王妃が死んだ日

神喰 夜

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小話

行方不明者は語らない

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「チョセ、というのか」

黄金の髪を持つ人は、そう言って笑んだ。

「――私の知る男も、同じ名を名乗っていたことがあった」



***



「チョセ! おせえよ」
「悪い」

男はチョセと呼ばれていた。普段の暮らしに飽いてひとりあちらこちらへ旅をし、沖に漁をしに行くと言う漁師の船に乗せてもらったのが、祖国の土を踏んだ最後。沖合に流され、辿り着いたのは、知らぬ言葉を話す、色鮮やかな色彩を持つ人々だ。漁師たちと共に捕らえられて奴婢のような扱いを受けること五年、ようやく言葉も分かるようになってきた頃、男は街の工場で働く奴隷として売られた。工場主に扱き使われること実に八年、仲間の奴隷と一緒に企てた逃亡計画を、まさに今日実行するところだ。
生まれも年もバラバラな奴隷たちは、逃亡というその一点のみで団結していた。何やら隣国の王太女の即位式だとかでここ最近監視が緩んでいた。看守を数の差で倒して工場から抜け出すと、そこに広がっていたのは、十数年見ることができなかった広い空だ。

「俺たちゃ西へいぐ。おめえはどうするだ」
「おらあ――」

国へ、と言いかけてやめた。漂流した祖国に帰れると信じられるほど、幼くなかった。

「――海へ。東へ」
「んだ、ここでお別れだ。元気でな、チョセ」

西へ行く者たちと別れ、男たちは東に向かって出発した。隣国で数人が離脱し、一年をかけて海に辿り着くころには男は一人になっていた。辿り着いた海を、男は呆然と見つめる。この青い海原の向こうに、国がある――けれどそれは、あまりにも果てしない距離だった。
男はひとまず、船の漕ぎ手としての職を得た。元奴隷であることは、港では気にされなかった。汗水垂らして働き、二年が経った。うまく話せない男は、これといって親しい人も作れずに、ひたすら働いては寝るということを繰り返していた。

そんなある日のことだ。髪をひとつに結わえ、幼い子を抱えた若い男が、無謀な船旅に出ようとしているという噂を聞いた。東の大陸に行きたいと言う男を、港の男たちは相手にしなかった。男はいてもたってもいられず、青年の元へ向かった。
青年はすぐに見つかった。太陽のような、美しい黄金の髪は、わかりやすかった。

「――なあ、あんた。東を、華胥を知っているのか」
「......お前も、流されてきたのか?」
「あんたもか?」

私ではない、と青年は首を振る。

「だが、どうしても東に行きたいのだ」
「......あんた、あてはあるのか。航路さえわかれば、俺が連れていけないこともないが.....」
「ほんとうか。航路ならわかるぞ」
「なんだって!?」

男は差し出された海図を食い入るように見つめた。正しいかどうかなんてわからないけれど、これに縋りたいと思った。

「――行けるか」
「あぁ。命の保証は、出来かねるが」

それは困るな、と少し笑う。

「私はジョンという。そなた、名は」
「俺は、チョセ。チョセだ」
「チョセ、というのか」
「あぁ。珍しいだろう?」
「――私の知る男も、同じ名を名乗っていたことがあった」
「へぇ。そりゃ珍しいな」

青年は薄く笑う。

「――船を出してもらえるか。できるだけ早く」
「あぁ」

男は知り合いに掛け合って食料と水を用意させた。いくらか賭博で借金していたのを肩代わりしていたのが役に立った。ひと月以上の道中でも、青年は自らのことを話そうとはしなかった。腕に抱いた幼子を我が子だと慈しむその姿に見惚れたことは数知れない。言葉を教えながら、チョセと青年の旅は続いた。

「その髪は目立つから、布で隠せ」
「わかった」
「俺は、遭難した漁師ってことにして上陸する。あんたは子供がばれないように気をつけな」
「あぁ」

青年は幼子を抱きしめた。ユーリという幼子は、長い船旅でも殆ど泣かなかった。
港に降りると、懐かしい言葉に囲まれた。遭難したこと、恐らくは既に死亡届を出されていることを告げると、さびれた漁村の人々は災難だったねえ、と言葉をかけた。

「――チョセ、ありがとう。ここまで来ることができたのは、そなたのおかげだ」
「俺こそ、お前の海図がなけりゃ、これなかったさ」

青年は薄く笑った。

「で、この後はどうするんでえ」
「都に行く。人が、都にいるはずなんだ」
「俺も都に行くんだ。一緒に行くか」
「いいのか」
「あぁ」

本当は分かっていた。ジョンと名乗る青年が女であること。幼子の父親がこちらの人間であるかもしれないということ。恐らく男を追ってきたのだろう。不実な男より、自分を選んでほしいと思っていたのは否めない。家にいきなり帰ることもできずに都の周辺でうろついている間に、青年は都で情報収集をしているようだった。

「――今度の祭りの日、家に帰る」

そうか、と相変わらず女の答えはそっけなかった。

「それで、その、もし」

男は先を言わなかった。家に帰り、親に勘当されなければ言おう。

「――なんでもない」

だから、これは、自分の怯懦きょうだが招いた結果なのだろう。
一幅の絵のような男女の姿を見ながら、男は思った。
髪に巻いた布が解け、顕になった黄金の髪。開いた紫の視線の先にいるのは、藍色の瞳が美しい青年だ。
くしゃりと女が顔を歪めたのを見て、男の手から林檎飴が落ちた。雑踏の中落ちた飴は、誰かに踏まれて砕け散った。
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感想 34

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みんなの感想(34件)

sakikaname
2024.07.26 sakikaname
ネタバレ含む
神喰 夜
2024.07.26 神喰 夜

よかったです!
私も銀蓮はとても好きな登場人物でした、、、珠喜(長女の娘)は若干銀蓮を模して書いてしまったかも(;^_^A
感想有難うございます。

解除
kokekokko
2024.07.16 kokekokko

外伝が最初はちょっととっつきにくかったのですが、話が続くに連れ目が離せなくなってきました。これからどうなっていくのか、楽しみです。

神喰 夜
2024.07.19 神喰 夜

感想ありがとうございます!
確かに外伝の序盤時系列が分かりにくいな……と思って、第二話と第三話を新しく書きました。土曜日と日曜日にこっそりひっそり投稿します。

解除
太真
2024.07.08 太真

第五話発覚・💦😭💦。

神喰 夜
2024.07.08 神喰 夜

発覚までが早い()

解除

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