29 / 127
二 : 立志 - (13) 暗雲立ち込める
しおりを挟む
時は少し遡り、元亀三年八月。織田家にとって良くない動きが二つあった。
一点目は、越後の上杉謙信。北信濃の領有を巡り五度に渡る合戦を繰り広げてきた上杉謙信は、信玄にとって宿敵とも言える存在だった。これまでは信玄が長らく領国を空けていると北信濃へ侵攻される恐れを抱えていた。謙信に何度も煮え湯を飲まされてきた信玄は一計を案じた。元亀二年頃から加賀の一向一揆勢力へ秘かに信玄は使者を送り、謙信が手を伸ばしている越中で一向一揆を起こすように仕向けたのだ。これにより、一揆勢は越中国内の反上杉方の国人と結託して上杉勢と対抗する姿勢を鮮明にした。越中の騒擾を放置していれば本国である越後へ飛び火しかねず、已む無く謙信は一向一揆鎮圧を優先せざるを得なくなった。元亀三年八月六日、謙信は当初予定していた関東遠征を中止。十日に越中へ向けて出陣した。九月に一向一揆との戦に勝利し、結果的には越中における反上杉勢力に大打撃を与えたのだが、信玄にとって目の上のたんこぶだった謙信が北信濃へ進出してくる不安は取り除けた。
もう一点目は、美濃と信濃の国境付近、即ち織田領と武田領の緩衝地帯に当たる遠山家の話だ。
元亀三年八月十四日。遠山家の当主・遠山景任が病死した。厄介だったのは、景任に子どもが居なかった事だ。景任が城主を務めていた岩村城は織田家の防衛上極めて重要な城であり、後任不在の状況は由々しき問題であった。信長は直ちに庶兄・信広、河尻秀隆を岩村城へ派遣・接収。その上で遠山家には信長の五男・御坊丸を養子に入れ、当主に据えた。但し、御坊丸はまだ四歳の幼子だった為、景任の妻で信長の叔母に当たる“おつやの方”が実質的な当主となった。
不安材料は幾つかあったが、信長も静観していた訳ではない。周りを敵に囲まれた現状を打破すべく精力的に動くと共に、これまで敢えて見過ごしていた内なる敵に切り込んだ。
元亀三年九月、信長は将軍・足利義昭に対して十七ヶ条にも及ぶ異見書を提出した。その内容は日頃の義昭の振る舞いを諫めるもので、朝廷への参内を怠ったり独断で自らの家臣に知行地を与えたりしている事が記されていた。この異見書は複製した上で各地に流布された事により、信長が暗に『義昭は将軍としての仕事をしていない』と世に訴える狙いがあった。
信長の最後通牒とも言える異見書を突き付けられた義昭だったが、行いを改める事はしなかった。信長と義昭の冷え込んだ関係は最早修復不可能な領域に達しており、袂を分かつのも時間の問題だった。
これ以降も信長は義昭を将軍として扱ったが、義昭の方は信長に隠れて各地の大名達に反織田の兵を挙げるよう促す御内書を送り続けた。この御内書の存在は義昭が信長討伐の意思を示したと解釈され、各地で反信長に向けた動きが加速していく事となる。
元亀三年九月二十九日。武田信玄は山県昌景・秋山虎繁の両名に三千の兵を預け、信濃から奥三河へ侵攻させた。三河は徳川家の領国であり、この軍事行動を機に徳川・武田家は手切れとなった。十月三日、総大将である信玄も二万三千の兵を率いて甲府から出陣。十月十日には遠江へ侵攻した。また、浅井・朝倉の両家にも使者を送り、織田方を後方から牽制するよう要請している。
徳川家の方も、永禄十二年の同盟破棄から武力衝突こそ無かったものの、いつかこうなると覚悟はしていた。ただ、織田家はまだ干戈を交えてないのもあり、警戒感は高まっているが危機感はそんなに抱いていない部分があった。しかし、今回の信玄が大軍を率いて甲府から出陣したのは、足利義昭が反信長の兵を挙げよという求めに応じ、尚且つ昨年焼き討ちに遭った延暦寺再興を掲げていた事から、その矛先が織田家に向けられるのは明白だった。
十月十三日、信玄は部隊を二手に分け、馬場信春に五千の兵を預けた別動隊は中遠江方面へ進軍させ、残り一万七千の兵を連れた信玄率いる本隊は北遠江の複数の城を僅か一日で落とした。武田勢は次々と徳川方の城を攻略し、快進撃を続けていく。
山県昌景・秋山虎繁の別動隊もまた、当初の目的である奥三河を手中に収めると二手に分かれた。昌景の部隊は傘下に入った奥三河の国人衆と共に遠江方面へ南下、秋山虎繁の部隊は北上した。狙いは――先日城主が替わったばかりの、美濃・岩村城!
一点目は、越後の上杉謙信。北信濃の領有を巡り五度に渡る合戦を繰り広げてきた上杉謙信は、信玄にとって宿敵とも言える存在だった。これまでは信玄が長らく領国を空けていると北信濃へ侵攻される恐れを抱えていた。謙信に何度も煮え湯を飲まされてきた信玄は一計を案じた。元亀二年頃から加賀の一向一揆勢力へ秘かに信玄は使者を送り、謙信が手を伸ばしている越中で一向一揆を起こすように仕向けたのだ。これにより、一揆勢は越中国内の反上杉方の国人と結託して上杉勢と対抗する姿勢を鮮明にした。越中の騒擾を放置していれば本国である越後へ飛び火しかねず、已む無く謙信は一向一揆鎮圧を優先せざるを得なくなった。元亀三年八月六日、謙信は当初予定していた関東遠征を中止。十日に越中へ向けて出陣した。九月に一向一揆との戦に勝利し、結果的には越中における反上杉勢力に大打撃を与えたのだが、信玄にとって目の上のたんこぶだった謙信が北信濃へ進出してくる不安は取り除けた。
もう一点目は、美濃と信濃の国境付近、即ち織田領と武田領の緩衝地帯に当たる遠山家の話だ。
元亀三年八月十四日。遠山家の当主・遠山景任が病死した。厄介だったのは、景任に子どもが居なかった事だ。景任が城主を務めていた岩村城は織田家の防衛上極めて重要な城であり、後任不在の状況は由々しき問題であった。信長は直ちに庶兄・信広、河尻秀隆を岩村城へ派遣・接収。その上で遠山家には信長の五男・御坊丸を養子に入れ、当主に据えた。但し、御坊丸はまだ四歳の幼子だった為、景任の妻で信長の叔母に当たる“おつやの方”が実質的な当主となった。
不安材料は幾つかあったが、信長も静観していた訳ではない。周りを敵に囲まれた現状を打破すべく精力的に動くと共に、これまで敢えて見過ごしていた内なる敵に切り込んだ。
元亀三年九月、信長は将軍・足利義昭に対して十七ヶ条にも及ぶ異見書を提出した。その内容は日頃の義昭の振る舞いを諫めるもので、朝廷への参内を怠ったり独断で自らの家臣に知行地を与えたりしている事が記されていた。この異見書は複製した上で各地に流布された事により、信長が暗に『義昭は将軍としての仕事をしていない』と世に訴える狙いがあった。
信長の最後通牒とも言える異見書を突き付けられた義昭だったが、行いを改める事はしなかった。信長と義昭の冷え込んだ関係は最早修復不可能な領域に達しており、袂を分かつのも時間の問題だった。
これ以降も信長は義昭を将軍として扱ったが、義昭の方は信長に隠れて各地の大名達に反織田の兵を挙げるよう促す御内書を送り続けた。この御内書の存在は義昭が信長討伐の意思を示したと解釈され、各地で反信長に向けた動きが加速していく事となる。
元亀三年九月二十九日。武田信玄は山県昌景・秋山虎繁の両名に三千の兵を預け、信濃から奥三河へ侵攻させた。三河は徳川家の領国であり、この軍事行動を機に徳川・武田家は手切れとなった。十月三日、総大将である信玄も二万三千の兵を率いて甲府から出陣。十月十日には遠江へ侵攻した。また、浅井・朝倉の両家にも使者を送り、織田方を後方から牽制するよう要請している。
徳川家の方も、永禄十二年の同盟破棄から武力衝突こそ無かったものの、いつかこうなると覚悟はしていた。ただ、織田家はまだ干戈を交えてないのもあり、警戒感は高まっているが危機感はそんなに抱いていない部分があった。しかし、今回の信玄が大軍を率いて甲府から出陣したのは、足利義昭が反信長の兵を挙げよという求めに応じ、尚且つ昨年焼き討ちに遭った延暦寺再興を掲げていた事から、その矛先が織田家に向けられるのは明白だった。
十月十三日、信玄は部隊を二手に分け、馬場信春に五千の兵を預けた別動隊は中遠江方面へ進軍させ、残り一万七千の兵を連れた信玄率いる本隊は北遠江の複数の城を僅か一日で落とした。武田勢は次々と徳川方の城を攻略し、快進撃を続けていく。
山県昌景・秋山虎繁の別動隊もまた、当初の目的である奥三河を手中に収めると二手に分かれた。昌景の部隊は傘下に入った奥三河の国人衆と共に遠江方面へ南下、秋山虎繁の部隊は北上した。狙いは――先日城主が替わったばかりの、美濃・岩村城!
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
渡世人飛脚旅(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)
牛馬走
歴史・時代
(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)水呑百姓の平太は、体の不自由な祖母を養いながら、未来に希望を持てずに生きていた。平太は、賭場で無宿(浪人)を鮮やかに斃す。その折、親分に渡世人飛脚に誘われる。渡世人飛脚とは、あちこちを歩き回る渡世人を利用した闇の運送業のことを云う――
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる