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三 : 孤立無援(4)-相克
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一方、本願寺方・本陣。法衣をたすき掛けした上から鎧を纏い床几に座る下間頼廉の元に、ズカズカと荒々しい足取りで鬼の形相をした孫一が乗り込んできた。
「おぉ、孫一様。そんな怖い顔をされて、如何されましたか?」
「……話が違うじゃねぇか」
怒気を孕んだ声で孫一が問い糺す。
「上人様の立てた策では“天王寺砦はあくまで信長を誘き出す為の餌。生かさず殺さず囲むだけ”と予め取り決めていた筈。だが、味方は砦を落とさんばかりの勢いで攻め立てている。……どういう訳か説明してもらおうか」
鋭い眼光で睨みつける孫一。あまりに激しい剣幕に周囲の者達はハラハラしながら成り行きを見守る。孫一の凄まじい勢いに頼廉は動じることなく、ゆったりとした口調で話し始めた。
「……戦は時々刻々と変化するもの。それは百戦錬磨の孫一様もよくご存知でしょう」
そこで一拍間を置くと、やおら立ち上がる頼廉。孫一の眼を見ながら続けた。
「もしも我等が砦を囲むだけで眺めていれば、敵は『攻めて来ないなら、暫くは大丈夫』と捉え、信長に助けを求めないことでしょう。それではいつまで経っても信長が現れません。ですから、本気で攻める構えを見せつけることで『命の危険が差し迫っている』と思い知らせる必要があるのです」
「……なら、わざわざ丸太で門をぶち破ろうとしたり火矢を放ったりしなくても、他に方法があると思うが。昼夜問わず鬨の声を挙げるとか、やり様は幾らでもあるだろう」
「確かに。なれど、何度も何度も繰り返せば、相手も慣れてきて効果は薄れましょう。重ねてになりますが、本当に落とすつもりで当たらねば、救援を乞おうと思わないでしょう」
頼廉は孫一の指摘に理解を示しつつも、あくまで自分の考えを譲ろうとしない。頼廉の話している事は一見すると筋が通っているように聞こえるが、言葉の裏に別の意図があると孫一は感じていた。大体、砦を攻める事に対して雑賀衆に連絡が無いのも、後ろめたさを感じている裏返しなのではないか。
昨日の戦では敵将・塙直政を討ち取る大勝を収め、その余勢を駆って織田方の重臣・明智光秀が籠もる天王寺砦を十重二十重と囲む現状で、安易に兵を損じる行動は厳に慎むべきだと孫一は考えていた。信長がどの程度の兵を率いてくるか見通せない以上、来るべき決戦の時まで兵は温存すべきである。
本気で攻める構えだと頼廉は主張しているが、そんな事が末端の雑兵まで行き届く筈がない。あと一押しで陥落するという時に「攻撃止め」と言われて素直に従う者がどれだけ居るか。殺るか殺られるかの状況で「加減しろ」と言われても土台無理な話だ。
「……もし、仮にだが、信長の到着を待たずに砦が落ちたとしたらどうするつもりだ?」
孫一の質問に「落ちないと思いますが」と前置きを述べた上で、頼廉は答えた。
「そうなった場合は『信長は塙直政だけでなく明智光秀も見殺しにした』と諸国に向けて大々的に喧伝します。全国の門徒達に決起を促す良い材料になりましょう」
淡々と答える姿を目の当たりにして、孫一はこれこそ頼廉の本音だと確信した。
(やっぱりな。来るか来ないか分からない信長を待つより、手っ取り早く目に見える成果を上げる魂胆か)
顕如や孫一は総大将の信長を戦場に引きずり出して決着をつけようという考えだが、頼廉は信長の威信に傷を付けるのが狙いのようだ。あながち間違いとは言えない分、余計にたちが悪い。
最高権力者である顕如の命令を明確に破っているが、狂信者の頼廉は自らの暴走についても「これは真宗の教えを絶やさぬ為」「全ては法主様を思っての事」と言って正当化する魂胆なのだろう。自らの右腕である頼廉からそのように言われてしまえば処罰しにくい。ここまで計算しての行動か、それとも本気でそう考えているのか、判別がつかない。
ただ、いずれにしても顕如が当初計画した方向性から外れている事に違いはない。
「……頼廉殿のお考えはよく分かりました。なれど、天王寺砦を攻める旨は上人様から承っておらぬ。従って、雑賀衆は砦攻めに参加しない」
孫一の目的はあくまで“信長を討つ事”であり、頼廉の目論見に加担する事ではない。目先の砦攻略の為に大切な同朋を傷つけたくないというのが孫一の偽らざる本心だった。雑賀衆は本願寺の与力という立場で参陣しており、門徒勢の指揮を任された頼廉とは連携する関係であって命令を受ける立場にはない。その為、雑賀衆五千の大将である孫一が参戦を拒否しても何の問題も無かった。
「……左様ですか。致し方ありませんね」
残念そうな表情を浮かべる頼廉だが、孫一から断られるのも織り込んでいたのかそれ程落胆している様には見えなかった。
孫一は用事が済んだとばかりに、頼廉へ向けて軽く頭を下げると早々に本陣を後にした。
「おぉ、孫一様。そんな怖い顔をされて、如何されましたか?」
「……話が違うじゃねぇか」
怒気を孕んだ声で孫一が問い糺す。
「上人様の立てた策では“天王寺砦はあくまで信長を誘き出す為の餌。生かさず殺さず囲むだけ”と予め取り決めていた筈。だが、味方は砦を落とさんばかりの勢いで攻め立てている。……どういう訳か説明してもらおうか」
鋭い眼光で睨みつける孫一。あまりに激しい剣幕に周囲の者達はハラハラしながら成り行きを見守る。孫一の凄まじい勢いに頼廉は動じることなく、ゆったりとした口調で話し始めた。
「……戦は時々刻々と変化するもの。それは百戦錬磨の孫一様もよくご存知でしょう」
そこで一拍間を置くと、やおら立ち上がる頼廉。孫一の眼を見ながら続けた。
「もしも我等が砦を囲むだけで眺めていれば、敵は『攻めて来ないなら、暫くは大丈夫』と捉え、信長に助けを求めないことでしょう。それではいつまで経っても信長が現れません。ですから、本気で攻める構えを見せつけることで『命の危険が差し迫っている』と思い知らせる必要があるのです」
「……なら、わざわざ丸太で門をぶち破ろうとしたり火矢を放ったりしなくても、他に方法があると思うが。昼夜問わず鬨の声を挙げるとか、やり様は幾らでもあるだろう」
「確かに。なれど、何度も何度も繰り返せば、相手も慣れてきて効果は薄れましょう。重ねてになりますが、本当に落とすつもりで当たらねば、救援を乞おうと思わないでしょう」
頼廉は孫一の指摘に理解を示しつつも、あくまで自分の考えを譲ろうとしない。頼廉の話している事は一見すると筋が通っているように聞こえるが、言葉の裏に別の意図があると孫一は感じていた。大体、砦を攻める事に対して雑賀衆に連絡が無いのも、後ろめたさを感じている裏返しなのではないか。
昨日の戦では敵将・塙直政を討ち取る大勝を収め、その余勢を駆って織田方の重臣・明智光秀が籠もる天王寺砦を十重二十重と囲む現状で、安易に兵を損じる行動は厳に慎むべきだと孫一は考えていた。信長がどの程度の兵を率いてくるか見通せない以上、来るべき決戦の時まで兵は温存すべきである。
本気で攻める構えだと頼廉は主張しているが、そんな事が末端の雑兵まで行き届く筈がない。あと一押しで陥落するという時に「攻撃止め」と言われて素直に従う者がどれだけ居るか。殺るか殺られるかの状況で「加減しろ」と言われても土台無理な話だ。
「……もし、仮にだが、信長の到着を待たずに砦が落ちたとしたらどうするつもりだ?」
孫一の質問に「落ちないと思いますが」と前置きを述べた上で、頼廉は答えた。
「そうなった場合は『信長は塙直政だけでなく明智光秀も見殺しにした』と諸国に向けて大々的に喧伝します。全国の門徒達に決起を促す良い材料になりましょう」
淡々と答える姿を目の当たりにして、孫一はこれこそ頼廉の本音だと確信した。
(やっぱりな。来るか来ないか分からない信長を待つより、手っ取り早く目に見える成果を上げる魂胆か)
顕如や孫一は総大将の信長を戦場に引きずり出して決着をつけようという考えだが、頼廉は信長の威信に傷を付けるのが狙いのようだ。あながち間違いとは言えない分、余計にたちが悪い。
最高権力者である顕如の命令を明確に破っているが、狂信者の頼廉は自らの暴走についても「これは真宗の教えを絶やさぬ為」「全ては法主様を思っての事」と言って正当化する魂胆なのだろう。自らの右腕である頼廉からそのように言われてしまえば処罰しにくい。ここまで計算しての行動か、それとも本気でそう考えているのか、判別がつかない。
ただ、いずれにしても顕如が当初計画した方向性から外れている事に違いはない。
「……頼廉殿のお考えはよく分かりました。なれど、天王寺砦を攻める旨は上人様から承っておらぬ。従って、雑賀衆は砦攻めに参加しない」
孫一の目的はあくまで“信長を討つ事”であり、頼廉の目論見に加担する事ではない。目先の砦攻略の為に大切な同朋を傷つけたくないというのが孫一の偽らざる本心だった。雑賀衆は本願寺の与力という立場で参陣しており、門徒勢の指揮を任された頼廉とは連携する関係であって命令を受ける立場にはない。その為、雑賀衆五千の大将である孫一が参戦を拒否しても何の問題も無かった。
「……左様ですか。致し方ありませんね」
残念そうな表情を浮かべる頼廉だが、孫一から断られるのも織り込んでいたのかそれ程落胆している様には見えなかった。
孫一は用事が済んだとばかりに、頼廉へ向けて軽く頭を下げると早々に本陣を後にした。
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