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二 : 木津砦の攻防(1)-梟雄、来る

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 五月三日、早朝。直政与力衆も合わせて五千の兵を率いて行軍を開始した。
 先陣は三好康長やすなが二千を主力に、根来衆、和泉衆の総勢三千。三好康長は阿波を本拠とする三好家の一族で、三好三人衆と共に反織田勢力の一つとして敵対していたが、昨年四月に降伏した。先陣は地の利がある者達が配置されていた。
 第二陣は塙直政を主力に山城衆・大和衆の総勢五千。こちらは直政の管轄下にある与力衆を含めた構成となっており、こちらが本軍となる。
(……やれやれ。やっと砦攻めに移せる)
 馬上で揺られながら、直政は一人静かに溜め息を吐いた。
 出世争いで遅れを取りたくなかったが、本願寺攻めの大将に相応しいだけの陣容を整えなければならなかった。結果、兵を集めるのに時間も金も掛かってしまった。だが、今回の戦で目覚ましい結果を出せば全て帳消しになる。人集めに商人から借りた金も、天王寺砦の作事を途中で放り出した失態も、全て無かった事に出来る。
 上様は人遣いが非常に荒いが、頑張れば頑張った分だけ報いてくれる。家柄や血筋は関係なく、能力と結果次第でどんどん取り立ててくれる。羽柴秀吉様は草履取りの身分から近江長浜城主にまで異例の出世を遂げた。同じ家中に成功例があるのは正直励みになる。
(もうすぐだ。もう少しで、城持ちの身になれる……)
 直政も馬廻から南山城・大和の二ヶ国の守護を任され、本願寺攻めを任される大将まで登り詰めた。だが、これはあくまで通過点だ。現状に満足していてはいつか他の者に追い越される。今の地位を足掛かりにして、さらなる高みを目指す。
 今、織田家で重きをす柴田様や明智様と比べて自分はまだ若い。若い分だけ時間に余裕があり、成長の余地も残っている。城持ち、国持ちの身になればさらなる飛躍に繋がっていく。
 天下統一を目指して勢力を拡大させていく織田家と共に、自分ももっと大きくなる。明るい未来が待っていると思うと、胸の高鳴りが止まらなかった。
 直政は、今回の砦攻めの成功を確信していた。始まってもいないのに成功を確信するのは、とある理由があった。
   ***
 時は遡ること、半月前。
 天王寺砦の作事を監督していた直政の元に、思いがけない人物が訊ねてきた。
「殿、松永弾正だんじょう様がお見えになりました」
「何? 松永弾正だと?」
 その名を伝えられた直政は怪訝な表情を浮かべた。
 松永“弾正”久秀。永正五年(一五〇八年)の生まれで、この時六十八歳。この時代に生きる者ならその名を一度は耳にした事があると言っていい程の有名人だった。三十代に右筆として三好長慶に仕え、その後はめきめきと頭角を現して三好長逸ながやす・三好宗渭そうい・岩成友通ともみちの“三好三人衆”と共に三好家を支えていく。
 三好家が本国阿波から海を渡り畿内に進出、足利将軍家に影響を及ぼす程の一大勢力に成長する中、久秀は大和国を平定。公家や幕府との折衝役を任されるなど、三好家の中で重きを成していくこととなった。
 そして――久秀の名が一躍全国に轟かせる出来事が起こる。
 永禄八年五月十九日。久秀は三好三人衆と共に室町御所を急襲、第十三代将軍・足利義輝を弑逆しいぎゃくしたのである。形骸化したとは言え武家の棟梁たる現役の将軍が殺害される衝撃は瞬く間に各地へ広がり、将軍家の威光は完全に地に落ちたことを印象付けた。
 下剋上の象徴のような大事件だったが、三好家が急速に勢力を縮小する中で久秀は三好家を支えてきた三好三人衆と対立。三好家は内部分裂の様相を呈した。三好三人衆が三好家内部で主導権を握り、久秀は劣勢に立たされたが、ここでも人々を驚かせる行動に出る。永禄十年(一五六七年)十月十日、三好三人衆に加担した東大寺を焼き討ちしたのだ。この焼き討ちで由緒ある大仏殿が焼け落ち、久秀の悪名は再び全国に轟くこととなった。
 三好三人衆との抗争を続けていたが、永禄十一年に織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、久秀は名物茶器『九十九髪茄子』を差し出して恭順の姿勢を示した。以降、信長の忠実な家臣として各地を転戦。金ヶ崎の戦では信長と共に同行し、退却する道筋にある朽木元網を久秀自らが説得して道中の安全を確保して信長の生還を援けた。また、四方を敵に囲まれる苦境にあっても織田家を見捨てることなく、献身的に支え続けた。
 ところが……元亀二年(一五七一年)六月、突如織田方に反旗を翻したのだ。足利義昭が自らの養女を大和で敵対する筒井順慶に嫁がせようとする動きに反発しての行動だったが、やがて矛先は義昭から信長に変えて織田方と激しく火花を散らした。しかし、元亀四年四月に上洛を目指して西上していた武田信玄が死去、七月には反織田の旗頭だった足利義昭が追放されると次第に形勢は悪化。天正元年十二月に本拠地・多聞山城が織田方に包囲され、久秀は多聞山城を信長に差し出して降伏した。反逆の罪は不問とされ、現在に至っている。
「……いかが致しましょうか?」
 小姓がおずおずと伺いを立ててきた。
 久秀は一時大和一国を安堵される大名だったが、今は大幅に所領を減らして国衆の一人に過ぎず、大和守護の直政の指揮下にある。今回の本願寺攻めから外されており、直政と特に親交がある訳でもない。一体何の用があって来たのか、さっぱり分からなかった。
「いつまでも待たせておく訳にもいくまい。会おう」
 あれこれ考えていても仕方がない。それに、ここまで来て追い返す訳にもいかない。直政はとりあえず会ってみることにした。ただ、砦は建設途中にあるので作事場の外に陣幕を張りそこで会う事にした。
 直政が面会の場に向かうと、久秀は床几に座り白湯を啜っていた。
「これはこれは備中守様。此度は突然の来訪にも関わらずお会いして頂けるとは、真にありがとうございます」
 久秀はにこやかに微笑みながら丁寧に頭を下げる。
 数々の悪行から“梟雄きょうゆう”の印象が強いが、武野紹鴎を師事する茶人としても知られ、和歌にも精通するなど文化人の一面も持ち合わせていた。今年六十八歳になるが矍鑠かくしゃくとしており、世間で噂される極悪人には到底見えなかった。
「……して、本日はどのような用件で参られたのですか?」
 相手の意図が読めない中、努めて平静を保ちながら訊ねる直政。
 やや警戒している直政に対して久秀はニコニコと好々爺こうこうやのような顔で言った。
「その前に、人払いをお願いしたいのですが」
「それは……」
 二人きりで話がしたいという久秀の申し出に、小姓が難色を示す。相手はあの松永久秀、何を企んでいるか分からなかった。
「これはしたり。丸腰の身共が備中守を害するとお思いか?」
 そう言うと久秀は両手を広げてみせる。この日の久秀は平服で商家の隠居のような出で立ちで、何か仕込んでいる風には見えない。尤も、服の下に隠している可能性も考えられるが……。
「お主達、下がっておれ」
「しかし……!!」
「考えてもみよ」
 なおも食い下がろうとする小姓達に、直政がはっきりと告げた。
「……このわしが易々と討たれると思うか?」
 吏僚の印象が強い直政だが、元々は馬廻出身で智勇優れた者しか選ばれない赤母衣衆も務めた経験がある武将である。今でも久秀風情に遅れを取らない自信はあった。最悪でも脇差一本で差し違える気でいた。
 凄みのある直政の言葉に小姓達もそれ以上何も言えず、静かに下がっていった。久秀は今のやりとりを見ても素知らぬ顔で白湯を啜っていた。
 小姓達が下がっていったのを確認した久秀は、ゆったりと口元を拭ってから唐突に切り出した。
「本日は、備中守様に耳寄りな話をお持ち致しました」
「耳寄りな、話?」
 思わぬ提案に直政の片眉が上がる。久秀は持っていた扇子を開くと、直政の耳元に口を寄せる。
「……実は、本願寺の坊官から内応の申し出がありまして」
「ほほう……?」
 久秀から明かされた内容に、直政も思わず声が漏れた。
 本願寺が再挙兵した際に『本願寺に籠もる男女は罪に問わないから早急に退去せよ』という立札を立てて門徒達の切り崩しを図ったが、捗々はかばかしい成果を挙げられなかった。門徒同士の結束の堅さは並大抵のものではなく、織田方は攻め口を見つけられずにいた。
 そこへ降って湧いた内応の提案に、直政は食いついた。
「挙兵から二月、一部の者は気炎を揚げておりますが、末端の者達は日の出の勢いにある織田家と干戈を交えることを良しとせず、日一日と士気は下がっているとか。そこで『我が身の安全を保障してくれるなら手引きするのもやぶさかではない』と。これがその文に御座います」
 そう言うと久秀は懐から一通の文を取り出し、差し出してきた。直政はその文を受け取りざっと中を検めたが、確かに久秀が申した通りの内容が記されていた。宛名は久秀、差出人の名前は書かれていない。
「だが……この文だけでは信が置けぬな」
 文を畳む直政の反応は今一つだった。
 内応の意思がある事は歓迎したいが、文章だけなら何とでもなる。迂闊うかつに鵜呑みにして騙された……となっては元も子も無い。信じるに足る証左を示さない限りは判断出来ない。
 すると、久秀は何も言わずに一枚の紙片を渡してきた。直政は黙って受け取り紙片を裏返すと――そこには木津砦の大まかな見取り図が描かれていた! 砦内部の構造や建物の配置は言うまでもなく重大機密。それを漏らすということは、敵方に通じる意思を示したに等しかった。
「これでお分かり頂けましたかな?」
 満面の笑みを見せる久秀。この見取り図が正しい物か裏を取るとして、取り敢えずは内応の意思に偽り無しと考えて良いだろう。
 しかし……仮にそうだったとしても、疑問が残る。
「……一つ、お尋ねしてよろしいですか?」
「なんなりと」
「何故、弾正殿の所にこの話が来たのですか?」
「それは……」
 ここまでハキハキと受け答えしていた久秀だったが、急に歯切れが悪くなった。その変わり様に、何か隠していると直政は直感した。
 内応とは本来味方を裏切る行為であり、露見を避ける為に身近で信頼の置ける相手に知らせるのが定石だ。今回の場合だと本願寺攻めの大将である直政、若しくは明智光秀など本願寺攻めに参加している者達だ。しかし、久秀は今回の本願寺攻めの中に加わっていない。それにも関わらず内応の知らせが舞い込むのは少々不自然だ。
 そもそも、久秀という人物自体が油断ならない。取るに足らない右筆ゆうひつだった久秀は三好長慶に引き立てられて頭角を現し、やがて御供衆に任じられて幕府の中枢にも影響を及ぼす程の権力を手にし、遂には自らの意に染まない将軍を殺す悪行を起こした。噂では邪魔になった主君・長慶に毒を盛ったとも聞く。権謀術数けんぼうじゅつすうの限りを尽くして今の地位を築き上げたと言っても過言ではない。
 上様に仕えるようになって暫くは大人しくしていたが、五年前に突然織田家から離反している。最初は(関係が悪化しているとは言え)信長が後ろ盾となっている義昭に対する意趣返しだったのだろうが、武田信玄が本気で上洛の兆しを見せ始めて勝算があると踏んでの行動だったに違いない。だが、頼みの綱の信玄は西上途中に病死、反織田の大義名分である将軍義昭も追放、協力関係にあった主家筋・三好義継も天正元年十一月に若江城で自害に追い込まれ、久秀は畿内で孤立。最終的には多聞山城を大軍で包囲されて最早これまでと降伏に至った。昨年まで敵対関係にあった久秀が本気で反省しているとは思っていなかったので、これまでの経緯を考えると直政は気を許していなかった。
 返答次第では『松永弾正、本願寺と内通の疑いあり』と上様に報告するのも辞さない。直政は久秀の真意を見極めようと集中していた。
 久秀は煮え切らない態度で沈黙していたが、やがて観念したように息を一つ吐いてから話し始めた。
「……某が昨年まで身の程知らずにも上様に刃を向けたのはご存知ですね」
 久秀の問いに直政は無言で頷く。
「節操のない義昭公が長年敵対していた順慶に養女を嫁がせると知り憤慨ふんがいしてたもとを分かちましたが、畿内はほぼ織田家が掌握しつつあり、最初から勝ち目などありませんでした。それでも、某は諦めず懸命に足掻こうとしました。畿内の外の浅井や朝倉と連絡を取ろうと試みたり、西上していた武田に使者を送ったり。そうした一連の流れの中で、本願寺ともよしみを通じるようになりました。生き残る為に恥も外聞もなく必死でしたが、連携した僅かな間で本願寺と伝手が出来ました。今回はその伝手を頼りに、今回某の元に内応の知らせが届いた……といった次第です。誠に、お恥ずかしい話ですが」
 話し終えた久秀は恥ずかしさからか俯いてしまった。
 要するに……久秀が織田家と敵対していた頃に本願寺と交流があり、その時の伝手で久秀に内応の意思を伝えた、という事か。窮地にある本願寺の者が藁にも縋る思いで頼った。確かに、話の筋は通っている。歯切れの悪さも若気の至り(当年六十八の久秀が若いとは言えないが……)から来る恥ずかしさや上様への後ろめたさと考えれば合点がいく。
「相分かりました。弾正殿に二心ふたごころ無き事は儂もよくよく存じております。気を悪くされた事は平にご容赦下され」
 つい先程まで疑っていた事をおくびにも出さず平然と嘘をつく直政。そんな直政の言葉に久秀は恐縮しきりだった。
「……恐れながら、ついでながら備中守様に相談があるのですが」
「はて。何ですかな?」
「実を申しますと、先程の者の他にも本願寺内部の切り崩し工作を行っているのですが、これがまた思いの外に金が掛かりまして……」
 何を言い出すかと思えば、金の話か。直政は内心舌打ちしたい気分だった。
 本願寺攻めの大将を仰せ付かりそれに見合った陣容を揃える為に出費が嵩んでおり、塙家の家計は火の車だった。南山城・大和の守護を務めていても所領ではないので全て商人からの借金で賄っていた。
「……して、如何いかばかり欲しいのだ?」
「五十貫文くらい、用立てて頂けると有り難いのですが」
 これはまた吹っ掛けられたものだ。一貫文は二石相当なのでその五十倍の百石、これだけの金額があれば百人は雇う事が出来る。そんな大金到底払えない……と突っねたいのは山々だが、人の心を動かす為に手っ取り早いのは金である事も直政は知っている。そう考えると久秀が提示した金額は法外とも言えない。
「……分かった、用意してやろう」
 乗り掛かった船の手前、ここで断る訳にもいかないので渋々久秀の要求を受け入れた。力攻めで大きな損失を出すより五十貫文で砦を買った方が得だと算盤を弾いた。
 金については堺の商人からまた借りることにしよう。日の出の勢いにある織田家で将来は国持ちかと嘱望される直政に、今の内から恩を売る者は少なからず居た。その者達に頭を下げれば何とか工面出来るだろうと考えていた。
***
 そして、数日前。久秀から『木津砦の者と内応の約束を取り付けた』と報せが届いた。
 先日渡された見取り図についても、後日細作を放ち調べた間違いない事が分かった。整合性が取れた事で内応の意思に偽り無しと結論を出した。
『五月三日卯の刻(午前六時)、弾薬庫に火を点けます。爆発の騒ぎに乗じて南門のかんぬきを外します。その後我等は北門から逃れます――』
 当日の手筈を記した紙と一緒に、内応を約した者の名が記された連判状が添えられていた。先に、内応する者の命は保障する旨の書状を出した事も効果があったのだろう。最後の一人まで戦い抜くだの仏敵に屈しないだの威勢のいい事を口にしているが、結局は自分が可愛いのだろう。命の保障をすればコロリと変わる。
 まぁ、それもこちらの都合が悪くなるようなら殺せば済む話だ。約定などあって無いようなものだから。人の命が紙切れ同然に軽い扱いをされるのが戦国の世であった。
 先陣の者達が息を潜めて木津砦に近付く。砦内の爆発を合図に南門から雪崩れ込む手筈となっている。
 内部の切り崩しもあって勝ちは約束されたも同然だが、直政は何故か無性に喉が渇いて水が欲しくなった。小姓に持って来させた竹筒の水で喉を潤したが、飲んでも飲んでも乾きから解放されなかった。
(……何だ、この感覚は)
 これまで幾多の戦場に立ってきた。勝利の美酒に酔いしれた事も、無様に逃げ惑った事も、いつ終わるか分からない苦しみも、沢山味わってきた。そんな直政が初めて直面する感覚に、ひどく困惑していた。
 全ては順風満帆、不安を抱く要素など皆無……である筈なのに、どうして。
 そうこうしている内に、木津砦の内部から大きな爆発音が上がった。直後、空に向かって一筋の黒い煙が立ち上る。
 大丈夫、手筈通りだ。直政は得体の知れない感情を杞憂と結論付け、立ち上る黒煙に視線を向けた。
 爆発音を確認して、先手の兵が続々と南門に集結する。あとは内側から閂を外されれば一気呵成に攻めるだけだが――様子がおかしい。いつまで待っても門が開く気配が無く、兵達の間に困惑が広がっていた。
(何をしている!? 早く閂を外さぬか!!)
 予想外の展開に歯軋はぎしりする直政。刹那、耳をつんざく破裂音が響き渡った――!!
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