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外伝 殺された皇子と名もなき王女
第弐拾玖話 宴の後に
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「ずるーい! おとーさまとってもずるーい!」
「ははは」
皓月はずるいずるいと騒ぐ珠喜を膝の上に乗せて宥めた。追いかけてきた教育係の蔡嬢がおろおろしている。
「わたしもうたげいきたーい!」
「おれがいるからおるすばんしてようよ」
「しかたないなあ」
黎羽に言われあっさり意見を翻した珠喜を見て苦笑する。礼儀作法の講師は蔡嬢とは別に名家の夫人に依頼しているが、皓月姉弟がそうであったように、先生泣かせの生徒になりそうだ。
「いい子で留守番しておくこと」
「「はーい」」
「悪戯はしないこと」
「いいえー」
「どんな返事だいそれは」
「珠喜のへんじ!」
「そういうことを聞いてるんじゃありません」
ぶふっ、という笑い声の方向を見ると、蔡嬢が噴き出していた。
「も、もももも」
「もうしわけありません」
「わ、わら、わら」
「わらうつもりはありませんでしたが」
「お、おももも、」
「おもしろくてつい」
「さ、すさす」
「さすがですおふたりとも」
――この二か月で、ふたりはすっかり蔡嬢の翻訳がうまくなった。物語を話すときは滑らかなのに、とふたり揃って首を傾げたのはひと月ほど前のこと、今ではすっかり翻訳を楽しみにしている。
「おき、おきを」
「おきをたしかに」
「おきになさらず」
「おき、お気をつけ、てっ!」
「「はずしたーーー!」」
実に賑やかである。
とはいえ元来皓月は宴が好きではない。
そこは魑魅魍魎の巣窟。気を抜けば足を掬われる魔境なのだから。
***
「――お疲れですねえ、親愛なる陛下」
「義兄上までよしてください」
「はは、これは失敬。疲れているな、皓月。無理からぬことだが」
「全くですよ......」
義兄の沙耀王が来て、皓月はようやく気を緩めた。
宴が始めり早一刻半。州王や貴族らとの挨拶、婚儀のせっつき。皓月は早々に疲れていた。
「だが実際のところどうなんだ? お前が妻を娶るというなら、俺は諸手を上げて歓迎するぞ」
「......あまり考えてはいません。ですが、ありうる選択肢ではあると思っています」
「ほう」
「珠喜や黎羽は懐いていますしね」
「そこか」
「えぇ。私は愛や恋を解しません」
「......銀蓮が嘆き悲しむぞ」
「恋も愛も、落ちようと思って落ちるものではないと仰ったのは誰でしたか」
「二の句が継げんではないか」
皓月は笑った。
「考えますよ――義兄上も西の民も、黎羽をお認めくださらぬでしょうから」
「そうだな」
淡々と沙耀王は言う。
「皇子本人に遺恨はないが、黄金の瞳なのが痛い。そうでなくば、或いは純血の娘を母に立てることもできただろうに......お前を咎めているわけではない」
「存じております」
リヴァノフが許されたのは、華胥國にいち早く下ったからだ。最後まで抵抗したミ一族とは訳が違う。
「――祝報を期待しているぞ」
「精々努力します」
沙耀王は恭しく一礼して去って行った。
皓月はそれから三日、宴に挨拶に、忙しなく立ち回ったのであった。
***
「つっかれた......」
「お疲れ様です。これ明日の予定です」
「え? 明日は祝祭日で皇宮も休みじゃなかった?」
「何のことでしょう」
「うそでしょ」
慌てて差し出された予定表に目を通し、皓月は思わず感涙した。
「最高の侍従だ、そなた」
「お褒めに預かり光栄です」
――陛下の明日の予定――
お忍び
皓月は紙を握りしめた。
***
「らっしゃいらっしゃい! 果実飴はいかがかね!」
「祭り限り、陛下の瞳のお色の宝石、大特価!」
賑やかな掛け声を聞きながら、皓月は街を歩いた。未だ皇城から出られない珠喜たちには申し訳ないが、街が恋しくてならなかった。超婆の乾物屋を尋ね、果実飴を食べ、喧騒に身を任せて歩く。道行く人の顔には活気で満ち溢れており、皓月は嬉しくなった。
――あぁ、少しは建て直せた。
内乱で都は幾らか焼けた。崩れた家屋はその年の内に直し、人々も戻ってきていたが、気力だけはすぐに回復するものでもない。それでも、ようやく三年を迎え、人々の顔には明るさが戻ってきていた。
人波に飲まれながら、皓月は大路を歩いていたが、不意にその視界に紫が過った。皓月は思わず足を止め振り返る。後ろから来た人が迷惑そうに皓月を見たが、構ってはいられなかった。
皓月は来た道を引き返した。人違いかもしれない。いや、その可能性の方が高いだろう。だってここは華胥國だ。大陸すら違うのだ。
提灯の前で、頭から布を被る彼女を見つけた。立ち去ろうとする彼女の腕を引き留めたのは咄嗟の判断だ。振り払おうとした手を、彼女は止めた。互いに呆然と相手を見つめる。
言葉は同時だった。
『ジュディス?』
「皓月?」
――二年前、西の大陸で別れたはずの、ジュディスだった。
「ははは」
皓月はずるいずるいと騒ぐ珠喜を膝の上に乗せて宥めた。追いかけてきた教育係の蔡嬢がおろおろしている。
「わたしもうたげいきたーい!」
「おれがいるからおるすばんしてようよ」
「しかたないなあ」
黎羽に言われあっさり意見を翻した珠喜を見て苦笑する。礼儀作法の講師は蔡嬢とは別に名家の夫人に依頼しているが、皓月姉弟がそうであったように、先生泣かせの生徒になりそうだ。
「いい子で留守番しておくこと」
「「はーい」」
「悪戯はしないこと」
「いいえー」
「どんな返事だいそれは」
「珠喜のへんじ!」
「そういうことを聞いてるんじゃありません」
ぶふっ、という笑い声の方向を見ると、蔡嬢が噴き出していた。
「も、もももも」
「もうしわけありません」
「わ、わら、わら」
「わらうつもりはありませんでしたが」
「お、おももも、」
「おもしろくてつい」
「さ、すさす」
「さすがですおふたりとも」
――この二か月で、ふたりはすっかり蔡嬢の翻訳がうまくなった。物語を話すときは滑らかなのに、とふたり揃って首を傾げたのはひと月ほど前のこと、今ではすっかり翻訳を楽しみにしている。
「おき、おきを」
「おきをたしかに」
「おきになさらず」
「おき、お気をつけ、てっ!」
「「はずしたーーー!」」
実に賑やかである。
とはいえ元来皓月は宴が好きではない。
そこは魑魅魍魎の巣窟。気を抜けば足を掬われる魔境なのだから。
***
「――お疲れですねえ、親愛なる陛下」
「義兄上までよしてください」
「はは、これは失敬。疲れているな、皓月。無理からぬことだが」
「全くですよ......」
義兄の沙耀王が来て、皓月はようやく気を緩めた。
宴が始めり早一刻半。州王や貴族らとの挨拶、婚儀のせっつき。皓月は早々に疲れていた。
「だが実際のところどうなんだ? お前が妻を娶るというなら、俺は諸手を上げて歓迎するぞ」
「......あまり考えてはいません。ですが、ありうる選択肢ではあると思っています」
「ほう」
「珠喜や黎羽は懐いていますしね」
「そこか」
「えぇ。私は愛や恋を解しません」
「......銀蓮が嘆き悲しむぞ」
「恋も愛も、落ちようと思って落ちるものではないと仰ったのは誰でしたか」
「二の句が継げんではないか」
皓月は笑った。
「考えますよ――義兄上も西の民も、黎羽をお認めくださらぬでしょうから」
「そうだな」
淡々と沙耀王は言う。
「皇子本人に遺恨はないが、黄金の瞳なのが痛い。そうでなくば、或いは純血の娘を母に立てることもできただろうに......お前を咎めているわけではない」
「存じております」
リヴァノフが許されたのは、華胥國にいち早く下ったからだ。最後まで抵抗したミ一族とは訳が違う。
「――祝報を期待しているぞ」
「精々努力します」
沙耀王は恭しく一礼して去って行った。
皓月はそれから三日、宴に挨拶に、忙しなく立ち回ったのであった。
***
「つっかれた......」
「お疲れ様です。これ明日の予定です」
「え? 明日は祝祭日で皇宮も休みじゃなかった?」
「何のことでしょう」
「うそでしょ」
慌てて差し出された予定表に目を通し、皓月は思わず感涙した。
「最高の侍従だ、そなた」
「お褒めに預かり光栄です」
――陛下の明日の予定――
お忍び
皓月は紙を握りしめた。
***
「らっしゃいらっしゃい! 果実飴はいかがかね!」
「祭り限り、陛下の瞳のお色の宝石、大特価!」
賑やかな掛け声を聞きながら、皓月は街を歩いた。未だ皇城から出られない珠喜たちには申し訳ないが、街が恋しくてならなかった。超婆の乾物屋を尋ね、果実飴を食べ、喧騒に身を任せて歩く。道行く人の顔には活気で満ち溢れており、皓月は嬉しくなった。
――あぁ、少しは建て直せた。
内乱で都は幾らか焼けた。崩れた家屋はその年の内に直し、人々も戻ってきていたが、気力だけはすぐに回復するものでもない。それでも、ようやく三年を迎え、人々の顔には明るさが戻ってきていた。
人波に飲まれながら、皓月は大路を歩いていたが、不意にその視界に紫が過った。皓月は思わず足を止め振り返る。後ろから来た人が迷惑そうに皓月を見たが、構ってはいられなかった。
皓月は来た道を引き返した。人違いかもしれない。いや、その可能性の方が高いだろう。だってここは華胥國だ。大陸すら違うのだ。
提灯の前で、頭から布を被る彼女を見つけた。立ち去ろうとする彼女の腕を引き留めたのは咄嗟の判断だ。振り払おうとした手を、彼女は止めた。互いに呆然と相手を見つめる。
言葉は同時だった。
『ジュディス?』
「皓月?」
――二年前、西の大陸で別れたはずの、ジュディスだった。
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