信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉

文字の大きさ
上 下
87 / 127

五 : 青葉 - (12) 快川紹喜

しおりを挟む
 五月に入って数日が経った頃。岐阜城で政務をしていた信忠の元に、伝兵衛が近付いてきた。
「……殿。沢彦和尚が面会を求めてこられましたが、如何いかが致しましょうか」
「何、和尚が?」
 予想外の人物の来訪に、驚く信忠。
 永禄十年に岐阜へ移ってから学問の師として教えを受けてきたが、天正元年九月に沢彦からお墨付きを貰ってからは会っていなかった。その沢彦がわざわざ訪ねて来るとは、かなり珍しい。
「……分かった。すぐに会おう」
 あの沢彦が用もなくフラッと会いに来る筈がない。とりあえず会う事にした。
 伝兵衛に伴われて沢彦が待つ広間へ入った信忠。約六年振りに会った沢彦は変わっていなかった。
「お久しゅうございます。奇妙丸様も大人になられましたな」
 信忠の姿を目にした沢彦は、嬉しそうに目を細める。そして、沢彦は以前と同じように幼名で呼んでくれる。
「実は、奇妙丸様に折り入ってお願いしたい事があって参りました」
 沢彦は世間話を挟むことなく、単刀直入に本題へ入った。
「はて。和尚がお願いとは、一体どういった事でしょうか?」
「拙僧と大変親しい間柄にある、快川かいせん紹喜じょうきという者がります。この者は甲斐の恵林寺えりんじで住職をしており、武田家と繋がりの深いのですが……その紹喜が『織田家の者にお目通りしたい』と岐阜へ来ているのです。拙僧が織田家に伝手があるのを頼りに訪ねて来た次第で……どうか、お会い頂けないでしょうか?」
 そう言い、頭を下げる沢彦。その表情は、やや苦しそうだ。
 武田家と関係の深い僧が面会を求めてきたということは、武田家による外交的接触の可能性が極めて高い。この当時、僧侶は戦国大名の代わりに外交を任される事は決して珍しくなく、毛利家の安国寺恵瓊や北条家の板部岡いたべおか江雪斎こうせつさいなど交渉能力を買われて直臣になった例もあった。元亀三年に同盟が解消されてから今日こんにちに至るまで敵対してきた武田家が、一体どういうつもりなのだろうか。
 一応、信忠は武田方面の担当ではある。しかし、外交に関しては父の信長が決定権を持っているので、信忠の一存で決められない。ここで会えば今後の対武田の戦略に影響を及ぼしかねないが、果たしてどう出るか。
「――分かった。会おう」
 少し考えた信忠は、はっきりとした口調で告げた。これには沢彦も伝兵衛も驚いた表情を浮かべる。
「殿、よろしいのですか!?」
「心配いらない。快川の話を聞くだけだ。仔細は全て安土の上様にお伝えした上で判断を仰ぐ。……それでよかろう?」
 信忠の説明に、伝兵衛も不承不承引き下がる。「それに」と信忠は続ける。
「和尚には大変お世話になっている。これで和尚の顔が立つなら喜んで引き受けよう。さらに言うなら、上様も和尚には頭が上がらないのだから、『和尚たっての願いだから、断れなかった』と弁明すれば叱責される事はあるまい」
 そう言ってニヤリと笑う信忠。すると、沢彦も呵々大笑かかたいしょうしてから実に愉快そうに言った。
「左様、奇妙丸様の仰る通りですな。……もしも吉法師様がお怒りになられたら、拙僧を悪者にして下され。それで丸く収まる事でしょう」
「畏まりました」
 沢彦の了解も得たので、信忠が父から咎を受ける心配は無くなった。
「さて、日取りはいつに致しましょうか」
「私はいつでも構いません。明日など如何いかがでしょうか」
「承知致しました。では、明日に拙僧が快川を連れて参ります。良しなに取り計らって頂き、ありがとうございます」
 深々と頭を下げる沢彦。信忠は快川とはどういう人物なのか楽しみ半分、持ってくる話がどんなものか不安半分で、今から胸がドキドキしていた。

 翌日。沢彦は約束通り快川を伴って岐阜城を訪ねて来た。
 快川は非公式ながら武田家の外交僧に近いという事で、大広間で対面する運びとなった。
 信忠が伝兵衛を伴って大広間へ入ると、快川が平伏していた。そのやや後ろに沢彦が同じように頭を下げている。
「快川殿。面を上げてくだされ」
 上座に座った信忠が促すと、快川はゆっくりと顔を上げる。背筋を伸ばすと、後ろの沢彦と比べて頭一つ分くらい高くなった。
 彫りの深い顔で、色黒な肌、引き締まった体つきをされている。まるでいわおみたいな人だな、と信忠は第一印象を抱いた。
「本日は対面の場を設けて頂き、真にありがとうございます」
 深みのある声で快川はまず謝辞を述べる。それから、ゆったりと本題を切り出した。
「今日こうしてまかり越しましたのは、大膳大夫だいぜんのたいふ様のお考えを織田家の方にお伝えする為にございます」
 やはり、そうか。快川の言葉に信忠はやや身構える。
 快川が口にした“大膳大夫”は勝頼の官名(但し公式の官位ではなく武家官位)。事前の想定通り、武田家が非公式ながら接触してきた形だ。
 問題は、この先。快川はどういう話を持ってきたのか。
「……大膳大夫様は、以前のように織田家と良好な関係を築きたい意向をお持ちのようです」
 思いがけない提案に、信忠も「ほう」と感嘆の声を漏らす。
 現在、武田家を取り巻く状況は決して好ましいとは言えなかった。
 越後の上杉家で勃発した“御館の乱”では北条家の要請により北信濃へ進軍した勝頼だったが、劣勢に立たされていた景勝から破格の条件を提示され、景虎方支援で出兵した筈が景勝方に与した。これで息を吹き返した景勝方は上杉家中で優勢となり、今年三月二十四日に上杉景虎は追い詰められた末に自害し、約一年に渡り繰り広げられてきた家督争いは決着した。武田家は上杉景勝を当主とする上杉家と同盟を結ぶ一方、これまで同盟を結んできた北条家との関係が急激に悪化してしまった。一見すれば武田家は同盟を結ぶ相手が変わっただけになるが、上杉家は景虎を支援してきた家臣や国人達の多くが未だ景虎に臣従しておらず、上杉家から割譲された東上野こうずけは“関八州制覇”を目指す北条家と衝突するのは明白、さらに本国甲斐と山を隔てた相模の北条家を敵に回した事で脅威が近付いたとも言える。短絡的には利を得た武田家だが、長期的な視点で見れば失敗したと断じざるを得なかった。
 勝頼は上杉家から割譲された東上野を足掛かりに上野国を手中に収めんとしたが、その前に外交の立て直しが急務だった。東の北条家もそうだが、一番は西の織田家への対策だ。上野へ侵攻している隙を突いて織田家が信濃へ攻め込んでくれば、ひとたまりもない。
(そちらから一方的に破ったのに、いけしゃあしゃあと)
 評定を変えずに心の中で毒づく信忠。快川の方も平然と座ったままだ。
 織田家と武田家の同盟が解消されたのは、元亀三年九月のこと。織田家と同盟を結んでいた徳川家の領地に侵攻し、十一月十四日には美濃の岩村城を武田勢が包囲したのだ。当時の織田家は四方に敵を抱えて苦しい状況にあり、武田家と敵対する気は毛頭なかった。それにも関わらず武田家は上洛する為と称して兵を起こし、織田領へ侵攻してきた。一方的に破棄したのは武田家の方だ。
 しかし、快川の方は自らの非について言及していない。“不利な材料は自分から言わない”のは外交の鉄則と言えばそれまでだが、辛酸を嘗めさせられた側からすれば都合が良いと解釈せざるを得ない。武田家の西上をキッカケに義昭が挙兵し、その義昭を京から追放した事で信長は天下人の座に昇り詰めたが、そんなものは結果論に過ぎない。三方ヶ原では援軍に送った将兵を失い、尾張まであと少しまで迫られた。あの時の恐怖は今でも忘れられない。
 設楽原で完勝し、岩村城を始めとする武田方に奪われた城や領地も取り返した。同盟締結時と同じ状態に戻ったとも言い換えられる。織田家側は再度同盟を結ぶ気は無い中、武田家側がどういった条件を提示してくるか。結びたい側から何らかの譲歩なり提示なりあるのが筋だが、果たして。
「まず、武田家でお預かりしております“源三郎げんさぶろう”様――幼名“御坊丸”様をお返し致します」
 快川が初めに提示したのは、岩村城の遠山家に養子へ出されていた“源三郎”勝長(幼名“御坊丸”)の返還だった。
 御坊丸は信長の五男で元亀三年におつやの方の強い要望に応じる形で遠山家へ養子に入っていた。この時、御坊丸四歳。岩村城の重要性を認識していた信長は自らの子を入れる事で関係を強化したい狙いがあった。しかし……武田家の侵攻に抗いきれず、岩村城は開城。御坊丸は武田家に捕らわれ甲斐へ送られてしまった。その後、甲府で人質生活を送っていた御坊丸は元服。勝頼から一字“勝”を偏諱を受けて“源三郎”勝長と名を改めた。
 ただ、この申し出に対して信忠は喜ぶ反応を見せず、冷ややかな目線を快川に送る。
ぬすったものを返すだけではないか)
 預かっていたと恩着せがましく快川は言うけれど、御坊丸が甲斐へ送られた経緯を考えれば“強奪”と表現した方がしっくり来る。四歳のわらべが自分から「人質になる」と言えるものか。おつやの方が身の安全を確保する為の交換材料に使われたと織田家の側では捉えている。返してもらうのは当然だ。
 御坊丸を返還するだけで交渉の席につくとは快川の方も思っていないだろう。信忠は快川の出方でかたうかがう。
「それから……」
 快川が言葉を継ぐ。信忠は次の提示を待つ。
「延期されておりました松姫様の輿入れを速やかに実現したい、大膳大夫様はそれを望んでおられます」
 その提示に、信忠は完全に意表を突かれた。目を点にした信忠は、快川に訊ねる。
「……破談になった後、何方どなたかに嫁がれたのではないのですか?」
 松姫は今年十九歳。少々年齢は高いが嫁入りするならまだまだ適齢期の範囲内、武田信玄の娘と血筋も申し分ない。信忠は婚約が解消されてから松姫は他の誰かに嫁いだものとばかり思っていた。他国の大名家は勿論のこと、将来有望な家臣や有力国人との結び付きを強める目的で嫁ぐのも十分に有り得た。武田家は内外問わず関係を強化しており、昨年には松姫の姉・菊姫が上杉景勝の正室として輿入れする事が決まり、その準備が着々と進められていた。
 信忠の問いに、快川は静かに首を振った。
「そうした話も無い訳ではありませんでしたが、松姫様から『中将様との約束がございますから』と断り続けてこられました。聞くところによりますと、中将様も正室を迎え入れておられないとか。お互い夫婦になっていても不思議でないのに、またこうして結ばれる機会に巡り合うとは、実に素敵な話ではありませんか」
 そう言ってニコリと微笑む快川。対して、信忠は口をつぐんでいる。
 快川の話の真偽定かではないが、もし本当に断っていたのなら素直に嬉しかった。信忠の方も正室の座がずっと空席だったのは単純に良縁が無かっただけだが、七年もの間そうした話が出なかったのはとても珍しい事だった。婚約が破談になれば割り切って次の相手を探すのが普通で、両者が七年経っても未婚というのは極めて稀としか言いようがない。信忠は松姫の事を想って断っていた訳ではないので多少の申し訳なさは感じているが。
 但し、一度破談になった二人がまた結ばれる……という幸せな話では済まされない。
 織田家における武田家への方針は、一言で表せば“静観”。美濃国境を堅持し、そこから先に“越えない”“越させない”を第一としている。設楽原の大敗で先代信玄の薫陶を受けた一騎当千の将や経験豊富な兵を多数失ったが、まだ地力は残っており下手に手を出せば痛い目を見るのは必至。勝頼に近い側近と先代の頃から武田家を支える武将の間に不和が生じており、年月を掛けて弱体化するのを待つ構えだ。その為、織田家としては現状維持で充分、関係を持つ必要性は皆無だ。御坊丸の返還は構わないが、松姫を正室に迎えるのは武田家に誤った印象を与えかねない。信忠としては是非とも迎え入れたい気持ちは強く持っていたものの、織田家の立場を考えれば手放しに喜べなかった。
 微妙な顔を浮かべる信忠に、快川は優しく語り掛けた。
「……まぁ、細かい話は互いに使者を出して詰めていきましょうぞ。そうそう、これをお渡しせねばなりません」
 何かを思い出した快川は懐に手を入れると、一通の手紙を取り出した。その手紙を差し出しながら、告げる。
「松姫様からお預かりしました。拙僧が岐阜へ参ると知り、『是非に』とお願いされました」
 手紙の表面には美しい文字で“織田中将様へ”と記されている。久しく届かなかった、松姫からの手紙。今すぐにでも手に取って読みたい衝動に駆られる信忠だが、グッと我慢する。飛びつくような姿を快川に見られたなら、『信忠には松姫を介して交渉するのが効果的』と間違った心象が武田家に伝わりかねない。
 努めて、何でもない風に手紙を受け取る信忠。それから、おごそかな口調で応える。
「委細、承知致しました。快川殿の申し出は上様にも必ずお伝え致します」
 この場で具体的な回答は避ける。武田方面の担当ではあるが他家との外交は天下人である父が全て握っている。信忠としては“受け取った”としか言えなかった。
 それは快川も承知しており、「何卒よろしくお願い致します」とこうべを垂れた。本当に内示するのが目的だったようだ。
 用を済ませた快川はゆっくりと立ち上がると、何か思い出したように「そうそう」と漏らす。
「折角岐阜まで参りましたので、暫くこの地に留まろうかと思います。旧友沢彦とは積もり積もった話もありますし、栄えている岐阜の城下を見聞けんぶんしたいので。……松姫様の返信、喜んでうけたまわりましょう」
 言いたい事を言った快川は軽く頭を下げて、下がっていった。流石は武田家から頼りにされている人物だ、最後の最後まで駆け引きを仕掛けてくる。快川のがっちりとした背中が消えるまで、信忠は複雑な表情を浮かべていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。 その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。 姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。

1333

干支ピリカ
歴史・時代
 鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。 (現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)  鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。  主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。  ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

音速雷撃隊

黒いテレキャス
歴史・時代
アメリカ海軍戦闘機パイロットと日本海軍航空隊桜花搭乗員が沖縄の空で見た物は…

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...