王妃が死んだ日

神喰 夜

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本編

第六夜(Ⅰ)

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朝。ジェレミーを塔まで送り、戻ると、ユージンが些か晴れやかな顔をしていた。

「兄上。太陽がわかりましたよ」
「何、本当か」
「はい、これを見てください」

ユージンに差し出された本を見る。
ー王こそ太陽なり。
古語で書かれた文言だ。ユージンが古語まで習得していたことに、トバイアスは驚いた。ユージンは生父の身分が低く、正直10を数えるころまでは使用人だと思っていた。教育を一緒に受けたこともない。

「……太陽は王、か。ではあの暗号が意味するところは、女のいない部屋の女王……?」
「女王が何を意味しているのか、が問題ですね」
「そうだな。女の王がいる国は、確かかなり西方にあったはずだが、この国とは無縁だ」

ユージンは少し困った顔になる。

「……まだ時間はありますし、追々考えましょう。それよりも、早く出ないと間に合いませんよ」

急いでください、と急かされ、トバイアスは渋々席を立った。お忍び用の装束の上に、地味な上着を羽織る。ユージンも似た衣装だが、行き先は別だ。

「何でまたこんなことに……」
「商会との交渉担当は私ですし、ジェレミーは謹慎中ですから」
「それはそうなのだが……」
「兄上、往生際が悪いですよ」

商会に行くユージンは、すっかり支度を終えている。

「ジェレミーが孤児たちと会話できるとお思いで?」

ー今からトバイアスが向かうのは、ユリアーナが行っていた慈善事業の一環である、慰問であった。




ユリアーナは時々王宮を空けていた。公務のない日にふらっといなくなるが、ユリアーナがどこにいようとどうでもよかったので気にも留めていなかったのだが、今回資料を整理していたところ、慰問の記録が出てきたのである。慰問先で何か話しているかもしれない、ということで、たまたま今日訪問する予定だった孤児院に行くことになったのだが、ユージンは本人も侍従もユリアーナの死因に関する調べ物や諸外国への対応、引き継ぎで忙しく、行けず。ジェレミーの謹慎に伴い侍従も謹慎しており、更にはトバイアスの侍従はユリアーナの謎かけに関して図書館に籠りきりのため、やむなくトバイアス自身が出てくることになったのだ。

「面倒な……」

よく王宮を空けているとは思っていたが、その全てがほぼ慰問に使われているとは思ってもみなかった。それも、今回行く孤児院は、貧民街にあるという。行きたくないのは山々だが、マーガレットとの約束がある以上、行かなければならない。
何かしら手掛かりが有ればいいが、といつになく揺れる馬車の窓から曇天色の空を見上げた。




馬車が孤児院に着くと、外で遊んでいた子供たちが動きを止めた。敵愾心めいた視線を向けられ、当惑する。幼子がひとり、大声を上げた。

「おじさん、おじさんがユーリさまのこと……」
「ラルフ!」

ユーリさま?
聞いたことのない名前にトバイアスの頭に疑問符が浮かぶ。それと同時に、孤児院から年老いた司祭が出てきた。

「申し訳ありません、お出迎えが遅くなりまして……」
「いや、構わない。ところで、ここは妻が慰問に訪れていたという孤児院であっているのだろうか」
「はい。あの眼を間違えることはないでしょう」

確かにそれはその通りだ。夜が明ける僅か前のような、菫の花に一滴青を垂らしたような、美しい色の瞳は、他にない色だった。

「では、ユーリさま、というのは誰のことだ? もしや内縁の夫でも連れてきていたのか?」

そう尋ねた瞬間、司祭と、会話が聞こえる範囲にいたのだろう子どもたちが驚いたように眼を瞠った。司祭は笑い、子どもたちはますます顔を険しくする。
訳が分からない。

「いいえ。基本的に妃殿下はおひとりでいらしゃいました。ユーリさま、というのは、子どもたちがあの方を呼ぶ名前です」
「……妃殿下、ではなく?」
「はい。何しろユーリさま御自身が、ユーリと呼んでほしい、と仰ったものですから」

聞き捨てならないことをさらりと言って、司祭は足元に寄ってきた子供の頭を撫でた。先程大声を上げた幼い子供は、じっとトバイアスを見上げていた。

「おじさん、ユーリさまのことどうおもってるの?」
「ラルフ、控えなさい」

年長の子供がまたしても幼子を連れてゆく。年長の子供は、軽蔑に似た一瞥をくれて孤児院内に入って行った。
……本当に何なのだろうか、この孤児院は。

「お前たちも、部屋に戻りなさい」

はい、という返事があって、子どもたちは一斉に孤児院に戻っていく。

「ご案内いたします」
「ああ」



孤児院はあまり広くはなかったが、隅々まで清掃が行き届いていた。

「意外だな」
「何がでしょう」
「貧民街というから、もっと薄汚れたところを考えていたのだが、道中も大して見苦しいところはなかったし、ここも清掃が行き届いている。思いの外、貧民街はしっかりしているのだな」
「……そうですね」

先程まではしゃいでいた子供たちの声が、今はほとんど聞こえない。どうしたのかと尋ねれば、勉強の時間なのです、という答えが返ってきて耳を疑った。

「勉強!? 孤児がか!?」
「はい。2の鐘から5の鐘までは。孤児だけでなく、近隣の子供たちも集めてやっております」
「は!?」

貧民が何をそんなに勉強することがあるのだろう。使う場所もないだろうに。

「普段は私が皆に教えたり、年長の者が年少の者に教えるのですが、ユーリさまがお越しになる時は、ユーリさまが自ら教えてくださることもありました」
「は!?」

予想外過ぎて、思わず声が裏返った。だがすぐに落ち着く。どうせ小さな子供に文字を教えていた程度のことだろう。

「見て行かれますか?」
「あぁ……」

勉強部屋として物置を潰しました、と案内された部屋で、更にトバイアスは仰天した。年少の孤児が文字を習っている一方で、成年に近いと思しき青年が官吏登用試験やら何やら、難しい試験の勉強をしていたからだ。トバイアスは隣の司祭に視線を移した。

「司祭はすごいな。官吏登用試験まで履修しているのか」
「とんでもない。私が出来るのはせいぜい読み書きと一般教養までですよ。少し、商会の書記の仕事を手伝っていますが、その程度です」
「では誰が?」
「ユーリさまですよ。わざわざお手製の教本までお作りくださったのです」

トバイアスは白目を剥いた。つまりはユリアーナが官吏登用試験の内容を把握していたということだ。

「……そうだったのか」
「ええ。教え方も丁寧で分かりやすくて、ユーリさまの授業は好評でしたよ」
「……なるほど、そういうことか」

それでようやく合点がいった。ユリアーナはノアあたりに教本を書かせ、さも自分が書いたかのように振る舞っていたのだろう。考えそうなことだ。
侮蔑の響きを感じ取ったのか、司祭はトバイアスに目を向けた。

「トバイアスさま。差し出がましいこととは存じますが、教本を他人に書かせて読んだとて、本質的な理解にはなりません。書いた本人でなければ教えることは不可能ですよ」

トバイアスは言葉に詰まった。当たり前のことだというのに、どうしてかユリアーナがそれを成したということを認め難かった。

「謎かけとか、物語とか、子どもたちが楽しみつつ学べるように色々考えてくださいましたからね」
「……楽しめる?」
「おや、お聞きになったことはありませんか。謎を解いた時に見せてくれる子どもたちの笑みがとても愛おしいと」

謎かけをして男を困らせていると、男を嘲笑っていると思っていた。

「……そう、か」

ートビー、と呼んでもいい?
結婚したばかりの頃はーそれこそ婚約中は、笑顔を見せることが多かった。いつから笑みを見せなくなったのだろうと考えて、それが思い出せないほど昔のことであることに愕然とした。

「……ユリアーナは」

続く言葉をトバイアスは飲み込んだ。
ーどうして、自ら命を絶ったのだろう。

生前も、死後も。
お前の考えていることが、分からない。

ー分からないことは一緒に考えればいいのよ。三人寄れば文殊の知恵、と言うでしょう?

笑みを含んだ声が甦り、トバイアスは固く目を瞑った。




「兄上、こちら簪についての調書です」
「あぁ、すまないな」

孤児院から帰ると、ユージンが商会で得たという調書を渡してきた。ざっと目を通していくうちに、眉根が寄った。

「これは虚偽だろう。華胥との交易に貢献したのはマーガレットだ」

ユージンは肩を竦める。

「ですがそのような証拠品もあるとなれば、否定はできませんよ」
「だが……」
「ユリアーナがグリーンハルシュ小侯爵夫人に先んじていることがあったとておかしくはないでしょう」

調書には、ユリアーナがマーガレットに先んじて華胥國との交渉に一役買っていたことが記されていた。

「……そう、だろうか」
「完璧というものはないのですよ、兄上。それにほら、ユリアーナの生父は東の大陸出身だとかいう話もあるではないですか」
「ユリアーナの生父、か。銀髪というと、どうにも北を想起させるのだがな」

北方の遊牧民族は金や銀といった薄い髪色のものが多い。一方、クレスウェルを中心とした大陸中央諸国は茶や黒が大半だ。ユージンのような金髪やマーガレットのような赤毛、ユリアーナの銀髪は稀有だ。
その時ふと、頭の隅に引っかかっるものがあった。

「……銀髪……」
「どうしました、兄上」
「いや……むかし、銀髪の男の姿絵を見たような気がしてな」

どこで、誰の。
思い出せない。
だが、見たことがある。確実に。ひどく意外な組み合わせに驚いた記憶が、確かにある。

「ダメだな、思い出せない」
「それは残念」








「ー王医ギルベルト・フィッシャーズが国王陛下にお目見えいたします」
「同見習い、カイル・ウィンザーが国王陛下にお目見えいたします」
「面を上げよ」

ユリアーナの主治医と彼の弟子は淡々と礼を捧げた。

「ユリアーナは一年程前、医師を頻繁に召していたと聞く。何か病だったのか」
「如何な陛下といえど、王妃殿下の病状を明かすことは出来ませぬ」
「なにゆえ」
「医療典範に明記されておりますことゆえ。カイル」

フィッシャーズが弟子の名を呼ぶと、弟子は抑揚のない声で誦じた。

「医療典範第二章第一項、王妃の病状については王妃にのみ知らせ、王妃の許可を得た場合のみ国王及びその他貴族、国民に周知する」
「……だが既に王妃はない、何を躊躇うことがある」

ユリアーナの主治医であったフィッシャーズとその弟子ウィンザーは、ユリアーナの遺体を確認している。

「わたくしめに医療典範を破れという仰せですかな」
「そうではない!」
「ならば診断書をご覧になれば宜かろう。王妃殿下がどこで管理していたか、わしは存じ上げませんが」

――診断書の管理場所が問題なのだ、とは口が裂けても言えない。
侍従に聞き取り調査をしたところ、診断書は月の間に――今のところ開かずの間となっている月の間で管理されているのだ。

「フィッシャーズ。そなたもよく分かっているだろう。ユリアーナの自殺の原因を調べなくては、我々は前に進めぬのだ」

その瞬間、吐息に似た笑い声が溢れた。トバイアスが鼻白んでそちらを見ると、失礼咳が、とウィンザーは宣う。

「何がおかしいのだ」
「おかしいなどとは申しておりませぬ」
「では今の声の意味は」
「声に意味などございましょうか」
「笑ったであろう!」
「咳でございます」
「亡き王妃の診断書は見つからなかったのだ、死因がそこに隠れているとして、それを知るのはそなたらだけなのだ!」

トバイアスが言い切った瞬間、室内に沈黙が落ちた。老医官は何かを堪えるように目を瞑り、医官見習いの瞳が鋭さを増した。

「ーでは、申し上げましょう」

老医官に伝えられたユリアーナの『病』に、トバイアスは言葉を失った。

「妊娠、だと?」







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