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第36話 男子会
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王国国務大臣との、実のあるようで全くない空虚な言葉の応酬で終わった本日の会議も、カノ王女やヴェセルと内応している西方諸王国からすれば予定通りのものだった。
王国東方のセーガル河戦域では魔族の再侵攻が激化し、メラビオもウルの辺りまで獲られた上、頼みの勇者も散々叩かれて数人しか残っていないという惨状だ。いくら聖女でも死人を蘇らせることは出来ないから、勇者軍はもはや壊滅と言って良いだろう。王城ではカノ王女を中心とした王室派の突き崩しが進み、ハルをセーガル河へ戻す下準備は整いつつある。
そんな状況下、護衛として西方諸王国の代表を務める協商国外務大臣に付き従っていたキリアは、会議室を出て協商国警備隊に護衛を引き継いで休憩していた。
「おや?キリアではないか」
入り口のロビーでお茶を飲んでいると背後から声がかかる。
溌剌とした明敏さを感じるのにやけに重々しい響きは、戦場でも聞いた声だ。
カップを置き、立ち上がって頭を下げる。
「ヴェセル様、お疲れ様です」
「堅苦しくなったのう。以前の……何じゃったか、厨二病と言ったか、あのふてぶてしさはどこへ行ったんじゃ」
笑いながら向かい合ったソファに腰掛けるところを見ると、この先は特に急ぎの用事がある訳ではなさそうだ。
同じように腰を下ろすと、
「忘れて下さいよ……この世界で生きていくことを決めて、何とか生きるために有用なものがないか確かめていただけですって。今の方が素の状態なんですが」
「ほっほっほ、確かに来たばかりの頃のハルも同じようにしていたからの。それで、何か凄い力でも見つかったのか」
「いいえ、まったく。結局はちゃんと自分も人の範疇に収まってはいるようで安心しましたよ」
それを聞いてヴェセルは大笑した。
むろん、キリアの言葉がハルと比較してのことを指しているのがわかっているからだ。彼が魔族の捕虜として捕まっていた間もやっていた、それはカレンやアルノからも聞いている。
ヴェセルにとって奇行に過ぎないそれらは、この世界の一員として生きていくための努力であり、それがたとえ斜め上で意味不明なものだったとしても腰掛けとして引っ掻き回すだけの他の勇者たちより余程好感の持てるものだった。
「まあ、人外には人外の苦労があるからのう。それを理解できず憧れ、羨み、取り込もうとするより健全な態度じゃて」
「過ぎた力は本人も周りも苦労するだけですしね」
肩を竦めて言うキリアに、メイドが運んで来たお茶を一口含んだヴェセルは軽く頷いた。
「お主は強くなれるだろうよ」
「そうでしょうか?他の連中みたいに戦闘に有効な能力なんてないし、体力も人並みですし。ただぼんやり他人の心が聞こえる程度ですよ」
「そんなものは大して役に立たんよ。儂が言っておるのは生きていく力という意味じゃ」
「努力します。まあ……ハルさんくらい努力に裏打ちされた力を得られるようになる頃には、寿命がきてるでしょうけどね」
ヴェセルには様をつけるのにハルにはさん付けなのは、出身は違えど同じ異界人、それも文化が割と似ているということで同郷の誼として強制されたからだ。王国西方軍による西方諸王国に対する懲罰戦争、その緒戦で散々遊ばれたキリアに拒否権はなかった。
「今後も協商国に住むのか?」
話題を変えたヴェセルに、少しだけ考えたキリアは悩みつつ答える。
「国の雰囲気は気に入ってますが……折角だからもう少し他の地域も見てみたいという気もありますね」
そう言ってから「ん?」と考える。ヴェセルの急な問い掛けが言葉通りのものではないことに気づいたからだ。
「ハルさんの移動が決まったんですね」
そう、百年戦争の終結が近いということに。
「来月じゃ。王女殿下と聖女殿の準備も整う。あくまでも政争レベルじゃから王家は王家で抵抗するじゃろうが、近衛師団は骨抜き、国軍は殿下が掌握している以上強くも出られんじゃろうて。別に王位を狙おうという訳でもないしの」
「殿下と聖女様ですか……」
遠い目をしたキリアに、ヴェセルが面白そうな色を浮かべる。
「何じゃ何じゃ、キリアもあのお二人に骨抜きか」
「え、いやそりゃまあ……ただ殿下は身分が違い過ぎますし、聖女様は……アレなんですよね」
「……アレじゃな」
ヴェセルまでが遠い目をするが、これはキリアとは多少違った意味でだ。無意識にだろうか、手を頭にやっている。
「……どうしたんです?頭に何かあったんですか?」
「いやまあ……聖女殿だけは怒らせてはならんぞ、キリア」
「ほんとに何があったんですか」
足を揃えて大事な部分を守るかのように腿をこすり合わせているが、爺のそんな姿は見苦しいだけだ。なるべく視界から外しつつ眉を顰めて問うも、青い顔をしたヴェセルからはかばかしい答えは聞けなかった。
「アルノ殿は元気じゃったか」
気を取り直したヴェセルが尋ねる。
彼が聖女に植え付けられた凄惨な記憶から逃れるのに、キリアが紅茶二杯を飲み干す時間を要したが。
「すっかり女の子らしくなってましたよ。さすが吸血鬼ですよね、殿下や聖女様でもとんでもないレベルなのに、アルノ様が男装やめると……ちょっとあれ異次元じゃないですかね」
もう紅茶いらないんだけどな、と空く傍からお代わりを持ってくる西方辺境伯の優秀なメイドに辟易しつつ答える。
あれから何度か「夜に鳴く鶏亭」で会っているが、その度毎に可憐さを増していく様は何かの冗談としか思えない。ましてただの見た目だけでなくピンク色の幸せオーラまで見えてしまうキリアには目の毒だ。視線をなるべく大将や厳つい客の感情に逃しながら耐えているが、郷里で聞いたことのある「恋する女の子は云々」というのを、異世界に来て実感することになるとは思わなかった。
「アルノ様って、本当に吸血鬼なんですよね?」
苦笑しながら言うキリアに、前に座ったヴェセルは目線を上げただけだった。
代わりに答えたのは、
「本人が言うにはな。だがあれは魔王の眷属であって便宜的に吸血鬼と言ってるだけだぞ」
「ハルさん」
「よ、キリア」
向かい合うヴェセルとキリアを見渡す角に座ると、メイドに軽食を頼む。
水分取り過ぎで気づかなかったがそう言えばそろそろ昼だった、とキリアも同じものを頼むと、
「サキュバスとかセイレーンとか、そういう種族の特性も含まれてるんじゃないですか」
その言葉にヴェセルは不可思議な表情を浮かべたが、ハルは元の世界でも同じ概念があったようだ。
「どうだかなぁ。あいつ、世界の気の集まりだから人族や魔族だけでなくあらゆる世界の性質を内包しているとも言えるしな」
「改めて聞くと、とんでも無いですね」
呆れたような表情を浮かべ、ため息をつく。
「俺は身の程に合った相手を探そうと思いますよ」
何の気なしに言った言葉だったが、年甲斐もなくヴェセルが食いつく。
「ほうほう、その身の程に合った相手が殿下や聖女殿である、と?」
「なに?カノを狙うとはキリアお前……やっぱ勇者だな」
「どういう意味ですか?!ていうかヴェセル様、殿下は身分違いって言ったばかりじゃないですか!」
「すると、聖女殿は狙っている、と。うむ、やはりキリアは勇者じゃのう。本気のハルを相手にする意欲は買うが、勇気と蛮勇を履き違えてはならんぞ」
「ちょっ?!」
「いやぁ別に良いんじゃないかな。こいつは今までの勇者と違うし、俺は認めてやっても構わんが……アリアを泣かせたら殺す。絶対殺す。骨も残さん」
「怖っ!」
何だか新兵を弄っているようで面白い。
ハルとヴェセルはその程度の認識だが、勇者から見ても充分に人外な二人に遊ばれるキリアからしてみればたまったものではなかった。
「そそそ、それよりハルさんじゃないですか!アルノ様と聖女様、ちゃんと上手くやれるんですか」
捕虜交換で戻ってからすぐに勇者軍を抜け地方を遍歴していたからその頃の聖女は知らないけれども、その前の王城で訓練していた頃に何度か見かけているし、この西方でも聖女がセーガル戦域に戻る前に幾度か会った。数少ない接触だからヴェセルからの又聞きが大半なのだが、話を聞く限りでは聖女アリアがハルとアルノがくっつくことを歓迎しそうには思えない。
とは言え、彼が見かけた聖女像は理想の姿であったから、そもそもヴェセルの話を全面的に信用もできないのだが。
けれど、ハルは面白がっていた顔を一瞬にして陰鬱なものに変えたし、引き換えヴェセルは更に面白そうな顔になったから事実なのかも知れない。
「いやまったくじゃのう。ハルお前、どうするんじゃ、もう時間はないぞ」
「くっそヴェセルてめぇ……残り少ない毛抜くぞ」
「ほっほっほ、やれるものならやってみぃ。お主が儂に勝てるのならな」
「くっそヴェセルてめぇ……残り少ない毛アリアに毟らせるぞ」
「……ほんと勘弁してください」
毟ったのだろうか。
あの聖女様が?
天使か女神じゃないかと自分の目を疑ったくらいに清浄で美しかったあの聖女アリアテーゼ様が?
いやそれ以前にマジでヴェセル様ってそこまで強いのか、ハルさんが勝てないくらいに。
と知らない世界に驚くキリアだったが、
「でも聖女様って恋愛して良いものなんですか」
彼の世界観ならではの純粋な疑問だ。
色々と回ったが、狂信的な宗教色を見ることが少なかったし、彼自身もあまり宗教に興味がなくて教会などにも足を運んでいなかった。
「聖職者だからってことか。この世界じゃ好きなように恋愛してるぞ。聖女も例外じゃない」
「じゃから貴族たちの婚姻申し入れが凄くてのう。バカ親が蹴散らしておったから、聖女殿自身は恋愛したことはないじゃろうが」
「当たり前だろ、俺が認めた奴以外には許さん。とは言ってもアリアももう十七だしな、ちゃんとした相手が出来れば嫁に出すのも吝かじゃあない」
「ちゃんとした相手って、例えばどんなです?」
キリアの質問に、届けられたサンドイッチを咥えながら考える。
「ふむ……まず第一に」
「第一に?」
「貴族じゃないこと、貴族であったとしてもカノと同じ思想を持っていること」
「殿下と同じとか……それって融和派であれば良いって訳じゃなくて、考え方の根本がってことですよね。無理じゃないすか」
「いや無理ではな……うん、無理じゃな」
「第二に」
「無視しましたよ。この人普通に無視しましたよ」
「まあ聞いておこうかの」
「アリアだけを見る奴だな。他の女が有象無象でしかない、或いは路傍の石レベルでしかないやつ」
「……それは普通の生活ができるんでしょうか。ある意味頭おかしい人に見られそうですけど」
「ううむ、仕事人間ならあるいは、というところじゃな」
「第三に、どんな危機的状況でもアリアを守り自分も生き残れること。アリアを悲しませるなんてのは論外だからな」
「つまり自分だとでも言いたいんですかね、この人」
「さすがにそこまでナルシストではあるまい……と思うんじゃが」
「第四に、アリアが望む全てを与えられること。世界が欲しいと望んだら世界を征服できないとダメだな」
「魔王じゃないっすか」
「もしくは女神じゃな」
「第五に」
「まだあるみたいですが、いつまで聞きます?」
第四十二まで続いたところで、既に軽食も食べ終わりあくび混じりに聞いていた二人がさすがに止めた。
「ハルさんのこれって、ほんとに父性愛なんですか」
「それは間違いない……かも?聖女殿もハルに男性を求めている訳でない……か?」
「いや断言してくださいよ!あー、でもまあ要するにファザコンってことですか」
あの聖女様がねぇ、と未だ信じられない気分でキリアが呟く。
「嫁に行くとか、絶対無理だと思うんですが」
「行かなきゃ行かないで構わないだろ。俺とアルノが一生面倒見るからな」
「そのアルノ殿と認め合えるかどうかが問題なんじゃがな」
と言っても、さほど心配している訳ではなかった。
旅行も一緒に連れ立ち、アルノの人(?)となりは理解しているから、どちからと言えば、
「まあ、聖女殿が姉的立場でアルノ殿を可愛がる姿しか浮かばんが」
それはそれで凄い絵面になりそうだ。
男装を完全に解いたアルノはこの世のものではないだろうし、そんなアルノを弄る聖女アリアと眷属カレンも人族の美醜眼からすると美しい以外の言葉がない。
魔族の審美眼は族によって異なるので何とも言えないが。
「うーむ、ヤバイのう」
「確かにヤバイですね」
「なにがだよ」
カレンのことは知らないながらも、同じ絵面を想像したのかキリアがヴェセルに同調する。
「これ絶対、悪い虫がひっきりなしに寄ってきますよ」
「ハルは一分一秒たりとも気を抜けんな。疲労困憊なこやつを見るのもまた一興じゃ、楽しみにしておくとするか」
「そんなことは……ヴェセル、念のために改めて稽古つけてもらって良いか?」
「じゃが断る!」
「何でだよ!」
自分たち西方諸王国も決して弱兵ではなかった。
そもそも王国軍は装備が適切とは言い難い状態だった。
が、それでも策を見抜かれ伏兵を破られ、手も足も出ないまま蹂躙された。
早々に降伏を選んだ、いや恐らく選ばされたから死者は出なかったしキリアとしても望んだ方向になったとは言え、本来的には恐怖の象徴でしかない。
人族にとって、見たことのない魔王より、何もさせてもらえないまま気づいたら降伏するしかないという追い込み方をしてくるハルの方が、よほど怖いのだ。
そんな人族最高の司令官と副官の会話としては呑気すぎるのだが、カノ王女や聖女をはじめ、この人たちが作る世界なら楽しく生きていけるかも知れないと根拠もなくそう思った。
その数日後、王城にて魔王軍との和平交渉開始が決定された。
条件はハルをセーガル河戦域に戻し、対等な交渉が可能になる程度には戦線を押し戻すこと。具体的には、少なくともメラビオの奪還。
当事者たちの呑気な遣り取りを他所に、百年戦争は終結に向かいつつあった。
王国東方のセーガル河戦域では魔族の再侵攻が激化し、メラビオもウルの辺りまで獲られた上、頼みの勇者も散々叩かれて数人しか残っていないという惨状だ。いくら聖女でも死人を蘇らせることは出来ないから、勇者軍はもはや壊滅と言って良いだろう。王城ではカノ王女を中心とした王室派の突き崩しが進み、ハルをセーガル河へ戻す下準備は整いつつある。
そんな状況下、護衛として西方諸王国の代表を務める協商国外務大臣に付き従っていたキリアは、会議室を出て協商国警備隊に護衛を引き継いで休憩していた。
「おや?キリアではないか」
入り口のロビーでお茶を飲んでいると背後から声がかかる。
溌剌とした明敏さを感じるのにやけに重々しい響きは、戦場でも聞いた声だ。
カップを置き、立ち上がって頭を下げる。
「ヴェセル様、お疲れ様です」
「堅苦しくなったのう。以前の……何じゃったか、厨二病と言ったか、あのふてぶてしさはどこへ行ったんじゃ」
笑いながら向かい合ったソファに腰掛けるところを見ると、この先は特に急ぎの用事がある訳ではなさそうだ。
同じように腰を下ろすと、
「忘れて下さいよ……この世界で生きていくことを決めて、何とか生きるために有用なものがないか確かめていただけですって。今の方が素の状態なんですが」
「ほっほっほ、確かに来たばかりの頃のハルも同じようにしていたからの。それで、何か凄い力でも見つかったのか」
「いいえ、まったく。結局はちゃんと自分も人の範疇に収まってはいるようで安心しましたよ」
それを聞いてヴェセルは大笑した。
むろん、キリアの言葉がハルと比較してのことを指しているのがわかっているからだ。彼が魔族の捕虜として捕まっていた間もやっていた、それはカレンやアルノからも聞いている。
ヴェセルにとって奇行に過ぎないそれらは、この世界の一員として生きていくための努力であり、それがたとえ斜め上で意味不明なものだったとしても腰掛けとして引っ掻き回すだけの他の勇者たちより余程好感の持てるものだった。
「まあ、人外には人外の苦労があるからのう。それを理解できず憧れ、羨み、取り込もうとするより健全な態度じゃて」
「過ぎた力は本人も周りも苦労するだけですしね」
肩を竦めて言うキリアに、メイドが運んで来たお茶を一口含んだヴェセルは軽く頷いた。
「お主は強くなれるだろうよ」
「そうでしょうか?他の連中みたいに戦闘に有効な能力なんてないし、体力も人並みですし。ただぼんやり他人の心が聞こえる程度ですよ」
「そんなものは大して役に立たんよ。儂が言っておるのは生きていく力という意味じゃ」
「努力します。まあ……ハルさんくらい努力に裏打ちされた力を得られるようになる頃には、寿命がきてるでしょうけどね」
ヴェセルには様をつけるのにハルにはさん付けなのは、出身は違えど同じ異界人、それも文化が割と似ているということで同郷の誼として強制されたからだ。王国西方軍による西方諸王国に対する懲罰戦争、その緒戦で散々遊ばれたキリアに拒否権はなかった。
「今後も協商国に住むのか?」
話題を変えたヴェセルに、少しだけ考えたキリアは悩みつつ答える。
「国の雰囲気は気に入ってますが……折角だからもう少し他の地域も見てみたいという気もありますね」
そう言ってから「ん?」と考える。ヴェセルの急な問い掛けが言葉通りのものではないことに気づいたからだ。
「ハルさんの移動が決まったんですね」
そう、百年戦争の終結が近いということに。
「来月じゃ。王女殿下と聖女殿の準備も整う。あくまでも政争レベルじゃから王家は王家で抵抗するじゃろうが、近衛師団は骨抜き、国軍は殿下が掌握している以上強くも出られんじゃろうて。別に王位を狙おうという訳でもないしの」
「殿下と聖女様ですか……」
遠い目をしたキリアに、ヴェセルが面白そうな色を浮かべる。
「何じゃ何じゃ、キリアもあのお二人に骨抜きか」
「え、いやそりゃまあ……ただ殿下は身分が違い過ぎますし、聖女様は……アレなんですよね」
「……アレじゃな」
ヴェセルまでが遠い目をするが、これはキリアとは多少違った意味でだ。無意識にだろうか、手を頭にやっている。
「……どうしたんです?頭に何かあったんですか?」
「いやまあ……聖女殿だけは怒らせてはならんぞ、キリア」
「ほんとに何があったんですか」
足を揃えて大事な部分を守るかのように腿をこすり合わせているが、爺のそんな姿は見苦しいだけだ。なるべく視界から外しつつ眉を顰めて問うも、青い顔をしたヴェセルからはかばかしい答えは聞けなかった。
「アルノ殿は元気じゃったか」
気を取り直したヴェセルが尋ねる。
彼が聖女に植え付けられた凄惨な記憶から逃れるのに、キリアが紅茶二杯を飲み干す時間を要したが。
「すっかり女の子らしくなってましたよ。さすが吸血鬼ですよね、殿下や聖女様でもとんでもないレベルなのに、アルノ様が男装やめると……ちょっとあれ異次元じゃないですかね」
もう紅茶いらないんだけどな、と空く傍からお代わりを持ってくる西方辺境伯の優秀なメイドに辟易しつつ答える。
あれから何度か「夜に鳴く鶏亭」で会っているが、その度毎に可憐さを増していく様は何かの冗談としか思えない。ましてただの見た目だけでなくピンク色の幸せオーラまで見えてしまうキリアには目の毒だ。視線をなるべく大将や厳つい客の感情に逃しながら耐えているが、郷里で聞いたことのある「恋する女の子は云々」というのを、異世界に来て実感することになるとは思わなかった。
「アルノ様って、本当に吸血鬼なんですよね?」
苦笑しながら言うキリアに、前に座ったヴェセルは目線を上げただけだった。
代わりに答えたのは、
「本人が言うにはな。だがあれは魔王の眷属であって便宜的に吸血鬼と言ってるだけだぞ」
「ハルさん」
「よ、キリア」
向かい合うヴェセルとキリアを見渡す角に座ると、メイドに軽食を頼む。
水分取り過ぎで気づかなかったがそう言えばそろそろ昼だった、とキリアも同じものを頼むと、
「サキュバスとかセイレーンとか、そういう種族の特性も含まれてるんじゃないですか」
その言葉にヴェセルは不可思議な表情を浮かべたが、ハルは元の世界でも同じ概念があったようだ。
「どうだかなぁ。あいつ、世界の気の集まりだから人族や魔族だけでなくあらゆる世界の性質を内包しているとも言えるしな」
「改めて聞くと、とんでも無いですね」
呆れたような表情を浮かべ、ため息をつく。
「俺は身の程に合った相手を探そうと思いますよ」
何の気なしに言った言葉だったが、年甲斐もなくヴェセルが食いつく。
「ほうほう、その身の程に合った相手が殿下や聖女殿である、と?」
「なに?カノを狙うとはキリアお前……やっぱ勇者だな」
「どういう意味ですか?!ていうかヴェセル様、殿下は身分違いって言ったばかりじゃないですか!」
「すると、聖女殿は狙っている、と。うむ、やはりキリアは勇者じゃのう。本気のハルを相手にする意欲は買うが、勇気と蛮勇を履き違えてはならんぞ」
「ちょっ?!」
「いやぁ別に良いんじゃないかな。こいつは今までの勇者と違うし、俺は認めてやっても構わんが……アリアを泣かせたら殺す。絶対殺す。骨も残さん」
「怖っ!」
何だか新兵を弄っているようで面白い。
ハルとヴェセルはその程度の認識だが、勇者から見ても充分に人外な二人に遊ばれるキリアからしてみればたまったものではなかった。
「そそそ、それよりハルさんじゃないですか!アルノ様と聖女様、ちゃんと上手くやれるんですか」
捕虜交換で戻ってからすぐに勇者軍を抜け地方を遍歴していたからその頃の聖女は知らないけれども、その前の王城で訓練していた頃に何度か見かけているし、この西方でも聖女がセーガル戦域に戻る前に幾度か会った。数少ない接触だからヴェセルからの又聞きが大半なのだが、話を聞く限りでは聖女アリアがハルとアルノがくっつくことを歓迎しそうには思えない。
とは言え、彼が見かけた聖女像は理想の姿であったから、そもそもヴェセルの話を全面的に信用もできないのだが。
けれど、ハルは面白がっていた顔を一瞬にして陰鬱なものに変えたし、引き換えヴェセルは更に面白そうな顔になったから事実なのかも知れない。
「いやまったくじゃのう。ハルお前、どうするんじゃ、もう時間はないぞ」
「くっそヴェセルてめぇ……残り少ない毛抜くぞ」
「ほっほっほ、やれるものならやってみぃ。お主が儂に勝てるのならな」
「くっそヴェセルてめぇ……残り少ない毛アリアに毟らせるぞ」
「……ほんと勘弁してください」
毟ったのだろうか。
あの聖女様が?
天使か女神じゃないかと自分の目を疑ったくらいに清浄で美しかったあの聖女アリアテーゼ様が?
いやそれ以前にマジでヴェセル様ってそこまで強いのか、ハルさんが勝てないくらいに。
と知らない世界に驚くキリアだったが、
「でも聖女様って恋愛して良いものなんですか」
彼の世界観ならではの純粋な疑問だ。
色々と回ったが、狂信的な宗教色を見ることが少なかったし、彼自身もあまり宗教に興味がなくて教会などにも足を運んでいなかった。
「聖職者だからってことか。この世界じゃ好きなように恋愛してるぞ。聖女も例外じゃない」
「じゃから貴族たちの婚姻申し入れが凄くてのう。バカ親が蹴散らしておったから、聖女殿自身は恋愛したことはないじゃろうが」
「当たり前だろ、俺が認めた奴以外には許さん。とは言ってもアリアももう十七だしな、ちゃんとした相手が出来れば嫁に出すのも吝かじゃあない」
「ちゃんとした相手って、例えばどんなです?」
キリアの質問に、届けられたサンドイッチを咥えながら考える。
「ふむ……まず第一に」
「第一に?」
「貴族じゃないこと、貴族であったとしてもカノと同じ思想を持っていること」
「殿下と同じとか……それって融和派であれば良いって訳じゃなくて、考え方の根本がってことですよね。無理じゃないすか」
「いや無理ではな……うん、無理じゃな」
「第二に」
「無視しましたよ。この人普通に無視しましたよ」
「まあ聞いておこうかの」
「アリアだけを見る奴だな。他の女が有象無象でしかない、或いは路傍の石レベルでしかないやつ」
「……それは普通の生活ができるんでしょうか。ある意味頭おかしい人に見られそうですけど」
「ううむ、仕事人間ならあるいは、というところじゃな」
「第三に、どんな危機的状況でもアリアを守り自分も生き残れること。アリアを悲しませるなんてのは論外だからな」
「つまり自分だとでも言いたいんですかね、この人」
「さすがにそこまでナルシストではあるまい……と思うんじゃが」
「第四に、アリアが望む全てを与えられること。世界が欲しいと望んだら世界を征服できないとダメだな」
「魔王じゃないっすか」
「もしくは女神じゃな」
「第五に」
「まだあるみたいですが、いつまで聞きます?」
第四十二まで続いたところで、既に軽食も食べ終わりあくび混じりに聞いていた二人がさすがに止めた。
「ハルさんのこれって、ほんとに父性愛なんですか」
「それは間違いない……かも?聖女殿もハルに男性を求めている訳でない……か?」
「いや断言してくださいよ!あー、でもまあ要するにファザコンってことですか」
あの聖女様がねぇ、と未だ信じられない気分でキリアが呟く。
「嫁に行くとか、絶対無理だと思うんですが」
「行かなきゃ行かないで構わないだろ。俺とアルノが一生面倒見るからな」
「そのアルノ殿と認め合えるかどうかが問題なんじゃがな」
と言っても、さほど心配している訳ではなかった。
旅行も一緒に連れ立ち、アルノの人(?)となりは理解しているから、どちからと言えば、
「まあ、聖女殿が姉的立場でアルノ殿を可愛がる姿しか浮かばんが」
それはそれで凄い絵面になりそうだ。
男装を完全に解いたアルノはこの世のものではないだろうし、そんなアルノを弄る聖女アリアと眷属カレンも人族の美醜眼からすると美しい以外の言葉がない。
魔族の審美眼は族によって異なるので何とも言えないが。
「うーむ、ヤバイのう」
「確かにヤバイですね」
「なにがだよ」
カレンのことは知らないながらも、同じ絵面を想像したのかキリアがヴェセルに同調する。
「これ絶対、悪い虫がひっきりなしに寄ってきますよ」
「ハルは一分一秒たりとも気を抜けんな。疲労困憊なこやつを見るのもまた一興じゃ、楽しみにしておくとするか」
「そんなことは……ヴェセル、念のために改めて稽古つけてもらって良いか?」
「じゃが断る!」
「何でだよ!」
自分たち西方諸王国も決して弱兵ではなかった。
そもそも王国軍は装備が適切とは言い難い状態だった。
が、それでも策を見抜かれ伏兵を破られ、手も足も出ないまま蹂躙された。
早々に降伏を選んだ、いや恐らく選ばされたから死者は出なかったしキリアとしても望んだ方向になったとは言え、本来的には恐怖の象徴でしかない。
人族にとって、見たことのない魔王より、何もさせてもらえないまま気づいたら降伏するしかないという追い込み方をしてくるハルの方が、よほど怖いのだ。
そんな人族最高の司令官と副官の会話としては呑気すぎるのだが、カノ王女や聖女をはじめ、この人たちが作る世界なら楽しく生きていけるかも知れないと根拠もなくそう思った。
その数日後、王城にて魔王軍との和平交渉開始が決定された。
条件はハルをセーガル河戦域に戻し、対等な交渉が可能になる程度には戦線を押し戻すこと。具体的には、少なくともメラビオの奪還。
当事者たちの呑気な遣り取りを他所に、百年戦争は終結に向かいつつあった。
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役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !
本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。
主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。
その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。
そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。
主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。
ハーレム要素はしばらくありません。
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