王妃が死んだ日

神喰 夜

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本編

第四夜(Ⅰ)

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「陛下ー!大変でございます!」

翌朝。国王らの居室にいたトバイアスたちは、慌てて入室してきた衛兵の様子に首を傾げた。侵入者が出たときの緊張感や、何かしらの爆弾が仕掛けられた時のような慌て方ではない。
ひどく恐れ、取り乱した様子である。

「何だ、一体どうしたというのだ」
「それが—」

衛兵が告げたことに、トバイアスたちは束の間絶句した。

「ユリアーナの遺体が消えた、だと……?」

それは、ユリアーナの遺体が消失した、という信じ難い報告であった。
トバイアスたちは霊安室に急行した。報告だけで済ませていいことではないと判断したのだ。
王宮の一角。先代王妃が『陰気なところだ』と言って以来、人気がなくなった場所。その一角の一番小さな部屋に、氷に囲まれたユリアーナの遺体があるはずだった。

「馬鹿な……」

ユージンが呻くように言った。そう、ユリアーナが横たわっていたはずの場所には、今現在何もなかったのである。

「状況は」
「は……は! いた、じゃなくてご遺体の状況を確認するため、交代の時はかっ、必ず……その、部屋を開けるのですが、さ、先程、おれ、じゃなくて私が扉を開けた時には、既に、ご遺体が消え失せていたのです」

トバイアスが直々に選んだ実直で口の堅い者とはいえど、遺体が消失するという珍現象と、国王に向かって話すという状況に、話をする衛兵は動転しているようだった。

「夜勤の者は」

トバイアスが衛兵たちに視線を投げると、数人が手を上げた。顔を見合わせてから、ひとりが進み出る。

「私が、ご説明致します。わ、私も、昼の者と交代する時には、必ず扉を開けて、中を確認します。でも、その時にはあって……夜勤の間は用を足しに行ったりしましたけど、必ず二人はここに残るようにしていました。ですから、扉が開けられるなんてことはないはずです。訪問者もいませんでした。ほ、本当なんです! 私もこんなことになって、すごい、びっくりしていて」

夜勤の衛兵はどんどん早口になった。顔は青褪めているし、実際彼らがユリアーナの遺体の行方を知っているとも思えなかった。

「—ここの警備を続けよ。もしかするとまた突然現れるやもしれぬ、厳重に見張れ。決して口外せぬように。分かっているな?」
「「「「「「は、はい!」」」」」」

部屋を出て、秘密裏に事の次第を調べるように侍従に言い付けると、トバイアスたちは踵を返し、執務室に戻った。

「—どうします、兄上」
「どうもこうも、空の棺で葬儀をする他なかろう」

何と間の悪い——トバイアスは眉間に皺を寄せた。
御前会議で国葬の触れを出し、明日には国葬をするというこの状況下で、遺体が消失するとは。
昨日ならばまだ貴族たちに伝える時間もあっただろうが、今となってはそれも不可能だ。

「ユージン、あの部屋には隠し通路はなかったよな」

国王直属の暗部を掌握するユージンは諜報に長けており、先の第一国王から直々に隠し通路などを教えられている。この城の誰よりも城内を知り尽くしていると言っても過言ではない。
ユージンは一瞬考え込んだ後、短く言った。

「—私の知る限りありません」
「ユージン兄さんが知らないんじゃあ、他の誰も知るはずないな。ったく、何をどうしたら遺体が消えるんだよ。ゾンビになって歩き出したとでもいうのか?」
「非現実的だな」
「分かってるよ!」

ジェレミーが声を荒げたので、トバイアスは手を上げてそれを制した。

「声を荒げるな、ジェレミー。外に聞こえたらどうする」
「っ、ごめん、兄さん」
「念の為通路を見てきます。昔使われていた廃通路があるかもしれない」
「あぁ、頼んだ、ユージン」

執務室の隅の棚を動かし、ユージンは秘密通路に入っていった。

「現実的に考えて、運び出された可能性が一番高いだろう」
「遺体を何に使うってんだよ?」
「そこまでは分からん。だが、兵士が黙認していたのなら、金で黙らされていた可能性が高いだろう。ユージンに後で調べさせよう」
「ん」
「我々は引き継ぎをやるぞ」
「へーい」

まもなく、フェリックスたちがやってくる。



「ー残り6日……実質5日だけど、どうだい?」
「聞いてくれるなフェリックス」
「あはは、そうなるよね……」

トバイアスは溜息を吐いた。

「ユリアーナは元々何を考えているのか分からん奴だ。急に思い立って死にました、と言われても受け入れられる」
「相変わらずお前たちは妃殿下に冷たいな」
「当然だろ。あんな面白味もない女、妻になんてしたかなかったよ」
「悪いね、メグは俺たちが奪ってしまったから」
「ちくしょーめ」

マーガレット・ファロン、通称メグ。彼女は天使のような女性だった。傲慢な女ばかりのこの国で、優しく、賢く、美しいマーガレットは男たちの憧れの的だった。幼い頃にマーガレットと出会ったトバイアスたちもマーガレットの夫となることを夢見ていたが、妹が生まれる前まではラトクリフ家の後継であり、ユリアーナの存在が公になった後は次期王配となったため、マーガレットの夫となることは叶わなかった。誰もが羨むマーガレットの夫の座を手に入れたのは、マーガレットの父方の従兄にあたるフェリックスたち六人兄弟だ。

「それにしたって、三人はこの後どうするんだい。隠居にはまだ早いだろう」
「どこぞの令嬢の婿にでもなろうか」
「やめておけ、上王陛下に殺されるぞ」
「違いない」

笑ってはいるが、これが実に難しい問題でもあった。王族の所領を得て引っ込めばいいとユージンは言っているが、トバイアスやジェレミーはまだこの地が名残惜しい。

「しっかし、本当にどうするかなぁ」
「北の離宮にでも住んで政に口出ししながら領主経営でもしたらどうだ」
「北の離宮といえば、昨日管理人を召喚したんだぜ。昼頃に来るんだ」
「へぇ、妃殿下絡みか」
「ああ。何かないかと思ってな」
「ーしっかし、本当に謎だよな、妃殿下は」
「何がだ、ウェンリー」

フェリックスの長弟、ウェンリーが言った。

「まず生まれだろ」
「あぁ……」

ユリアーナの生まれは色々と特異だ。王太后が結婚に前後して婚約者以外と関係を持ち、生まれた子。父親にあたる男は東の大陸の生まれであるとか、大層な醜男だとか、はたまた亡国の皇子だとか、色々な噂はあるが、どれも定かではない。
また、ユリアーナ自身の記録も、3歳から14歳にかけて途絶えている。療養の為とされているが、それにしたってその記録の途絶え具合は異常で、王家の紫眼を有しているにも関わらず、替え玉ではないのか、と囁かれている一要因だ。
素性不明の父親と空白の11年間。オリヴィアやマーガレットを推す声があったのは、その2つに依るところが大きい。

「いくら父親が謎めいた平民とはいえ、初の女児なのに、お披露目は14歳。婚約者はすぐに決まったが……メグと同じく」
「メグとユリアーナ如きを一緒にするな、ウェンリー」
「それをお前が言うのかよジェレミー……まぁとにかく、妃殿下も男のことを蔑みはしなかった。が、いつもメグの影に隠れていた。妃殿下よりメグの方が王妃に相応しい、って言われても妃殿下は勿論、妃殿下を可愛がっていた上王陛下も何も言わなかった。正直なところ、上王陛下たちが何を考えているのか、さっぱり分からん」
「……そうだな」

ユリアーナが何も考えていないのは当然として、確かに上王陛下らの意向は謎だ、とトバイアスは眉根を顰めた。

「マーガレットを王妃にすると手紙を認めたんだが、何も……」

そこで、扉の外から騒ぎ声が聞こえた。侍従が耳打ちする。とバイアスは眉根を顰め、入れろ、と短く言った。

「トバイアス! ジェレミー!」
「ースペンサー夫人」

トバイアスとユージン、ジェレミーの母、スペンサー公爵夫人である。彼女の後ろから慌ててついてきている男たちは、間夫だろう。

「聞いてよ。マーガレットに王位を譲った後、オリヴィアが成人し次第王位を継承ですって!? そんな馬鹿な話、聞いたこともないわ!」
「公爵より説明を聞いたことと思いますが。オリヴィア姫は未成年、マーガレットの功績は周囲にも知れ渡っています。王妃としてこれ以上の適任はない。だがマーガレットがオリヴィア姫の成人と同時に位を譲ると聞かなかったため、このような形になりました」

公爵夫人はドスドスと足を踏み鳴らした。

「わらわに継承させれば簡単な話でしょ!?」
「あなたが手当たり次第に正夫を作ったせいで今や十二人も男がいる。それも数人は捨て置かれて離婚した者まであるだろう。あなたには任せられない」
「なんですってぇ!?」
「話がこれだけならばお帰りを」
「なっ、わらわを追い返すつもり!? トバイアス! ジェレミー!」

癇癪を起こして暴れる公爵夫人を公爵たちが宥めるのを横目に見ながら、トバイアスたちは扉を閉めた。

「……面倒だな」
「全くだ」
「グリーンハルシュ夫人は?」
「特に何も。あの方は権力よりも男の方がお好みだからね、王妃の位をオリヴィア姫に返還すると聞いても、ああそう、で終わったよ」
「その程度なら楽なのだがな……母上はどうにも権力欲が強くて困る」
「仕方ないさ。何しろアビゲイル嬢が生まれて暫く次期王妃と持て囃されていたんだから」
「……それはそうだがな」

オリヴィアが生まれたのはアビゲイルより2年早いが、その存在を公表されたのは3歳の時だ。公爵夫人は娘が生まれたと、産んですぐに騒ぎ立てたため、その1年だけは国母ともてはやされていた。更に4年後にはユリアーナの存在が公にされて、その夢は潰えた訳だが。

「マーガレットの爪の垢を煎じて飲ませたい……」
「可能ならこの国の女性全員に、だろ」

フェリックスはニッと笑った。

「そういや、最近東との交流が活発化してきたらしいな」
「マーガレットのおかげだ」
「メグはなぜか華胥カショが好きだからな」

華胥というのは、海を隔てた東の大陸にある国の名前である。カトラルとは異なり生まれる男女比に大きな偏りのないあちらの国々の文化は目新しいものばかりで、王太后が王妃であった時から細々と交易があったが、ユリアーナが即位する際に正式に国交を結んだ。
それにはマーガレットが一役買った。クレスウェルとは全く異なる異文化を持つ国なのだが、なぜかマーガレットはこの国の物を好み、幼い頃からそれだけは我儘を言っていた。

「メグの誕生日祝いで華胥の物を取り寄せたんだが、吃驚したよ」
「何にだよ」
「以前、妃殿下がつけていらした宝飾品にそっくりな髪飾りがあったからさ」
「……なんだと?」

トバイアスは思わず声を鋭くした。

「簪、というんだがな。昔は大して交流もなかったのに、妃殿下はどうやって手に入れていたんだろうな?」

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