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四 : 思いと思い(8)-逆転の発想
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「明朝、敵勢に朝駆けを行う」
同日夕刻。信長は軍議の場で家臣達を前に開口一番宣言した。いきなり飛び出した主君の言葉に家臣達は茫然となった。
「恐れながら……」
おずおずと発言したのは、佐久間信盛。信長は「またか」といった表情で眉を顰めるが、信盛の方は家臣達の思いを代弁するつもりで臆することなく続ける。
「今朝方の戦で将兵達は疲れ切っております。また、我等は合流したとは言え、手勢は六千程度。一方の本願寺勢は数を減らしたとは言え一万を超える大軍が残っています。そこへ無暗に仕掛けても多勢に無勢、損害大きく益はありません。ここは兵達に休息を与えると共に、救援を待つべきと存じますが……」
信盛の諫言に、信長は苦々しそうに顔を歪めた。若江城の軍議の際は我が子が危機に瀕する状況だった為に信長の強硬策に強く反論しなかったが、当面は命の危機から脱した現在は何としてでも無謀極まりない策を止めようとする意志が感じられた。
確かに、信盛の考えが間違っているとも言い切れない。天王寺砦に六千の兵で籠もれば、攻撃三倍の法則に照らせば本願寺勢は一万八千の兵が必要となる。兵の厚みが増した分、織田方は抵抗する力も増している。わざわざ危険な手を選ばなくても無難に対処すればいいと考えるのが自然だ。信盛の意見に同調する家臣も少なからず居るようで、何人かが首肯している。
しかし……信長は信盛を睨み据えると、強い口調で問うた。
「ならば訊ねる。もし仮に、今この時に本願寺勢が押し寄せてきたら、お前は『疲れているから待ってくれ』とでも言うのか?」
「それは……」
信長から問われ、口ごもる信盛。信盛に同調していた者の方に信長は目を向けるが、気まずそうに視線を落とすばかりで答えようとしない。
ハァ、と大きな溜め息を一つつくと、信長は言った。
「疲れているのは敵も同じ。今日の事があったから本願寺勢は『もっと多い手勢で攻めよう』と考えよう。今より多い軍勢でこの砦を十重二十重と囲みながら、各地からこの砦を目指す味方の兵への押さえを置かれれば、我等は敵中で孤立無援となるのは必定。弾薬も兵糧も心許ない我等は長期の籠城に耐えられない。そうなる前に手を打たなければならぬ」
ジロリと一同を見据える信長に、反論を試みようとする者は居ない。
「それに、敵も連日奇襲を仕掛けてくるとは夢にも思うまい。今、敵が身近に居るのは、天が与えた好機である。この機を逃さず、一気に叩く」
はっきりとした口調で力説する信長。しかし、場は重苦しい空気に包まれ、皆他の者の顔色を窺うばかりで発言しようとしない。
六千の兵で一万を超える敵に挑んで、勝てる見込みは薄い。だからと言って、籠城策を採ってもこの状況を打破出来るとも思えない。迂闊に発言すれば先程の信盛のように叱責を受ける恐れもあるので、余計に言い出しにくい。
家臣達の反応が鈍いことに青筋を浮かべる信長に、一人の家臣が声を上げた。
「上様の仰せ、真に御尤も!」
信長の視線が、家臣達の視線が、一斉にその者に集まる。その者は注目を浴びても構うことなく続ける。
「このまま座していても状況が好転するとは思えません。ならば、この機に乗じて大坂表に跋扈する門徒共を一掃する。一挙両得の策、某は賛成に御座います!」
「そう思うか。弾正」
やや機嫌を直したのか、穏やかな声で訊ねる信長。その視線の先に居たのは、松永久秀。
「上様の露払い、是非ともこの弾正に仰せつけ下され。目障りな門徒共を追い払ってみせましょうぞ」
久秀の露骨な阿諛追従に家臣達の中で何人か苦り切った表情を浮かべた。五年前には苦境に立つ織田家に反旗を翻した者が何を言うか……と思った者も一人や二人ではない。
だが、家臣達の意に反して信長は満足そうに頷く。
「他に、何かある者は居ないか?」
信長が問い掛けるが、家臣達から声は上がらない。大半の家臣が思っていた事を率直に述べた信盛に厳しい態度を見せ、一方で主君に阿る意見を述べた久秀には満足気な表情を浮かべる信長の反応を目の前で見せられ、これ以上何か言って主君の怒りを買いたくないというのが本音だった。
誰からも発言が無い事を確かめた信長は、はっきりとした口調で告げた。
「では、明朝に仕掛けることと致す。ゆめゆめ、遅れぬように」
家臣達が頭を下げると、信長はサッと立ち上がって場を後にした。信長が去った後、家臣達の間で何とも言えない空気が漂った。
一度決まった以上、流れに逆らう事は許されない。誰ともなく漏らした溜め息が、思った以上に大きく響いた。
翌、五月八日早朝。織田勢は天王寺から程近くに対陣していた本願寺勢を急襲。まさか連日奇襲を仕掛けてくるとは想像していなかった本願寺勢は完全に虚を衝かれ、大混乱に陥った。織田勢は終始本願寺勢を圧倒し、石山本願寺の木戸口まで追い立てた。この戦で信長は二段立ての後方から指揮を執り、前線に出ることは無かった。
この戦で織田方は石山本願寺の周辺を除き、大坂表から本願寺勢力の一掃に成功した。大坂表に点在していた本願寺方の砦は各個撃破していき、信長は大坂に十箇所の付城を築くよう命じると六月五日に若江城へ帰還した。後事は佐久間信盛・信栄父子や松永久秀などに任せた。
一方、明智光秀は度重なる過労から五月二十三日に倒れ、療養生活に入った。療養中の十月七日には最愛の妻・煕子を病で失うなど、光秀にとって天王寺の戦いで得た勝利の代償はとても大きなものだった。
同日夕刻。信長は軍議の場で家臣達を前に開口一番宣言した。いきなり飛び出した主君の言葉に家臣達は茫然となった。
「恐れながら……」
おずおずと発言したのは、佐久間信盛。信長は「またか」といった表情で眉を顰めるが、信盛の方は家臣達の思いを代弁するつもりで臆することなく続ける。
「今朝方の戦で将兵達は疲れ切っております。また、我等は合流したとは言え、手勢は六千程度。一方の本願寺勢は数を減らしたとは言え一万を超える大軍が残っています。そこへ無暗に仕掛けても多勢に無勢、損害大きく益はありません。ここは兵達に休息を与えると共に、救援を待つべきと存じますが……」
信盛の諫言に、信長は苦々しそうに顔を歪めた。若江城の軍議の際は我が子が危機に瀕する状況だった為に信長の強硬策に強く反論しなかったが、当面は命の危機から脱した現在は何としてでも無謀極まりない策を止めようとする意志が感じられた。
確かに、信盛の考えが間違っているとも言い切れない。天王寺砦に六千の兵で籠もれば、攻撃三倍の法則に照らせば本願寺勢は一万八千の兵が必要となる。兵の厚みが増した分、織田方は抵抗する力も増している。わざわざ危険な手を選ばなくても無難に対処すればいいと考えるのが自然だ。信盛の意見に同調する家臣も少なからず居るようで、何人かが首肯している。
しかし……信長は信盛を睨み据えると、強い口調で問うた。
「ならば訊ねる。もし仮に、今この時に本願寺勢が押し寄せてきたら、お前は『疲れているから待ってくれ』とでも言うのか?」
「それは……」
信長から問われ、口ごもる信盛。信盛に同調していた者の方に信長は目を向けるが、気まずそうに視線を落とすばかりで答えようとしない。
ハァ、と大きな溜め息を一つつくと、信長は言った。
「疲れているのは敵も同じ。今日の事があったから本願寺勢は『もっと多い手勢で攻めよう』と考えよう。今より多い軍勢でこの砦を十重二十重と囲みながら、各地からこの砦を目指す味方の兵への押さえを置かれれば、我等は敵中で孤立無援となるのは必定。弾薬も兵糧も心許ない我等は長期の籠城に耐えられない。そうなる前に手を打たなければならぬ」
ジロリと一同を見据える信長に、反論を試みようとする者は居ない。
「それに、敵も連日奇襲を仕掛けてくるとは夢にも思うまい。今、敵が身近に居るのは、天が与えた好機である。この機を逃さず、一気に叩く」
はっきりとした口調で力説する信長。しかし、場は重苦しい空気に包まれ、皆他の者の顔色を窺うばかりで発言しようとしない。
六千の兵で一万を超える敵に挑んで、勝てる見込みは薄い。だからと言って、籠城策を採ってもこの状況を打破出来るとも思えない。迂闊に発言すれば先程の信盛のように叱責を受ける恐れもあるので、余計に言い出しにくい。
家臣達の反応が鈍いことに青筋を浮かべる信長に、一人の家臣が声を上げた。
「上様の仰せ、真に御尤も!」
信長の視線が、家臣達の視線が、一斉にその者に集まる。その者は注目を浴びても構うことなく続ける。
「このまま座していても状況が好転するとは思えません。ならば、この機に乗じて大坂表に跋扈する門徒共を一掃する。一挙両得の策、某は賛成に御座います!」
「そう思うか。弾正」
やや機嫌を直したのか、穏やかな声で訊ねる信長。その視線の先に居たのは、松永久秀。
「上様の露払い、是非ともこの弾正に仰せつけ下され。目障りな門徒共を追い払ってみせましょうぞ」
久秀の露骨な阿諛追従に家臣達の中で何人か苦り切った表情を浮かべた。五年前には苦境に立つ織田家に反旗を翻した者が何を言うか……と思った者も一人や二人ではない。
だが、家臣達の意に反して信長は満足そうに頷く。
「他に、何かある者は居ないか?」
信長が問い掛けるが、家臣達から声は上がらない。大半の家臣が思っていた事を率直に述べた信盛に厳しい態度を見せ、一方で主君に阿る意見を述べた久秀には満足気な表情を浮かべる信長の反応を目の前で見せられ、これ以上何か言って主君の怒りを買いたくないというのが本音だった。
誰からも発言が無い事を確かめた信長は、はっきりとした口調で告げた。
「では、明朝に仕掛けることと致す。ゆめゆめ、遅れぬように」
家臣達が頭を下げると、信長はサッと立ち上がって場を後にした。信長が去った後、家臣達の間で何とも言えない空気が漂った。
一度決まった以上、流れに逆らう事は許されない。誰ともなく漏らした溜め息が、思った以上に大きく響いた。
翌、五月八日早朝。織田勢は天王寺から程近くに対陣していた本願寺勢を急襲。まさか連日奇襲を仕掛けてくるとは想像していなかった本願寺勢は完全に虚を衝かれ、大混乱に陥った。織田勢は終始本願寺勢を圧倒し、石山本願寺の木戸口まで追い立てた。この戦で信長は二段立ての後方から指揮を執り、前線に出ることは無かった。
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