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四 : 根張 - (16) 中国攻め

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 日ノ本でも有数の一大勢力に成長した織田家では、特定の方面に重臣を割り当てる分業制を採用していた。丹波攻めでは明智光秀、上杉謙信対策に柴田勝家、本願寺方面に佐久間信盛……といった具合である。天正五年十月二十三日、そこへ新たに羽柴秀吉が中国攻め担当に任じられた。
 秀吉が中国攻めの担当になったのは、過去にこの方面へ出兵していた前例があったからだと思われる。永禄十二年六月、毛利家に滅ぼされた旧尼子あまご家の残党が出雲国で蜂起し、但馬たじま国の山名祐豊すけとよが裏から支援していた。当時、毛利家は九州で大友家と戦いの真っ只中にあり、旧尼子家討伐に回すだけの余裕が無かった。そこで元就は、信長へ山名家を攻めるよう要請、信長も毛利家に恩が売れると考え受諾した。但馬へ出兵を命じられたのが、当時木下藤吉郎と名乗っていた秀吉だった。
 二万の兵を与えられた藤吉郎は、八月一日に但馬へ侵攻すると僅か十日の間に十八の城を落とし、十三日に京へ引き揚げた。祐豊は但馬から追われて堺に亡命したが、後に今井宗久の仲介で信長と面会し赦免されている。
 織田家と毛利家は但馬・播磨を境界線にお互い干渉しない暗黙の了解が結ばれていた。九州方面や備前・美作みまさかに勢力を伸ばしたい毛利家と、四方を敵に囲まれる状況で西国の雄である毛利家と事構えなくない織田家で双方の思惑が合致していた。また、元亀二年六月十三日に毛利家を大大名になるまで押し上げた毛利元就が死去し、孫の輝元が叔父である吉川元春と小早川隆景が支える態勢が確立されるまで、東へ兵を送る余裕はなかった。加えて、元就は遺言で「天下は望むな」と戒めたとされ、中央に関わらず現状を維持する方針が毛利家の基本になっていた。一方の織田家も東の武田家や北の上杉家など強敵を抱えており、西へ版図を拡げるつもりは持っていなかった。
 両者不可侵の状況に変化が現れたのは、天正年間に入ってから。長年毛利家と敵対してきた浦上うらがみ宗景むねかげや三村元親もとちかを信長が秘かに支援。徐々に東へ勢力を拡大させつつある毛利家への防波堤を期待してのことだが、天正二年九月に浦上家が、天正三年六月二日に三村家が滅亡。備前・美作を手に入れた毛利家だが、陰で織田家が糸を引いていた事からしこりが残った。
 お互いの関係に決定的な亀裂が入ったのは、天正四年二月。反信長の旗頭だった足利義昭の身柄を、毛利家の支配下にある備後鞆で引き受けたのである。始めの内は同じく信長と対峙している石山本願寺へ水軍を使って兵糧弾薬を運び入れる間接的な支援だったが、天正五年五月には播磨国の国人で播磨国内でも飛び抜けて親織田派の小寺家家臣・小寺(黒田)“勘兵衛”孝隆よしたかを除くべく毛利家が五千の兵を送るなど、次第に緊張が高まっていった。この戦いでは英賀あがから孝隆の居城である姫路へ向かおうとした毛利勢を奇襲と孝隆の機転で僅か五百の兵で勝利し、孝隆の名が世に知られるキッカケとなっている。
 孝隆に毛利家が兵を送った事で最早一刻の猶予も残されてないと判断した信長は、孝隆との取次を任されていた秀吉に中国攻めを命じた。秀吉は大軍を率いて播磨へ入ると、有力国人である別所長治ながはる・小寺政職まさもと(孝隆の主君)・赤松則房のりふさが秀吉の下に加わった。この動きに中小の勢力も次々と秀吉に降る流れが出来た。秀吉は孝隆から譲り受けた姫路城を本拠とし、播磨を手中に収めるべく活動を開始した。また、秀吉の弟・秀長を大将とする別動隊を但馬へ派遣。十一月四日に竹田城を落とし、国内屈指の産出量を誇る生野いくの銀山を押さえるなど、勢力圏を拡大させていった。
 秀吉率いる本隊は未だ臣従しない勢力を掃討すべく、西播磨へ出陣。十一月二十七日に福原城を落とし、翌二十八日には赤松政範まさのりが籠もる堅城・上月こうづき城を包囲した。戦いは城の水の手を絶った上で数に優る羽柴勢が力攻めにし、十二月三日に落とした。この時、秀吉は城内の人々を撫で斬りにした上で首を備前国境に並べるなど、情に厚い秀吉には珍しく苛烈な処置をしている。これは備前の宇喜多直家や毛利方に属する国人へ向けて『織田家に逆らったらこうなるぞ』と脅す狙いがあったが、播磨攻めが順調過ぎて秀吉が図に乗った事も大きく影響していた。
 上月城を攻略した事で、秀吉は播磨を支配下に収めた。対毛利の最前線となる上月城には、毛利家に滅ぼされた旧尼子家の現当主・尼子勝久かつひさと“山陰の麒麟児きりんじ”の異名を持つ山中“鹿助しかのすけ幸盛ゆきもりを始めとする旧尼子家家臣を入れた。想定以上の成果を挙げた秀吉は、主君信長へ報告すべく一時帰国した。秀吉から進捗を聞いていた信長は大層喜んだらしく、愛蔵している“乙御前釜おとごぜのかま”を秀吉が来たら渡すよう家臣に申し付けた程だ。秀吉が安土に到着した際に信長は吉良きらへ鷹狩りに出掛けて不在だったが、乙御前釜を渡され飛び上がらんばかりに喜んだとされる。
 文字通り得意絶頂にあった秀吉だが、増上慢ぞうじょうまんになったツケを遠くない未来に払わされる事になるとは、この時まだ知らない……。

 天正五年十二月二十八日。信忠は数日後に迫った元旦を前に、安土を訪れていた。宿所とする丹羽長秀の屋敷に入った信忠を待っていたのは、父から遣わされた使者だった。
 その目的は……大名物と呼ばれる“初花肩衝かたつき茶入”を始めとする茶道具八点の譲渡。父・信長はこれまで家臣に褒美として茶道具を授けたり茶の湯の席を設ける事を認めたりしていたが、所蔵する中でも特に愛用してきた“初花肩衝”に匹敵する程の名物を授けた例はこれまで無かった。
 驚くのはこれだけではない。翌日、再び信忠の元に使者が訪れ、さらに茶道具三点が追加で与えられたのだ。前日と合わせて計十一点が与えられ、織田家中でも別格の扱いを受けた事になる。
 この経緯いきさつが記されている『信長公記』には、どうして信長がこうした行動をしたのか理由が触れられていない。ただ一つ言えるとするならば、織田家中で頭一つ飛び抜けた存在である事を暗に認めた事だ。
 茶の湯に詳しくない信忠でも、この意味を改めて認識すると同時に、与えられた責任の重さを噛み締める出来事となった。
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