3 / 5
3. 最近のお気に入り
しおりを挟む
貴子は数年前に旦那に先立たれ、一人でこの家で暮らしている。子どもは長男と長女、それぞれ成人している。長男は独身で大阪に、長女は結婚して金沢の大友町に居る。自分一人だけとなると色々と面倒で、一食抜いたり出掛けるのが億劫になったりする。
そんな貴子にも、最近お気に入りの場所が出来た。
(今日はやっとるかな~……)
時刻は午前11時前。またあの人の顔が見たくなった気分なので、久しぶりに行ってみることにした。貴子は外着に着替え、鏡の前で身支度を整えると、財布だけ持って外出する。
家の前の通りに、人影は無い。ひがし茶屋街に通じる道には観光客と思しき人達が行き来しているけれど、今日はあっちの道には行かない。その手前の道を曲がり、さらに左へ曲がる。こうすれば人通りの多い道を避けてひがし茶屋街から一本入った裏通りへ行ける。
ちょっと歩くと、家と家の隙間から白い猫がひょっと現れた。
「お早う、アンジェ。」
この白い猫、ただの猫ではない。左目が青・右目が黄のオッドアイだ。しかもなかなか賢い子で、何度か見た事のある人の顔を覚えているみたいだった。貴子が近くに寄っても嫌がる素振りを見せず、頭や顎を撫でてやると気持ちよさそうな顔を見せる。
一頻り貴子の好きなようにさせてあげた後、ふいっと歩き出した。テクテクと歩く姿はなかなか様になっており、気品さえ感じられる。その後ろを歩いていくと、ある一軒の家の前で止まった。まるで、この家に行くように案内しているみたいだ。そして、貴子の目的の場所もここである。
紅殻格子が特徴的な、お茶屋の建物。格子の隙間から屋内を覗けば、カウンターに幾つかのテーブル席が並ぶ。そして、引き戸の横には“Trattoria・Gatto・Bianca”と記された看板が掛けられている。
外から中を覗いた貴子は、店内に明かりが点いているのを確認してから引き戸を開ける。
「智美ちゃーん、やっとるけ?」
貴子が声を掛けると、カウンターの中に立っている白いコックコートを着た若い女性が顔を上げた。
「あら貴子さん、いらっしゃい。今日はやってますよ」
「ほーけ。なら、上がらせてもらうわ」
言うなり、貴子は近くのテーブル席の椅子に腰掛ける。カウンターの椅子はちょっと高いので、年老いた身には少々辛い。
程なくして、若い男性が水を持ってやってきた。
「晴ちゃん、あんがとね」
この若い男性は、大学生のバイトの子の“晴ちゃん”。この春から金沢に引っ越してきたばかりの一年生で、3月の終わり頃から働き始めた新人さんである。元々人手不足でランチの営業はお休みしていたのだが、晴ちゃんが入ってからは晴ちゃんがシフトに入れる日はランチ営業が出来るようになったのだ。言わば、晴ちゃんは救世主である。
「今日のランチは何け?」
「今日は……甘エビを使ったエビカツですね」
晴ちゃんの説明を聞いて、貴子は一瞬で心を掴まれた。エビ、中でも甘エビは大好物である。あのネットリとした甘味と旨味がたまらない。
「ほうけ。なら、それにするわ。あと、ご飯は少な目でお願いね」
「畏まりました。……智美さん、貴子さん日替わりでご飯少な目です」
「はーい」
貴子のオーダーをキッチンに通す晴ちゃん。それに朗らかな声で若い女性が返す。
コックコートの彼女は、白雪智美さん。まだ20代ながらこの店をほぼ一人で切り盛りする店主だ。東京の洋食店で修業した後、地元である金沢に戻ってきてこの店をオープンした。……率直に言って、凄いと思う。
そうこうしている間に、他のお客さんもお店に入って来た。明らかにおめかししている観光の人、何度も通っていると思われる地元の人、ここら辺界隈で働いていると思われる人。様々な人が次から次へと訪れる。その様子を眺めながら、料理が来るのを待つのが貴子にとって秘かな楽しみだった。
そんな貴子にも、最近お気に入りの場所が出来た。
(今日はやっとるかな~……)
時刻は午前11時前。またあの人の顔が見たくなった気分なので、久しぶりに行ってみることにした。貴子は外着に着替え、鏡の前で身支度を整えると、財布だけ持って外出する。
家の前の通りに、人影は無い。ひがし茶屋街に通じる道には観光客と思しき人達が行き来しているけれど、今日はあっちの道には行かない。その手前の道を曲がり、さらに左へ曲がる。こうすれば人通りの多い道を避けてひがし茶屋街から一本入った裏通りへ行ける。
ちょっと歩くと、家と家の隙間から白い猫がひょっと現れた。
「お早う、アンジェ。」
この白い猫、ただの猫ではない。左目が青・右目が黄のオッドアイだ。しかもなかなか賢い子で、何度か見た事のある人の顔を覚えているみたいだった。貴子が近くに寄っても嫌がる素振りを見せず、頭や顎を撫でてやると気持ちよさそうな顔を見せる。
一頻り貴子の好きなようにさせてあげた後、ふいっと歩き出した。テクテクと歩く姿はなかなか様になっており、気品さえ感じられる。その後ろを歩いていくと、ある一軒の家の前で止まった。まるで、この家に行くように案内しているみたいだ。そして、貴子の目的の場所もここである。
紅殻格子が特徴的な、お茶屋の建物。格子の隙間から屋内を覗けば、カウンターに幾つかのテーブル席が並ぶ。そして、引き戸の横には“Trattoria・Gatto・Bianca”と記された看板が掛けられている。
外から中を覗いた貴子は、店内に明かりが点いているのを確認してから引き戸を開ける。
「智美ちゃーん、やっとるけ?」
貴子が声を掛けると、カウンターの中に立っている白いコックコートを着た若い女性が顔を上げた。
「あら貴子さん、いらっしゃい。今日はやってますよ」
「ほーけ。なら、上がらせてもらうわ」
言うなり、貴子は近くのテーブル席の椅子に腰掛ける。カウンターの椅子はちょっと高いので、年老いた身には少々辛い。
程なくして、若い男性が水を持ってやってきた。
「晴ちゃん、あんがとね」
この若い男性は、大学生のバイトの子の“晴ちゃん”。この春から金沢に引っ越してきたばかりの一年生で、3月の終わり頃から働き始めた新人さんである。元々人手不足でランチの営業はお休みしていたのだが、晴ちゃんが入ってからは晴ちゃんがシフトに入れる日はランチ営業が出来るようになったのだ。言わば、晴ちゃんは救世主である。
「今日のランチは何け?」
「今日は……甘エビを使ったエビカツですね」
晴ちゃんの説明を聞いて、貴子は一瞬で心を掴まれた。エビ、中でも甘エビは大好物である。あのネットリとした甘味と旨味がたまらない。
「ほうけ。なら、それにするわ。あと、ご飯は少な目でお願いね」
「畏まりました。……智美さん、貴子さん日替わりでご飯少な目です」
「はーい」
貴子のオーダーをキッチンに通す晴ちゃん。それに朗らかな声で若い女性が返す。
コックコートの彼女は、白雪智美さん。まだ20代ながらこの店をほぼ一人で切り盛りする店主だ。東京の洋食店で修業した後、地元である金沢に戻ってきてこの店をオープンした。……率直に言って、凄いと思う。
そうこうしている間に、他のお客さんもお店に入って来た。明らかにおめかししている観光の人、何度も通っていると思われる地元の人、ここら辺界隈で働いていると思われる人。様々な人が次から次へと訪れる。その様子を眺めながら、料理が来るのを待つのが貴子にとって秘かな楽しみだった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

トラットリア・ガット・ビアンカ ~勇気を分けるカボチャの冷製スープ~
佐倉伸哉
ライト文芸
6月第1週の土曜日。この日は金沢で年に一度開催される“金沢百万石まつり”のメインイベントである百万石行列が行われる。金沢市内の中心部は交通規制が行われ、武者行列や地元伝統の出し物、鼓笛隊の演奏などのパレードが執り行われる。4月から金沢で一人暮らしを始めた晴継は、バイト先の智美からお祭り当日のランチ営業に出てくれないかと頼まれ、快諾する。
一方、能登最北端の町出身の新垣恵里佳は、初めてのお祭りに気分が高揚したのもあり、思い切って外出してみる事にした。
しかし、恵里佳を待ち受けていたのは季節外れの暑さ。眩暈を起こした恵里佳の目に飛び込んできたのは、両眼の色が異なる一匹の白猫だった――。
※『料理研究家リュウジ×角川食堂×カクヨム グルメ小説コンテスト』エントリー作品
◇当作品は『トラットリア・ガット・ビアンカ ~カポクオーカのお試しスコッチエッグ~(https://www.alphapolis.co.jp/novel/907568925/794623076)』の続編となります。◇
◇この作品は『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16816927860966738439)』『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n4211hp/)』でも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
すこやか食堂のゆかいな人々
山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。
母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。
心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。
短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。
そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。
一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。
やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。
じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
心の落とし物
緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも
・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ )
〈本作の楽しみ方〉
本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。
知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。
懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。
〈主人公と作中用語〉
・添野由良(そえのゆら)
洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。
・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。
・〈探し人(さがしびと)〉
〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。
・〈未練溜まり(みれんだまり)〉
忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。
・〈分け御霊(わけみたま)〉
生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
十年目の結婚記念日
あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。
特別なことはなにもしない。
だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。
妻と夫の愛する気持ち。
短編です。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる