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第35話 いつも通りの主従

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「ねえねえカレン、ちょっと面白い奴がいたわ」
 少しずつ太陽の位置が高くなりつつあるが、まだ夏と言うには遠い。
 ゆったりしたワンピースを身に着けたアルノは、陽当りの良い居間で光を散らす髪をふわりと靡かせて脇に控えるカレンを見やった。

 勇者がいたら「吸血鬼なのに陽当りを好むのか」と揺らぐ吸血鬼の定義に頭を悩ませそうだが、アルノとカレンにとってはこれが当たり前である。
「覚えてるかしら、ホウリュウインっていたじゃない。あれに昨日会ったのよ」
 アルノの楽しげな言葉に、メイド服をきっちり着こなしたカレンは表情を歪めた。
「アレですか……」
 根に持つなあ、と思いつつ藪を突いても仕方ないので話を進める。
「勇者の割にはまともな思考回路だったわ。ハルに近いかもね。現実を受け容れてこの世界で暮らすことにしたみたい」
「ハル様は致し方なくと言う感じでしたが……まあ、それは確かに面白いかも知れませんね。ですが、前の勇者も居着いておりませんでしたか」
「あれはハーレムを手放したくなかっただけじゃない?今回のはどうもそういう感じでもないのよ。ゼロからやり直せるなら、しがらみのない世界が良いって割り切り方ね。嫌いじゃないわ」
 その様子を思い出したようで、笑いながらカップを乾杯するかのように掲げる。
「あれは殺さずに見ているのが面白いと思うの。勇者ホウリュウインの前途に幸いあれ」
 見えないグラスに当ててクスクスと笑みをこぼす。
 こういった所は見た目相応のお子様なのだが、どっこいカレンは中身を知っている。眷属だから。

「お嬢様、子供のような真似はおやめください、紅茶が溢れます」
 はしたないですよ、と言っても無駄だろうから最も効果的「になった」言葉を続ける。
「ハル様に子供扱いされたいのですか」

 その言葉に、だらしなく背もたれに預けていた体を起こしてそっとカップをソーサーに戻すと、すっと背筋を伸ばす。
「お殺さずに見ている方が面白うございますわね。勇者ホウリュウインのお前途に幸いあれでございますわ」
「……『お』と『ございますわ』をつければ良いという物では、ございません」
 はぁっとため息をつき気持ちを切り替える。
「それで、お嬢様が仰っていた勇者カミジョウとやらには会えましたか?仲間を殺されて尚、能天気でいられたかそれとも復讐に走ったかが知りたいのですが」
「あー、いたわ。何だかホウリュウインに論破されてたけど……そうね、能天気の方だったわ」
「では、もう少し煽っても良いかも知れません。あれだけ間引いても変わらないのでしたら、より一層恐怖を教え込ませた方が今回の勇者には効くでしょう」

 実のところカレンにとってはどちらでも良かった。
 勇者たちの性質を知りたいだけであって、勇者が復讐で好戦的になろうが恐怖で引き篭もろうが、戦略全体に影響を及ぼすものではない。後者であれば勇者軍全体への厭戦感情をより推進できそうだからお得だな、という程度のものだ。
 問題は未だ西方で動きがないことの方だった。
 時折ヴェセルから鳥を利用した逓信が来るものの、重要な部分は読み取れない。広大な王国を挟んだ反対側ということもあり、フルドラ民を中心とした魔族側の諜報活動も鈍重だ。
 あまり王室派を追い込むと追加の勇者召喚をしそうだし、時間的にさほど猶予がある状況ではなかった。
 ギリギリまで削り、且つ王室派貴族で構成される勇者軍中核の近衛師団に平和思想を蔓延させたのだから、後は西方でハルたちが成果を上げ融和派の発言力を強めつつこのセーガル戦域に戻ってきてもらいたい。

 魔族は魔王様の意向が絶対、故にその先のことは魔王様次第で確定していないけれども、融和派が主導した王国とハルが戻って拮抗した戦況、二つの状況が揃えば交渉の席を設けることは可能だろう。ついでに西方諸王国からの突き上げもあれば完璧だが、不確定要素を当てにすることはできない。
 ただ、交渉のきっかけをどうするかについては正直なところ何ひとつ心配していない。
 ハルとアルノが、自分の気持ちに気づいているのだから。
 人族は本気になったハルの行動に制限を加えることなど出来ないし、その状況になればそもそも彼の後ろには教会の象徴たる聖女と、カノ王女がいる。
 魔王様は自分の作ったアルノがどう成長するのかを楽しんでいるから、彼女の恋心を知ったら面白がって煽りこそすれ、戦争の遂行に邪魔だからと止めることは決してしないだろう。魔王様にとって戦争などその程度のものでしかないし、そんな魔王様の趣味嗜好ですら魔族には絶対のものである。
 無論、戦争の目的である人族の技術や文化の取り込みは、交渉の結果としては必要だが盛り込むことに問題はないと考えている問題があるとすれば、程度や方法といった実務交渉レベルのものであり、その前に魔族側から何を対価とするのか、だ。

 いずれにしても西方の動き次第であり、カレンはその点についてだけは余裕なくじりじりと待っている。
 そんな風に考えていると眷属の心主知らず、とアルノが嬉しそうに、
「じゃあ、次も出て良いわね?」
「え、ああ、まあそうですね。ただ、殺り過ぎないようにお願いします」
「どうしたのよカレン。何だか浮かない顔ね」
 気づいたアルノが心配そうに問う。
 が、長年眷属として仕えているカレンにはわかっていた。これはカレンの心労を心配しているのではなく、そのことから自分にとばっちりが来ることを恐れてのことだ。
 まあそんなところが、我が主ながら可愛らしいところでもあるのだが。
「ご心配をお掛けしてしまい申し訳ありません、西方の動きが読めないものですから、次の手へのタイミングが測れないことが不安でして」
「あ」
「あ?」
 カレンの目に、やっべと言いたげな表情のアルノが映る。
 これ絶対なにかやらかしてるわ、と思ったカレンに、
「えーと。うん、そう、そうよね西方の動きが気になるわよね、私もそう思ってたのよ、だからね、タイミング見てカレンに渡そうと思ってたの、ちょうどよかったわ!はいこれ、ホウリュウインからよ!」
「お嬢様。過ちは犯すことを過ちと言うのではなく、それを改めないことを過ちと言うのです。認めることはその第一歩ですよ」
「……スミマセンデシタ」
 がっくり項垂れながらすっと差し出された紙。
 脳筋なところも可愛いのだが、さすがに戦略に関わることには慎重になって欲しいと思いながらも折りたたまれたそれを開く。読み進めるカレンの目が下へ移動するに従い、呆れ果てたような空気が強くなり、アルノは小さくなって紅茶をすすった。

「お嬢様」
「はい」
「ホウリュウインは西方諸王国に居るのですね」
「はい」
「ヴェセル様と王女の仕掛けた策に嵌ってハル様の侵攻を許し、わずか数日で降伏を選んだとか」
「はい」
「既に条件交渉に入っていると書かれていますが」
「はい」
「王女ら融和派と示し合わせての交渉の引き伸ばし、合併を匂わせることで国民に領土拡大を夢想させてハル様の軍功喧伝、その間王女による王室派への突き上げ、王国の動揺を誘うからメラビオまでの征服を進めて欲しい、と」
「はい」

 ぐしゃり、と紙を持つ手に力が入る。
 ひぇっと小さく声をあげたアルノが肩をすくめ、恐る恐るカレンを見上げる。赤い目を向けられたカレンは今度こそ大きくため息をつくと、
「はぁ……まあ良いです。今回はちゃんと翌日に出して頂けましたので。ただ、私が言わなければいつまで忘れていらっしゃったんでしょうね?」
「はい!すみませんでした!ちゃんと忘れないようにします」
 まったく仕方ないですねお嬢様は、という生緩い視線を感じながらアルノはけれど事態が進むことを歓迎していた。と同時に怖気付いてしまう。
「ねぇカレン」
「なんでございましょう」
「戦争、終わるのかしら」
 司令官が随分と大雑把な言い方をするものだ、と思いながらカレンは少しだけ考え込む。
「……必ず、とは言えません。人族の政治次第というところもありますので。ただ、大まかな方向性としてはハル様がこちらに戻ってくれば、それは終戦もしくは停戦の可能性が高くなったと判断して良いと思います」
「そう……」
 うーん、とカップを持ったまま器用な姿勢で頭を抱える様子に、カレンは脳筋で暴力しか興味のなかった主も変われば変わるものだ、と思った。

 今までなら「停戦?知ったことか、全滅させるまで突き進め」と言いそうなものだったが、こうして悩んでいるのは戦争の趨勢についてではない。
 ハルにどう接すれば良いかだろう。
 ヴェセルからの連絡でハルの様子も知っているカレンとしては「気にせず押し倒せ」くらいのアドバイスをしたいのだが、二百歳なのに肝心なところでネンネなアルノにそうはっきり言う訳にもいかない。素直になって接しろ、とでもアドバイスしておけば良いだろう。

「お嬢様、押し倒して既成事実を作ってしまえば良いのです」
「はぇっ?!」
「間違えました、素直な気持ちで接するのが一番でございます」
「そんな間違え方、ある?」
「大丈夫ですよ、面倒臭い恋する乙女を出しても、ハル様が引くことはありませんから。それくらいは信用して差し上げてください」
「……そ、そうかな。今まで男のフリしてたこととか精神魔法かけてたこととか怒らないかな……ってちょっと待って、今面倒臭いとか言った?」
「気のせいでございます」
 しれっと答えるカレンに、釈然としない表情ながらもハルにどう接するかという、より重大な問題に意識が向いたらしい。



 戦争遂行の最高司令官が、戦争のことよりも恋の方をより重大と考えることに問題がないかと言われれば確実に問題あるのだが、百年続いているこの戦争の帰趨は結局のところアルノとハルの恋愛問題に収束するのだから構わないだろう。
 それはそれで死んで言った兵士たちにはアホらしいことこの上ないだろうが、なに彼らもどうせこの世界で輪廻しているのだ。
 人族はどうか知らないが、魔族の魂は総数が決まっており必ず転生する。寿命や事故で死んだ魔族は記憶も失い赤子から生まれなおすが、殺された魔族はアルノほどではなくとも記憶を持ちある程度成長した状態で転生するから、残された方が悲嘆にくれることもあまりない。
 但し、そのためには族を問わず持っている消滅魔法で肉体を完全に消し去る必要があるから、捕虜として捉えられ人族の中で晒し者にされた死体は長い年月を掛けて消滅するまで転生しない。その時の魔族が人族に対して抱く復讐心や怨念は凄まじく、グィールと呼ばれる誓いを行い、殺した人族を一族郎党まで皆殺しにすることを族に宣誓し戦闘で凄まじい働きを見せる。
 圧倒的少人数の魔族が戦線を維持できているのは、こういった魔族の特性に由来する。

 故に彼らにとっての死は、人族にとってのそれより軽い。葬儀などと言う形式ばったものがなく、「いってらっしゃい」的な軽さで酒盛りして送り出すというのも魔族の特徴だ。
 そんな魔族がどう始まったのかはわからないけれども、だからこそ総数を増やすことは難しく、魔王様がアルノを生成したレベルでとは言わないまでも、新たな魔族の魂の現出には時間を必要とするのだ。
 輪廻や巡り合わせを生の当たり前として捉えている魔族において、それが出来ないアルノは異質な存在だ。そしてハルは、そんな魔族においても異質、輪廻に加わらず永久に生きるアルノに初めて出来た執着だ。
 人族どころか魔族のいかなる犠牲にも目を瞑って、カレンとしては成就させたい。
 お互いの気持ちは明らかなのだ。あとはそれぞれが一歩を踏み出せば良い。素直にさえなれれば、それだけで良い。



「大丈夫ですよ、素直に処女だと白状すればハル様があとは宜しくお召し上がりくださるでしょうから」
「言い方!」
「あ、でもハル様も素人童貞でしたか……お嬢様がリード……あ、これ無理かも知れません」
「ちょっとー!」

 この主従は今日も平常運転だった。
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