31 / 34
四 : 思いと思い(9)-久秀の美学
しおりを挟む
「父上、一つお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
五月下旬、割り当てられた付城の普請を見守っていた松永久秀に、嫡男・久通が声を掛けてきた。
辺りには作事の槌音や威勢のいい掛け声が響く中、松永父子の会話に聞き耳を立てる者は居なかった。久秀は周りを一瞥してから、目で先を促す。
「先立っての戦で、我が陣に駆け込んできた遣いを問答無用で始末しましたが……本当によろしかったのですか?」
久通が指摘したのは、去る五月七日に行われた合戦の最中、どこの陣の者とも告げない使者が「内密の用件でお伝えしたい儀がある」と言って久秀に目通りを求めてきた。それに対して久秀は「有無を言わさず斬れ」と命じ、遣いの者は秘密裏に始末された。遺体は戦死者に紛れて埋められ、この事実を知るのは家中でも限られた者だけだった。
その者が本願寺の手の者だと、久通は薄々勘付いていた。父の裏切り癖にはほとほと困っているのだが、一方で解せないこともあった。僅かな供廻りしか連れず信長が我が陣に居るのに、父は手を出そうとしなかった。戦場のどさくさに紛れて闇討ちする事も容易だったのに、である。
「お主も考えが浅いのう」
久秀は久通の言わんとしている事を理解した上で、そう返した。尤も、久通の思慮が足りない訳ではなく、変節を繰り返してきた久秀の思考を完全に理解する方が難しかった。久通は久秀の陰に隠れているが、永禄九年五月に久秀が突如行方を晦ましてから翌年の四月に戻ってくるまでの間、対立する三好三人衆勢や筒井順慶勢と互角に渡り合っている。弱肉強食の乱世で久秀不在の松永家を保てたのは、久通の力量の賜物に他ならなかった。
「目の前にぶら下げられた餌に食いつくなど、三流のやる事ぞ。つまらぬ。実につまらぬ」
「……なれば、父上は何が面白いのですか?」
久通からの問いに、久秀は少し考えてからゆったりとした口調で答えた。
「そうさな……圧倒的強者が恥も外聞もなく足掻いている様を高みから眺める事、かな」
「はぁ……」
今一つピンと来ていない久通に、久秀はニコニコと微笑む。
しかし、久秀は内心では歯噛みする思いに駆られていた。
(信長め。よりによって儂の陣を選ぶとは。あれでは手出しが出来ないではないか)
“窮鳥懐に入れば猟師も殺さず”の諺ではないが、少人数の供廻りしか連れてない相手を殺すのは流石の久秀も躊躇われた。得られる利に対して代償があまりにも大き過ぎる。
あの若造を罠に嵌める火遊びは例え失敗したとしても自らに火の粉が被らないよう細工を施しておいたが、我が手の内にある信長を戦場のどさくさに紛れて始末するのは、あまりに乱暴過ぎる。それに、自らの美学にも反した。
自らの手を汚すことなく、思い描いた理想の展開に持ち込む。それが久秀にとって何よりの楽しみだった。その為に知恵を振り絞り、金も労力も時間も惜しまなかった。
その点、信長という男は実に素晴らしい。損得を見極めて動くかと思えば、直感を信じて突拍子のない行動も取る。劣勢に立たされても、決して諦めず何とか打開しようとする気概もある。側で見ていて飽きる事がない。
(……まぁ、儂もあと三十若ければ話は違っていたかも知れぬが)
久秀が世に出た事を確認されるのは、天文九年(一五四〇年)。当時の主君・三好長慶の右筆として書状にその名が記されたもので、しかも既にその段階で弾正忠を名乗っていた。この時、久秀三十三歳。武士としてはかなり遅咲きの部類に入る。
久秀は歴とした武家の生まれではなく、三好家に仕える経緯もよく分かっていない。ただ一つ言えるのは、当時の三好家が今の織田家と同じように家柄や血筋に関係なく能力ある者を積極的に登用する家で、その中で久秀が頭角を現した事だ。
主君長慶の死去や三好家内部での勢力争いで三好家が没落していく一方、大和で独立した大名となった久秀は主家を凌ぐまでに成長した。だが、この時久秀は六十手前。いつか天下獲りに名乗りを挙げたくても、圧倒的に時間が足りない事は久秀にもよく分かっており、自らの大望を諦めざるを得なかった。
もしも、自分が三十くらい若ければ……天下人の座を求めて、信長を始末していたかも知れない。今更考えても詮なきことだが。
「――父上? 如何されましたか?」
物思いに耽っていると、久秀が心配そうな顔で声を掛けてきた。
「いや、大事ない。ちと考え事をしていただけだ」
「左様でしたか。齢も齢ですから、少し休まれては如何ですか?」
「失敬な。儂を年寄り扱いするでない」
息子の気遣いに笑いながら怒る久秀。とは言え、人間五十年が寿命の世で今年六十九になる久秀はかなりの高齢である。背筋は真っすぐで頭の冴えも衰えが見えないので、老け込んでいる様子は全く無いが。
よくよく考えれば、自分は存外果報者なのかも知れない。度重なる謀反でも付き従ってくれる家臣、自分とは真逆で実直な性格の有能な息子、それに可愛らしい孫も居る。それでいて楽しさを追求出来る仕事がある。これ以上望めば罰が当たる。……まぁ、当たるなら疾うに当たっているだろうが。
久秀は一つ息をつくと、久通の方を向いて言った。
「……彦六、ちと疲れた。少し休むから後は任せたぞ」
「承知しました」
後を託すと、久秀は現場からゆっくりと下がっていった。その顔は、何か新たな企みを考えている怪しい表情をしていた。
余談ながら――天王寺の戦いの翌年、久秀は上杉謙信が西上の動きを見せたことに呼応して再度挙兵。信長は久秀の真意を質そうと使者を送ったが、これを拒絶。止む無く信貴山城に大軍を送った。城を囲んでもなお信長は『名器と名高い茶釜“古天明平蜘蛛”を差し出せば命を助ける』と寛大な処分を提案したが、久秀はその要求を拒んだ。
天正五年(一五七七年)十月十日、久秀は平蜘蛛の茶釜を叩き割ると、天守に火を掛けて自害した。享年七十。奇しくも、この日は十年前に東大寺大仏殿を焼き討ちした日であった。久秀が何故謀叛を起こしたのか、反旗を翻した者には手厳しい信長には珍しく助命勧告をされながら拒否したのか、その胸中は誰にも分からなかった。
もしかすると……打算や楽しみではなく、負けを覚悟で純粋に信長へ勝負を挑んだのかも知れない。
五月下旬、割り当てられた付城の普請を見守っていた松永久秀に、嫡男・久通が声を掛けてきた。
辺りには作事の槌音や威勢のいい掛け声が響く中、松永父子の会話に聞き耳を立てる者は居なかった。久秀は周りを一瞥してから、目で先を促す。
「先立っての戦で、我が陣に駆け込んできた遣いを問答無用で始末しましたが……本当によろしかったのですか?」
久通が指摘したのは、去る五月七日に行われた合戦の最中、どこの陣の者とも告げない使者が「内密の用件でお伝えしたい儀がある」と言って久秀に目通りを求めてきた。それに対して久秀は「有無を言わさず斬れ」と命じ、遣いの者は秘密裏に始末された。遺体は戦死者に紛れて埋められ、この事実を知るのは家中でも限られた者だけだった。
その者が本願寺の手の者だと、久通は薄々勘付いていた。父の裏切り癖にはほとほと困っているのだが、一方で解せないこともあった。僅かな供廻りしか連れず信長が我が陣に居るのに、父は手を出そうとしなかった。戦場のどさくさに紛れて闇討ちする事も容易だったのに、である。
「お主も考えが浅いのう」
久秀は久通の言わんとしている事を理解した上で、そう返した。尤も、久通の思慮が足りない訳ではなく、変節を繰り返してきた久秀の思考を完全に理解する方が難しかった。久通は久秀の陰に隠れているが、永禄九年五月に久秀が突如行方を晦ましてから翌年の四月に戻ってくるまでの間、対立する三好三人衆勢や筒井順慶勢と互角に渡り合っている。弱肉強食の乱世で久秀不在の松永家を保てたのは、久通の力量の賜物に他ならなかった。
「目の前にぶら下げられた餌に食いつくなど、三流のやる事ぞ。つまらぬ。実につまらぬ」
「……なれば、父上は何が面白いのですか?」
久通からの問いに、久秀は少し考えてからゆったりとした口調で答えた。
「そうさな……圧倒的強者が恥も外聞もなく足掻いている様を高みから眺める事、かな」
「はぁ……」
今一つピンと来ていない久通に、久秀はニコニコと微笑む。
しかし、久秀は内心では歯噛みする思いに駆られていた。
(信長め。よりによって儂の陣を選ぶとは。あれでは手出しが出来ないではないか)
“窮鳥懐に入れば猟師も殺さず”の諺ではないが、少人数の供廻りしか連れてない相手を殺すのは流石の久秀も躊躇われた。得られる利に対して代償があまりにも大き過ぎる。
あの若造を罠に嵌める火遊びは例え失敗したとしても自らに火の粉が被らないよう細工を施しておいたが、我が手の内にある信長を戦場のどさくさに紛れて始末するのは、あまりに乱暴過ぎる。それに、自らの美学にも反した。
自らの手を汚すことなく、思い描いた理想の展開に持ち込む。それが久秀にとって何よりの楽しみだった。その為に知恵を振り絞り、金も労力も時間も惜しまなかった。
その点、信長という男は実に素晴らしい。損得を見極めて動くかと思えば、直感を信じて突拍子のない行動も取る。劣勢に立たされても、決して諦めず何とか打開しようとする気概もある。側で見ていて飽きる事がない。
(……まぁ、儂もあと三十若ければ話は違っていたかも知れぬが)
久秀が世に出た事を確認されるのは、天文九年(一五四〇年)。当時の主君・三好長慶の右筆として書状にその名が記されたもので、しかも既にその段階で弾正忠を名乗っていた。この時、久秀三十三歳。武士としてはかなり遅咲きの部類に入る。
久秀は歴とした武家の生まれではなく、三好家に仕える経緯もよく分かっていない。ただ一つ言えるのは、当時の三好家が今の織田家と同じように家柄や血筋に関係なく能力ある者を積極的に登用する家で、その中で久秀が頭角を現した事だ。
主君長慶の死去や三好家内部での勢力争いで三好家が没落していく一方、大和で独立した大名となった久秀は主家を凌ぐまでに成長した。だが、この時久秀は六十手前。いつか天下獲りに名乗りを挙げたくても、圧倒的に時間が足りない事は久秀にもよく分かっており、自らの大望を諦めざるを得なかった。
もしも、自分が三十くらい若ければ……天下人の座を求めて、信長を始末していたかも知れない。今更考えても詮なきことだが。
「――父上? 如何されましたか?」
物思いに耽っていると、久秀が心配そうな顔で声を掛けてきた。
「いや、大事ない。ちと考え事をしていただけだ」
「左様でしたか。齢も齢ですから、少し休まれては如何ですか?」
「失敬な。儂を年寄り扱いするでない」
息子の気遣いに笑いながら怒る久秀。とは言え、人間五十年が寿命の世で今年六十九になる久秀はかなりの高齢である。背筋は真っすぐで頭の冴えも衰えが見えないので、老け込んでいる様子は全く無いが。
よくよく考えれば、自分は存外果報者なのかも知れない。度重なる謀反でも付き従ってくれる家臣、自分とは真逆で実直な性格の有能な息子、それに可愛らしい孫も居る。それでいて楽しさを追求出来る仕事がある。これ以上望めば罰が当たる。……まぁ、当たるなら疾うに当たっているだろうが。
久秀は一つ息をつくと、久通の方を向いて言った。
「……彦六、ちと疲れた。少し休むから後は任せたぞ」
「承知しました」
後を託すと、久秀は現場からゆっくりと下がっていった。その顔は、何か新たな企みを考えている怪しい表情をしていた。
余談ながら――天王寺の戦いの翌年、久秀は上杉謙信が西上の動きを見せたことに呼応して再度挙兵。信長は久秀の真意を質そうと使者を送ったが、これを拒絶。止む無く信貴山城に大軍を送った。城を囲んでもなお信長は『名器と名高い茶釜“古天明平蜘蛛”を差し出せば命を助ける』と寛大な処分を提案したが、久秀はその要求を拒んだ。
天正五年(一五七七年)十月十日、久秀は平蜘蛛の茶釜を叩き割ると、天守に火を掛けて自害した。享年七十。奇しくも、この日は十年前に東大寺大仏殿を焼き討ちした日であった。久秀が何故謀叛を起こしたのか、反旗を翻した者には手厳しい信長には珍しく助命勧告をされながら拒否したのか、その胸中は誰にも分からなかった。
もしかすると……打算や楽しみではなく、負けを覚悟で純粋に信長へ勝負を挑んだのかも知れない。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
左義長の火
藤瀬 慶久
歴史・時代
ボーイミーツガールは永遠の物語――
時は江戸時代後期。
少年・中村甚四郎は、近江商人の町として有名な近江八幡町に丁稚奉公にやって来た。一人前の商人を目指して仕事に明け暮れる日々の中、やがて同じ店で働く少女・多恵と将来を誓い合っていく。
歴史に名前を刻んだわけでも無く、世の中を変えるような偉業を成し遂げたわけでも無い。
そんな名も無き少年の、恋と青春と成長の物語。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
豊家軽業夜話
黒坂 わかな
歴史・時代
猿楽小屋や市で賑わう京の寺院にて、軽業師の竹早は日の本一の技を見せる。そこに、参詣に訪れていた豊臣秀吉の側室・松の丸殿が通りがかり、竹早は伏見城へ行くことに。やがて竹早は秀頼と出会い…。
空蝉
横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。
二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。
池田戦記ー池田恒興・青年編ー信長が最も愛した漢
林走涼司(はばしり りょうじ)
歴史・時代
天文5年(1536)尾張国の侍長屋で、産声を上げた池田勝三郎は、戦で重傷を負い余命を待つだけの父、利恒と、勝三郎を生んだばかりの母、お福を囲んで、今後の身の振り方を決めるため利恒の兄、滝川一勝、上役の森寺秀勝が額を付き合わせている。
利恒の上司、森寺秀勝の提案は、お福に、主、織田信秀の嫡男吉法師の乳母になることだった……。
【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる