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二 : 木津砦の攻防(4)-価値
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同じ頃。大和国・信貴山城。
三年前に多聞山城を信長に差し出した松永久秀は信貴山城に拠点を移していた。その久秀は書院で一人胡坐をかいて、嬉しそうな表情で手にした茶碗を見入っていた。
「新しい茶碗ですか」
不意に声が掛かり、久秀はそちらの方を向く。目鼻立ちがはっきりした青年が座っており、その姿を見た久秀はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「分かるか、彦六」
松永“右衛門佐”久通。通称“彦六”。久秀の嫡男である。天文十二年生まれで三十三歳。永禄六年(一五六三年)に父・久秀から家督を譲られて松永家の当主となるが、久秀は健在で松永家の内外に大きな影響力を保持していたことから、家中のまとめ役として裏方に徹していた。
「私は茶の湯の事はよく分かりませんが、見覚えが無いので新しく買ったのかと……」
「まぁな。隠居者の道楽を止めてくれるなよ」
「……何と言われようとも止める気などありませんでしょうに」
そもそも隠居する気などさらさら無いでしょう、という言葉は呑み込む久通。政(まつりごと)と茶の湯の時は活き活きとした姿になることを、誰よりも近くで見てきた久通は知っていた。
久秀が持っていた茶碗を久通に差し出してきた。「見てもいいぞ」と解釈して、久通は茶碗を受け取る。黒磁の天目茶碗だが、茶の湯の心得がない久通にはこの茶碗の良し悪しが今一つ分からなかった。
「堺の商人が『良き品が手に入った』と言って持ってきたのだ。幾らだと思う?」
「さて……皆目見当もつきませぬ」
童のように無邪気な笑顔で訊ねる久秀に、小首を傾げる久通。息子の反応を確かめてから久秀はさらりと言ってのけた。
「五十貫よ」
「それは……」
明らかにされた金額に、思わず苦笑いを浮かべる久通。武野紹鴎を師事する数寄者として知られる久秀は、これと思った良品には金に糸目を付けず購入していた。中でも、天下の大名物である茶入“九十九髪茄子”を一千貫の大金を叩いて入手した逸話が残されている。五十貫も大金だが一千貫と比べればまだ可愛いものだ。
久通が丁重に返すと愛おしそうに茶碗を優しく撫でる久秀。その眼差しは愛しい孫に向けるそれと一緒であった。その様を見て、溜め息を一つ吐いてから久通は訊ねた。
「……して、本日の用向きは何ですか? まさか茶碗一つを自慢する為に呼んだ訳ではありませんよね」
老父が新たに手に入れた茶碗を愛でる姿に付き合っていられる程に久通は暇ではない。久通のつれない態度に「お主もつまらない奴だな」とこぼすと、茶碗を脇に置いて顔つきを引き締めた。
「兵を用意せよ。数は三百程で構わないが、一両日中にいつでも動けるよう手配しておけ」
「承知しましたが……理由をお聞かせ願えないでしょうか?」
久秀が兵を用意しろと言うが、久通には用意する理由が分からなかった。大和国の覇権を長年争った宿敵・筒井順慶に目立った動きは無く、興福寺を始めとした寺社勢力も大人しくしている。畿内一円で見れば敵対関係にあるのは再挙兵した摂津の石山本願寺くらいだが、睨み合いが続いている状態ですぐに事態が動くとは考えにくい。
それどころか、下手に怪しい動きを見せれば、順慶などの国衆が「また謀反か」と騒ぎ立てられ誤解を生む恐れがある。前科があるだけに久通が織田家中で肩身の思いをしたことも一度や二度で済まない。永禄六年に若干二十歳で松永家の家督を継いでから奔放な父に振り回されてきた苦労人の久通だけに、疑わしい行いは慎むべきだと考えていた。
そんな久通の心中を察したのか、久秀はふてぶてしい笑みを浮かべながら答えた。
「心配するな。詳しくは明かせぬが、そう遠くない日に動かざるを得なくなる」
意味深な発言ではぐらかす久秀。何か掴んでいると薄々伝わってくるが、こういう時の父は頑として口を割らない事を久通はよく分かっていた。
ハアと大きな溜め息を一つ零すと、久通は不承不承ながら応じた。
「……分かりました。兵達には訓練の名目で支度するよう伝えておきます。それでよろしいですね?」
「頼むぞ」
一言告げると用は済んだとばかりに久秀は、また茶碗を手に取り眺め始めた。久秀が自分の興味関心にまっしぐらな性格なのは一番身近な所で接してきた久通はよく理解していたので黙って下がっていった。
久通が去ってからも一人楽し気に茶碗を眺めていたが、暫くすると不意に真顔に切り替わった。
(まさか、ここまで旨く嵌るとは……)
それまでと一転して冷淡な眼差しで茶碗を見つめながら、独り言ちる久秀。今頃、大坂表は大変な事になっているだろうと想像し、一人ほくそ笑む。
全ては久秀の筋書き通りに進んでいった。
まず手始めに、伝手を頼りに顕如へ宛てて『内応の意思がある』旨の手紙を送り、本願寺攻めの大将である塙直政を罠に陥れることを提案した。
偽りの書状を用意させ、直政を信用させる為に守りに支障の出ない範囲の見取り図を取り寄せ、久秀の方から『本願寺の内部に内応の動きあり』と吹き込む。直政は上昇志向が強い人物で、織田家中で馬廻出身者が次々と出世していく中で焦りを抱いていた。その為、今回任された本願寺攻めで一刻も早く目に見える成果を出したがっており、久秀の相談に最初こそ懐疑心を抱いていたが見取り図を出すとすぐに信じてしまった。温室育ちの若造を欺くなど、権謀術数に長ける久秀には容易い事だ。直政とは踏んできた場数が違う。
あとは本願寺方と細かい部分ですり合わせを行い、万全の態勢で直政を誘(おび)き寄せる……何も知らない直政はさぞ困惑することだろう。奸計に嵌められてさぞ怨んでいるだろうが、久秀の罠に気付いた時点で直政の命運は尽きたも同然だ。
では、何故久秀が直政を罠に嵌めようと思ったのか。自分に替わって大和守護となった意趣返し? それとも、主君信長への叛逆心? どちらも違う。
答えは――『その方が面白い』だから。
一度きりの人生、どうせなら思い切り楽しく生きたいと久秀は考えていた。損得より“面白いか、面白くないか”で動く、それが久秀という人物だった。このまま予定調和で本願寺攻めが進展するより、波風を立たせて面白おかしくかき回した方が面白そう……その一点で策を弄した次第だ。
結果、何も知らない直政はのこのこと危地に飛び込んでいったのだが――何故か、久秀の表情が冴えない。
(……興が削がれた)
あまりに都合のいい話に当初こそ訝しんだが、久秀が見取り図を渡すと途端に態度を一変させた。その後は久秀の話を全て鵜呑みにしてしまい、とんとん拍子に物事が運んでしまった。相手との駆け引きや如何に巧妙に騙すかの過程を楽しみたかった久秀が望んだ展開とはいかず、正直面白くなかった。掌の上で躍らせたはいいが、思い通りに動き過ぎて操り人形のようになってしまい、逆に興ざめしてしまった。
久秀は茶碗を持ったまま立ち上がると、つかつかと書院を出て縁側の淵に立つ。
そのまま茶碗を両手で顔の高さまで上げると……パッと手を離した。五十貫文の大金を払い手に入れた茶碗は、地面へ吸い込まれるように落ちていき、バリンと音を立てて割れてしまった。
暫く茶碗の残骸を久秀は上から見下ろしていたが、やがて興味を失ったのかやおらかに手を叩いた。間を置かず小姓が駆け付ける。
「お呼びで」
久秀が顎で地面に散らばる破片を示しながら、素っ気なく告げた。
「それ、片付けておけ」
「畏まりました」
小姓が一礼して辞すると、道具を取りに廊下を駆けていった。久秀は扇子で口元を覆いながら、フンと鼻を鳴らした。
(持て囃されるのは価値があるまで。使えなくなれば、塵芥と一緒よ)
一人残された久秀は汚らわしい物を見るような目で茶碗の残骸を見つめていた。その姿は愛着を持って扱っていた時とまるで別人であった。
三年前に多聞山城を信長に差し出した松永久秀は信貴山城に拠点を移していた。その久秀は書院で一人胡坐をかいて、嬉しそうな表情で手にした茶碗を見入っていた。
「新しい茶碗ですか」
不意に声が掛かり、久秀はそちらの方を向く。目鼻立ちがはっきりした青年が座っており、その姿を見た久秀はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「分かるか、彦六」
松永“右衛門佐”久通。通称“彦六”。久秀の嫡男である。天文十二年生まれで三十三歳。永禄六年(一五六三年)に父・久秀から家督を譲られて松永家の当主となるが、久秀は健在で松永家の内外に大きな影響力を保持していたことから、家中のまとめ役として裏方に徹していた。
「私は茶の湯の事はよく分かりませんが、見覚えが無いので新しく買ったのかと……」
「まぁな。隠居者の道楽を止めてくれるなよ」
「……何と言われようとも止める気などありませんでしょうに」
そもそも隠居する気などさらさら無いでしょう、という言葉は呑み込む久通。政(まつりごと)と茶の湯の時は活き活きとした姿になることを、誰よりも近くで見てきた久通は知っていた。
久秀が持っていた茶碗を久通に差し出してきた。「見てもいいぞ」と解釈して、久通は茶碗を受け取る。黒磁の天目茶碗だが、茶の湯の心得がない久通にはこの茶碗の良し悪しが今一つ分からなかった。
「堺の商人が『良き品が手に入った』と言って持ってきたのだ。幾らだと思う?」
「さて……皆目見当もつきませぬ」
童のように無邪気な笑顔で訊ねる久秀に、小首を傾げる久通。息子の反応を確かめてから久秀はさらりと言ってのけた。
「五十貫よ」
「それは……」
明らかにされた金額に、思わず苦笑いを浮かべる久通。武野紹鴎を師事する数寄者として知られる久秀は、これと思った良品には金に糸目を付けず購入していた。中でも、天下の大名物である茶入“九十九髪茄子”を一千貫の大金を叩いて入手した逸話が残されている。五十貫も大金だが一千貫と比べればまだ可愛いものだ。
久通が丁重に返すと愛おしそうに茶碗を優しく撫でる久秀。その眼差しは愛しい孫に向けるそれと一緒であった。その様を見て、溜め息を一つ吐いてから久通は訊ねた。
「……して、本日の用向きは何ですか? まさか茶碗一つを自慢する為に呼んだ訳ではありませんよね」
老父が新たに手に入れた茶碗を愛でる姿に付き合っていられる程に久通は暇ではない。久通のつれない態度に「お主もつまらない奴だな」とこぼすと、茶碗を脇に置いて顔つきを引き締めた。
「兵を用意せよ。数は三百程で構わないが、一両日中にいつでも動けるよう手配しておけ」
「承知しましたが……理由をお聞かせ願えないでしょうか?」
久秀が兵を用意しろと言うが、久通には用意する理由が分からなかった。大和国の覇権を長年争った宿敵・筒井順慶に目立った動きは無く、興福寺を始めとした寺社勢力も大人しくしている。畿内一円で見れば敵対関係にあるのは再挙兵した摂津の石山本願寺くらいだが、睨み合いが続いている状態ですぐに事態が動くとは考えにくい。
それどころか、下手に怪しい動きを見せれば、順慶などの国衆が「また謀反か」と騒ぎ立てられ誤解を生む恐れがある。前科があるだけに久通が織田家中で肩身の思いをしたことも一度や二度で済まない。永禄六年に若干二十歳で松永家の家督を継いでから奔放な父に振り回されてきた苦労人の久通だけに、疑わしい行いは慎むべきだと考えていた。
そんな久通の心中を察したのか、久秀はふてぶてしい笑みを浮かべながら答えた。
「心配するな。詳しくは明かせぬが、そう遠くない日に動かざるを得なくなる」
意味深な発言ではぐらかす久秀。何か掴んでいると薄々伝わってくるが、こういう時の父は頑として口を割らない事を久通はよく分かっていた。
ハアと大きな溜め息を一つ零すと、久通は不承不承ながら応じた。
「……分かりました。兵達には訓練の名目で支度するよう伝えておきます。それでよろしいですね?」
「頼むぞ」
一言告げると用は済んだとばかりに久秀は、また茶碗を手に取り眺め始めた。久秀が自分の興味関心にまっしぐらな性格なのは一番身近な所で接してきた久通はよく理解していたので黙って下がっていった。
久通が去ってからも一人楽し気に茶碗を眺めていたが、暫くすると不意に真顔に切り替わった。
(まさか、ここまで旨く嵌るとは……)
それまでと一転して冷淡な眼差しで茶碗を見つめながら、独り言ちる久秀。今頃、大坂表は大変な事になっているだろうと想像し、一人ほくそ笑む。
全ては久秀の筋書き通りに進んでいった。
まず手始めに、伝手を頼りに顕如へ宛てて『内応の意思がある』旨の手紙を送り、本願寺攻めの大将である塙直政を罠に陥れることを提案した。
偽りの書状を用意させ、直政を信用させる為に守りに支障の出ない範囲の見取り図を取り寄せ、久秀の方から『本願寺の内部に内応の動きあり』と吹き込む。直政は上昇志向が強い人物で、織田家中で馬廻出身者が次々と出世していく中で焦りを抱いていた。その為、今回任された本願寺攻めで一刻も早く目に見える成果を出したがっており、久秀の相談に最初こそ懐疑心を抱いていたが見取り図を出すとすぐに信じてしまった。温室育ちの若造を欺くなど、権謀術数に長ける久秀には容易い事だ。直政とは踏んできた場数が違う。
あとは本願寺方と細かい部分ですり合わせを行い、万全の態勢で直政を誘(おび)き寄せる……何も知らない直政はさぞ困惑することだろう。奸計に嵌められてさぞ怨んでいるだろうが、久秀の罠に気付いた時点で直政の命運は尽きたも同然だ。
では、何故久秀が直政を罠に嵌めようと思ったのか。自分に替わって大和守護となった意趣返し? それとも、主君信長への叛逆心? どちらも違う。
答えは――『その方が面白い』だから。
一度きりの人生、どうせなら思い切り楽しく生きたいと久秀は考えていた。損得より“面白いか、面白くないか”で動く、それが久秀という人物だった。このまま予定調和で本願寺攻めが進展するより、波風を立たせて面白おかしくかき回した方が面白そう……その一点で策を弄した次第だ。
結果、何も知らない直政はのこのこと危地に飛び込んでいったのだが――何故か、久秀の表情が冴えない。
(……興が削がれた)
あまりに都合のいい話に当初こそ訝しんだが、久秀が見取り図を渡すと途端に態度を一変させた。その後は久秀の話を全て鵜呑みにしてしまい、とんとん拍子に物事が運んでしまった。相手との駆け引きや如何に巧妙に騙すかの過程を楽しみたかった久秀が望んだ展開とはいかず、正直面白くなかった。掌の上で躍らせたはいいが、思い通りに動き過ぎて操り人形のようになってしまい、逆に興ざめしてしまった。
久秀は茶碗を持ったまま立ち上がると、つかつかと書院を出て縁側の淵に立つ。
そのまま茶碗を両手で顔の高さまで上げると……パッと手を離した。五十貫文の大金を払い手に入れた茶碗は、地面へ吸い込まれるように落ちていき、バリンと音を立てて割れてしまった。
暫く茶碗の残骸を久秀は上から見下ろしていたが、やがて興味を失ったのかやおらかに手を叩いた。間を置かず小姓が駆け付ける。
「お呼びで」
久秀が顎で地面に散らばる破片を示しながら、素っ気なく告げた。
「それ、片付けておけ」
「畏まりました」
小姓が一礼して辞すると、道具を取りに廊下を駆けていった。久秀は扇子で口元を覆いながら、フンと鼻を鳴らした。
(持て囃されるのは価値があるまで。使えなくなれば、塵芥と一緒よ)
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