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四 : 思いと思い(2)-一日千秋の時

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まことか……」
 雑賀衆の陣に組み上げた櫓の上から遠方を眺めた孫一は、信じられないという表情で漏らした。
 斥候からの報告は聞いていたが、まさか本当に織田方が打って出るとはにわかに信じられなかった。彼我ひがの戦力差を考えれば、数が揃うまで若江城を動かないと踏んでいたが……。
(あの慎重居士こじな信長がこんな大胆な手に出るとは。いや、裏を返せば相当追い詰められているということか)
 見れば、味方の門徒勢は織田方の動きを予測してなかったらしく、当初陣を敷いていた位置から大きく後退していた。立ち上る門徒勢の旗幟きしが今もゆっくりと後ろに退がっていくのがはっきりと分かる。それだけ織田方の攻めが苛烈なのだろう。
(だが、かさかって攻めるとなれば、付け入る隙もあろう)
 斥候の見立てだと織田勢は三千程度、一方の門徒勢は一万。三倍以上の相手に攻め一辺倒だと、必ずどこかで綻びが生じてくる筈だ。
 孫一はじっと前線の方を睨んでいたが、何かひらめいた様子で「誰か、あるか!」と叫んだ。
「……お呼びでしょうか?」
 櫓の下で控えていた近習が梯子を上がってくると、孫一は振り返らずに言った。
「直ちに下間頼廉殿の元へ行き、『松永久秀に返り忠を促す使者を立てよ。今なら絶好の好機』と言上ごんじょうせよ。急げ!!」
「はっ!!」
 孫一の命を受けた近習は急いで梯子を駆け下りていった。
 あの一癖も二癖もある久秀が果たしてこちらの思惑通りに動いてくれるか分からないが、考え得る全ての手を打つべきだと孫一は考えていた。例え空振りに終わったとしても松永の陣に素性の明らかでない者が出入りしていると信長の耳に入れば、久秀の内通を疑って疑心暗鬼に陥るかも知れない。何が何でも、成功の可能性を少しでも上げておきたかった。
「泰三! 馬の用意は!」
「万事整っています!」
「よし! 今から例の場所に向かうぞ! 遅れるな!」
「へい!」
 孫一が手早く梯子を駆け下りると、泰三が用意した馬に跨る。泰三も同様で、自慢の槍と一緒に孫一が用いる士筒の予備も持っていた。
(いよいよだ……この時をずっと待っていた。必ず、仕留めてみせる)
 手綱を握る孫一の表情は、いつにも増して真剣そのものだ。
 織田家は一時の苦境から脱し、天下布武へ向けて着実に力を増してきている。その分、信長が戦場に赴く機会も年々減少している。今この好機で仕損じた場合、次の機会が永遠に巡って来ないかも知れない。本願寺、本願寺に協力してきた雑賀衆の命運が自分の肩に重く圧し掛かっている事を、否が応でも感じていた。
 これまで多くの戦場に臨み、どんなに厳しい条件にあっても自らの腕一つで乗り切ってきた。百戦錬磨、一騎当千の猛者である孫一も、流石に緊張の色を隠せなかった。
 失敗は許されない。絶対に、絶対に、だ。
 孫一は両の手で左右の頬をパンパンと叩く。幾分スッキリした表情になると、愛用する鉄砲を右手で撫でた。
(頼むぞ、相棒)
 長年苦楽を共にしてきた相棒に心の中で声を掛けると、孫一は顔を上げた。
「行くぞ!!」
 孫一が決意を込めて叫ぶと同時に馬の横腹を蹴り、勢いよく走り出した。千載一遇、乾坤一擲の大勝負に挑もうとしている孫一の顔に、気負いの色は微塵も感じられなかった。
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