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四 : 根張 - (15) 岐阜中将
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松永家討伐を完遂させた信忠は、京へ戻った。ちょうど父も上洛していると聞いた信忠は、滞在先の妙覚寺に向かった。
対面した父はいつものように感情が表に出ていなかったが、信忠には少し愁いを帯びているように見えた。
「……此度はご苦労だったな」
「はっ」
先の戦の報告と分かっていた父は、まず労いの言葉を掛けた。ただ、その声はどことなく元気がないように聞こえる。
一方の信忠も、なかなか頭を上げようとしない。すると、父は周りに目配せをして同席する者達に退室を促す。
人払いが完了したのを確かめてから、僅かに頭を上げた信忠が口を開く。
「……折角念書を頂戴したのに、ご期待に添えられず真に申し訳ありません」
信忠が指摘したのは、久秀への助命条件に関する事だった。兵を差し向けた段階で極秘に接触する話は限られた人しか知らず、状況を理解していない者に聞かれたくなかった。討つと言っている裏で助命を保障する前提で投降交渉を行っていたとなれば、戦っている将兵に示しがつかないからだ。
父も本当のところは、久秀を殺したくなかった筈だ。その気持ちに信忠は結果で応えられなかった。翻意させられなかった以上、詫びなければならない。
嫡男の謝罪に、父は気にするでもなく淡々と答えた。
「仕方あるまい。“平蜘蛛の釜を寄越せば命を助ける”という条件を、弾正は断った。……それだけだ」
その言葉に、思わず信忠は顔を上げた。失態に厳しい父には珍しく、咎めなかった。しかも、信貴山城の久秀に接触を試みたのは父の命令ではなく信忠の独断で進めた事だ。果たせなかった責任を問われ、処分されても甘んじて受ける覚悟だっただけに拍子抜けした気分である。
「……他に、何かあるか」
「はっ。弾正殿より上様へ言伝を預かっております」
信忠の返答に、父は「ほう……」と興味深そうに漏らす。
「弾正は何と申しておった」
「はい。『ここから先は未踏の地。道標も無い中で、如何にして切り開いていくか。高みから見守る所存』……と」
一語一句間違えまいと覚えた内容を、しっかり伝える信忠。久秀の言伝を聞いた父は小さな声で「そうか」と呟いたかと思うと、顔を両手で覆って天を仰いだ。
信忠には何について言っているのか分からなかったが、父にははっきりと伝わった。これが才溢れる者同士のやりとりなのか。
暫くその状態で固まっていた父だったが、やがて覆っていた両手を外すと口元に微かな笑みを浮かべながら言った。
「弾正め……最期までお節介なことを吐かしおって。いや、道を開いてきた者だからこそ、俺が危なっかしく映るのだろうな」
そう話す父の表情に、裏切られた事に対する怒りや憎しみは一切感じられない。本当に、久秀という人物を好意的に捉えていたのだろう。かく言う信忠も、嫌いになれなかった。
世間では“梟雄”として裏切りや騙し討ちを繰り返してきたような誤解が広まっているが、真相は違う。先見性があり、既成概念に囚われず、独創性に富んだ、茶の湯好きの好々爺こそ久秀の本当の姿だった。別れ際に浮かべた笑顔は、今でも信忠の瞼の裏に焼き付いて離れない。
真に、惜しい人物を亡くした。信忠は純粋にそう感じていた。
しんみりした空気に包まれた二人だが、それを切り替えるように父がポンと膝を叩いた。
「此度の松永討伐、見事であった。その働きを賞して、官職を授ける。従三位・左近衛中将だ」
「従三位……」
父の口から明かされた位階に驚いた信忠が、呟く。
律令制において、従三位から上の者は“貴”と呼ばれ、上流階級の証であった。また、諱の下に“卿”の敬称が付けられたことから、主に従三位以上の者は“公卿”と呼ばれていた。分かりやすく言えば、信忠はほんの一握りしか居ない公卿の仲間入りを果たした事になる。今年の一月五日に信忠は正四位下に昇叙しており、位が一つ上がっただけではあるが格が一気に上がった形だ。
一瞬、久秀の件で失敗した事が脳裏を過り、断ろうと頭を下げかけた時……機先を制するように父は告げた。
「弾正の一件は、俺とお前、それと同行した者しか知らぬ。しっかりと役割を果たしたにも関わらず何の褒美も与えないのは流石によろしくない。加えて……」
ここで一度言葉を区切った父は、咳払いをした後に不承不承といった態で付け加えた。
「……仮にも、お前は天下に鳴り響く織田家の当主ぞ。この先に朝廷や帝と渡り合わねばならぬかも知れぬのに、いつまでも正四位下では恰好がつかん。仕方なく、そう、仕方なくだ。ありがたいと思え」
最後の方はかなり早口で捲し立てたが、普段は父の考えが読めない信忠も今なら分かった。
明らかに、照れている。
日頃厳しい態度で接しているから、素直に褒められないのだ。だからあれこれ理由を付けて“仕方なく”くれてやる、としたいのだろう。
ここで嬉しがったら、絶対に『調子に乗るな』と叱りの言葉が飛んでくる。信忠は意識して表情を引き締めると、殊勝な態度で応じる。
「……はい。ありがたくお受け致します」
信忠の返答に満足したのか、父はフンと鼻を鳴らすと足早に退室していった。出て行くまで平伏していた信忠が頭を上げると、主が居なくなった席を見つめてほっこりと微笑んだ。
天正五年十月十五日、信忠は正式に従三位・左近衛中将に叙任された。これにより、信忠は公卿の仲間入りを果たした。
さらに、信忠だけでなく父・信長も、十一月二十日に従二位・右大臣に昇進している。武家出身者で右大臣に任じられたのは鎌倉幕府三代将軍の源実朝に次いで二人目の快挙で、正親町天皇が天下人に相応しいお墨付きを与えたに等しかった。以降、信長は“織田右府”と呼ばれるようになる。
織田家の中で公卿と呼ばれる高い位の者は父・信長の他に存在せず、信忠が嫡男として別格の扱いであるのがこの事で分かるかと思う。内外に『俺の次は信忠だ』と示した形だ。
ただ、当の本人である信忠は“正統な後継者”扱いを受けても嬉しいという気持ちは一切無かった。父が以前言った通り、『他に居ないから』と捉えていた。もしも今回の叙任で浮かれたり図に乗った態度を少しでも出したりすれば、父は間違いなく「これくらいで喜ぶな」と叱責するだろう。下手をすれば拳骨付きで。
地位が高くなればなる程、裁量権が広がれば広がる程、“失敗は許されない”という重責が信忠に圧し掛かる。喜んでなんかいられない、というのが信忠の偽らざる感想だった。
信忠の気持ちとは裏腹に、叙任当日からお祝いを述べに訪れる人の応対が暫くの間続いた。これ以降、信忠は家中の内外から“三位中将”または“岐阜中将”と呼ばれるようになる。
京で応対し、岐阜に帰ってからも応対に追われ、その影響力の大きさを肌で実感する信忠だった。
対面した父はいつものように感情が表に出ていなかったが、信忠には少し愁いを帯びているように見えた。
「……此度はご苦労だったな」
「はっ」
先の戦の報告と分かっていた父は、まず労いの言葉を掛けた。ただ、その声はどことなく元気がないように聞こえる。
一方の信忠も、なかなか頭を上げようとしない。すると、父は周りに目配せをして同席する者達に退室を促す。
人払いが完了したのを確かめてから、僅かに頭を上げた信忠が口を開く。
「……折角念書を頂戴したのに、ご期待に添えられず真に申し訳ありません」
信忠が指摘したのは、久秀への助命条件に関する事だった。兵を差し向けた段階で極秘に接触する話は限られた人しか知らず、状況を理解していない者に聞かれたくなかった。討つと言っている裏で助命を保障する前提で投降交渉を行っていたとなれば、戦っている将兵に示しがつかないからだ。
父も本当のところは、久秀を殺したくなかった筈だ。その気持ちに信忠は結果で応えられなかった。翻意させられなかった以上、詫びなければならない。
嫡男の謝罪に、父は気にするでもなく淡々と答えた。
「仕方あるまい。“平蜘蛛の釜を寄越せば命を助ける”という条件を、弾正は断った。……それだけだ」
その言葉に、思わず信忠は顔を上げた。失態に厳しい父には珍しく、咎めなかった。しかも、信貴山城の久秀に接触を試みたのは父の命令ではなく信忠の独断で進めた事だ。果たせなかった責任を問われ、処分されても甘んじて受ける覚悟だっただけに拍子抜けした気分である。
「……他に、何かあるか」
「はっ。弾正殿より上様へ言伝を預かっております」
信忠の返答に、父は「ほう……」と興味深そうに漏らす。
「弾正は何と申しておった」
「はい。『ここから先は未踏の地。道標も無い中で、如何にして切り開いていくか。高みから見守る所存』……と」
一語一句間違えまいと覚えた内容を、しっかり伝える信忠。久秀の言伝を聞いた父は小さな声で「そうか」と呟いたかと思うと、顔を両手で覆って天を仰いだ。
信忠には何について言っているのか分からなかったが、父にははっきりと伝わった。これが才溢れる者同士のやりとりなのか。
暫くその状態で固まっていた父だったが、やがて覆っていた両手を外すと口元に微かな笑みを浮かべながら言った。
「弾正め……最期までお節介なことを吐かしおって。いや、道を開いてきた者だからこそ、俺が危なっかしく映るのだろうな」
そう話す父の表情に、裏切られた事に対する怒りや憎しみは一切感じられない。本当に、久秀という人物を好意的に捉えていたのだろう。かく言う信忠も、嫌いになれなかった。
世間では“梟雄”として裏切りや騙し討ちを繰り返してきたような誤解が広まっているが、真相は違う。先見性があり、既成概念に囚われず、独創性に富んだ、茶の湯好きの好々爺こそ久秀の本当の姿だった。別れ際に浮かべた笑顔は、今でも信忠の瞼の裏に焼き付いて離れない。
真に、惜しい人物を亡くした。信忠は純粋にそう感じていた。
しんみりした空気に包まれた二人だが、それを切り替えるように父がポンと膝を叩いた。
「此度の松永討伐、見事であった。その働きを賞して、官職を授ける。従三位・左近衛中将だ」
「従三位……」
父の口から明かされた位階に驚いた信忠が、呟く。
律令制において、従三位から上の者は“貴”と呼ばれ、上流階級の証であった。また、諱の下に“卿”の敬称が付けられたことから、主に従三位以上の者は“公卿”と呼ばれていた。分かりやすく言えば、信忠はほんの一握りしか居ない公卿の仲間入りを果たした事になる。今年の一月五日に信忠は正四位下に昇叙しており、位が一つ上がっただけではあるが格が一気に上がった形だ。
一瞬、久秀の件で失敗した事が脳裏を過り、断ろうと頭を下げかけた時……機先を制するように父は告げた。
「弾正の一件は、俺とお前、それと同行した者しか知らぬ。しっかりと役割を果たしたにも関わらず何の褒美も与えないのは流石によろしくない。加えて……」
ここで一度言葉を区切った父は、咳払いをした後に不承不承といった態で付け加えた。
「……仮にも、お前は天下に鳴り響く織田家の当主ぞ。この先に朝廷や帝と渡り合わねばならぬかも知れぬのに、いつまでも正四位下では恰好がつかん。仕方なく、そう、仕方なくだ。ありがたいと思え」
最後の方はかなり早口で捲し立てたが、普段は父の考えが読めない信忠も今なら分かった。
明らかに、照れている。
日頃厳しい態度で接しているから、素直に褒められないのだ。だからあれこれ理由を付けて“仕方なく”くれてやる、としたいのだろう。
ここで嬉しがったら、絶対に『調子に乗るな』と叱りの言葉が飛んでくる。信忠は意識して表情を引き締めると、殊勝な態度で応じる。
「……はい。ありがたくお受け致します」
信忠の返答に満足したのか、父はフンと鼻を鳴らすと足早に退室していった。出て行くまで平伏していた信忠が頭を上げると、主が居なくなった席を見つめてほっこりと微笑んだ。
天正五年十月十五日、信忠は正式に従三位・左近衛中将に叙任された。これにより、信忠は公卿の仲間入りを果たした。
さらに、信忠だけでなく父・信長も、十一月二十日に従二位・右大臣に昇進している。武家出身者で右大臣に任じられたのは鎌倉幕府三代将軍の源実朝に次いで二人目の快挙で、正親町天皇が天下人に相応しいお墨付きを与えたに等しかった。以降、信長は“織田右府”と呼ばれるようになる。
織田家の中で公卿と呼ばれる高い位の者は父・信長の他に存在せず、信忠が嫡男として別格の扱いであるのがこの事で分かるかと思う。内外に『俺の次は信忠だ』と示した形だ。
ただ、当の本人である信忠は“正統な後継者”扱いを受けても嬉しいという気持ちは一切無かった。父が以前言った通り、『他に居ないから』と捉えていた。もしも今回の叙任で浮かれたり図に乗った態度を少しでも出したりすれば、父は間違いなく「これくらいで喜ぶな」と叱責するだろう。下手をすれば拳骨付きで。
地位が高くなればなる程、裁量権が広がれば広がる程、“失敗は許されない”という重責が信忠に圧し掛かる。喜んでなんかいられない、というのが信忠の偽らざる感想だった。
信忠の気持ちとは裏腹に、叙任当日からお祝いを述べに訪れる人の応対が暫くの間続いた。これ以降、信忠は家中の内外から“三位中将”または“岐阜中将”と呼ばれるようになる。
京で応対し、岐阜に帰ってからも応対に追われ、その影響力の大きさを肌で実感する信忠だった。
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