「夜に鳴く鶏亭」ビールあり〼

皆川 純

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第1話 ハルとアルノ

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 かろん。
 ドアベルが軽快な音を立てる。

 入ってきた男はまっすぐにカウンターへ行き、いつもの席に目当ての少年が座っているのを見て迷わず隣に座った。
「よ」
「ん」
 いつもの、とカウンター内に声を掛けながら言葉短く挨拶すると、先客は目深に被ったフードからちらりと目線だけをやって同じように一言で応じた。

「相変わらずここのドアベル、音がアレだよな」
「アレとは」
「いやさ、あれって何度聞いてもドアベルじゃなくてカウベルだろ。何か自分が屠殺場に入る牛になった気分になるわ」
「ふん。ここに座った時点で私に殺される覚悟なのだろう?なら同じことだ」
 剣呑な言葉だが、入ってきた男より二周りも小さい上、ボーイソプラノでは威圧感もない。

「はいはい、今日もお前は攻撃的だなアルノ」
「やかましい、攻撃してきたのはお前だろうハル」
 少年、アルノの言葉に一瞬だけ「ん?」と考えると、
「いやそれ昼の戦闘のことだろ。今更持ち出すのかよ」
「戦闘開始の合図より先に突出してきたぞ、お前のとこの軽騎兵。準備もないまま始まったあれで、うちの兵士が何人死んだと思ってんだふざけんな」
「あ?それを言うならお前こそ先週、塹壕捨てたと思ったら底に逆杭なんて仕込んでやがったじゃねぇか。しかも不可視魔法かけやがって、突入した歩兵が百人単位で死んだわボケ」
「あれはただの戦術だバーカ」
「何だとこの野郎、協定違反だろ」
「ちーがーいーまーすー。協定で禁止してるのは塹壕や堀に毒を仕込むことであって、あれは逆茂木と同じでOKなんですー」
「おいそのイラつく喋り方を今すぐやめろ」
「やーでーすー」
「くっそこいつ……」

 ギリギリと歯噛みするハルの前に、どん、とジョッキが置かれる。挨拶代わりの罵倒合戦が一段落つくのを待っていたのだろう、さすが「夜に鳴く鶏亭」の大将だ。
 見るとアルノの前に置かれたジョッキもほとんど減っていない。
 アルノも来たばかりだったのかそれともハルを待っていたのか、減らず口でクッソ生意気だが律儀なところもあるから後者だろう。
 だからと言って戦闘で手を抜いてやるつもりはないが、と心中で思いながらジョッキを持ち上げる。
 ほれ、と目で合図すると、アルノは黙って前を向いたままジョッキを持ち、かつんとぶつけた。
「お疲れー」
「ん。乙」
 えらい短縮形で応じるアルノを気にするでもなく、ハルはぐびぐびとビールを喉に流し込む。

 もう三十代も半ばを過ぎ、ホルモン分泌最大量と言ったところだ、朝剃った髭がもうごま塩みたいになっている。
 その首で喉仏を動かしながら流し込む姿を、一口飲んでジョッキを置いたアルノが頬杖をついて見ていると、
「ぷっはー、仕事の後の一杯は堪らんな。ん?なんだよアルノ」
「……何でもない。お前は大雑把だなと思っていただけだ」
「ほう?勇者軍参謀の俺を大雑把だと。ほほう?その大雑把な参謀さんにこてんぱんにやられて泣きべそかいたのは、どこの魔王軍司令官さんですかね?」
「ああ?誰が泣きべそかいたって?五十年前、初めて私と出くわした青二才が、腰抜かして小便垂れてたのバラすぞコラ」
「はあっ?!何言ってんだ、小便なんて垂らしてねぇ!」
「腰抜かしたのは否定しないんだな」
「ぐ……あ、ありゃアレだ、その、何だ、ちょっと躓いただけだ」
「ほーう、後ろ向きに腰から落ちる躓き方するとは、器用なことだなハル」
 完全にやり込められて、ぐぬぬと唸った彼は大将に怒鳴るようにつまみを注文すると、不貞腐れたようにジョッキを煽った。

「実年齢百歳近いむさいおっさんが不貞腐れてるのは見苦しいな。いや実に見苦しい」
 フードの下でニヤニヤと煽るアルノに、
「うっせぇまだ九十いってねぇわ……多分、ってことにしておく。そもそも二百歳オーバーに言われたくねぇっての。……あー、しっかしこれほんと、どうすりゃいいんだか。なあアルノ、お前の魔法で何とか解呪とか出来ないのか」
「無理だな、女神の祝福は魔法ではない。我ら魔族の魔法とお前たちの魔法が異なる以上に、祝福と魔法は全く違う原理だ。解呪できるとしたら神だけ……っていやお前、女神の祝福を呪いとか」
「いや呪いだろこれ、絶対。成長も衰退もしないまま六十年だぞ?お前みたいに十代の見た目でならまだ楽しみようもあるかも知れんが、三十路のおっさんに停止かけるなんて、呪い以外の何だってんだよ」
「ぷ……確かにな」
「何だよ」
 堪えきれないように吹き出したアルノに、ジョッキに口をつけたままハルが訝しげな目を向ける。
「いや何、そう言えば昔、お前とここを出た時に絡まれたな、と」
「うーわー、あれな……」



 居酒屋「夜に鳴く鶏亭」は人族と魔族どちらにも中立の姿勢を示す第三国、妖族の街にある。
 武器を携帯していないかの身体チェックは厳重であるが、それさえ通れば人族であろうと魔族であろうと、それこそ商人や旅行者だけでなく彼らのような軍属であっても入るのに問題はない。
 だが、そんな開かれた街だからこそ治安維持には細心の注意を払っているし、そもそも訪れることができる確率が低い上に訪問資格の基準も不明確。
 要は運次第でしかないのだが、妖族の不明瞭な基準で選ばれた訪問者が怪しげな人間であることはない。

 アルノが言っているのは、もう何十年も前、彼らがこの街に出入りするようになった頃の口喧嘩の話だ。
 今でこそ顔パスで警邏の妖族たちとも笑顔ですれ違うような関係だが、その頃は見知らぬ人族のおっさんが魔族の美少年に罵声を浴びせていると彼らの目には映ったのだろう。
 その日も今日のような半ば挨拶となった口喧嘩をしていただけだったのだが、妖族の衛視に見咎めれ拘束の上で連行されるハルを横目に、「怖かったですーあのおじさんが僕を無理やり……」と言って見捨てたアルノは、これで翌日の戦闘が楽になるかもとうきうきしながら帰営した。
 翌日、げっそりしながらも戦場に姿を現したハルにがっかりしたが、おそらく徹夜で締め上げられたのだろう彼の指揮は精細に欠け、久しぶりの大勝を挙げたのは良い思い出だ。アルノにとっては、だが。



「お前ってほんっと、性根の悪さはあの頃から変わってないよな」
 思い出に耽っていた間に出されたのだろう、この辺り特産の川魚であるメヤマの塩焼きをハルが器用に箸でほぐす。
「ほれ」
 魚好きだがこの歳になってまだ箸の使い方が不器用なアルノに、二人の間に皿を置きながら食べろと促す。
「……お前、こういう所はたしかに参謀だよな」
「何がだよ。あ、大将白酒ふたつとコウテイイカの沖漬けな」
「気遣いというか……小器用というか」
「お前が大雑把すぎなだけだろ。むしろアルノが司令官って方が違和感あるぞ。前線で大暴れする方が向いてるだろうが」
「それはまあ、そうなんだが」
「あ、そこは納得しちゃうんだ。そういや聞いたことなかったな。アルノお前、なんで後方で指揮する司令官なんてやってんだよ」
「それはその……」
「何だよ」
「や……ぎて、魔お……られ」
「あ?聞こえねぇって」
 背後のテーブル席のざわめきでかき消されるアルノの声に、近づいて耳を寄せる。
「だから」
「悪いがもちっとはっきり喋ってくれ」
「や」
「や?」
「やり過ぎて魔王様に怒られたのだ!」
 突然の大声で耳が馬鹿になったハルが顔をしかめる。
 店内は酔客がそれぞれの話に夢中で、こちらには誰も気を止めないのは幸いだったが、
「そういう所が大雑把だってんだよ……本当に指揮官かお前」
「うるさい。お前がしつこく聞くからだろう」
「て言うかやりすぎって何がだ。あ、もしかして」

 ハルが参謀となるよりもっと前、両族の戦争が始まって少しした頃だから百年前にもなる記録で、魔族の大規模侵攻により城塞都市が一晩で更地になったというのを見たことがある。
 魔族は膂力も魔力も人族に比べて強いが、その分手先が不器用だしアルノと同じで性格的に大雑把な者が多く生産性や技術力が低い。そのため魔王は人族の都市を住人共々囲い込むことを指示しているから、軍属以外で人死が出ることは珍しい。
 ただそれは戦争当初で方針が軍に浸透しきっていなかったからだろうかと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。

「いやその、私も人族との戦いに慣れてなかったからであってだな」
「あそこかー。あそこなー。俺は記録でしか知らんけど、森林地帯だから特に造林や木工技術に秀でた都市だったらしいな。技術者が何百人も死んだとか。そりゃ怒られるわ、お前んとこの魔王って人族の技術や文化目的で侵攻してる訳だし」
 イカの沖漬けをもぐもぐしながら白酒をぐいっと煽る。
 ついでにアルノも煽っておく。
「そんな上官の目的も忘れて大暴れして虐殺、挙句の果てには都市をまるごと更地ですかー。脳筋吸血鬼さんは加減知らないもんなー。怒られて怖かったでちゅねー。大変でちたねー」
 ぷるぷるとフードが小刻みに揺れる。
 顔が見えないが、フードの下では真っ赤になっていることだろう。

 普通の人族なら、魔族最上位とされる吸血鬼を煽るなどという恐ろしいことはできないが、ハルは不死の祝福持ち転移者だ。
 魔王以外に跪く必要のない吸血鬼であるアルノに対しても、何ら遠慮を感じない。
 そもそも殺し合っている相手であることだし。

「まあ当時子供だったんなら仕方な……あれ?当時子供だったんですかねーアルノさん?あ、そうか、吸血鬼で百歳ってまだ子供扱いなんですか。何歳まで子供なんですかね、まだオコチャマ扱いした方が良いっすか?」
 ぐびぐびと白酒を煽りながら、ぐいぐいとアルノを煽る。
 鬱憤を晴らすかのように楽しみつつ、沖漬けを手前に寄せ、
「すんませんアルノさん、オコチャマにこれは早かったっすかね。大将、あまーい果物か何か貰える?」

 バカ正直にも本当にフルーツ盛り合わせなどを出してきた大将を睨むが、吸血鬼の赤い目に鋭く切りつけられても彼は知らぬ風で飄々と仕事に戻った。
 さすがは妖族、魔族や人族とは別の法則で生きているだけあって誰もが震え上がる魔族No2の視線にもびくともしない。
 だが妖族の大将の対応に、沸騰していた血も冷める。

 そうだ、自分の半分しか生きていないようなクソガキに煽られて我を忘れる訳にはいかない。
 その結果妖族の街で問題を起こそうものなら、魔王様に何されるかわかったものではない。あれは全ての人族や魔族、妖族とすら隔絶した「何か」だから、軽い仕置がこちらにとっては命の危険に直結してしまう。

 ふー、はー、と大きく深呼吸するとフルーツに手を伸ばす。
 甘い果汁が口いっぱいに広がり、アルノに至福を与える。
 実際のところアルノは酒やつまみよりも菓子や果物が好きだった。

「ふん。貴様のような小童に煽られて我を忘れるような私ではない」
「ありゃ残念」
 口でそう言いながら、彼もアルノがこの程度で我を忘れるとは思っていなかった。
 バカ力ばかりが目につくが、知力も胆力もその辺の魔族と一線を画す単一種だ。本当に脳筋なら、そもそも彼を苦しませるような戦法など採れるはずもない。

「んで?明日から一週間、戦闘なしで良いんだな」
「ああ。私も一度魔王城に帰還する予定だしな。お前もたまには王都で羽を伸ばしたらどうだ」
 おっさんが羽を伸ばす光景など私は見たくもないが、といらんことを付け加えるのを忘れない。
「うっさいわ。うーん……そうだなあ、でも王都は面倒なんだよな」
「相変わらずか」
「相変わらずだな」
 実際のところ、この戦争は百年近く続いてはいるが村や街をとったり取られたり、一進一退の攻防でどちらもまったく戦線を移動できていない。

 ハルもアルノも手を抜いている訳ではない。
 率いる人族と魔族の軍質と軍量が拮抗してしまっているのだ。
 質は悪いが数だけは多い人族と、質は高いが脳筋なアルノでも統率できる程度の量しかいない魔族とで。
 また、参謀や前線司令官である二人の指揮能力も、うまい具合にかみあって、軍と合わせて均衡を保ってしまっている。
「もう五十年じゃん?」
「そうだな。私は百年だが」
「お、そうだなボケ老人」
「やかましいわクソガキ」
「で、五十年経っても戦線はセーガル河から動いてないじゃん?」
「そうだな」
「……メッタクソ責められるんだよなあ」

 同情しているのか嘲笑しているのか、判別つきずらい赤い目を向けられながら、ハルは大きくため息をついた。
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