俺は妹が見ていた世界を見ることはできない

井藤 美樹

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8 迷子を放り出すことはできません

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 山中さん、どこにいるのかな……部屋にはいなかった。一階にもいなかったし。今日は夜勤じゃないって夕食の時言ってたから、外かも。取り敢えず、外探してみようかな。ちょうど雨もあがってるしね。

 ドアを開け外に出る。コンクリートの焼ける匂いと雨の匂いがした。この匂いが好きだから、梅雨が嫌いになれないんだよね。ジメジメしてるのに。

 雨は止んでたけど、どんよりと曇っていて、外灯がない場所は真っ暗だ。先が全く見えなかった。

「……スマホ、持ってくるべきだったわ。人の気配しないよね」

 しょうがない。諦めて中に入ろうと思った時だった。

 視界に白いものが目の前を過る。

「ヒッ!! お化け!?」

 思わず、悲鳴を上げてしまった。頭を抱えて座り込む。すると、頭上からクスクスと笑い声が降ってきた。

「桜ちゃん、ここでなにしてるの?」

 白いお化けが話し掛けてきた。

 恐る恐る顔を上げる。細くて綺麗な足が見えた。

「……足がある」

「あるに決まってるじゃない。お化けじゃないんだから」

 さらに笑いながら、お化けが言う。

 その声に促されるように、私はもう少し顔を上げた。すると、お化けがしゃがみ込んだ。

「……未歩ちゃん」

「桜ちゃん、驚き過ぎ~絶対、お化け屋敷、無理なタイプでしょ」

「……そこまで酷くないわよ。お化け屋敷くらい入れる」

 苦手だけどね。そもそも、何も見えない空間から、突然白いものが出てきたら、大抵の人間は驚くわ。

「ほんとに~?」

「入れます」

 思ってたよりも低い声が出ちゃったよ。

「桜ちゃん、怒った? ごめんなさい」

 未歩ちゃんは焦ったみたいで、慌てて私に謝る。

「吃驚はしたけど、別に怒ってないよ」

「ほんと?」

「ほんと」

 そう答えると、未歩ちゃんは心底ホッとした顔をした。私、そんなに怖い顔してたかな?

「よかった~」

 安堵したからか、ガバッと抱き付いてきた。もう慣れたわ、この距離感。出会った時から、未歩ちゃんってこうだった。

「それより、こんな時間にどうしたの? 危ないでしょ」

「心配してくれるんだ、桜ちゃん。すっごく、嬉しい。眠れなくて、風に当たりに来ただけ。桜ちゃんこそ、どうしたの?」

「山中さんに用事があって探してたの」

 そう答えると、未歩ちゃんはニヤニヤと笑う。

「もしかして、待ち合わせしてたの? そっかぁ~陽ちゃんと、そういう関係だったんだ。知らなかった」

 なっ、何言い出すのよ!! この娘は!!

「ち、違うわよ!! 明日、急に祖父が来ることになったから、連絡しようと探してたのよ!!」

 慌てて否定する。周りが暗くてよかった~絶対、赤くなってたから。

「ほんとに~?」

「ほんとに!!」

 そんな勘違い、山中さんに失礼でしょ。

「な~んだ、残念」

 残念って……全く、この娘は。どこを見て、そんな考えが浮かぶのよ。確かに、山中さんは格好いいけどね。今の私に、恋愛感情なんてあるはずないでしょ。七年後には消えてなくなるんだし。

 何故か、本気で残念がる未歩ちゃんを見て、私は苦笑する。

「……眠れないのなら、少し散歩でもする?」

 私も眠れないし。たまには、こういうのもいいかな。夜に外出したのは初めてで、ちょっとワクワクしてる。思ったほど、風は湿っていないし。お祖父ちゃんの件は、明日、朝一番に報告すればいいよね。

「いいの!? ありがとう、超嬉しい!! この先に、自販機あるから、そこで飲み物買って、海に行こっ!!」

「いいわね。って、財布持って来てない」

「しょうがないなぁ。ここの先輩として、奢ってあげる」

「ありがとう」

 私が素直にお礼を言うと、未歩ちゃんは満面な笑みを浮かべた。

 不思議よね。人に奢ってもらうことに慣れてないのに、そもそも嫌だったはずなのにね……未歩ちゃんの言葉には素直になれる。たぶん、未歩ちゃんの言葉には裏表がないからだと思う。でも本当は……私が寂しいからなのかもしれない。

「未歩ちゃんって、ほんとに海好きだよね」

 自販機で甘いコーヒーを二本買った私たちは、海辺に向かって歩く。

「好き。海って、あっ、そこ気を付けて。猫がいる」

 その声に慌てて立ち止まる。すると、足元で「ナ~ゴ」と猫が鳴いた。のそりと移動する気配がする。

「ありがとう。踏まずにすんだわ。よく、見えたわね」

「よく来てるからね。夜目が効くんだよ」

「私も効くようになるかな」

「なるわよ。でも、桜ちゃんは効かなくてもいいよ。私が一緒にきてあげるから」

 この時、私には「一緒にいて」って聞こえたの。

「じゃあ、頼もうかな」

「ほんとに? 嫌じゃない?」

 はっきりと表情が見えないからかな、周囲に敏感になる。弾む声と不安そうな声、それらが混じっているよう聞こえた。

「別に嫌じゃないわよ。でも、一人になりたい時もあるから、その時はちゃんと断るわよ」

「…………桜ちゃんって、ほんと変わってる」

 出会った時も、同じこと言ってたわね。声少し震えてない? 気のせいかな。

「そうかな? 私的には、変なこと言ったつもりはないけど」

「自覚がないだけ。変わってる。って、何!?」

 繰り返されてもね……

 なんでかな、無性に未歩ちゃんを撫でたくなった。なので、考えるよりも先に頭を撫で撫でしていた。自分でも驚いたわ。一歩間違えたら、危ない人よね。

「なんでかな? 撫でたくなったわ」

「私はペットじゃない」

 口ではそう文句を言いながらも、未歩ちゃんは振り払ったり、逃げたりしなかった。もしかして、正解だった?

「ペットとは思ってないわよ。しいていうなら、妹かな。ちなみに、山中さんは兄ね」

「…………妹……」

 小さな声で、未歩ちゃんはポツリと呟く。今度は、声の震えがはっきりとわかった。私はそれを嫌悪感だと思った。完全に距離感間違ったわ。

「あっ、嫌だった。なら、ごめんね」

 撫でていた手を止め謝る。すると、突然未歩ちゃんは声を上げて泣き出した。焦る私。

 えっ、そんなに嫌だったの!? どうしよう!?

「ご、ごめん。嫌だったよね。本当にごめんなさい。じゃあ、私は先に帰るね」

 未歩ちゃんに背を向ける。そのまま行こうとしたら、腕を掴まれた。結構強い力で。

「……嫌じゃない。だから、行かないで……ここにいて。お願い…………」

 この時、私は未歩ちゃんが、まるで迷子になった小さな子供のように見えた。私は俯き泣きじゃくる未歩ちゃんを抱き締めた。

 わざと明るく見せてたのね。

 本当は、とてもとても怖かった。そうよね……怖いに決まってる。口にはしないけど、私も怖い。私より年下で、私より未来があって、とっても綺麗で、なのに、私より短い命ーー。

 骨も残らず、存在全てが消えてしまう奇病。

 未歩ちゃんは、一人、死のプレッシャーと戦いながら、一日、一日を生き抜いてきたのね。あの明るさは、未歩ちゃんなりの鎧だったのかもしれない。

「うん。いるから」

 強く抱き締めながら、そう答える。

「……ほんとに?」

「ほんとに」

「……ずっと?」

「ここにいる間は」

「そこは、ずっとって、答えなきゃいけないところだよ」

 泣き笑いしながら、文句言われてもね。

「嘘は言えません」

「桜ちゃんって、真面目だよね」

「それだけが取り柄ですから」

「ありがとう、桜ちゃん。私はもう大丈夫。先に帰ってて。お散歩は次にしよ」

 泣き顔を見られたくないのね。でも、

「それは駄目。帰るなら一緒よ。泣き顔を見られたくなかったら、伏せてなさい」

 迷子を放り出すことなんてできないわよ。

「心配性だよね、桜ちゃん。自殺なんてしないよ」

「だとしても、一緒に帰るわよ」

 今度は、私が未歩ちゃんの腕を掴む。

「ほんと、お姉ちゃんみたい」

「妹なら、お姉ちゃんの言うことを聞きなさい。ほら、帰るわよ」

「うん……」

 私は来た道を引き返した。お互い無言のまま歩く。でもその無言は、辛いものでも気まずいものでもなかった。

 反対に、とてもほんわかとした温かいもののように感じた。自然と口元に笑みが浮かぶ。未歩ちゃんも一緒なら嬉しいかな。

 
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