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四 : 根張 - (7) 勝蔵の変化
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天正五年三月下旬。雑賀攻めから岐阜へ帰還して数日が経った信忠に、長可から面会の申し入れがあった。何だろうと思いつつも、信忠はすぐに認めて翌日に会う手筈を整えた。
次の日。岐阜城へ出仕してきた長可は、いつになく固い表情をしていた。
「……勘九郎様。この度は折り入って話がございます」
緊張した面持ちで頭を下げる長可。その声はやや小さく、固い。
「如何した? そんなに畏まって」
信忠は努めて柔らかい声で話すが、長可は頭を上げようとしない。話とは何か分からず戸惑う信忠だが、少し経って意を決した長可が顔を上げて切り出した。
「――兼山の湊を整備し、塩などを専売制にしようかと考えております。何卒、許可を頂きとうございます!」
言い終わるなり、再びガバッと頭を下げる長可。
長可の居城・兼山城下には、木曽川が通っている。木曽川は信濃から美濃・尾張を経由して伊勢湾に流れる川で、信濃の木曾谷で切り出された材木を上方方面へ運搬したり、伊勢湾で獲れた塩や魚介などを木曽川上流域に届けたりする為に利用されていた。大きな丸太や製材された木材を陸で運ぶ場合は多くの牛馬や人を必要とする上に、山奥から細く傾斜のある道を通るので非常に時間が掛かってしまう。その点、川を利用すれば水の流れを利用するので陸よりも早く安く届けられる事から、水運を積極的に活用していた背景がある。
木曽川は流域の住民にとって欠かせない存在で、多くの船や人が行き来していた。それに着目した長可は、城下の兼山湊を整備して木曽川を利用する人々の中継点にしようと考えたのだ。兼山湊を休憩箇所にすれば兼山城下を利用する人も出てくるだろうし、湊を拠点に兼山周辺の地域に伊勢湾から運ばれた物資が手に入りやすくなったり、逆に地域の特産品を伊勢湾周辺の商業地に送る事も可能になる。
美濃国は海に面しておらず、塩や海産物は国外から仕入れるしかない。長可は兼山湊を整備するに当たりその点に着目し、地元商人に専売の特許を与える代わりに運上金を納める仕組みを考え付いた。兼山のみならず周辺地域も含めて塩や海産物の需要があるので儲けは見込め、領主側も独占させる見返りに商人から支払われる金銭が副収入になる。双方にとって得が出来る訳だ。
長可の申し出に、信忠は素直に驚いた。それでも、すぐに落ち着いた口調で返す。
「……それは構わないが、どうしてそう思ったのだ?」
今回の申し出はあくまで長可の治める領内の事であり、信忠に許可を求める必要はない。そして、長可は根っからの武人で、槍働きで出世したいと常々口にしていた。どういう経緯で商いを奨励する策を取り入れたいという思いに至ったのか、信忠は少し興味が湧いた。
すると、長可はゆっくりと頭を上げて、やや恥ずかしそうに答えてくれた。
「先日、勘九郎様と茶室で話していた時に、『天下布武が成った後、槍働きで所領を拡げる事は出来なくなる。これからは与えられた所領で如何に実入りを増やすか』と仰られ、ハッとさせられました。正直、そんな先の事は考えた事がありませんでした。でも、勘九郎様の仰る事は尤もだと思いました。一万石の石高でも商いを盛んにして収入が一万石分増えれば、実質二万石になる。……あの日から足りない頭で精一杯に考えて、領内の主立った商人にも話を聞いたりして、こういう考えに至った次第です」
訥々と語る長可。その言葉に、信忠も感じ入るものがあった。
信忠自身も宗久を通じて天下布武の先について知った。その考えを一人でも多くの人に知ってもらいたい気持ちをずっと秘めていて、あの時に長可へ明かしたのだ。それを長可はしっかりと受け止め、自分なりに導き出した結論が今日の申し出だ。銭を儲ける商人を毛嫌いしていた長可だったから、余計に感慨深い。
あの長可も変わろうとしている。喜ばしく思うと共に、自分も負けてられないという気持ちが信忠の中に湧いてきた。
「……そうか。上手くいくといいな」
「はい!」
そこで今日初めて、長可は屈託のない笑顔を見せた。その表情は信忠の目にとても眩しく映った。
この後、長可は信忠に話した通り、木曽川の兼山湊の整備と塩や海産物の専売制、さらに城下の整備や六斎市(月の内で六回開かれる市)の実施など、新しい事業を次々と行っていった。武辺一辺倒だった長可はこれを機に、文武に優れた将として飛躍を遂げていくこととなる。
次の日。岐阜城へ出仕してきた長可は、いつになく固い表情をしていた。
「……勘九郎様。この度は折り入って話がございます」
緊張した面持ちで頭を下げる長可。その声はやや小さく、固い。
「如何した? そんなに畏まって」
信忠は努めて柔らかい声で話すが、長可は頭を上げようとしない。話とは何か分からず戸惑う信忠だが、少し経って意を決した長可が顔を上げて切り出した。
「――兼山の湊を整備し、塩などを専売制にしようかと考えております。何卒、許可を頂きとうございます!」
言い終わるなり、再びガバッと頭を下げる長可。
長可の居城・兼山城下には、木曽川が通っている。木曽川は信濃から美濃・尾張を経由して伊勢湾に流れる川で、信濃の木曾谷で切り出された材木を上方方面へ運搬したり、伊勢湾で獲れた塩や魚介などを木曽川上流域に届けたりする為に利用されていた。大きな丸太や製材された木材を陸で運ぶ場合は多くの牛馬や人を必要とする上に、山奥から細く傾斜のある道を通るので非常に時間が掛かってしまう。その点、川を利用すれば水の流れを利用するので陸よりも早く安く届けられる事から、水運を積極的に活用していた背景がある。
木曽川は流域の住民にとって欠かせない存在で、多くの船や人が行き来していた。それに着目した長可は、城下の兼山湊を整備して木曽川を利用する人々の中継点にしようと考えたのだ。兼山湊を休憩箇所にすれば兼山城下を利用する人も出てくるだろうし、湊を拠点に兼山周辺の地域に伊勢湾から運ばれた物資が手に入りやすくなったり、逆に地域の特産品を伊勢湾周辺の商業地に送る事も可能になる。
美濃国は海に面しておらず、塩や海産物は国外から仕入れるしかない。長可は兼山湊を整備するに当たりその点に着目し、地元商人に専売の特許を与える代わりに運上金を納める仕組みを考え付いた。兼山のみならず周辺地域も含めて塩や海産物の需要があるので儲けは見込め、領主側も独占させる見返りに商人から支払われる金銭が副収入になる。双方にとって得が出来る訳だ。
長可の申し出に、信忠は素直に驚いた。それでも、すぐに落ち着いた口調で返す。
「……それは構わないが、どうしてそう思ったのだ?」
今回の申し出はあくまで長可の治める領内の事であり、信忠に許可を求める必要はない。そして、長可は根っからの武人で、槍働きで出世したいと常々口にしていた。どういう経緯で商いを奨励する策を取り入れたいという思いに至ったのか、信忠は少し興味が湧いた。
すると、長可はゆっくりと頭を上げて、やや恥ずかしそうに答えてくれた。
「先日、勘九郎様と茶室で話していた時に、『天下布武が成った後、槍働きで所領を拡げる事は出来なくなる。これからは与えられた所領で如何に実入りを増やすか』と仰られ、ハッとさせられました。正直、そんな先の事は考えた事がありませんでした。でも、勘九郎様の仰る事は尤もだと思いました。一万石の石高でも商いを盛んにして収入が一万石分増えれば、実質二万石になる。……あの日から足りない頭で精一杯に考えて、領内の主立った商人にも話を聞いたりして、こういう考えに至った次第です」
訥々と語る長可。その言葉に、信忠も感じ入るものがあった。
信忠自身も宗久を通じて天下布武の先について知った。その考えを一人でも多くの人に知ってもらいたい気持ちをずっと秘めていて、あの時に長可へ明かしたのだ。それを長可はしっかりと受け止め、自分なりに導き出した結論が今日の申し出だ。銭を儲ける商人を毛嫌いしていた長可だったから、余計に感慨深い。
あの長可も変わろうとしている。喜ばしく思うと共に、自分も負けてられないという気持ちが信忠の中に湧いてきた。
「……そうか。上手くいくといいな」
「はい!」
そこで今日初めて、長可は屈託のない笑顔を見せた。その表情は信忠の目にとても眩しく映った。
この後、長可は信忠に話した通り、木曽川の兼山湊の整備と塩や海産物の専売制、さらに城下の整備や六斎市(月の内で六回開かれる市)の実施など、新しい事業を次々と行っていった。武辺一辺倒だった長可はこれを機に、文武に優れた将として飛躍を遂げていくこととなる。
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