トラットリア・ガット・ビアンカ~心をほんの少し上げる甘エビカツ~

佐倉伸哉

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3. 最近のお気に入り

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 貴子は数年前に旦那に先立たれ、一人でこの家で暮らしている。子どもは長男と長女、それぞれ成人している。長男は独身で大阪に、長女は結婚して金沢の大友町に居る。自分一人だけとなると色々と面倒で、一食抜いたり出掛けるのが億劫おっくうになったりする。
 そんな貴子にも、最近お気に入りの場所が出来た。
(今日はやっとるかな~……)
 時刻は午前11時前。またあの人の顔が見たくなった気分なので、久しぶりに行ってみることにした。貴子は外着に着替え、鏡の前で身支度を整えると、財布だけ持って外出する。
 家の前の通りに、人影は無い。ひがし茶屋街に通じる道には観光客とおぼしき人達が行き来しているけれど、今日はあっちの道には行かない。その手前の道を曲がり、さらに左へ曲がる。こうすれば人通りの多い道を避けてひがし茶屋街から一本入った裏通りへ行ける。
 ちょっと歩くと、家と家の隙間から白い猫がひょっと現れた。
「お早う、アンジェ。」
 この白い猫、ただの猫ではない。左目が青・右目が黄のオッドアイだ。しかもなかなか賢い子で、何度か見た事のある人の顔を覚えているみたいだった。貴子が近くに寄っても嫌がる素振りを見せず、頭や顎を撫でてやると気持ちよさそうな顔を見せる。
 一頻ひとしきり貴子の好きなようにさせてあげた後、ふいっと歩き出した。テクテクと歩く姿はなかなか様になっており、気品さえ感じられる。その後ろを歩いていくと、ある一軒の家の前で止まった。まるで、この家に行くように案内しているみたいだ。そして、貴子の目的の場所もここである。
 紅殻べんがら格子こうしが特徴的な、お茶屋の建物。格子の隙間から屋内をのぞけば、カウンターに幾つかのテーブル席が並ぶ。そして、引き戸の横には“TrattoriaトラットリアGattoガットBiancaビアンカ”と記された看板が掛けられている。
 外から中を覗いた貴子は、店内に明かりが点いているのを確認してから引き戸を開ける。
「智美ちゃーん、やっとるけ?」
 貴子が声を掛けると、カウンターの中に立っている白いコックコートを着た若い女性が顔を上げた。
「あら貴子さん、いらっしゃい。今日はやってますよ」
「ほーけ。なら、上がらせてもらうわ」
 言うなり、貴子は近くのテーブル席の椅子に腰掛ける。カウンターの椅子はちょっと高いので、年老いた身には少々辛い。
 程なくして、若い男性が水を持ってやってきた。
はるちゃん、あんがとね」
 この若い男性は、大学生のバイトの子の“晴ちゃん”。この春から金沢に引っ越してきたばかりの一年生で、3月の終わり頃から働き始めた新人さんである。元々人手不足でランチの営業はお休みしていたのだが、晴ちゃんが入ってからは晴ちゃんがシフトに入れる日はランチ営業が出来るようになったのだ。言わば、晴ちゃんは救世主である。
「今日のランチはなんけ?」
「今日は……甘エビを使ったエビカツですね」
 晴ちゃんの説明を聞いて、貴子は一瞬で心を掴まれた。エビ、中でも甘エビは大好物である。あのネットリとした甘味と旨味がたまらない。
「ほうけ。なら、それにするわ。あと、ご飯は少な目でお願いね」
かしこまりました。……智美さとみさん、貴子さん日替わりでご飯少な目です」
「はーい」
 貴子のオーダーをキッチンに通す晴ちゃん。それに朗らかな声で若い女性が返す。
 コックコートの彼女は、白雪しらゆき智美さん。まだ20代ながらこの店をほぼ一人で切り盛りする店主だ。東京の洋食店で修業した後、地元である金沢に戻ってきてこの店をオープンした。……率直に言って、凄いと思う。
 そうこうしている間に、他のお客さんもお店に入って来た。明らかにおめかししている観光の人、何度も通っていると思われる地元の人、ここら辺界隈で働いていると思われる人。様々な人が次から次へと訪れる。その様子を眺めながら、料理が来るのを待つのが貴子にとって秘かな楽しみだった。
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