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第10話 漁港へ行こう!
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「おいそこのクソ人族」
「なんだよクソ魔族」
普段は殺し合いで殺伐とした関係でしかない四人が、奇跡的にもこうして揃ってシースを食べに漁港の街に行こうというのだから、少しは仲良くすれば良いのに。
そう思ったのはヴェセルとカレンだけだった。
「カレンにその薄汚い目を向けるな、色魔め」
「黙れショタ野郎。向けてないって言うか薄汚くねぇっつの」
まあ、今回は主にというかほとんど全部アルノのせいだ。眷属である自分を大事に思ってくれるのは嬉しい限りだが、果たして本当にそれだけだろうか。
最近は「夜に鳴く鶏亭」へ行くにもそれなりに戦塵を払い、消えない血の匂いがついている時にはわざわざ同じ軍服に着替えて出て行くアルノに、もしかしたら二百年経ってようやく思春期キタコレと思っていたカレンは、相変わらずの主にそっとため息をつきつつ注視していた。
「お前のようなクソ人族がカレンに見惚れるなど百年早いわ」
「うわー醜い醜い。嫉妬に狂ったクソ魔族は見るに耐えないね、しかめっ面してると皺が増えるぞ老害め」
だからと言って、実年齢九十を越えようとしている大の大人が、売り言葉に買い言葉で楽しい旅行を台無しにする必要もなかろうに。
密かに人族の間では生きていけないであろうハルの行く末を案じていたヴェセルもまた、まるで成長しない参謀に呆れた目を向ける。
「クソガキ主が申し訳ございません、ヴェセル様」
「いやいや、こちらこそバカガキ参謀がカレン殿にご心痛をお掛けしてしまって」
「「おいそこ」」
かっぽかっぽと並足で進む四頭の馬が、ヤルムークの川沿いを下って行く。秋晴れの空は高く、夏の湿り気を川が吸い取っていったかのように澄み切った空気を裂いて、ぴーひょろとビントが鳴いた。
人生最後の旅になるかも知れないこんな時間を、ハルが自分のことを思って用意してくれたことについて、ヴェセルは感謝しかない。しかも、今まで散々殺しあってきた魔族の司令官にその眷属との旅だ。いかに中立の妖族の領域があると言え、ここまでの幸運とチャンスに恵まれたのはハルの戦友だったからこそだろう。
遥か天高く、旋回するビントの秋らしい声を聴きながら、
「おいボケ司令官。あのビント、お前の使い魔じゃないだろうな」
「は、人族の小童が生意気に使い魔などを知ってるとはな。無知な小僧の知ったかぶりだったとしても褒めてつかわす」
「あ?何だとこいつ」
「お?やるかコラ」
やれやれ、とこんな素晴らしい秋空の下でくだらない舌戦を繰り広げる戦友と好敵手に声をかける。
「お主ら、いい加減にせんか。たまには素直に旅情を味わえ」
「まったくヴェセル様の仰る通りです。せっかくの気分を台無しにするおつもりですか」
「う……申し訳ない、カレンさん」
「うぐぅ……すまんな、ヴェセル」
声を合わせて謝る辺り気が合わないわけでもなかろうに、とヴェセルとカレンが思っていると、
「あ?おい重ねんじゃねぇよ」
「お?貴様が邪魔したんだろ」
「ああ?」
「おおん?」
駄目だこいつら。
心を合わせた同行人二人は黙って顔を見合わせると、視界からも聴覚からも面倒臭い上官と主人をシャットアウトすることにした。
さわさわと馬の足元を駆け抜ける風が下草を揺らし、かっぽかっぽとのんびり馬は進む。秋の空はどこまでも広く、ヤルムークの流れは穏やかだった。
「おー!寿司、寿司だ」
「寿司だな!寿司だぞ!」
「いやまだ街が見えただけじゃろ」
「気が早すぎます、お嬢様」
今にも速歩に移しそうな二人を戒める、もはやこの三日で保護者気分な二人。実年齢で言えばお子様全開な方こそが年上なのだが、人外は精神年齢までおかしくなってしまうのだろうか。
アルノは初めての人族領域、それも大好物の魚を熱望した寿司という料理として食せるということから理解できるのだが、ハルまで何やらハイテンションだ。
「大変ですね、ヴェセル様も」
「カレン殿ほどでは。いや、聞きしにましてじゃじゃ馬娘ですな」
さらっと言ったヴェセルに、カレンは一瞬驚きの色を走らせる。
「やはり気づいておられましたか」
「……カレン殿が儂を、いや人族をどう見られておるのか知りませんが、気づかないのは余程のバカではないかと思いますがのう」
「……ですよね」
いくらないと言っても、軍装ですら少年と見間違えるほどのつるぺたになる、ということは当然ない。
確かに小さいけど、小さいけど!とアルノが常日頃嘆いているように多少はふくらんでいるのだ。一体全体、ハルの目にはどんなフィルターがかかっているのか不安になるほど気づいていないのはおかしなことだった。
そう思って小首を傾げるヴェセルに、意図を把握したカレンが「恐らくですが」と前置きして答える。
「無意識ではないかと思います。お嬢様は魔族でも抵抗できないほど精神魔法に長けていらっしゃいますので」
それはつまり、
「暗示?でしょうかな。それとも存在の認識を歪めるような魔法があるのじゃろうか」
「どちらなのか、人族での分類はわかりかねますがハル様の意識の深い部分でお嬢様の性を認識する箇所にだけ催眠をかけ、他者との比較を妨害したり過去の思い込みに固執させたりしているみたいですね」
さらりと言うカレンに、ヴェセルは白く伸びた眉毛の下の閉じかけた目を見開いた。
「いやはや……驚愕ですな」
「お嬢様の魔法は特別ですので」
「ああいや、そちらもじゃが……」
「魔王軍司令官の魔法を人族の参謀付作戦補佐官に伝えたことですか」
ヴェセルの驚愕を的確に当てるカレン。
頷いたヴェセルに口を開きかけて、街へ急ごうと距離の離れた前の二人に目を細める。
「私の希望は、お嬢様に寄り添える方を探すことだけですから。正直なところ、魔王軍や魔族がどうなろうとあまり気にしていません」
軽く笑った。
その笑顔に嘘や誤魔化しを感じられなかったヴェセルも、同じように先の二人を眺めて苦笑すると、
「どうやら儂らの目的は同じようですな。ここはひとつ」
「ええ。ぜひ同士として共に」
以心伝心。
美しく頼もしい同盟が結成された、ように見えたが、
「アルノ殿が女性とわかった時のハルの面食らう顔が見ものですな」
「ハル様にバレた瞬間のお嬢様の驚愕を思うと、今からわくわくが止まりません」
「ただバラすのも勿体ないですな。最高のタイミングと言えばやはり」
「ええ、お互いにどうしようもなく意識した時点で、でしょう」
顔を見合わせてニヤリと笑う同盟は、さほど美しくも頼もしくもなかった。
「ハル、寿司は最高だな」
「だろ?」
翌朝、たっぷりと夕食を堪能し、地元の白酒をがぶ飲みした二人は大はしゃぎで漁港へと足を向けていた。
その後ろからついてくる保護者二名は、
「あやつら……人の苦労も知らんで」
「……いつか必ず思い知らせてやりましょう」
ビールから始まり白酒にヴィンを樽ごとかっくらい、酔った二人がいつもの口論を始め、妖族の大将がいないことで遠慮する必要のないまま喧嘩という名の「絶対壊れないサンドバッグ」ハル化してしまい。
大笑いしながら唐突に倒れて眠ってしまった二人に代わって店と客に謝罪し、支払いをし、部屋へ放り投げて後始末の手伝いをしたヴェセルとカレンは、額に青筋を浮かべて後ろから殺意を漲らせる。
こうして思い返すだけでも最悪だ。最悪の上官と主だ。
普段が割と抑圧された状態だからたまにはハメを外させてやりたいが、限度というものがある。
「見ておれよ、この先何百年も思い返して恥ずかしくなるくらいの状況を設定してやる」
「まったくです、悶え死ぬくらいの演出でなければ気が晴れません」
この旅は勇者軍参謀と魔王軍司令官の仲を深めるだけでなく、それぞれの部下の紐帯も強めたようだった。
「おーいヴェセル、こっちだ!話つけたから沖まで出てみようぜ」
「カレン、早く来い!お前の分の竿も借りておいたぞ!」
漁師に金を渡して小舟を借り切り、抑えきれないように手を振る二人に嫌な予感しかしない。
「カレン殿……」
「ええ、行きたくないですね。ていうか勝手に二人で遊んでくれば良いものを、なぜ私たちを巻き込もうとするのか理解できません。迷惑な」
「意外と辛辣なんですな」
「いえ、敬愛する主でございますよ?」
二人がようやくボートまで辿り着くと、すでにスロープから降ろされて準備は万端だった。
四人で乗るには大きめで、この辺りは潮流も波も穏やかだからそれなりに沖合まで出られるだろう。釣竿や道具もしっかり揃えられており、オールを一本ずつ手にしたハルとアルノが両舷に立っていつでも出せるとばかりに待ち構えている。
「ハルよ、念のために言っておくが」
「ご主人様、一応ですが」
絶対にろくなことにならない、と判断した二人の苦言も聞く耳持たず。
「わかってるわかってる、操舵は得意なんだ、任せろ」
「無茶はせんから安心して早く乗れ、カレン」
ため息をついて覚悟を決めた二人を乗せ、ボートは海に乗り出した。
「ハル!もちっと落ち着け!ボートの速度じゃないわ!」
「ごごご、ご主人様、止め、止めてください、一瞬で良いので!」
この状況でも「お嬢様」と言わないカレンはメイドの鑑だが、どう見ても限界だ。
だが、
「おーおー、年寄りのくせに頑張るじゃねぇかアルノ」
「貴様なんぞに負ける私ではない」
最初は帆を張ってゆっくりと湾内の航行を楽しんでいたのだが、早く釣りをしたいと言ったアルノの言葉でオールに切り替えた。
この大きさだと一人で漕ぐことは出来ないので当然ハルとアルノの二人で一本ずつを担当し両舷で漕ぎ始める。
だが、本来息を合わせてタイミングよく漕ぐことで直進させる、それはひとつの技術と言えるものであるくらいなのだから、ど素人でありお互いに協力しようなどカケラも思わない二人だと当然こうなるのだ。
「回っとる!さっきから回っとるぞ!」
「うぼおぇぇぇぇ」
「か、カレン殿ー!死んではなりません、というかその容姿で見せてはならぬ姿になっとりますぞ!」
「もう無、無理ですぅ……ヴェセル様、私に変わって必ず我が主に復讐を……おぅえぇぇぇ」
「カレン殿ー!」
ゆったりと波打つ静かな海面に、海鳥の鳴き声。
潮の香りは生命を感じさせ、死と血に塗れた戦場とはまるで違う。穏やかな休日に小舟を借り切って海に出る、のんびりと釣果を気にせず糸を垂らすのは贅沢な時間の使い方だ。
穏やかな時間が流れ、どれくらいの時を経たのかすら忘れ気がついたらのんやり過ごし過ぎて体のあちこちが痛い、なんていうのもこんな時間を過ごす対価なのだろう。
「……ほんと、サーセンした」
「サーセンした……」
正座による足の痺れでなければ、最高の時間の過ごし方だ。
船べりから魚の餌を撒き散らしたカレンの顔色も何とか戻り、六十年の付き合いであるハルですら見たことない、忿怒の形相のヴェセルにちびった二人は船で土下座していた。
「あ?」
「お?」
これはカレンとヴェセルの声だ。
断じてハルとアルノではない。
「ひっ!あ、あの、本当にすみませんでした!」
「ごめんなさいごめんなさい、もうしません!」
勇者軍参謀と魔王軍司令官が震え上がるほどの眼力を見せた好々爺と有能なメイドは、ぷるぷると震えながらひれ伏す二人を見て溜飲を下げたか、視線を交わす。
まあ、はっちゃけてしまったという点はあるが、それでも彼らがいつも世話をかけているヴェセルとカレンにも楽しんでもらいたいと思って連れてきたということは理解している。
それがただ、そう、楽しすぎて我を忘れてしまっただけなのだ。それぞれの族の一般的範疇を超えている二人が我を忘れると、普通の人族と魔族には死を垣間見させるという傍迷惑さをわかっていないだけ。
悪気がないのは確かなので、頭を船底にこすりつける二人を見ながらとりあえず許すことにする。
もちろん、後日必ず復讐するが。
「反省しているようじゃし、許してやろう」
「ご主人様、帰りは絶対にはめを外さないようにお願いします」
「あざっす!」
「ぁりあーす!」
「ああ?」
「おおん?」
「「ほんっとすみませんでした」」
「なんだよクソ魔族」
普段は殺し合いで殺伐とした関係でしかない四人が、奇跡的にもこうして揃ってシースを食べに漁港の街に行こうというのだから、少しは仲良くすれば良いのに。
そう思ったのはヴェセルとカレンだけだった。
「カレンにその薄汚い目を向けるな、色魔め」
「黙れショタ野郎。向けてないって言うか薄汚くねぇっつの」
まあ、今回は主にというかほとんど全部アルノのせいだ。眷属である自分を大事に思ってくれるのは嬉しい限りだが、果たして本当にそれだけだろうか。
最近は「夜に鳴く鶏亭」へ行くにもそれなりに戦塵を払い、消えない血の匂いがついている時にはわざわざ同じ軍服に着替えて出て行くアルノに、もしかしたら二百年経ってようやく思春期キタコレと思っていたカレンは、相変わらずの主にそっとため息をつきつつ注視していた。
「お前のようなクソ人族がカレンに見惚れるなど百年早いわ」
「うわー醜い醜い。嫉妬に狂ったクソ魔族は見るに耐えないね、しかめっ面してると皺が増えるぞ老害め」
だからと言って、実年齢九十を越えようとしている大の大人が、売り言葉に買い言葉で楽しい旅行を台無しにする必要もなかろうに。
密かに人族の間では生きていけないであろうハルの行く末を案じていたヴェセルもまた、まるで成長しない参謀に呆れた目を向ける。
「クソガキ主が申し訳ございません、ヴェセル様」
「いやいや、こちらこそバカガキ参謀がカレン殿にご心痛をお掛けしてしまって」
「「おいそこ」」
かっぽかっぽと並足で進む四頭の馬が、ヤルムークの川沿いを下って行く。秋晴れの空は高く、夏の湿り気を川が吸い取っていったかのように澄み切った空気を裂いて、ぴーひょろとビントが鳴いた。
人生最後の旅になるかも知れないこんな時間を、ハルが自分のことを思って用意してくれたことについて、ヴェセルは感謝しかない。しかも、今まで散々殺しあってきた魔族の司令官にその眷属との旅だ。いかに中立の妖族の領域があると言え、ここまでの幸運とチャンスに恵まれたのはハルの戦友だったからこそだろう。
遥か天高く、旋回するビントの秋らしい声を聴きながら、
「おいボケ司令官。あのビント、お前の使い魔じゃないだろうな」
「は、人族の小童が生意気に使い魔などを知ってるとはな。無知な小僧の知ったかぶりだったとしても褒めてつかわす」
「あ?何だとこいつ」
「お?やるかコラ」
やれやれ、とこんな素晴らしい秋空の下でくだらない舌戦を繰り広げる戦友と好敵手に声をかける。
「お主ら、いい加減にせんか。たまには素直に旅情を味わえ」
「まったくヴェセル様の仰る通りです。せっかくの気分を台無しにするおつもりですか」
「う……申し訳ない、カレンさん」
「うぐぅ……すまんな、ヴェセル」
声を合わせて謝る辺り気が合わないわけでもなかろうに、とヴェセルとカレンが思っていると、
「あ?おい重ねんじゃねぇよ」
「お?貴様が邪魔したんだろ」
「ああ?」
「おおん?」
駄目だこいつら。
心を合わせた同行人二人は黙って顔を見合わせると、視界からも聴覚からも面倒臭い上官と主人をシャットアウトすることにした。
さわさわと馬の足元を駆け抜ける風が下草を揺らし、かっぽかっぽとのんびり馬は進む。秋の空はどこまでも広く、ヤルムークの流れは穏やかだった。
「おー!寿司、寿司だ」
「寿司だな!寿司だぞ!」
「いやまだ街が見えただけじゃろ」
「気が早すぎます、お嬢様」
今にも速歩に移しそうな二人を戒める、もはやこの三日で保護者気分な二人。実年齢で言えばお子様全開な方こそが年上なのだが、人外は精神年齢までおかしくなってしまうのだろうか。
アルノは初めての人族領域、それも大好物の魚を熱望した寿司という料理として食せるということから理解できるのだが、ハルまで何やらハイテンションだ。
「大変ですね、ヴェセル様も」
「カレン殿ほどでは。いや、聞きしにましてじゃじゃ馬娘ですな」
さらっと言ったヴェセルに、カレンは一瞬驚きの色を走らせる。
「やはり気づいておられましたか」
「……カレン殿が儂を、いや人族をどう見られておるのか知りませんが、気づかないのは余程のバカではないかと思いますがのう」
「……ですよね」
いくらないと言っても、軍装ですら少年と見間違えるほどのつるぺたになる、ということは当然ない。
確かに小さいけど、小さいけど!とアルノが常日頃嘆いているように多少はふくらんでいるのだ。一体全体、ハルの目にはどんなフィルターがかかっているのか不安になるほど気づいていないのはおかしなことだった。
そう思って小首を傾げるヴェセルに、意図を把握したカレンが「恐らくですが」と前置きして答える。
「無意識ではないかと思います。お嬢様は魔族でも抵抗できないほど精神魔法に長けていらっしゃいますので」
それはつまり、
「暗示?でしょうかな。それとも存在の認識を歪めるような魔法があるのじゃろうか」
「どちらなのか、人族での分類はわかりかねますがハル様の意識の深い部分でお嬢様の性を認識する箇所にだけ催眠をかけ、他者との比較を妨害したり過去の思い込みに固執させたりしているみたいですね」
さらりと言うカレンに、ヴェセルは白く伸びた眉毛の下の閉じかけた目を見開いた。
「いやはや……驚愕ですな」
「お嬢様の魔法は特別ですので」
「ああいや、そちらもじゃが……」
「魔王軍司令官の魔法を人族の参謀付作戦補佐官に伝えたことですか」
ヴェセルの驚愕を的確に当てるカレン。
頷いたヴェセルに口を開きかけて、街へ急ごうと距離の離れた前の二人に目を細める。
「私の希望は、お嬢様に寄り添える方を探すことだけですから。正直なところ、魔王軍や魔族がどうなろうとあまり気にしていません」
軽く笑った。
その笑顔に嘘や誤魔化しを感じられなかったヴェセルも、同じように先の二人を眺めて苦笑すると、
「どうやら儂らの目的は同じようですな。ここはひとつ」
「ええ。ぜひ同士として共に」
以心伝心。
美しく頼もしい同盟が結成された、ように見えたが、
「アルノ殿が女性とわかった時のハルの面食らう顔が見ものですな」
「ハル様にバレた瞬間のお嬢様の驚愕を思うと、今からわくわくが止まりません」
「ただバラすのも勿体ないですな。最高のタイミングと言えばやはり」
「ええ、お互いにどうしようもなく意識した時点で、でしょう」
顔を見合わせてニヤリと笑う同盟は、さほど美しくも頼もしくもなかった。
「ハル、寿司は最高だな」
「だろ?」
翌朝、たっぷりと夕食を堪能し、地元の白酒をがぶ飲みした二人は大はしゃぎで漁港へと足を向けていた。
その後ろからついてくる保護者二名は、
「あやつら……人の苦労も知らんで」
「……いつか必ず思い知らせてやりましょう」
ビールから始まり白酒にヴィンを樽ごとかっくらい、酔った二人がいつもの口論を始め、妖族の大将がいないことで遠慮する必要のないまま喧嘩という名の「絶対壊れないサンドバッグ」ハル化してしまい。
大笑いしながら唐突に倒れて眠ってしまった二人に代わって店と客に謝罪し、支払いをし、部屋へ放り投げて後始末の手伝いをしたヴェセルとカレンは、額に青筋を浮かべて後ろから殺意を漲らせる。
こうして思い返すだけでも最悪だ。最悪の上官と主だ。
普段が割と抑圧された状態だからたまにはハメを外させてやりたいが、限度というものがある。
「見ておれよ、この先何百年も思い返して恥ずかしくなるくらいの状況を設定してやる」
「まったくです、悶え死ぬくらいの演出でなければ気が晴れません」
この旅は勇者軍参謀と魔王軍司令官の仲を深めるだけでなく、それぞれの部下の紐帯も強めたようだった。
「おーいヴェセル、こっちだ!話つけたから沖まで出てみようぜ」
「カレン、早く来い!お前の分の竿も借りておいたぞ!」
漁師に金を渡して小舟を借り切り、抑えきれないように手を振る二人に嫌な予感しかしない。
「カレン殿……」
「ええ、行きたくないですね。ていうか勝手に二人で遊んでくれば良いものを、なぜ私たちを巻き込もうとするのか理解できません。迷惑な」
「意外と辛辣なんですな」
「いえ、敬愛する主でございますよ?」
二人がようやくボートまで辿り着くと、すでにスロープから降ろされて準備は万端だった。
四人で乗るには大きめで、この辺りは潮流も波も穏やかだからそれなりに沖合まで出られるだろう。釣竿や道具もしっかり揃えられており、オールを一本ずつ手にしたハルとアルノが両舷に立っていつでも出せるとばかりに待ち構えている。
「ハルよ、念のために言っておくが」
「ご主人様、一応ですが」
絶対にろくなことにならない、と判断した二人の苦言も聞く耳持たず。
「わかってるわかってる、操舵は得意なんだ、任せろ」
「無茶はせんから安心して早く乗れ、カレン」
ため息をついて覚悟を決めた二人を乗せ、ボートは海に乗り出した。
「ハル!もちっと落ち着け!ボートの速度じゃないわ!」
「ごごご、ご主人様、止め、止めてください、一瞬で良いので!」
この状況でも「お嬢様」と言わないカレンはメイドの鑑だが、どう見ても限界だ。
だが、
「おーおー、年寄りのくせに頑張るじゃねぇかアルノ」
「貴様なんぞに負ける私ではない」
最初は帆を張ってゆっくりと湾内の航行を楽しんでいたのだが、早く釣りをしたいと言ったアルノの言葉でオールに切り替えた。
この大きさだと一人で漕ぐことは出来ないので当然ハルとアルノの二人で一本ずつを担当し両舷で漕ぎ始める。
だが、本来息を合わせてタイミングよく漕ぐことで直進させる、それはひとつの技術と言えるものであるくらいなのだから、ど素人でありお互いに協力しようなどカケラも思わない二人だと当然こうなるのだ。
「回っとる!さっきから回っとるぞ!」
「うぼおぇぇぇぇ」
「か、カレン殿ー!死んではなりません、というかその容姿で見せてはならぬ姿になっとりますぞ!」
「もう無、無理ですぅ……ヴェセル様、私に変わって必ず我が主に復讐を……おぅえぇぇぇ」
「カレン殿ー!」
ゆったりと波打つ静かな海面に、海鳥の鳴き声。
潮の香りは生命を感じさせ、死と血に塗れた戦場とはまるで違う。穏やかな休日に小舟を借り切って海に出る、のんびりと釣果を気にせず糸を垂らすのは贅沢な時間の使い方だ。
穏やかな時間が流れ、どれくらいの時を経たのかすら忘れ気がついたらのんやり過ごし過ぎて体のあちこちが痛い、なんていうのもこんな時間を過ごす対価なのだろう。
「……ほんと、サーセンした」
「サーセンした……」
正座による足の痺れでなければ、最高の時間の過ごし方だ。
船べりから魚の餌を撒き散らしたカレンの顔色も何とか戻り、六十年の付き合いであるハルですら見たことない、忿怒の形相のヴェセルにちびった二人は船で土下座していた。
「あ?」
「お?」
これはカレンとヴェセルの声だ。
断じてハルとアルノではない。
「ひっ!あ、あの、本当にすみませんでした!」
「ごめんなさいごめんなさい、もうしません!」
勇者軍参謀と魔王軍司令官が震え上がるほどの眼力を見せた好々爺と有能なメイドは、ぷるぷると震えながらひれ伏す二人を見て溜飲を下げたか、視線を交わす。
まあ、はっちゃけてしまったという点はあるが、それでも彼らがいつも世話をかけているヴェセルとカレンにも楽しんでもらいたいと思って連れてきたということは理解している。
それがただ、そう、楽しすぎて我を忘れてしまっただけなのだ。それぞれの族の一般的範疇を超えている二人が我を忘れると、普通の人族と魔族には死を垣間見させるという傍迷惑さをわかっていないだけ。
悪気がないのは確かなので、頭を船底にこすりつける二人を見ながらとりあえず許すことにする。
もちろん、後日必ず復讐するが。
「反省しているようじゃし、許してやろう」
「ご主人様、帰りは絶対にはめを外さないようにお願いします」
「あざっす!」
「ぁりあーす!」
「ああ?」
「おおん?」
「「ほんっとすみませんでした」」
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