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第一章
⑤※
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目の前に広がった景色は、先ほどまでとは全く違うものだった。
車もアパートもない。駐車場ですらない。
足元にあるのはコンクリートの床だった。視線の先には細い月が浮かんでいて、眼下に明かりの少ない夜の町が広がっている。
何も遮るもののない吹きさらしの風が冷たく吹きつけてくる。
「……どこだ、ここ」
「どこかの屋上のようだな」
悠利は快の腕をつかんだままで隣に立っていた。
「どっかのって、さっきまで駐車場にいたはずだろ。なんで」
「うるさい、少し黙っ……」
悠利の手が快の腕から離れた。
そしてそのまま倒れ込むように床に膝をつく。
「! おいっ」
「……大丈夫だ。空間移動をするといつもこうなる」
「空間移動? って、いきなりいる場所が変わったやつのことか」
「ああ」
悠利は重そうに体を動かしながら座り直した。
「お前、車の鍵を閉めただろう」
「え? ああ、閉めたけど」
「おかげですぐに出られなかった」
「出れないようにしたんだよ。ていうか誰も入れねえようにしたんだって」
それを聞いた悠利がふんと息を吐く。
「あのくらいどうということはない。お前は危なかったがな」
「もう一本ナイフ持ってるなんて思わなかったんだよ」
「俺がいなければその腕に深い傷ができていたところだ」
「はいはい、ありがとうございます」
適当に返事をしてからふと思う。
ナイフを持つ男の手に当たったあの石は、やはり悠利がやったものだった。手で投げてあそこまで的確に当てたのなら相当なものだが、おそらくそうではない。
人とは違う力というのを使ったのだろう。
聞いてみたかったが、それ以上に悠利の様子が気になった。
「なあ、大丈夫か? 体調悪そうだけど」
「気にするな。すぐに治る」
そう言われても体は見るからに震えているし、呼吸も荒く肩が上下している。どうにも放っておけなくて、快は
着ているコートを脱いで彼の肩にかけた。
「何のつもりだ」
「いや、なんか寒そうだから」
「別に寒いわけじゃない。自分のコートだけで十分だ」
「いいから落ち着くまで着とけって」
悠利はコートを返そうとしたが強引に押し付けて、快も隣に座った。
夜の町の中に、周りよりもわずかに明るい黄色の光が見えた。アパートの近くにある二十四時間営業のファミレスの看板だ。
「そういやあの男、誰かにお前を連れてこいって頼まれたとか言ってたけど」
「誰かに?」
「心当たりあるのか?」
悠利は少しだけ悩んだ。
「……ありすぎて見当がつかない」
「おいおい」
狙われているとは聞いていたが、どうやら一人や二人からではないらしい。
「あの男、お前のこと〝初音悠利〟って」
「それが俺の本名だ」
「でもお前、一条って」
「一条は母の旧姓だ。〝初音〟を名乗ると面倒だから、ここ最近はずっと一条と名乗っていた」
超能力のような力のこと。悠利を狙っているというやつらのこと。なぜ本名を名乗らないのかということ。
聞きたいことはたくさんある。
だが、体調の悪そうな彼をこんな寒いところに長居させるわけにはいかない。
「とりあえずアパート戻らねえとな。そんなに遠くなさそうだけど、歩けそうか?」
「ああ。だがもう少し時間をおいたほうがいい。先ほどの男がうろついているかもしれない」
「けど調子悪いんだろ? なら早く帰ったほうがいいって。もし見つかったら俺が何とかするから」
「俺の力を使って帰るという選択肢はないのか」
たしかに先ほど言っていた空間移動とかいう力を使えば、一瞬でアパートまで帰ることができるのだろう。
さっきの男に見つかるかもしれないという心配もなくなる。
「それやったら体調悪くなるんだろ?」
「すぐに治る」
「治ってねえだろ。だいたい力を失くしたいとか言ってたやつが、その力に頼ろうとしてどうするんだよ」
彼自身が言っていたことだ。超能力のような力を失くす方法を探すためにここへ来たのだと。
だけど、そういえばあの話は嘘だと言っていた。力を失くす方法があるという部分だけが嘘だったのか、それとも力を失くしたいと言っていたのも嘘なのか。
本当にわからないことばかりだ。
だけど空間移動をやると体調が悪くなる。これだけは間違いない。それならやはりやらないほうがいいに決まっていると、快は自分の中で結論づけて立ち上がった。
「とにかく帰って寝たほうが」
「本当に変わらないな」
「は?」
「俺のことを覚えてないか」
座り込んだままで、悠利が見上げてくる。
快も思わず彼を見つめ返した。だけど思い返す限り、記憶のどこにも彼の顔は見当たらない。
「どっかで会ったこと……」
激しくドアノブを回す音がガチャガチャと聞こえてきて、快と悠利が振り返った。
ドアを思いきり蹴り飛ばして入ってきたのは、先ほどの男だった。
「聞いてはいたが、まさか本当に目の前で人が消えるなんてな」
「お前、なんでここに」
アパートまで戻る途中で出くわす可能性はあっても、ここにいて見つかることはないと思っていた。
背後から、悠利が快の襟元に触れた。
「これを追ってきたか」
彼が指につまんでいたのは、ボタン電池よりも二回りほど大きな黒く丸い機械だった。
小型だが、間違いなく発信機だ。
「そういうことだ」
男が得意げに見せてきたのは携帯電話の画面だった。そこに表示されている地図の中央で、小さく赤い丸が点滅している。
「なっ、いつの間に」
「さっきやり合ったときにな。空間移動がどうとかって聞いたときは正直半信半疑だったが、一応つけといて正解
だったぜ」
屋上にしてはそれほど高くないようだったが、背後にある柵を乗り越えたところで当然飛び下りられるような高さではない。
ここから出るには、男の後ろにあるドアしかない。
「空間移動の話、誰に聞いた」
たずねた悠利に、男が笑う。
「さあな。知りたきゃ俺と来いよ。どっちにしろあんたらに逃げ場はないけどな」
悠利が後ろからそっと快の服をつかんだ。助けを求めるような仕草だったが、そうではなかった。
潜めた声で彼がたずねてくる。
「もう変なものはつけられていないな」
「えっ、ああ、たぶん……」
答えかけたところではっとする。
「ちょっと待て! お前、またさっきの変な移動をやろうとしてるだろ」
「空間移動だ。お前、人がせっかく気づかれないように」
「だから体調悪くなることすんなって」
「どうせすぐに戻る」
「だめだって言ってるだろ」
「それ以外にないだろう。いいから少し黙っ」
「だからっ」
快は悠利の両肩をつかんだ。
「俺はお前のボディガードなんだろ! そんな変な力なんか使わなくたって俺が守ってやるから!」
悠利が目を見張った。
それから素直に頷く。
「……わかった」
「よし」
快は彼から手を離すと、再び男のほうを向いた。
「あれ? そいつ、まだ空間移動とかってやつできるのか? 一回しかできないって聞いてたけどな」
「え?」
「まあ何でもいいや。こっちも金もらってるからさあ。力ずくでも来てもらわねえとな」
ナイフ片手に、男が向かってくる。
背後に悠利がいる避けられない状況で、快はナイフを持つ男の手首をつかむとその腹を膝で蹴り上げた。体が前かがみになったところで今度は首元に肘を振り下ろすと、男はその場に倒れて動かなくなる。
「本当に強かったんだな」
「いやまあ、こいつが意外と隙だらけだったから」
「さっきはやられそうになっていたが」
「それは言うなって」
先ほどのことはともかく、誰がこの男に頼んだのかは知らないが人選ミスではないだろうか。
「それに俺、首筋に一発当てりゃ気を失わせられるからさ」
「物騒な特技だな」
「まあな。とにかくこいつが目を覚まさないうちにここを離れねえとな」
倒れている男の横をすり抜けてドアへと向かう。
悠利は持っていた発信機を男のそばに落としていった。
車もアパートもない。駐車場ですらない。
足元にあるのはコンクリートの床だった。視線の先には細い月が浮かんでいて、眼下に明かりの少ない夜の町が広がっている。
何も遮るもののない吹きさらしの風が冷たく吹きつけてくる。
「……どこだ、ここ」
「どこかの屋上のようだな」
悠利は快の腕をつかんだままで隣に立っていた。
「どっかのって、さっきまで駐車場にいたはずだろ。なんで」
「うるさい、少し黙っ……」
悠利の手が快の腕から離れた。
そしてそのまま倒れ込むように床に膝をつく。
「! おいっ」
「……大丈夫だ。空間移動をするといつもこうなる」
「空間移動? って、いきなりいる場所が変わったやつのことか」
「ああ」
悠利は重そうに体を動かしながら座り直した。
「お前、車の鍵を閉めただろう」
「え? ああ、閉めたけど」
「おかげですぐに出られなかった」
「出れないようにしたんだよ。ていうか誰も入れねえようにしたんだって」
それを聞いた悠利がふんと息を吐く。
「あのくらいどうということはない。お前は危なかったがな」
「もう一本ナイフ持ってるなんて思わなかったんだよ」
「俺がいなければその腕に深い傷ができていたところだ」
「はいはい、ありがとうございます」
適当に返事をしてからふと思う。
ナイフを持つ男の手に当たったあの石は、やはり悠利がやったものだった。手で投げてあそこまで的確に当てたのなら相当なものだが、おそらくそうではない。
人とは違う力というのを使ったのだろう。
聞いてみたかったが、それ以上に悠利の様子が気になった。
「なあ、大丈夫か? 体調悪そうだけど」
「気にするな。すぐに治る」
そう言われても体は見るからに震えているし、呼吸も荒く肩が上下している。どうにも放っておけなくて、快は
着ているコートを脱いで彼の肩にかけた。
「何のつもりだ」
「いや、なんか寒そうだから」
「別に寒いわけじゃない。自分のコートだけで十分だ」
「いいから落ち着くまで着とけって」
悠利はコートを返そうとしたが強引に押し付けて、快も隣に座った。
夜の町の中に、周りよりもわずかに明るい黄色の光が見えた。アパートの近くにある二十四時間営業のファミレスの看板だ。
「そういやあの男、誰かにお前を連れてこいって頼まれたとか言ってたけど」
「誰かに?」
「心当たりあるのか?」
悠利は少しだけ悩んだ。
「……ありすぎて見当がつかない」
「おいおい」
狙われているとは聞いていたが、どうやら一人や二人からではないらしい。
「あの男、お前のこと〝初音悠利〟って」
「それが俺の本名だ」
「でもお前、一条って」
「一条は母の旧姓だ。〝初音〟を名乗ると面倒だから、ここ最近はずっと一条と名乗っていた」
超能力のような力のこと。悠利を狙っているというやつらのこと。なぜ本名を名乗らないのかということ。
聞きたいことはたくさんある。
だが、体調の悪そうな彼をこんな寒いところに長居させるわけにはいかない。
「とりあえずアパート戻らねえとな。そんなに遠くなさそうだけど、歩けそうか?」
「ああ。だがもう少し時間をおいたほうがいい。先ほどの男がうろついているかもしれない」
「けど調子悪いんだろ? なら早く帰ったほうがいいって。もし見つかったら俺が何とかするから」
「俺の力を使って帰るという選択肢はないのか」
たしかに先ほど言っていた空間移動とかいう力を使えば、一瞬でアパートまで帰ることができるのだろう。
さっきの男に見つかるかもしれないという心配もなくなる。
「それやったら体調悪くなるんだろ?」
「すぐに治る」
「治ってねえだろ。だいたい力を失くしたいとか言ってたやつが、その力に頼ろうとしてどうするんだよ」
彼自身が言っていたことだ。超能力のような力を失くす方法を探すためにここへ来たのだと。
だけど、そういえばあの話は嘘だと言っていた。力を失くす方法があるという部分だけが嘘だったのか、それとも力を失くしたいと言っていたのも嘘なのか。
本当にわからないことばかりだ。
だけど空間移動をやると体調が悪くなる。これだけは間違いない。それならやはりやらないほうがいいに決まっていると、快は自分の中で結論づけて立ち上がった。
「とにかく帰って寝たほうが」
「本当に変わらないな」
「は?」
「俺のことを覚えてないか」
座り込んだままで、悠利が見上げてくる。
快も思わず彼を見つめ返した。だけど思い返す限り、記憶のどこにも彼の顔は見当たらない。
「どっかで会ったこと……」
激しくドアノブを回す音がガチャガチャと聞こえてきて、快と悠利が振り返った。
ドアを思いきり蹴り飛ばして入ってきたのは、先ほどの男だった。
「聞いてはいたが、まさか本当に目の前で人が消えるなんてな」
「お前、なんでここに」
アパートまで戻る途中で出くわす可能性はあっても、ここにいて見つかることはないと思っていた。
背後から、悠利が快の襟元に触れた。
「これを追ってきたか」
彼が指につまんでいたのは、ボタン電池よりも二回りほど大きな黒く丸い機械だった。
小型だが、間違いなく発信機だ。
「そういうことだ」
男が得意げに見せてきたのは携帯電話の画面だった。そこに表示されている地図の中央で、小さく赤い丸が点滅している。
「なっ、いつの間に」
「さっきやり合ったときにな。空間移動がどうとかって聞いたときは正直半信半疑だったが、一応つけといて正解
だったぜ」
屋上にしてはそれほど高くないようだったが、背後にある柵を乗り越えたところで当然飛び下りられるような高さではない。
ここから出るには、男の後ろにあるドアしかない。
「空間移動の話、誰に聞いた」
たずねた悠利に、男が笑う。
「さあな。知りたきゃ俺と来いよ。どっちにしろあんたらに逃げ場はないけどな」
悠利が後ろからそっと快の服をつかんだ。助けを求めるような仕草だったが、そうではなかった。
潜めた声で彼がたずねてくる。
「もう変なものはつけられていないな」
「えっ、ああ、たぶん……」
答えかけたところではっとする。
「ちょっと待て! お前、またさっきの変な移動をやろうとしてるだろ」
「空間移動だ。お前、人がせっかく気づかれないように」
「だから体調悪くなることすんなって」
「どうせすぐに戻る」
「だめだって言ってるだろ」
「それ以外にないだろう。いいから少し黙っ」
「だからっ」
快は悠利の両肩をつかんだ。
「俺はお前のボディガードなんだろ! そんな変な力なんか使わなくたって俺が守ってやるから!」
悠利が目を見張った。
それから素直に頷く。
「……わかった」
「よし」
快は彼から手を離すと、再び男のほうを向いた。
「あれ? そいつ、まだ空間移動とかってやつできるのか? 一回しかできないって聞いてたけどな」
「え?」
「まあ何でもいいや。こっちも金もらってるからさあ。力ずくでも来てもらわねえとな」
ナイフ片手に、男が向かってくる。
背後に悠利がいる避けられない状況で、快はナイフを持つ男の手首をつかむとその腹を膝で蹴り上げた。体が前かがみになったところで今度は首元に肘を振り下ろすと、男はその場に倒れて動かなくなる。
「本当に強かったんだな」
「いやまあ、こいつが意外と隙だらけだったから」
「さっきはやられそうになっていたが」
「それは言うなって」
先ほどのことはともかく、誰がこの男に頼んだのかは知らないが人選ミスではないだろうか。
「それに俺、首筋に一発当てりゃ気を失わせられるからさ」
「物騒な特技だな」
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