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第25話 無自覚な本音

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「大将、ハルは来ていないのか?」
 冬の休戦期間が明け、早速戦場でひと働きしてきたアルノは不機嫌を隠そうとせずにカウンター越しに尋ねる。
 戻ってきたのは首を横に振る返事だけ。
「……ここにも来られないということか」

 妖族の街に入れる条件は明らかになっていない。
 門の衛視に聞いてもはっきとした返事は戻ってこないし、恐らくは魔王や女神の制約と同じように超常の力による意味不明な判断基準によるものなのだろう。
「……オススメの白酒と、適当につまみを出してくれ」
 すっかりやる気のなくなったアルノは、詰まらなさそうな顔で注文するとため息をつく。
 戦いも詰まらなければ、その後の楽しみもない。早くハルが帰ってくれば良いのに、と二百歳超えの乙女は頬杖をつきながらぼんやりと退屈そうにあくびをした。





「は?人族は負けを認めたってこと?」
 休戦期間明けの戦闘に備え、軍の見回りから戻ってきたアルノに事の次第を告げたカレンは、着替えを済ませた主の前に紅茶のカップを置いた。
「そうではありません」
「ハルがこの戦線から抜けるってことは、そういうことでしょ。それともあのゴミムシみたいな勇者を集めれば私に勝てるとでも思っているの?」
「そう思っているかも知れませんが、さすがにそこまで愚かではないようで兵力の補充は成されると。王都から聖女までが派遣されるのだとか」
「今更?ハルが散々要請したのに叶えられたことがないって嘆いていたけど」
「勇者と聖女、ハル様を抜いた人族の力で我々に勝利したという実績が欲しいのでしょう」
 その分、ハルの行く西部戦線は戦力が薄くなるのだが、西方諸王国を軽く見ている王国はそれでも問題ないと考えているのだろう。
「……本気で出来ると思っている、と?」
 不機嫌そうに鼻を鳴らし、カップに口をつける。
 今日はいつもより少しだけ苦い気がする。より一層眉を顰めたアルノは、
「いいわ、秒殺してやる」
 理解させるには手っ取り早い、とアルノらしい思考で青筋を立てる。
 まったくもって人族とは愚かだ。聖女など来たところで何の役に立つと言うのか。
 温泉旅行からハルに制約がかかっていたことはこれか、と思いつつもどこか納得できない気持ちで苛立ちをぶつける先を勇者と聖女に定める。
 だが、尖ったアルノの思考をカレンが穏やかに遮った。
「ヴェセル様から言付けがございます」
「ヴェセルから?」
 頷いたカレンが取り出した封筒に目をやる。
「温泉旅行の際に渡されました。どうやらヴェセル様にも制約がかかっていたようで、開封できたのは今朝になってからです」
 受け取って紙を広げ、ざっと目を通す。



 ハルも何度か試したが、ハルからアルノに伝えることは文字でもアウトだったらしい。それを想定していたヴェセルは王都のカノ王女や聖女アリアと諮り、ヴェセルからカレンを通じてならばハルとアルノの遣り取りより制約が緩くなっている可能性を考えた。
 予想は当たり、文字すら書きつけられなかったハルと違い、ヴェセルなら手紙を認めることは可能であったことから、人族で何が起きているか、この先の自分たちの行動方針などを伝えておく、と続いている。
「ふーん。ハルも伝えてくれようとはしたんだ」
 そこは大事なところではないのだが、とカレンは思ったが口には出さずにおいた。
 二百歳にもなって未だ思春期をこじらせたみたいな主に、良かったですねとか言ったら面倒臭いツンデレに付き合わなければならなくなる。
「それでも今朝まで開封できなかったということから、制約はかかっているようです。相変わらず条件がよくわかりませんが」
「まあね。でも魔王様に聞いたってどうせ教えて貰えないし、そういうものだと諦めるしかないんじゃない」
 事実その通りなので、カレンは続きを読み始めた主の速度を考えながら、紅茶を淹れ直すタイミングを図る。

 静かに準備をしていると、情報をまとめるためか途中でアルノが言葉に出す。
「西方の人族国家の動きは把握してたけど、動いたのね」
「そのようです。諜報からの報告で裏付けも取れました」
「で、厄介払い同然にハルの異動が決定された、と」
「カノ王女と聖女がだいぶ引き伸ばしたようではありますね。ヴェセル様が我々に手を打てる時間を確保するのが精一杯だったようですが」
「ヴェセルも書いてるわ。……失礼極まりないけど」
 何の手も打たずにハルが抜けてしまうと、アルノが人族の血でセーガル河の水量を増やしてしまう。必ずハルを戻すから短慮だけは謹んで欲しい。
 くれぐれも、とわざわざインクの色を変えてまで念押ししている。それも三回。
 限りなく失礼なヴェセルの手紙に、やや不機嫌そうな目つきで文字を追うアルノだったが、ついさっきまでそうしてやろうと思っていただけに反論できない。まあ、反論したくとも書いた本人はここにいないのだが。
「このボエェ公爵?とやら言う豚を始末すれば話は早いんじゃないの」
「ボーエン公爵ですお嬢様。人族は派閥やら政治やら法律やらで、力で解決すれば良いというものではないのですよ」
 それに、人族の殲滅は魔王の意図するところではない。あくまでも魔族の方針は、人族を魔族の役に立たせることであるのだから。今アルノが着ているワンピースだって人族が縫製したものだし、カレンが淹れ直している紅茶は妖族の街で人族から買ったものだ。
 魔族だけでは生存を維持できても、文化的な満足感は得られない。

 文字を追うアルノにそう説明すると、
「それに、ハル様ご自身は人族社会に居場所を求めている訳ではないようですが、ヴェセル様やそのご家族、融和派であり弟子のような王女や聖女、一緒に戦ってきた戦友の家族などが生きている間は彼らの居場所を守るという意思は強いようです」
「エルフ族だけは外してるでしょうけどね」
 おかしそうにクスクスと笑う。ハルが目の前から消える訳ではない、と理解して機嫌も多少は治ってきたようだ。それに、まだ「夜に鳴く鶏亭」で会える可能性も残っている。
 読み終えたアルノの目は、先程よりも嬉しそうな赤が戻っていた。
「つまり、ハルでなければならない状況に追い込めば良いってことね。簡単じゃない」
 ぱさり、と手紙をテーブルに放り投げると余裕の表情で背もたれに体を預けて笑う。
「簡単ですか?本当に簡単ですか?」
「……なによ」
 紅茶を置くと、カレンはじっと主の赤い目を見つめる。
「全滅は魔王様の企図されるところではありませんよ?」
「わ、わかってるわ」
「緩い半殺し程度では聖女が治癒してしまいますよ」
「う、うん、わかってる」
「より効果的な打撃を与えるには、人族のどの部隊がどの国どの貴族の兵か理解して攻勢するのが宜しいんですよ」
「そそそ、そうね、そうだと思ってたわ」
「お嬢様にご理解頂けているようで何よりです。では、人族の指揮官及び門閥や家系などもご承知おきでございますね?」
「……当たり前でしょ」
「間があったように思いますが」
「気のせいよ」
「では、こちらの資料は不要ですね。お嬢様を侮って用意してしまったことをお詫び申し上げます」
「すみません、わかりません、資料お願いします」



 アルノのために王室派貴族に関係する指揮官や部隊が記載された一覧表を見ながら、いかにも面倒だ、と言わんばかりにため息をつく。
「ねぇカレン、こいつらまとめて殺しちゃだめ?」
「だめです」
 王室派のみで戦功を独占しようと融和派は外されているが、一気に殲滅してしまっては焦った王室派が派閥関係なく指揮官と兵を集めてしまう。魔王様からの指示に従うためにも、人族が今まで通りの生活が送れるよう政権の勢力図だけを変えなければならないのだ。
 顔を顰めて面倒そうなアルノには自重してもらわないと、ハルが抜けた人族など鎧袖一触とばかりに根こそぎ殺しかねない。
「そんなことになったら、魔王様はお怒りになりますよ」
「……そうなんだけど」
「じりじりと将官クラスを減らし、王室派だけでは政治も回せない状況に追い込むのです。そうなればハル様はこちらの戦域に戻されるでしょう」
「それまでにハルが西方でやられる可能性は……ないわね」
「ありませんね」
 あれで武技は達人クラスだ。
 勇者のように特典として与えられたものや、剣聖と呼ばれるような天才たちのように生まれた持ったものはないが、生き残るために努力と経験を途方もなく積み上げて至ったそれは、アルノの攻撃すら何度も躱している。
 夜に鳴く鶏亭でいつか聞いたのだが、そこに至るまでには何度か手脚を切り落とされたり目玉を貫かれたりもしたらしい。それでも死なず再生するあたりが、彼曰く「俺にもチート能力があった」ということだとか。
 が、不老不死と言っても痛みや苦しみはあるわけで、それがチートやら言うのでは勇者たちとあまりに扱いが違いすぎないだろうか。
 ともあれ、ハル本人が人族にやられることはないだろうし、万が一各国の剣聖クラスにあたって負けることがあっても死ぬことはない。暗殺者は既に私兵が何度も撃退しているし、軍団同士の戦いであれば尚更心配は無用のものだろう。

「つまり、ハル様が西方で諸王国から和平を持ち出させる程度に磨り潰す間、お嬢様はこちらで王室派のみを狙い討ちして頂ければ良いのです」
「まあ、それでハルがこっちに戻ってくるってことなら、やるけど……」
 渋々と言った感じで言うアルノだが、恐らく本人は気付いていない。
 好敵手として再び戦場で相見えたいというだけで、指先一つで軍勢を蹴散らせる脳筋暴力娘がこんな面倒なことをする筈がないのだ。少なくとも、カレンが眷属になったばかりの頃や、その後のハルとの戦いが始まった頃にはこんな傾向はなかった。
 偶然ハルと顔を合わせた「夜に鳴く鶏亭」で飲み交わすようになってからだ。

 ぶつぶつ言いながら資料を覚え込もうと唸る主を見てそんなことを考えていたカレンが、ふとした悪戯心で声を掛ける。
「早くハル様に会いたいですね」
「そうね」
「次に会えたら素直になれると良いですね」
「ええ、そうね」
 さり気なく挟み込まれたカレンの言葉につい、と言ったように答えてしまったアルノがはっとして顔を上げる。
「そ、そうね、ええ、早く戦いたいわ」
 慌てるアルノにくすくすと笑いながら、
「素直になりたいんですね、お嬢様」
「ち、ちが……す、砂を」
「砂?」
「そう、砂!次にあったら、砂を使った目晦ましを取り入れてやっつけてやろうかな、って!」
 いくら焦っているからと言って、あまりにもあんまりな言い訳に頭痛を感じながらカレンがはぁっと大きくこれみよがしなため息をつく。
「お嬢様……五十や六十の子供じゃないんですから。砂遊びを言い訳に取り入れるのはお止めくださいませ」
 さすがのアルノも、自覚しているだけにぐぅの音すら出ず、がっくりと項垂れた。
 そんな主に忠実なメイドはトドメを刺す。
「無意識のうちに発した言葉や感情は、本音を表してるそうですよ」
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