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外伝 殺された皇子と名もなき王女
第弐拾四話 誘拐
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「遅いぞ皓月」
皇宮を出て暫くすると、馬に乗った櫂然が駆け寄ってきた。額には汗が浮かんでいる。僅かに龍輦の窓を開け、皓月は囁いた。
「これでも早く来たんだ」
「内城と外城の門は閉ざした。子供を抱えた怪しい者は捕まえるよう、伝達済みだ」
都には、四つの城壁がある。内側から宮城、皇城、内城、外城という。
宮城は皇帝の居所だ。官衙が立ち並ぶ皇城と合わせて皇宮と呼ぶ。先々代の御代に後宮が廃され、利便性を求めて官衙の近くに居所を移したため、今では皇宮、とまとめて呼ぶことが多い。
内城は皇宮の外を囲む。皇城に入らなかった官衙を初めとして、界身(銀行街)、金銀細工や漆器、織物、香料、書画などを売る店が軒を連ねる。皇族や高官の邸宅、酒楼や劇場、妓楼といった歓楽街があるのも内城だ。その外側を囲む外城に、道観や神廟、茶館や民家などが並ぶ。
趙婆の店があるのは外城だが、すぐ側に内城に抜ける門がある。門を閉ざすことができるのは皇帝ただひとりだが、万一に備え、玉璽と皓月の署名がされた書面を渡しておいたから、内容を殴り書きでもしたのだろう。
「出ていったものは」
「今のところは、まだ。子供が入れそうな荷を運んでいる者の荷物も改めろと言ってある」
「そうか。裏道には影を配置した」
「よし。あとは虱潰しに探すだけか」
「瞳の色は金、肌の色は白、年は二歳と少し、名はレイウ、性別は男」
「おうおう、絞り込みやすくなったな」
ぺろりと櫂然は舌なめずりする。置き去りにしたと思しき部下が慌てて駆けてくる。それを傍目に、櫂然はわざとらしく声を張った。
「なんですって!? 清彰皇太子殿下のご落胤、二歳で金眼の男の子が誘拐されたですって!?」
「そうなのだ、兄上の御子が、悪しき存在によって連れ去られてしまった! 私はこうして慌てて出てきたのだ」
「大変だ、急いでお探し申し上げねば! 陛下、ご安心を! 必ずや私、西海州州王代理、陳亦が御子をお探し申し上げます!」
「門を閉ざしてしまって、民の混乱を招いてしまうことが心配だ」
「きっと民は理解を示してくれるでしょう」
「そう願おう」
「では、急ぎ捜索に参ります」
大袈裟なほど大きな声で言い放つと、追いついてきた部下を連れ、早足で大路を抜ける。
その姿を見送る民は騒めいていた。亡くなった皇太子殿下の御子を、なんと不敬な、陛下がわざわざ捜索に、とさざ波のように声が広がる。お探ししよう、と声を上げたのは誰だったか。その場に集まっていた民は散って、周囲に状況を伝えていく。
想定通り、と皓月は龍輦の中で笑みを浮かべる。龍輦と動き回る民、騎馬に乗り目立った櫂然――それらを搔い潜り、杏と影が疾走する。
「......見つかれ」
祈るように、皓月は膝の上で手を組んだ。
***
杏は走っていた。海で生まれ育った杏は、馬に乗れない。大通りまでは近衛が走らせる馬に同乗したが、裏道に入るところで飛び降りた。裏道とはいえど都、整備された道は、杏の足を傷つけることはない。
――どこにいるの。黎羽。
裏道を駆けながら、杏は考える。この二年、逃亡してきたのだ。逃亡者の気持ちは、多分、皇帝たちよりはわかっている。寧ろ堂々と大通りを行くか、早々に門を抜けて逃亡するか。或いは、裏道に行くか。
大通りには皇帝がいて、門は塞がれている。となれば、逃亡者が取りうる道はひとつだけ。杏は考えの赴くままに走った。民が出歩かない、薄暗い通り。いつか黒雨と歩いた街並み。変わったところもあるけれど、ここ数日歩いて確かめた。考えられる場所は、三か所。一か所目には――いない。二か所目で、見つけた。動く小さな荷を抱えた男。焦っているのだろう、視野が狭い。杏の視力が、内地の人間よりもいいということも、要因のひとつかもしれないけれど。
杏は皇帝に渡された笛を口に加えた。高く、長く、警笛のような音が鳴る。慌てて駆けだした男を、杏は追った。男は大通りに追い立てられていることに気づかぬまま途中まで進む。慌てて道を横に曲がるが、そこには櫂が、部下を従え馬に跨っている。
「――さて、誘拐犯。拷問のお時間だ」
にこやかに微笑んだ櫂と杏に挟まれた誘拐犯は、懐から短刀を取り出し、黎羽の首にあてる。
「お、おれを捕まえたら、子供の命はないぞ!」
杏が青ざめるのに対し、櫂は動じない。
「櫂――」
「よっ」
杏が声をかけた瞬間だ。屋根から何かが降ってきた。長い脚が、男の手から刀を弾き飛ばす。流れるように黎羽を男から奪い返すと、着地が早かった方の足を軸に、男に足払いをかける。
「おせーよ皓月」
「龍輦から降りて飛び出したことを褒めてほしいんだが」
呆れたように言った皓月は、倒れた男の頭に踵を落として意識を奪うと、ぽかんとする黎羽に微笑みかけた。
「――無事でよかった」
名を呼ばれ、杏は震える足で黎羽に歩み寄る。
「黎、羽」
「母さん」
「ごめんね、ごめんね」
「母さん、母さん」
杏は息子の体温を感じながら、涙を流し続けた。
皇宮を出て暫くすると、馬に乗った櫂然が駆け寄ってきた。額には汗が浮かんでいる。僅かに龍輦の窓を開け、皓月は囁いた。
「これでも早く来たんだ」
「内城と外城の門は閉ざした。子供を抱えた怪しい者は捕まえるよう、伝達済みだ」
都には、四つの城壁がある。内側から宮城、皇城、内城、外城という。
宮城は皇帝の居所だ。官衙が立ち並ぶ皇城と合わせて皇宮と呼ぶ。先々代の御代に後宮が廃され、利便性を求めて官衙の近くに居所を移したため、今では皇宮、とまとめて呼ぶことが多い。
内城は皇宮の外を囲む。皇城に入らなかった官衙を初めとして、界身(銀行街)、金銀細工や漆器、織物、香料、書画などを売る店が軒を連ねる。皇族や高官の邸宅、酒楼や劇場、妓楼といった歓楽街があるのも内城だ。その外側を囲む外城に、道観や神廟、茶館や民家などが並ぶ。
趙婆の店があるのは外城だが、すぐ側に内城に抜ける門がある。門を閉ざすことができるのは皇帝ただひとりだが、万一に備え、玉璽と皓月の署名がされた書面を渡しておいたから、内容を殴り書きでもしたのだろう。
「出ていったものは」
「今のところは、まだ。子供が入れそうな荷を運んでいる者の荷物も改めろと言ってある」
「そうか。裏道には影を配置した」
「よし。あとは虱潰しに探すだけか」
「瞳の色は金、肌の色は白、年は二歳と少し、名はレイウ、性別は男」
「おうおう、絞り込みやすくなったな」
ぺろりと櫂然は舌なめずりする。置き去りにしたと思しき部下が慌てて駆けてくる。それを傍目に、櫂然はわざとらしく声を張った。
「なんですって!? 清彰皇太子殿下のご落胤、二歳で金眼の男の子が誘拐されたですって!?」
「そうなのだ、兄上の御子が、悪しき存在によって連れ去られてしまった! 私はこうして慌てて出てきたのだ」
「大変だ、急いでお探し申し上げねば! 陛下、ご安心を! 必ずや私、西海州州王代理、陳亦が御子をお探し申し上げます!」
「門を閉ざしてしまって、民の混乱を招いてしまうことが心配だ」
「きっと民は理解を示してくれるでしょう」
「そう願おう」
「では、急ぎ捜索に参ります」
大袈裟なほど大きな声で言い放つと、追いついてきた部下を連れ、早足で大路を抜ける。
その姿を見送る民は騒めいていた。亡くなった皇太子殿下の御子を、なんと不敬な、陛下がわざわざ捜索に、とさざ波のように声が広がる。お探ししよう、と声を上げたのは誰だったか。その場に集まっていた民は散って、周囲に状況を伝えていく。
想定通り、と皓月は龍輦の中で笑みを浮かべる。龍輦と動き回る民、騎馬に乗り目立った櫂然――それらを搔い潜り、杏と影が疾走する。
「......見つかれ」
祈るように、皓月は膝の上で手を組んだ。
***
杏は走っていた。海で生まれ育った杏は、馬に乗れない。大通りまでは近衛が走らせる馬に同乗したが、裏道に入るところで飛び降りた。裏道とはいえど都、整備された道は、杏の足を傷つけることはない。
――どこにいるの。黎羽。
裏道を駆けながら、杏は考える。この二年、逃亡してきたのだ。逃亡者の気持ちは、多分、皇帝たちよりはわかっている。寧ろ堂々と大通りを行くか、早々に門を抜けて逃亡するか。或いは、裏道に行くか。
大通りには皇帝がいて、門は塞がれている。となれば、逃亡者が取りうる道はひとつだけ。杏は考えの赴くままに走った。民が出歩かない、薄暗い通り。いつか黒雨と歩いた街並み。変わったところもあるけれど、ここ数日歩いて確かめた。考えられる場所は、三か所。一か所目には――いない。二か所目で、見つけた。動く小さな荷を抱えた男。焦っているのだろう、視野が狭い。杏の視力が、内地の人間よりもいいということも、要因のひとつかもしれないけれど。
杏は皇帝に渡された笛を口に加えた。高く、長く、警笛のような音が鳴る。慌てて駆けだした男を、杏は追った。男は大通りに追い立てられていることに気づかぬまま途中まで進む。慌てて道を横に曲がるが、そこには櫂が、部下を従え馬に跨っている。
「――さて、誘拐犯。拷問のお時間だ」
にこやかに微笑んだ櫂と杏に挟まれた誘拐犯は、懐から短刀を取り出し、黎羽の首にあてる。
「お、おれを捕まえたら、子供の命はないぞ!」
杏が青ざめるのに対し、櫂は動じない。
「櫂――」
「よっ」
杏が声をかけた瞬間だ。屋根から何かが降ってきた。長い脚が、男の手から刀を弾き飛ばす。流れるように黎羽を男から奪い返すと、着地が早かった方の足を軸に、男に足払いをかける。
「おせーよ皓月」
「龍輦から降りて飛び出したことを褒めてほしいんだが」
呆れたように言った皓月は、倒れた男の頭に踵を落として意識を奪うと、ぽかんとする黎羽に微笑みかけた。
「――無事でよかった」
名を呼ばれ、杏は震える足で黎羽に歩み寄る。
「黎、羽」
「母さん」
「ごめんね、ごめんね」
「母さん、母さん」
杏は息子の体温を感じながら、涙を流し続けた。
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