101 / 127
五 : 青葉 - (26) 馬揃え
しおりを挟む
天正九年(一五八一年)、信忠二十五歳。
今年の正月はここ十年で一番穏やかに迎えられた、と信忠は思う。佐久間信盛父子や林秀貞の追放はあったものの長年の課題だった石山合戦も決着がつき、中国・北陸戦線でも大きな進展が見られた。その結果、播磨・但馬から(紀伊と伊賀を除いた)加賀・美濃・尾張に至るまで広大な版図が織田家のものとなった。信忠も年賀の挨拶に安土を訪れたが、例年と比べて諸国から挨拶に赴いた者達の数は多いように感じた。
父も同じ気持ちだったみたいだ。一月十五日の小正月の左義長では、通常は正月に飾った門松や注連縄、書き初めで書いた紙などを焼く“どんど焼き”が行われるが、信長は爆竹を鳴らして盛大に祝ったとされる。安土城下は爆竹の破裂する音や煙に包まれ、派手に行われた……と人伝に信忠は聞いていた。
そんな話から程なくして、信忠にある事が伝えられた。
「馬揃え、とな?」
聞き馴染みのない単語に小首を傾げる信忠。
「はい。武家の者が馬に乗って一堂に会し、自らの武威を示す行動です。かの源義経も木曾義仲討伐へ向かう前に駿河国浮島原で執り行った例があり、上様は今回京で行う意向をお持ちだとか」
あまりピンときていない信忠に、解説する新左。以前は父の下で吏僚として仕えていたのもあり、現在も安土に居る者と繋がりを持っているみたいだ。
「また何故、京で行うのだろうか。安土なら広い土地もあるだろうに」
素朴な疑問をぶつける信忠。
新左の話では大勢の人と馬が行進するらしいが、一斉に全員全頭が歩き出す訳ではない。順々に出立していくにしても、出番を待つ場所や行進を終えた者達の待機場所も必要となる。人だけなら立つなり座るなりしてじっと待てるが、馬はそうもいかない。歩き回れるだけの用地が必要となるが、京で行うとなれば何処にそんな場所があるのか。
「どうやら、帝に御覧頂くみたいです。用地も内裏の空き地を使うみたいで、お許しも得ているとか」
「ふむ……ならばいいが」
その回答を聞いて、信忠も納得した。
大規模な馬揃えを帝の前で執り行うとなれば、織田家の威信を広める絶好の機会となる。“これだけの軍勢を持っている”“帝のお墨付きがある”と二重の意味で示せるのは大きい。
ただ、馬が暴れたりみすぼらしい恰好で参加したりすれば、世間から笑い者にされる。織田家の威信と名誉に懸けて、絶対に失敗は許されない。
「此度の馬揃えは日向守様が奉行に任じられました。正式な要請は追って連絡があると思われますが、朝廷との折衝や会場の設営もありますので開催は来月になるものかと。若もそのつもりでいて下さい」
「……相分かった」
織田家の晴れの舞台に、名目上ではあるが家督を継いでいる信忠も呼ばれない筈がない。織田家当主に相応しい陣容と振る舞いをする必要がある。
片や、差配を任されたのが明智光秀と聞いて、信忠は安心感を覚えた。有識故実に詳しい光秀は上洛当初から幕府や朝廷との折衝役を務め、吏僚としての実績も申し分なかった。四年前の雑賀攻めの折、落ち着いた口調で雑賀衆の特徴と対策を説いてくれた光秀の姿が脳裏に浮かび、信忠は成功を確信していた。
一月二十三日に信長から光秀へ馬揃え実行の意向とその差配を命じられると、光秀は諸将に対して馬揃え実施の旨を通知。過去に前例のない馬揃えへ向けて、動き出した。
織田家の威信が懸かる一大企画が水面下で進められる中、暗澹とさせる出来事が起きた。
天正九年一月三十日、前年から捕縛され続けていた高野聖を処刑したのだ。その数は数百とも千を大きく超えるとも諸説あるが、どちらにせよ大勢の者が殺された事実に変わりはない。荒木家残党の引き渡し要求に応じようとしない高野山側の対応に業を煮やした信長による報復の意味合いが強かった。この惨劇に、世間の人々は“高野山も延暦寺と同じ運命を辿るのでは?”と危惧する声も出始めた。
一方の高野山側も、処刑された者達の中には高野聖を騙る偽物も含まれていたが罪のない者達を殺されたからには、黙っていられなかった。協力関係にある根来寺も引き込み、織田家と一戦交える覚悟を固めたのだ。戦支度を始める高野山に対し、紀伊国と隣接する和泉国にある織田方の諸将はその動向を注視していくのであった。
今年の正月はここ十年で一番穏やかに迎えられた、と信忠は思う。佐久間信盛父子や林秀貞の追放はあったものの長年の課題だった石山合戦も決着がつき、中国・北陸戦線でも大きな進展が見られた。その結果、播磨・但馬から(紀伊と伊賀を除いた)加賀・美濃・尾張に至るまで広大な版図が織田家のものとなった。信忠も年賀の挨拶に安土を訪れたが、例年と比べて諸国から挨拶に赴いた者達の数は多いように感じた。
父も同じ気持ちだったみたいだ。一月十五日の小正月の左義長では、通常は正月に飾った門松や注連縄、書き初めで書いた紙などを焼く“どんど焼き”が行われるが、信長は爆竹を鳴らして盛大に祝ったとされる。安土城下は爆竹の破裂する音や煙に包まれ、派手に行われた……と人伝に信忠は聞いていた。
そんな話から程なくして、信忠にある事が伝えられた。
「馬揃え、とな?」
聞き馴染みのない単語に小首を傾げる信忠。
「はい。武家の者が馬に乗って一堂に会し、自らの武威を示す行動です。かの源義経も木曾義仲討伐へ向かう前に駿河国浮島原で執り行った例があり、上様は今回京で行う意向をお持ちだとか」
あまりピンときていない信忠に、解説する新左。以前は父の下で吏僚として仕えていたのもあり、現在も安土に居る者と繋がりを持っているみたいだ。
「また何故、京で行うのだろうか。安土なら広い土地もあるだろうに」
素朴な疑問をぶつける信忠。
新左の話では大勢の人と馬が行進するらしいが、一斉に全員全頭が歩き出す訳ではない。順々に出立していくにしても、出番を待つ場所や行進を終えた者達の待機場所も必要となる。人だけなら立つなり座るなりしてじっと待てるが、馬はそうもいかない。歩き回れるだけの用地が必要となるが、京で行うとなれば何処にそんな場所があるのか。
「どうやら、帝に御覧頂くみたいです。用地も内裏の空き地を使うみたいで、お許しも得ているとか」
「ふむ……ならばいいが」
その回答を聞いて、信忠も納得した。
大規模な馬揃えを帝の前で執り行うとなれば、織田家の威信を広める絶好の機会となる。“これだけの軍勢を持っている”“帝のお墨付きがある”と二重の意味で示せるのは大きい。
ただ、馬が暴れたりみすぼらしい恰好で参加したりすれば、世間から笑い者にされる。織田家の威信と名誉に懸けて、絶対に失敗は許されない。
「此度の馬揃えは日向守様が奉行に任じられました。正式な要請は追って連絡があると思われますが、朝廷との折衝や会場の設営もありますので開催は来月になるものかと。若もそのつもりでいて下さい」
「……相分かった」
織田家の晴れの舞台に、名目上ではあるが家督を継いでいる信忠も呼ばれない筈がない。織田家当主に相応しい陣容と振る舞いをする必要がある。
片や、差配を任されたのが明智光秀と聞いて、信忠は安心感を覚えた。有識故実に詳しい光秀は上洛当初から幕府や朝廷との折衝役を務め、吏僚としての実績も申し分なかった。四年前の雑賀攻めの折、落ち着いた口調で雑賀衆の特徴と対策を説いてくれた光秀の姿が脳裏に浮かび、信忠は成功を確信していた。
一月二十三日に信長から光秀へ馬揃え実行の意向とその差配を命じられると、光秀は諸将に対して馬揃え実施の旨を通知。過去に前例のない馬揃えへ向けて、動き出した。
織田家の威信が懸かる一大企画が水面下で進められる中、暗澹とさせる出来事が起きた。
天正九年一月三十日、前年から捕縛され続けていた高野聖を処刑したのだ。その数は数百とも千を大きく超えるとも諸説あるが、どちらにせよ大勢の者が殺された事実に変わりはない。荒木家残党の引き渡し要求に応じようとしない高野山側の対応に業を煮やした信長による報復の意味合いが強かった。この惨劇に、世間の人々は“高野山も延暦寺と同じ運命を辿るのでは?”と危惧する声も出始めた。
一方の高野山側も、処刑された者達の中には高野聖を騙る偽物も含まれていたが罪のない者達を殺されたからには、黙っていられなかった。協力関係にある根来寺も引き込み、織田家と一戦交える覚悟を固めたのだ。戦支度を始める高野山に対し、紀伊国と隣接する和泉国にある織田方の諸将はその動向を注視していくのであった。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
1333
干支ピリカ
歴史・時代
鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。
(現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)
鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。
主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。
ご興味を持たれた方は是非どうぞ!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる