信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉

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三 : 萌芽 - (13) 価値観の変革

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 天正三年二月。岐阜は雪がちらつく空模様が数日続いていた。美濃と信濃の国境くにざかいには山々がそびえており、冬の時期は雪で道が閉ざされる。東美濃が武田の支配下になったものの、本国からの応援が見込めない以上は軍事行動に移せなかった。警戒は怠れないが、美濃は一時ひとときの平穏に包まれていた。
 この日、信忠は長可を茶の席に誘った。
 去年十月に『一緒に茶を飲まないか?』と誘ってから、これまで三回くらい二人で茶を飲んでいた。最初はガチガチに緊張していた長可も、回数を重ねていくにつれて肩の力が抜けて自然体で臨めるようになった。その姿を見ながら信忠は「自分もこうだったな」と過去を振り返る。
「……以前と比べて、上達したな」
「はい。上様からも『茶の湯は上方かみがたでは教養の一つとして認知されつつある。身に付けておいて損はない』と仰られておりましたので。体を動かすのも良いですが、こうして静寂の中に身を置くのも悪くありません」
 信忠が声を掛けると、落ち着いて返す長可。戦場では手柄を求めて荒々しく暴れ回る長可ではあるが、茶室に入ると別人になったように振る舞う。直情径行ちょくじょうけいこうな性格とばかり思っていたが、こういう一面もあるのかと新鮮な気分だ。
 点てた茶を信忠が長可の前に差し出すと、軽く頭を下げてから受け取る。その所作にぎこちなさは感じられず、自然なものだ。
「先程の話を母に伝えたら、屋敷の中に上方で流行している草庵風の茶室を建てるよう強くすすめられました。『貴方は森家の当主、これから上方の方々と交流する機会も増える事でしょう。その時に恥ずかしい思いをせぬ為にも、自分への投資と考えなさい』と」
「流石はあの母御ははごだな」
 長可が明かすと、信忠も笑みがこぼれる。それから、自分が飲む為の茶を点てるべく茶筅を振る。
 長可の母・えい(現在は仏門に入り“妙向尼みょうこうに”と名を改めている)は教育熱心な性格で知られる人物で、元亀元年に夫の可成が討死してからは若年で家督を継いだ長可を陰ながら支えつつ、まだ幼い長可の弟妹ていまい達を女手一つでたくましく傅育ふいくした。また、熱心な浄土真宗の門徒でもあり、織田家が石山本願寺と対立するようになってからも信仰を捨てず浄土真宗の関係者との交渉窓口も務めていた。
 そして、長可の上達ぶりを見る限り、信忠のように社交性の一環というよりも趣味の領域に入りつつあった。茶の湯の楽しさに目覚めたのは、素直に羨ましいと思う。
「母は武人として武を磨くだけでなく、風雅の分かる人物になりなさいと常日頃から口にされておりました。当初は『そんな事に時間を割くくらいなら鍛錬に費やしたい』と思っていましたが、茶を嗜むようになってからは武の方にも良い作用があると分かり、考えを改めました」
 しみじみと語る長可の顔は、優しさに満ち溢れていた。
 初めて対面した時から、性格に丸みを帯びたように信忠の目に映った。あの頃は武功を挙げる為にかなりとがっていた印象を持っていたが、今は“動”と“静”を場に応じて使い分けている感がある。例えはアレだが、人間っぽくなった。
 そんな事を思っていると、信忠はふと今浮かんだ事を長可にぶつけてみる。
「……勝蔵。一つ訊ねてもいいか?」
「はい、何なりと」
茶筅を置いた信忠が、目線を長可の方に向ける。これから話す内容が、片手間で訊ねるものではないという意思を表す意味も込められていた。
「収入を増やす方策について、どう考えている?」
「……?」
 信忠の問いに、一瞬ポカンとした表情を浮かべる長可。恐らく、こうした事柄について深く考えた経験が無いのだろう。
 先日、今井宗久と商いで国を振興させる方策について話し合った際に『お武家様は年貢(米)に依存している』と述べていたのを思い出した。信忠は幼少期に生駒屋敷で暮らしていたのもあり商人に近い価値観を持っていたので、この際だから純粋な武家育ちの長可はどう捉えているか確かめてみたい思惑があった。
 唐突に投げかけられた質問に、長可は当たり前のように答えた。
「……それは、武功を挙げて所領を拡げる。その一点に尽きます」
 その答えを聞いて、信忠は「成る程、これが武家育ちの考え方か」と思った。収入を増やすのは所領を拡げる、実に単純な話だ。しかし、基準はあくまで年貢として納められる米であり、それ以外の収入は考慮されていない。
 この考えには、落とし穴がある。仮に領土が拡がったとしても、その土地で米の収穫が見込めないとしたら。土地が痩せているとか、傾斜地ばかりで平地が少ないとか。そうなった場合、実入りは少ししか増えないのに拡大の為に投じた経費の方が多くなり、結果的に大損となる。
 そして、もう一つ欠陥があるとすれば――。
「では、天下布武を成し遂げた後は如何いかがする?」
 信忠が問うと、長可はキョトンとした顔になった。そんな事は考えもしなかった、という感じである。
 織田家は着実に版図を拡げており、父が掲げる“天下布武”の達成も現実味を帯びてきた。日ノ本が統一されれば、戦も無くなる。戦が無くなれば、恩賞を貰う機会も失われる。恩賞による領地拡大の前提条件が崩れる事になるのだ。
「……荒れ地を開墾かいこんする、とか?」
 長可なりに考えて考えた末、開墾という答えに至った。
 自分の領地を拡げられないなら、作付さくつけ面積を増やす。戦が続く乱世で民は新たに田畑を作ろうという余裕は無かった。逆に言えば、開墾の余地はあるとも言える。その考えは正しい。しかし――。
「ならば、開墾する場所が無くなったらどうするつもりだ?」
 畳み掛けるように信忠が訊ねると、長可は絶句してしまった。
 そもそも、未開の地を整備するのは凄まじい労力と時間が掛かる。作物を育てる土壌どじょうになるまで、どんなに早くても数年、下手をすれば十年以上掛かっても不思議でない。それまでの間、どうやって民を食べさせていくのかという問題も合わせて考えていかなければならない。
 加えて、土地の性質についても課題がある。今も残っているのは傾斜地・岩場・湿地・沼地・その他様々な稲作に適さない土地ばかりだ。山を切り開き、その土で海や沼を埋め立て、灌漑かんがい設備を整えた上で新たな土地を作るのも一つの手ではあるが、そんな事業は五年十年で完結させられるものではない。無駄な労力と時間を費やすくらいならば、別の方法で金を稼ぐ事を模索もさくした方がいいだろう。
 開墾という発想が出たのは素直に褒めるべき点だ。しかし、付け焼刃的な一時しのぎに過ぎない。米だけを基軸にする考え方を改めない限り、いつか破綻を招くだろう。
 では、どうすればいいのですか。長可の顔にそうはっきりと書かれていたので、信忠は種明かしをした。
「米だけで考えるから限界がある。商いを奨励させ、銭を稼げる産業を見つけて育てるのだ」
 信忠の言葉に、長可は怪訝けげんそうな表情を浮かべる。
「……つまり、商人の真似事をしろと仰るのですか?」
 あまり乗り気でない様子の長可。その声には若干の反発も込められていた。
「勝蔵は商人のことを快く思っていないようだな」
「当然です! 彼奴きやつは年貢米を一銭でも安くしようとしますし、まきや塩など手に入りにくい時はここぞとばかりに値を釣り上げてきますし……大した働きもしていないのに偉そうにしているから余計に腹が立ちます!」
 色々と積もる思いがあるらしく、長可は凄い勢いでまくし立てる。ただ、最後の『大した働きもしていない偉そうにしている』という文言は我々武家の者にも当て嵌まるので、信忠は他の人々からそう思われているのだろうなと内心苦笑する。
 信忠は、怒りの収まらない長可へさとすように語り掛ける。
「勝蔵の気持ちも分からなくもないが、商人は銭を稼ぐのが仕事なのだから、そう悪く言ってやるな。一部の阿漕あこぎな輩を除けば、真っ当に仕事をしているだけなのだから」
「むぅ……」
 その言葉に長可は不承不承ながら矛を収める。さらに信忠は続ける。
「それに、年貢米だけでなく別に収入があれば、勝蔵の実入りも増えるだろう? 領内が潤えば、民の生活も向上する。石高以上に国力があれば同じ石高の者と比べて豊かになり、その分だけ余裕が生まれる。いては、自分に返ってくるのだ」
 考えさせられる部分があったみたいで、長可の表情が変わった。もう一押しだ。信忠はさらに言葉を重ねる。
「天下布武が成れば、これまでのように槍働きで所領を拡げる事は出来なくなる。そうなった時に頭を抱えるのではなく、今の内から与えられた所領の中で如何いかに実入りを増やすか考えた方が得だと思わないか?」
 そう諭すと、長可は黙り込んでしまった。ただの猪武者なら「そんな小難しい事、後から考えればいいではないですか!」と軽く受け流すだろうが、長可は信忠が投げ掛けた提案を真剣に受け止めた。冷静に考える能力がある証拠であり、奉行などまつりごとの仕事を任せられる適正がある事だ。
 天下布武が現実味を帯びてきた今、達成した後の事も考えていかなければならない。戦が無くなった世で、戦う事しか能がない者を大勢抱えていても何の役にも立たない。そうならない為にも、将来を見据えて変わる必要があるのだ。
 これまでは生き残る事を最優先に、強くあらねばならなかった。その為に内政は後回しにしてきた。面倒で煩雑はんざつな裁判事や事務手続きは第一線を退しりぞいた年配の者や戦に出られない程の怪我をした者、体があまり強くない者がてられた。要するに、“誰でも出来る仕事”と軽く捉えてきたのだ。中には有能な者も居たが、優秀な者は裏方とみられていた内政に割り当てられなかった。だからこそ、年貢を決められた分を集めるのが最大の仕事、と思っていた武士も少なくない。
 しかし、これからはそのような意識では駄目だ。領地を戦で勝ち取れなくなる未来がそう遠くないところまで迫っており、今後は与えられた領地の中でどうやって収入を増やしていくか工夫を凝らさなければ、武士は生き残れない。主君からすれば、年貢だけ頼りにただ待っている者と、内政改革で少しでも実入りを増やそうと努力している者が居れば、重用したくなるのは後者だ。この先は家臣の側でも、意識を変える必要がある。
 暫く考え込んだ長可は、やがてスッキリとしたような顔で答えた。
「……勘九郎様の仰る通りです。今すぐにとはいきませんが、そのお考えはしっかり胸に留め、いつか実現したいと思います」
 自分の思いが長可に伝わり、信忠は嬉しく感じた。自分の言葉をきっかけに長可の領地が豊かになれば、長可が治める土地の領民も喜ぶ事になる。こうして皆が少しでも幸せになってくれればいいな、と信忠は切に願った。

 冬の間、信長は特に目立った動きを見せず、京と岐阜を往復する日々が続いた。
 天正三年三月十六日、信長は相国寺しょうこくじで今川氏真と面会。氏真は今川家が滅んだ後は妻の実家である北条家に落ち延び、北条家が仇敵である武田家と関係を回復させてからは徳川家へ移り、その庇護を受けていた。信長と言えば氏真の父・義元を討った憎きかたきであるが、天正元年に氏真が伊勢大湊の商人に預けていた“千鳥ちどり香炉こうろ”を信長が買いたいと接触してきた際に応じるなど、わだかまりは持っていない様子だった。
 この時、蹴鞠けまりの名人として知られる氏真の技を見たいと信長が望み、四日後の三月二十日に相国寺で信長や公家達の前で蹴鞠を披露した……と『信長公記』に記されている。
 一方で、戦や政の準備も着実に進めていた。天正三年三月には塙直政を大和国の守護に任じた。直政は前年の天正二年五月に南山城の守護に任じられており、二ヶ国を兼務する形となった。守護は領地こそ持たないが当該国の国人を統率する役割で、一軍を率いる身として重要な意味があった。直政は信長の馬廻衆出身で赤母衣衆に抜擢された子飼いの若手家臣で、上洛してからは蘭奢待切り取りの奉行を務めるなど吏僚として織田家を支えてきた。この馬廻出身者は次世代を担う若手の逸材として織田家の内部で激しい出世争いが繰り広げられており、直政はこれで頭一つ抜け出した格好となる。
 三月二十二日、信長は長岡藤孝に宛てた手紙の中で『秋に石山本願寺を攻めるから、丹波の国人達を与力に付けるので準備を怠らないように』と命じている。この手紙と前後して、石山本願寺に籠もる門徒勢の動きが活発化しており、砦を築いたり兵を進めたりしていた。これに対し、摂津の荒木村重がしっかりと対処。逆に門徒勢が築いた砦を奪うなど、一定の成果を上げていた。
 この情勢を受け、信長はこの機に石山本願寺を叩くべく出陣を決断。四月六日、一万の兵を率いて京を出発した。翌七日に河内の若江城に入り、まず手始めに石山本願寺と協力関係にある三好康長やすながの高屋城を標的に定めた。織田方の動きに対し、三好勢も城から出撃。両軍の間で激しい合戦となった。
 四月十三日までに畿内周辺だけでなく美濃・尾張や播磨、丹波などから続々と兵が到着し、織田勢は十万を超えるまでに膨れ上がった。信長は天王寺に本陣を構え、住吉・遠里小野おりおのにも軍を配置して、石山本願寺に圧力を掛けた。戦闘こそ行われなかったが、十四日から十六日にかけて石山本願寺周辺の作物を薙ぎ捨てにする示威行動をしている。
 十七日、高屋城と石山本願寺の中間に位置する新堀城を織田勢は包囲。新堀城は三好方の十河一行・香西こうざい長信ながのぶが守っており、高屋城の三好康長や石や本願寺の門徒勢を支援していた。十九日の夜に大手門・搦手からめて門の双方から同時に攻めると共に、火矢を放つなど猛攻を仕掛けた。この戦で一行は討死、長信は逃れようとしたが生け捕りにされ、後に斬首された。新堀城が落ちたのを知った康長は信長からの信頼が厚い松井友閑ゆうかんを通じて降伏を申し入れ、信長もこれを認めて康長を赦免した。
 河内で反織田勢力の二城を落とし、勢いに乗じて石山本願寺を攻めようという機運が高まったが……それに待ったをかける報せが東からもたらされた。
 甲斐・武田、動く――。
 この急報を受けた信長は、直ちに本願寺攻めの中止を決断。塙直政に高屋城等の破却を命じ、四月二十一日に信長は京へ戻った。
 昨年五月の高天神城救援は間に合わなかったが、今度こそ武田家と雌雄しゆうを決するべく信長は並々ならぬ決意で臨もうとしていた――!!
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