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一 : 絡み合う思惑(3)-信長の思案

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 天正四年三月、京。
 信長は定宿としている妙覚寺に入ると、小姓を遠ざけて一人居室に籠もった。
 部屋の中央で胡坐を組んで、目の前に広げられた地図をじっと見つめていた。
 右手で扇子を開いたり閉じたりを繰り返したり、左手で体の近くに置いてある碁笥ごけの中の碁石を触ったりと、思案がまとまらない様子だ。
(さて……どうしたものか)
 中国地方から甲信越地方にかけて描かれた地図には、敵対する勢力の名前が記されており、黒い碁石の数で大きさを表していた。
 記されているのは、越後の上杉、甲斐の武田、摂津の石山本願寺、丹波の波多野、備中の宇喜多、安芸の毛利など……。
(北陸は、権六)
 左手で白の碁石を一つ掴むと、越前に置いた。
 尾張時代から仕える柴田勝家は織田家一の勇猛な武将で、越前の仕置を任せていた。これは“越後の虎”と呼ばれ、稀代きだいの戦上手として知られる上杉謙信を念頭に置いた配置だった。今の段階で最も警戒すべき相手である上杉家への対策として戦に強い柴田勝家の他に、前田利家・佐々成政・不破光治・金森長近などの子飼いの武将を補佐としてつけている。上杉家と睨み合っている現状、これ等の人々は動かせない。
(中国筋は、猿)
 播磨にも一つ白い碁石を置く。
 草履取りの身分から異例の大出世を遂げた羽柴秀吉。低い身分の頃からよく働き、今では武将としての能力も格段に向上した。北近江の旧浅井領を与えたが、国持ち大名の身分になっても満足することなく、次なる標的は中国筋と定めて早々に根回しを始めていた。抜け目ないが、その貪欲さを評価している。
 中国筋の毛利家とはまだ本格的な衝突は起きていないが、版図を西へ広げていく以上は敵として立ちはだかるのは明白。猿には地均しの為に働いてもらおう。
(丹波は、十兵衛)
 明智光秀は武将としても申し分ないが、有職故実ゆうしきこじつも詳しく文武に秀でた便利な存在だ。昨年丹波攻略を命じたが、山深き土地な上に各地に点在する国人達が抵抗していた為に遅々として進んでいなかった。俺としては、丹波攻略に専従させるより遊軍として手元に置いておきたい。不測の事態が発生した場合、臨機応変に対処出来るのは十兵衛を措いて他に居ない。
 まだ安定しない伊勢には彦右衛門(滝川一益かずます)を、衰えたとは言えまだ侮りがたい甲斐の武田は盟友の三河殿(徳川家康)、安土の新たな城を建てる総奉行には五郎左ごろうざ(丹羽長秀)……次々と白の碁石を置いていくが、一箇所だけ空白の場所があった。
 それは――摂津・石山本願寺。
 他の箇所はすぐにこの人物に任せようと思う人物の顔が浮かぶが、この場所に限れば頭を捻っても適任者が思い浮かばなかった。即断即決が身上の信長には珍しく、長考を重ねていた。
 本願寺と対峙して六年、決着に向けた糸口は一向に見えてこなかった。そもそも、何故本願寺が刃を向けてきたのか未だに腑に落ちていない。
 武家は領民が安心して生活していく為に戦い、その生活の脅威となる敵を排除する為に他国を攻める。時に名誉や金の為に戦う場合もあるが、何れにしても武家には武家の作法があることに違いはない。だからこそ、武運拙く滅亡の時を迎えた場合、犠牲は最小限に抑えて残りの将兵や領民は巻き添えにしない。
 だが、一向一揆は勝手が違う。非戦闘員である百姓や町人が敵となるので、敵か敵でないかの線引きが難しい。場合によっては女子どもでも武器を取って向かってくるので、終結の目途が立たない。極論を言えば、生きている者全て殺してようやく勝利となるのだ。当然、そこに至るまで時間も手間も経費もかさむ。非常に、効率が悪い。
 俺に敵対する奴には理由がある。表向きは、京を追われてもなお将軍の足利義昭が信長討伐を主張していると言うが、本当は別の理由がある。浅井家は恩義のある朝倉家を援ける為、朝倉家は尾張の田舎大名の分際で上洛を果たしたのが気に食わない為、武田家は織田家に替わって天下を治めたい為、延暦寺は俺が旧来の既得権益を破壊しているのでそれを阻止する為……と、ある程度の理由は推察出来る。一方で、本願寺はどうかと考えるが、これという理由が思い当たらない。過去に矢銭を要求したが本願寺に限った話ではなく、法外な金額を要求した訳でもない。他の大名家では一揆を恐れて浄土真宗を禁教としているが、織田家の領内では特に制限を設けていない。本当に思い当たる節が無かった。
 かと言って、放置する訳にもいかない。本願寺とその周辺の砦には数万の兵が居る。これだけの規模の兵を維持していけるだけの余裕がある本願寺はやはり侮りがたい。それに加えて、本願寺には雑賀衆が援軍として入っている。数千挺の鉄砲を保有し、卓越した射撃技術を併せ持つ雑賀衆が敵になると、厄介極まりない。一向一揆の兵は訓練されてない素人だが、雑賀衆は戦を想定した訓練を受けている戦闘集団だ。もしも雑賀衆が前線に出てくれば、それなりの被害を覚悟しなければならない。
 一朝一夕で解決しないが、対処するのにある程度の能力が求められる……その条件に当てはまる人選に、頭を悩ませていた。出来れば、手塩を掛けて育ててきた若手を据え、経験豊富な武将を補佐につけるのが理想だが……。
 最近、上杉家の動きが活発になってきているので、越前に居る権六は動かせない。権六に付けている者達も同じ理由で除外。安土の城は過去に類を見ない壮大な規模の事業なので五郎左も除外。猿は誰かを補佐するより自分で動いた方が良い働きをするから除外。尾張衆のまとめ役をしている右衛門尉うえもんのじょう(佐久間信盛)では役不足。彦右衛門は水軍の差配もあるから除外。
(……やはり、十兵衛に任せるか)
 丹波は山国で攻略には時間を要する。有能な十兵衛を丹波だけ掛かり切りにするのは勿体ない。丹波から摂津なら地理的に近いので配置転換も楽だ。それに、十兵衛は権六や猿と違って出しゃばらないのが良い。
 さて、あとは誰に指揮を執らせるか、だが――。
(……ここは九郎左に任せてみるか)
 塙“九郎左衛門”直政。織田家の馬廻の中でも特に秀でた者が選ばれる信長直属の使番・赤母衣衆にも抜擢された経歴のある、信長子飼いの武将である。天正二年三月に行われた蘭奢待下賜の際には総奉行を務めるなど、吏僚りりょうとして信長を政務の面から支えていた。伊勢長島攻めや越前の一向一揆討伐などで戦功を重ね、天正三年には備中守に叙任じょにんされると同時に九州の名族である“原田”姓を下賜されている。この時光秀に“惟任これとう”姓を、長秀に“惟住これずみ”姓を下賜されており、家老並に期待されている事が窺い知れる。信長子飼いの馬廻出身の若手将校の中でも出世頭であった。
 実力も実績も不足なし。九郎左に任せてみるか。信長の中で構想が固まった。
 地図の上に置いた碁石を両手で掬って碁笥の中に片付けると、部屋の外に向かって声を掛けた。
「誰か、ある」
 喫緊の課題は、本願寺への対処だ。信長は次に向けて動き始めていた。
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