「夜に鳴く鶏亭」ビールあり〼

皆川 純

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第15話 妖族

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 かろん。

 今日も「夜に鳴く鶏亭」のカウベルもといドアベルが軽快に来店を告げる。
「よ」
「ん」

 夜に鳴く鶏亭では積極的な営業活動を行っていないが、それでもある程度の来客はあるしある程度以上の来客はない。ぎっしりで息苦しいこともなければ、静かすぎて気がひけることもない、ちょうど良い塩梅の居酒屋、それが妖族の中立都市が誇る人気の要因でもあるのだ。

「あー、つっかれたー。大将いつもの」
「爺むさいガキだな。大将、私には白酒おかわりくれ」
「お、珍しいな初っ端から白酒かよ」
「今日のおすすめはさっぱりした甘口で旨いぞ。浅漬けと合う」
「へぇ。じゃあ二杯目はそれにしてみっかな」

 何故と言うに、そもそも妖族の街は大多数の人族や魔族が来られるような場所ではないのだ。ふと旅人が迷い込んだりすることはあっても、狙って来られるものではない。
 が、出るのは簡単。迷い人は皆そうなのだが、街を出る時に帰る場所を思い浮かべて門を潜ればそこは帰りたい場所だ。
 妖族が中立を保っているのは彼らの種族的特性である「魔法も物理も効かないよ」もあるのだが、主要因はこの街のそういった特殊な性質による。

「ほいじゃ、お疲れ」
「乙」
「くっはー、やっぱ仕事終わりの一杯はビールに限るぜ」
「ふん、単純なやつだ。たまには最初から落ち着いて味わったらどうなんだ」
「そうか?まずは駆けつけ一杯、とりあえず生、じゃね?」
「じゃね、と言われてもな」

 その特性はよく知られており、人族にとっても魔族にとっても妖族の街に行くことは生涯の憧れだったりする。数少ない来訪者たちが伝えたエデンの噂は彼らの憧憬を呼び、探検家たちの胸を踊らせる。
 だからこの店にいる客の大半は運良く迷い込んだことに浮き立って滞在期間である三日間を精一杯楽しもうとする連中か、妖族のどういった基準か不明な理由によって認められた常連客のどちらかだ。
 比率は言うまでもない。後者は今日も、アルノとハルだけなのだから。

「大将の料理は相変わらず絶品だな。今日のマンサの塩焼き、最高じゃん」
「それには激しく同意だ。これでシースを出してくれれば文句ないのだが」
「そりゃしょうがない。あ、でもあれだ、この街がたまたま海辺の近くとかに滞在していたら可能なんじゃねぇか?大将、どうなんだ?」

 ハルはセーガル河の人族領域、それも河から少し入った要塞からだし、アルノは魔族領域の軍事拠点からだ。それなのに彼らが自分たちの出発点からこの店に来るまでの歩数や時間は、実はまったく同一である。
 さて、今日も夜に鳴く鶏亭に行くか。
 それぞれの建物を出てそう思えば、霧が瞬時に立ち込めて足を踏み出したそこはもうこの街の入り口なのだから。

「そうか、ダメなのか……まあ、実際この世にあるのかどうかすらわからないもんな」
「ううう……無念だ、大将の目利きで選んだ新鮮な魚を握ってもらえたら最高だと思ったのに」

 街の入り口には妖族の衛視が立っているが、来る者を拒むことはない。では何のためにいるのかと言えば街の案内と注意事項を伝えるためだ。
 花が咲き鳥が鳴き、街の中央広場で輝く噴水は柔らかな陽光にきらめく。石畳の道にはゴミひとつ落ちていない。
 妖族の好みだろうか、臙脂や青の屋根に深く落ち着いた濃茶の木目を活かした木と石または漆喰の白い壁、街路に瑞々しく枝葉を広げる銀杏や楓が美しいコントラストを成す。

「そう言えばハル、人族の西方がきな臭いらしいじゃないか。良いのかこっちに張り付いていて。遠慮せず西方へ異動しても良いんだぞ」
「ざけんな、首輪をつけてないタロスを放つみたいな真似ができるか。お前がこっちにいる限り動かねぇよ」
「ちっ」
「あ、おいまさか、西方はお前らの仕業じゃ……あーいやないか。ないない、ないな」
「何でだ」
「だってお前脳筋じゃん。ん?でもカレンさんが立案してるならあり得るか」
「よし喧嘩だな?買った」

 衛視が案内のためにいるように、街中は平和で穏やかな妖族の特徴そのままに諍いも口論もない。注意事項だって、人族でも魔族でもあるようなごく一般的なことだけだ。
 つまり。
 盗むな、殺すな、暴力奮うな、街を汚すな、など。
 彼らは食事も睡眠も必要とせず、その価値基準も人族や魔族には明確でない在り方をしているから原理は不明なのだが、日々を楽しく生きる、それだけの種族だ。

「私だって作戦立案はする。司令官なのだからな」
「へー。例えばどんな?」
「言うかボケ」
「何だよ、お前の作戦程度じゃ別に何も問題ねぇって。どうせあれだろ、ノッテの奴らを前衛にしてフルグの連中が遊撃で両翼撹乱、後衛のロヒが大火力で魔法を遠距離で撃ち込むとかその程度だろ」
「……そ、そそそ、そんなことはない」
「あのな、平原で大兵力同士でやるならともかく、エル・メラビオみたいな狭隘な地形でやるもんじゃないだろ。余裕で各個撃破するわ、ていうかしたわ」
「ぐぬぬ……」

 殺伐とした戦争とは無縁な平和な種族が、何故よりにもよってハルやアルノのような軍人に常時来訪を許可しているのかはわからないが、滅多にいない待遇であることは確かだ。
 そしてそんな温厚な妖族に、呆れられ怒られボコられる二人は大概だ。大概の阿呆である。
 これでいつでも来られる常連だと言うのだから、ヴェセルやカレンが妖族の認識に疑問符を浮かべてしまうのも無理はない。

「あ、ハル。今日捕まえた捕虜の勇者な、あれ拷問して良いか?」
「ダメに決まってんだろ脳筋魔族。ちゃんと戦時条約守れ」
「面倒臭い」
「おいふざんけなよ、お前マジで拷問なんかしたらこっちもやるからな」
「ほう、面白い。お前が拷問なぞできるものか」
「おう乗ってやんよ。まず生爪剥がしからやってやろうか。確かあいつフルドラの頭の弟だったよなあ。同族やられてカレンさん悲しむだろうな、なあおい?」
「……ハル、どうやらお前は私を怒らせたいようだな」
「わらかすな、先に挑発したのお前だろうが」
「ああ?」
「おおん?」

 そして妖族に中立を維持させている、彼らを最強足らしめている最大の要因は物理も魔法も効かないのに彼らからの物理も魔法も効くという、何とも理不尽かつ一方通行な特徴だ。



「「ごめんなさい」」
 頭をさすりながらお互いに謝罪すると、満足した表情で大将の嫁が仕事に戻っていく。
 以前は大将にボコられて門から放り投げられたが、今回はいつもの口論の範疇で収まったためこれで済ませてくれたようだ。まあ、いつもの口論の範疇とは言え殺気を振り撒いて客を畏怖させたのだから、折檻されても文句は言えない。
「で、アルノ。まさか本当にやるなよ?絶対やるなよ?」
「なんだ、それはあれか、ええっと何だったかな……『フリ』ってやつか」
「違うわ!ていうかなんでそんな単語知ってるんだ」
「ん?例の捕らえた勇者が言ってたぞ。牢に入れようと思ったら落とされるとでも勘違いしたのか、押すなよ押すなよこれフリじゃないからなって」
「何だそりゃ……」
 呆れ顔をしたハルだったが、ふと思い出した。
 確か、魔族の牢は塔や崖上など高所に吊り下げられた鳥籠のようなやつだ。そしてアルノが拠点にしているセーガル河沿いの要塞は、人族が確保していたものを奪われた場所である。
 だいぶ前に人族領の街だった頃一度だけ行ったことがあるが、四隅の物見塔はかなりの高さだったような気がする。
 そんな所から突き出して渡された橋を通って吊り牢に行かされたのでは、そりゃ恐怖するだろう。

「手荒に扱っていないだろうな」
「当たり前だ。お前の方こそフルドラの副長を丁寧に扱っているだろうな」
「いやあいつ、図太すぎてこっちが困ってるんだけど。なに、魔族ってあんなんだったっけ?」
 アルノが口に出した捕虜のことを聞いて、ハルは苦い顔をした。
 そんな彼に、不思議そうな顔をしてアルノが尋ねる。
「どういうことだ」
「どういうもこういうも、高位捕虜として丁重な扱いを求めるとか言ってさ、酒は要求するわ暇だから手慰みにって鍛冶場に入ろうとするわ、それで無理にでも押し込めようとすると急に弱々しい態度とってさぁ……」
 ジョッキを煽って空けた後のしかめた顔は、ビールの苦味によるものでは断じてない。面倒くさい捕虜を捕らえてしまった悔恨からだ。
 それを聞いたアルノは、納得したような困ったような表情で、
「あー……ヤツも魔族、しかも全体的に小柄で華奢なフルドラ民だからなぁ。フルドラは愛らしさで族での優劣を決めるという妙な特徴があるから」
「まじであいつ、ショタにしか見えんしな。あれで百歳超えってんだから恐れ入るわ」
 カレンは眷属化した際にその恐るべき膂力と魔力に耐えられるよう多少の身体改造が成されているから忘れていたが、その主たるアルノはどこからどう見てもロリかショタであり、フルドラの副長はそれに負けず劣らずのショタっぷりだ。他の種族はどちらかと言えば屈強な重戦士みたいな体つきなのだが、フルドラ民だけは鎧に着られている幼子が無理に戦場へ出てきているように見える。
 とは言え慣れてしまっているハルやヴェセル、兵たちは「だから何だ」くらいにしか思わない。むしろ戦場で相見えれば、馬鹿力のノッテ兵に当たらなくて良かったと安堵するレベルで、小器用さだけが取り柄のフルドラは戦果上げの対象でしかない。
 だが、街の住民や従軍民間人、そして異界から来た勇者はそうもいかない。
 この世界の住人であればまだ戦争相手という認識があり抵抗も少ないのだが、どうやらハルと近い文化習俗の世界から呼び出された今回の勇者たちは、近いというだけで彼よりも更に平和な世界から来たようだ。
 小学生みたいな子がいる、勇者たちの間に漏れたそんな声を耳にした瞬間嫌な予感はしたのだが、案の定フルドラ兵は勇者軍をターゲットにして副長を前面に押し出し、勇者たちの戸惑いと罪悪感を煽って一人をうまうまと捕虜にしたのだ。
 慌てて駆けつけたハルの私兵によって副長を捕虜とし、何とか面目を保ったがその捕虜がまた拠点としている街で自らの種族的特徴を盾に好き放題やっている。そのくつろぎっぷりと自由奔放な有様は、到底捕虜のものとは思えない。

 思い出して深くため息をついたハルは、
「そんな訳でさっさと引き取ってくれ」
「あー……何というかスマンな。あいつに関しては流石に申し訳ない」
 魔王軍フルドラ兵の副長としては別に問題は起こさないし、従順で魔族には珍しく賢いから助かってもいるのだが、その小狡さを捕虜として発揮されると考えれば、そりゃもう面倒ったらないだろう。
 容易に想像できたアルノは一も二もなく捕虜交換に応じる。
「だがなハル、私が言うのも何だがあの勇者たち、邪魔でしかないのではないか。矢玉と血煙の戦場で敵を前に『殺せない』とか、思わず耳を疑ったぞ」
「俺に言わんでくれ。よーくわかってる。どうもえらく平和な世界だったみたいで、こちらが武器を置けば相手もわかってくれるとか頭おかしい主張ばっかりなんだよ。さすがの近衛も手を焼いてるわ」
 既に捕虜として捕らえられ、どのような勇者なのかを魔族に理解されているからということなのだろうか、ハルの発言には一切の制約がかからなかった。
「それ、こっちでも言ってたぞ。武器をとって争っていても何の解決にもならないとか。あれ、阿呆だろ。武器を取らなきゃどうにもならなくなったから戦争やってるってのに」
「だよなあ……」
 アルノは自軍のことではないから、ただただ心底から呆れているだけなのだが、そんな勇者を戦力として用いることを王室から強要されているハルとしては頭痛の種でしかない。
 どこか面白そうな顔をしているアルノを睨むと、
「なあアルノ、ここはひとつ相談なんだが」
「聞くだけなら聞いてやろう」
「こっちのは返すからさ、勇者はそのまま捕虜にしといてくれね?」
「断る」
「だよな」

 きっぱりと言い切ったアルノの言葉にがっくりしながら、同じ平和な種族でも絶対的な力を担保にした妖族とただの平和ボケでお花畑な勇者の違いを突きつけられたような気がして、ハルはやけくそ気味に白酒を注文した。
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