俺は妹が見ていた世界を見ることはできない

井藤 美樹

文字の大きさ
上 下
12 / 70

11 神様を恨みたいよ

しおりを挟む

「始めまして、桜井さんの担当医を務めている国谷正和です」

 入室した私とお祖父ちゃんを立って出迎えた国谷先生は、頭を軽く下げ挨拶する。珍しく白衣を着ていた。

「ご丁寧にありがとうございます、国谷先生。娘がいつもお世話になっております。私の我儘をきいて頂き、重ねてありがとうございます」

 お祖父ちゃんはそう挨拶を返すと、深々と頭を下げた。

「いえ、娘さんを心配するのは、親として当たり前のことです。その気持ちに応えるのも、医者として当然ですから、お気になさらずに。二人とも、お座りください」

 国谷先生に促されて、私とお祖父ちゃんはソファに座る。

 すると、山中さんがタイミングよくコーヒーを運んできた。予め、お祖父ちゃんがコーヒー好きなことを伝えていたからね。

「どうぞ」

 国谷先生がコーヒーをすすめる。

「いただきます」

 私は遠慮なくいただく。やっぱり、国谷先生が淹れてくれたコーヒーは美味しいよね。私が飲んでるのを横目で見てから、お祖父ちゃんは口を付ける。

「……美味しい」

「でしょ。国谷先生が淹れてくれたコーヒー、本当に美味しいんだよ」

「そう言ってくれると、淹れがいがありますね」

 二口ほど、コーヒーを飲んだ後、お祖父ちゃんはソーサーにカップを戻した。途端に、空気がピリッとする。

「単刀直入にお訊きします。娘は、一葉は本当に病気なんですか? 間違いではないのですか? どこをどう見ても、健康そのものじゃないですか!?」

 お祖父ちゃんが国谷先生に詰め寄る。

「そう、思いたい気持ちは理解できます。しかし、桜井さんは、【原発性非ヘイフリック症】を患っています」

 国谷先生は断言した。

 お祖父ちゃんは厳しい目を国谷先生に向ける。一方的に睨みつけるお祖父ちゃん。国谷先生は睨み返さずに、視線を真正面から受け止めた。

 実際の時間は短いかもしれない。でも私には、十分以上続いているように思えた。

 先に目を逸したのはお祖父ちゃんだった。力が抜けたように背もたれに背を預けると、前屈みになり、両手で顔を覆った。

「……お祖父ちゃん」

 私は震えるお祖父ちゃんの背に、手を添えることができなかった。躊躇ためらってしまう。行き場のない手を握り締めると、自分の膝に戻した。

 国谷先生も山中さんも、無言のまま、お祖父ちゃんから視線を外さない。

「…………間違いないんだな……」

 絞り出すような声に、国谷先生は「はい」と静かに答えた。

「……治療法は?」

「ありません」

「……症状を遅らせることは?」

「今の医学では、残念ながらありません」

 そう答える国谷先生の顔は、今まで見たことがないほど苦悶に満ちていた。白衣の一部が皺になっている。

「…………そうか……何もできないのか……」

 小さい声だったけど、お祖父ちゃんの怒りを含んだ声が診察室に響いた。

「申し訳ありません」

 国谷先生は深々と頭を下げた。

「顔を上げてください、国谷先生。先生が悪い訳ではありません。誰も悪くないんです。お祖父ちゃんも、先生を困らせるようなことを言わないで」

 私の台詞に弾かれたように顔を上げる、国谷先生とお祖父ちゃん。

「桜井さん……」

「……一葉」

 二人は私から視線を外さない。

「この病気が不治の病だってことは、納得しています。でも、いずれ、それが近い未来か遠い未来かわかりませんが、治療法が見付かると確信しています。国谷先生を信じてますから。それに、ここで働くスタッフの方も信頼しています。まぁ……ちょっとだけ、運が悪かっただけですよね」

 私はニコッと微笑む。上手く笑顔が作れたかな。かなり無理はしてるけど、嘘偽りがない本当の気持ち。

 正直言えば、悔しいよ。
 
 とても悔しい。

 悔しくてたまらない。

 何で私が!? って思うよ。神様を恨みたいよ。

 でも、その気持ちを、お祖父ちゃんや国谷先生の前では吐き出せない。自分自身を責めて苦しむのがわかってるから。

「……一葉」

「お祖父ちゃん、変な顔になってるよ」

 私がそう言うと、お祖父ちゃんは「悪いか」と、ボソッ呟きそっぽを向いた。

「桜井さん」

 国谷先生が私に話しかけてきた。私は国谷先生に視線を向ける。

「はい」

「医療を携わる者として、君の気持ちを応えなくてはいけないね」

「無理をせず、ほどほどに頑張ってください」

「……わかった。ありがとう、桜井さん」

 その言葉が聞けただけで私は満足だった。

 その後は、病気がどこまで進んでるか。病状が出るのはいつ頃か。あくまで予測だけど、国谷先生は詳しく教えてくれた。

 あらためて置かれた状況を実感する。

 私が今の状態を保てるのは、二年だけなのだとーー

 それからは、ゆっくりと若返っていく。

 この二年、私は何ができるだろう。ずっと考えてるけど、思い浮かばない。せめて、生きていた証、爪痕みたいなものは残したいな。お祖父ちゃんのためにも。いや、違う。私のために。

 だって、何も残せないから。

 骨さえも残せない。若返るって、そういうことでしょ。だから……私は皆に忘れられたくないんだ。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

公爵令嬢の私に騎士も誰も敵わないのですか?

海野幻創
ファンタジー
公爵令嬢であるエマ・ヴァロワは、最高の結婚をするために幼いころから努力を続けてきた。 そんなエマの婚約者となったのは、多くの人から尊敬を集め、立派な方だと口々に評される名門貴族の跡取り息子、コンティ公爵だった。 夢が叶いそうだと期待に胸を膨らませ、結婚準備をしていたのだが── 「おそろしい女……」 助けてあげたのにも関わらず、お礼をして抱きしめてくれるどころか、コンティ公爵は化け物を見るような目つきで逃げ去っていった。 なんて男! 最高の結婚相手だなんて間違いだったわ! 自国でも隣国でも結婚相手に恵まれず、結婚相手を探すだけの社交界から離れたくなった私は、遠い北の地に住む母の元へ行くことに決めた。 遠い2000キロの旅路を執事のシュヴァリエと共に行く。 仕える者に対する態度がなっていない最低の執事だけど、必死になって私を守るし、どうやらとても強いらしい── しかし、シュヴァリエは私の方がもっと強いのだという。まさかとは思ったが、それには理由があったのだ。

処理中です...