごと壊滅したというニュースは、通信状況が最悪のこの状況でも、あっという間に全戦線に伝わった。
 両軍通じて、この大平原の遭遇戦が開始される前、惑星ゴルトベルクを二分する政治状況から戦争が始まって以来、軍団レベルの戦力が壊滅したという例はほとんど無い。
 兵力的には損耗率が二割程度、必ずしも全滅ではないのだが、司令部が壊滅し、とくにフィルが担当した戦線が完全に崩壊してしまったために、今更秩序を回復するのは不可能と思われた。一旦その兵力はすべて撤退させ、再編する必要がある。
 それを、兵力的には標準的な一個師団にも足りない傭兵が、作戦行動の開始から撤退完了まで一時間程度という恐ろしいほどの速度で成し遂げたという。
「なにかの間違いではないのか」
 という声が多数を占めるのも無理はない。
 やがて、騎士団に従軍取材を続けていた記者の配信や、第三者としてリアルタイムでの情報提供を行わないよう制限がかけられた、民間企業の衛星軌道上の観測衛星のデータなどから、戦闘詳報が伝えられると、衝撃が広がる。
「それだけの戦果を上げておきながら、彼女らは特に宣伝も行わないのか」
 宇宙の列強諸国にとって、この惑星での戦いに大した価値は見出せないのだが、傭兵団であるフェイレイ・ルース騎士団にとっては格好の宣伝材料になるはずである。なぜそれを大々的に宣伝するなり、マスコミに売り出すなりしないのか。
 傭兵など、名を売り、戦果を売り込んでなんぼである。勝とうが勝つまいが、自分たちに功績ありと見れば徹底的に喧伝し、自らの価値を上げるのが常道だ。
 従軍記者に問われて、代表者たるカノンはごくあっさりとした表情で応えた。
「我らは雇い主に命じられて攻めた訳ではないでな。悪くすれば抗命罪で首を打たれかねぬ。喧伝など思いもよらぬ」
「命じられてないというか、連中の眼中にないというか」
 と皮肉っぽく付け足したのはメグだ。
 普通、軍事行動中の指揮官連中は、いちいちマスコミ対応などしないし、記者など身辺に寄せ付けはしないのだが、傭兵団として民間企業の面も持つ彼らは、割り合いあけっぴろげである。
「連合」軍司令部から一切の命令が下りてこず、塹壕戦になった翌日からは様々な報告を上げても伝令も満足によこしてこない有様であることは、記者たちも知るところだ。メグのセリフはもっともなことだった。
 ただ、この二人が本音のすべてを語っているわけでもない。
 少なくとも、自分たちが属している「連合」軍側にとって、この勝利は非常に貴重だ。士気の維持のため、これを大いに利用するのが当たり前で、無視に近い現状が明らかにおかしい。
 また、戦線を押し返す気があるのなら、騎士団の突出部を「軸」とした戦略を考えるべきで、その意味でも、自分の正面から敵を消してしまった騎士団の存在は非常に大きいはずだった。
 なのに、騎士団はせいぜい戦線を維持していれば良く、他がぼろぼろなのでそれができている騎士団に構っている余裕が無い、というようにしか見えない「連合」軍司令部の混乱ぶりは、ひどいものだった。
「それより、後退の準備を急がねばならぬ」
 ため息混じりのカノンの言葉が、騎士団の偽らざる現状だった。
 騎士団は正面の敵を排除してのけたが、並んでいるはずの戦線はすでに崩壊の兆しを見せている。また突出した状態になってしまえば、司令部がこの体たらくである以上、所詮少数である騎士団は覆滅されかねない。
 後退の指示はもちろん来ていないが、うかうかしていると袋叩きに合う。
「勝ち逃げは嫌われるけど、しゃーないわね」
 とメグは笑い、もとの塹壕に戻って部下を小休止させている時点で、すでに撤退の準備に入っている。
 あれだけの勝ちを得てきた帰りに、早速撤退に入ろうというのだから、騎士団の切り替えの速さは常軌を逸している。少なくとも、自分たちが従軍している部隊が恐ろしいほどに鮮やかな勝利を得たことに興奮していた記者たちは、驚きと共にそう思った。
 さらに早いのは、補給活動を一手に引き受けているレイだ。
 技術者でありながら、見事な砲戦指揮をやってのけたこの小男は、カノンたちが出撃した時点ですでに撤退準備に入っている。
 どうせ奇襲が成功しようが失敗しようが、撤退は既定路線である。準備は早いほうがいいとばかりに、出ていく者たちが出ていったそばから片付けを始め、カノンたちが帰還してきたときには様々な設備が移動準備を終えようとしていた。
 あれだけ怒涛の勢いで攻撃準備をし、未完成のギアを無理矢理砲台に仕立て、工兵たちを根こそぎ沈没するまで働かせ、あげく撤退準備まで万端整えるというレイの手腕も、記者たちを驚かせるに充分だった。
「フェイレイ・ルース騎士団はロジスティクスで勝つ、というが、これはまた……」
 経験豊富な従軍記者の一人が絶句したのも無理はなかった。
「たしかに、騎士団がどう頑張っても、物量には勝てない。あれだけとてつもない勝利を上げたとはいえ、別の敵に攻め込んでいけるだけの物資を持って戦うのは不可能だ」
 補給の限界というものがある。カノンたちは勝利したが、勝利した時点で、主武器であるギア用機関砲の重金属弾頭はほぼ使い切った状況だし、継戦能力は持っていなかった。防御フィールドで敵を潰していくことは可能だが、それには援護射撃なり敵の不備なり、色々条件を整える必要がある。
「勝ってなお緩む気配もない。これが騎士団の底力だ」
 記者の言葉は、この惑星での戦いを長年見てきた彼の心の底からの実感であり、この惑星の軍を知る彼の悲嘆にも似た慨嘆だった。外宇宙文明華やかなりし現代にあって、未だに惑星の中でごちゃごちゃとやり合っているだけの母星の現状が、騎士団の整然とした秩序を見せつけられて、なんとも言い難い感慨を湧き起こさせるのだろう。
 そんな記者の思いをよそに、事態はどんどん進んでいく。
 戦線を下げるに当たり、物資関連の後退はレイが、兵員の後退とレイの補助をフィルが、それぞれ担当した。
「鉄仮面」フィル・エーカー大佐は無表情な秩序好きとしてイメージされがちだが、その通りである。
 戦線縮小からの後退も、彼の秩序だった頭脳から生み出される指示は、極めて整然として無駄がない。
 戦場の小石一つまで把握している、などと称されるフィルは、塹壕戦の中でもその細やかさを発揮して指揮を執っていた。塹壕に戻ってからは、自らの旅団だけでなく、騎士団の派遣部隊三個旅団すべての指揮を一時預かり、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
 長身かつ美形の彼が、きれいに揃えられた短髪の赤毛を微塵も崩さずに次々と命令を発している姿は、凛々しく、たくましく、まさに軍人の鑑といった風情がある。
 騎士団史上最高の美女と称される司令官のカノンも、彼同様に背を伸ばした凛とした空気を持っているから、ミーハーな市民が「騎士団」という響きに感じるヒロイズムに二人はぴったりはまる。
 一方で、「面倒な任務も終わったし、とっとと逃げるぜ」とのたまいながら、外気よけのエアカーテンを張っただけの、ギアのコクピットの装甲板を全開にしてシートにだらしなく寝そべっている「ルナティック・オレンジ」メグ・ペンローズ大佐は、異名通りのオレンジの軍装の上半身を完全に脱ぎおろし、ブラも外して乳房をさらしている。
 シートに座っているのだからよほど角度が良くなければ彼女の姿を直接見ることはできないが、それにしてもついさっきまで最前線で殺戮の嵐を引き起こしていた人物とは思えない。
 ついでに、フィルの同僚とは到底信じ難いだらしなさであった。
 彼女の場合、露出好きというより、育った環境の問題であるらしいが、そんなことは彼女以外にはどうでもいい話だ。
 よく鍛えられた体のメグは、大胸筋ももちろん発達している。ふつう、鍛え上げた体からは胸の大きさは失われる場合が多いものだが、彼女のそれは、ドレスアップした時に強調する必要もなく存在感と谷間が表現できる程度には大きいし、土台の大胸筋のおかげで形も美しい。
 なまじ美々しいからなおさら怒られる。
 指揮の話で通信を繋いだフィルに開口一番「貴様はまずその脂肪の塊を削げ」と罵られ、カノンに「自慢なのかどうか知らぬが、仕舞わねば斬るぞ」と大層な脅しを賜り、レイからは「ねえ、お願いだからさ、あの二人の忍耐力試すのやめてくんない? あおり食らって迷惑なんだけど」と苦情をいわれている。
 フィルと違って仕事をしていないように見られているが、渋々ブラだけはつけたメグも、実は相当忙しい。
 彼女の役割は殿軍、後退する部隊の最後尾にあって、敵の追撃を遮断するために連隊を一つ預かっている。
 攻勢にあってこそ本領を発揮すると思われている彼女だが、塹壕戦をそつなくこなしていることからも理解できる通り、指揮能力の高さと独特の嗅覚とで、最前線にあってはどんな任務でも完遂するオールラウンダーである。
 もっとも、追ってくる敵など全くといっていいほどいない戦況だから、だらけた格好でコクピットを開け放っている。よく部下がついてくるものだとレイあたりは感心しているが、上司がこうだから変に肩に力が入らずに働けるのかもしれない。
 司令官のカノンはというと、こちらは戦場全体の状況把握と友軍との連携確保に多忙を極めていて、特に「連合」軍司令部のごちゃごちゃした指揮系統をかいくぐって、自軍の後退すべき場所を確保するのに神経を使っていた。
 彼女の若さは戦場でも際立っているが、雇われて戦場に現れて以降の赫々たる武勲と、身にまとうカリスマ、誰もが知るその出自と高貴な立ち居振る舞いとで他を圧し、この時点で彼女を低く見たり舐めてかかるような人間はどこにもいない。
 レイがのんきな顔で淡々と進めていた撤退準備のおかげで、素早く態勢を整えた騎士団は、カノンのゴリ押しとフィルの指揮とでたちまちの内に撤退行動に入り、一個軍団を崩壊させた五時間後には、布陣していた塹壕に「ボルト一本残さなかった」といわれる完璧な後始末をして立ち去った。
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