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「おはよう、フリッツ。おはよう、カイル」
 昨日あの大きな犬に不安や恐れをぶちまけたからか、今朝はとても良い目覚めを迎えた。うん、アニマルセラピー最高!
 いつものようにカイルの尻尾チェックをすると、今日はいつもより多く振られていた。珍しいなと顔を窺うと、生真面目な表情を崩さないようにしているが、目尻がほんの少し下がっている。これはもしかして勤務中のカイルなりの笑顔ではないだろうか?珍しいもの見たな。

 朝食後のゆったりした時間、美味しいお茶を淹れてくれるフリッツに気になっていたことを尋ねる。
「ねえ、フリッツ。この王宮で犬を飼ってたりする?」
「犬、ですか?ええ、何匹か飼っておりますが、いかがいたしました?」
 唐突な質問にも丁寧に答えてくれるフリッツ、彼はカンガルーの獣人らしく上半身の筋肉量は相当なものだが、逞しい外見と違い性格は穏やかで繊細な気配りが効く優しい人だ。
「昨夜庭に出て夜空を見てたら大きな白い犬がいたんだ。そいつ凄く人懐っこくて可愛くてさ。もしここで飼ってるのならまた会いたいと思って」
「昨夜、庭で、大きな白い犬、ですか・・・」
 考え込むフリッツに、もしかしてあの犬は迷い犬で見つかったら処分されてしまうのでは、と懸念が浮かぶ。
「彰様、その犬は青い目で白というより灰色の毛色ではございませんでしたか?」
「そうだよ、フリッツの知ってる犬なのか?」
「ええ、よーーーーーーーく存じ上げておりますよ。残念ながらその犬は王宮で飼われておりません。ですが彰様がお望みとあればまた姿を見せるやもしれませんね。私からも飼い主に言っておきましょう」
「本当?!ありがとうフリッツ!あの犬毛並みが良くて、撫でていて凄く気持ち良かったんだ。あの犬を触っていたらアルクに来て初めて気持ちが癒されたよ」
 素晴らしかった毛並みを思い出してうっとりしてしまう。地球にいる時はそこまで動物好きという訳ではなかったのだが、言葉が通じずとも寄り添ってくれる存在は愛着が湧く。

「そうだったのですね、彰様は獣の毛がお好きでしたか。・・・それならば、私の尻尾など触ってみませんか?」
「いいの?!」
「もちろんです。自分で言うのもなんですが、毛並みには人一倍気を付けておりますので中々の手触りと自負しております」
 いたずらを思い付いた、みたいな笑顔のフリッツから思いがけない提案。彼の大きく太い尻尾は薄茶色の短い毛で覆われており、見るからにフカフカで気持ち良さそうな艶を出していた。そんな魅力的な提案乗るしかない!
「それじゃあお言葉に甘えて触らせてもらおうかな」
 ソファに座る俺の横に立ち、背を向けて尻尾を差し出すフリッツ。恐る恐る手を伸ばし触れた尻尾は驚きの柔らかさだった。短い毛にみっしりと覆われ、指先が沈んでも滑らかな毛の手触りは変わらない。フカフカの毛の下はしっかりした筋肉で、その弾力も味わい深いものがある。
 指先で触れるだけだったものが、手のひら全体で撫で回し、頬擦りするようになり、全身で抱き締めるまで時間はかからなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁ・・・気持ちいいい・・・。昨日の犬とはまた違う手触り最高、抱き枕に欲しい」
 グリグリと尻尾の付け根に顔を埋めて、柔らかな毛並みを堪能する。体に触れる毛の感触は上質な毛布のようで、うっとりと頬が緩んだ。
 鼻先を毛に埋めて思いっきり息を吸い込むと、仄かな薔薇の香りが鼻孔に広がる。身だしなみに気を使うフリッツらしい、いい香りだ。

「お気に召しましたか?」
「凄く!フリッツの尻尾は気持ちいいなぁ。ずっとこうやって抱き締めていたいよ」
きっと数十分はそうしていただろう、全身で毛を堪能したまま答える
「それはようございました。ところで彰様、そろそろ騎士団へ向かう時間ではございませんか?」
 その声にはっとして壁に掛かった時計を見る。針は約束の時間の二十分前を指していて、少し急いで行けば十分間に合う時間だった。教えてもらわなかったら絶対にこのまま尻尾を離さずに遅刻していたはずだ。気配りがありがたい。
「本当だ!ありがとう」
「いいえ、私の役目ですので。彰様、私の尻尾でしたらいつでも触っていただいて構いません。遠慮なくどうぞ」
 名残惜しげに体を離す俺を見て、優しいフリッツは嬉しい事を言ってくれる。
「じゃあ、また触らせてよ。フリッツの尻尾の手触り凄く気持ちいいから、そう言ってくれると嬉しい」
「そんなに喜んでくれるとは、私も嬉しい限りです。彰様、そろそろ参りませんと本当に遅刻してしまいますよ」
「あ、そうだった。じゃあ行こうか、カイル」

 少し急ぎ足で廊下を歩いている時だった。
「彰様はフリッツがお好きなのですか?」
 半歩後ろを歩くカイルから、突然質問が降ってきた。
「え?何で?」
「その、先程ずいぶんと気持ち良さそうに尻尾に抱きついておられたので・・・。獣の部分を触らせるというのは愛情や服従のしるしですし、触れる側もそれを受け入れたから触る。家族や恋仲の相手でないとまず触れる事はありません」
 なんだって?そんなこと知らなかったぞ?!カイルに知らされたこの世界の常識は、今まで読んだ本には一言も書いていなかった。
「・・・・・・知らなかった。フリッツが触っていいって言うから触ったけど、そんな意味があったんだな」
「つまり、彰様はフリッツに対して恋愛感情を持っている訳ではないのですね?」
「ないよ!なに言ってんのカイル?!俺がこの世界で誰かと恋愛なんてする訳ないじゃないか!だって皆男なのに?!」
「その、私には分かりかねるのですが、彰様が時々言われる男や女というものはそんなにも大切なものなのでしょうか?私たちは種や年齢を気にすることはありますが、彰様の言う男と女の違いというものはよく分からないのです」

 カイルの言葉にハッと気付かされる。そうだ、この世界には男しかいないんだった。だから必然的にアルク全体が同性愛者で、俺が思う同性愛とは全く事情が異なるんだ。ここでは俺がどう思おうと、それが通常で世の理なのだから。
 自分が常識と思っている事柄も所変われば非常識、ということが地球でも多々あるが、ここまで強烈なものもないだろう。地球では同性愛者を差別したこともする気もなかったが、それは自分とは関係のない遠い世界のものだという漠然とした思いがあったからだ。いざ自分が直面しなければ真剣に考えない事なんて山ほどある。
 俺は異性愛者であったし、女性と恋をしセックスし結婚して家庭を作り子をなすと疑ってもいなかった。しかしそれはアルクでも地球と同じだ。単一の性しかないというだけで、恋をするのも、セックスするのも、結婚して家庭を持つのも、子をなすのも何一つ変わらない。
 だから俺が先程口走った男しかいないのに恋愛なんてできない、がカイルに理解されないのも当たり前なんだ。

「そうだねカイルたちには分からないと思うけど、俺のいた地球では男と女ってのはとても大事な組分けなんだ。俺やカイル、このアルクの人たちみたいな男と、外見は似ているけれど絶対的に違う構造の女がいて、この男と女でないと子が出来ないんだ。男同士、女同士で愛し合う人もいるけど、とても少数でセックスしても子は出来ない。俺の性志向は多数派に属していたから、このアルクで誰かと恋愛をするのは今は無理だね。人の価値観や思いは変わることもあるから、もしかしたら俺がアルクで誰かに恋をすることもないとは言い切れない。それがいつになるかわからないし、ずっと起こらないかもしれない。だから俺が誰かの尻尾や耳や翼を触っても、それが恋愛感情から来るものではないんだよ」
「・・・そう、でしたか」
「でも尻尾を触らせてくれるのって家族愛も含まれるんだろ?それなら別に触ってもいいんじゃないのか?俺だって癒しが欲しいんだよ、カイルの尻尾も触っていいなら触りたいし。あ、家族愛的な意味でだよ」
「私の、ですか?」
「うん。それに許されるならデニスの耳や尻尾も魅力的だし、アランの翼も触ってみたいよね」
 カイルの後ろに続くデニスとアランもそれぞれに魅力溢れる獣要素を持っている。猫科の尻尾や丸い耳、鷲科の大きな翼なんて絶対に触ったら気持ちいいに決まっている。
「エドガーの丸い尻尾も凄く可愛くてモコモコで触りたいなあ、って思ってるんだよなー」
「彰様が望まれるなら否と言う者はいませんでしょう」
「でもそれじゃあ俺が無理強いしてるみたいだろ。それじゃ嫌なんだ。だからフリッツが尻尾触っていいって言ってくれた時は嬉しかった。それだけだよ」
「では私の尻尾もいつでもお触りください。彰様に触れていただければ、より一層職務に励めます」
「彰様、私の翼もいつでもどうぞ!」
「私も!いつでも尻尾や耳を触っていただいてかまいません!」
 カイルに続き我も我もと声を上げるデニスにアラン。大事な場所を触っていいだなんて、家族までいかなくとも仲間として認められたようで嬉しい。
「ありがとう、嬉しいよ」
 後ろを振り返り、三人へにっこり笑顔でお礼を伝えた。
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